(米→←英+日本)





 〈後編〉



「アメリカはイギリスが好き。アメリカはイギリスが好き。アメリカはイギリスを好きになる……」

 イギリスはひたすら熱心に言い続けた。
 この所、毎日イギリスは同じ言葉を繰り返している。
 誰かに聞かれると恥ずかしい…というか、聞かれてはならないと、イギリスは自宅の寝室でだけこっそり同じ言葉を繰り返している。
 事情を知らない他人が見たらおかしな人間がいると思うだろう。イギリスは恐ろしいほど真剣な様子で同じ言葉を言い続けている。
 イギリスの奇行を知る者は今のところ、イギリスの家に住む妖精とそれを勧めた日本だけだ。
 妖精達はいきなり始まったイギリスの奇妙な日課を興味深げに見守っている。


『イギリスさん。言葉に宿った力が全て真実になるわけではありません。むしろならない事の方が多い。言葉にするだけでそれが真実になるなら、誰もがそうしている。……言霊は恐ろしいものですが、恐ろしいだけではなく、良い面もあるのです。良き言葉は良き事象を引き起こす。言葉は消えても、何度でも力が宿る。だから、望む結果が得たければ、諦めないで言い続けて下さい。望みが叶うまで何度でも。……ねえ、イギリスさんには叶えたい望みがあるのでしょう?』


 イギリスは見透かされた心を恥じ、いたたまれなくなった。
 そんなイギリスの手をとり、日本は言った。
 真っ黒な瞳の持ち主が謡うように言う。


『結果が全てですよ。イギリスさん。過程はさほど重要視しなくていい。愛は成就すれば終りではない。そこが始まりなのです。結婚がそうではありませんか。婚姻とは愛の終着点ではなく、スタートラインです。我々は国なので結婚はできませんが。………でもイギリスさん。あなたはその出発点に立ちたいのでしょう? ならば口に出して願って下さい。心の中だけで思っても、思っているだけでは何も進まない。心の花は枯れ、実は生らない。……そうなると信じ、願って諦めないで下さい。言葉を真実にしたいと真剣に音に出せば……そうすればきっと望みは叶います』


 日本の言葉には揶揄も嘘もなかった。
 ただ真実のみを淡々と述べているようで、イギリスは叶うはずがないと、否定する事ができなかった。


『言霊というのは単なるアミニズム思想ではありません。心の有り様なのです。人は言葉を出した時にそれを認識する。認識されたものはその世界に確定するのです。だから、ただ思っているだけでは駄目なのです』


 日本は船乗りを誘惑する人魚のように、魅力的な言葉で誘った。
 危険だと知っているのに逆らえない。
 絡め取られるようにイギリスは日本の言葉に聞き入った。




「アメリカはイギリスを好きになる。アメリカはイギリスが好き…」
 べ、別に日本がやってみろって言ったからやるのであって、本当にそうなるとは信じてないんだからなっ、これは日本に対しての友情だ。
 イギリスは自分に言い訳する。
 だって………現実に、アメリカがイギリスを好きになるわけがない。
 イギリスの思いとは真逆に、アメリカには邪険にされている。アメリカは日本やリトアニアには優しいのに、イギリスには冷たくあたる。
 鬱陶しい、しつこい、いい加減にしてくれ。
 明確な拒絶。あからさまな態度。
 幾度アメリカの冷たい対応に涙した事だろう。もう数えきれない。
 しかしどんな仕打ちを受けてもイギリスはアメリカを嫌う事ができない。
 だって愛しているのだ。
 イギリスの愛は不変だ。その形が変化しても重さは変わらない。
 昔は弟として愛していた。
 しかし成長したアメリカはイギリスに背を向けて手を切った。
 他人になったアメリカに未練タラタラだったイギリスは、ある時理解した。カナダもオーストラリアも大事な家族だ。なのにアメリカだけを特別に思うのは、それは……他人として特別だからだと。
 アメリカを一人の人間として愛している事に気付いてしまったイギリスは、この気持ちを誰にも気付かれないように一生隠しておこうと決心した。
 どうせ成就しない思いだ。隠して抱えて生きていこうと思っていた。『家族』の態度を通せば誰にも気持ちは気付かれないだろう。
 しかし日本にはあっさり気付かれてしまった。
 日本の読める空気は侮れない。
 どの空気に『イギリスはアメリカに恋してる』と書かれていたのだろう。……恐ろしい。これが読める空気か。
 日本は黙って恋を封印しようとしているイギリスに本当にそれでいいのかと、心痛を抱えるイギリスを気遣って励ました。
 イギリスだって本当はアメリカに愛されたい。同じ気持ちを返して欲しい。恋人になりたい。
 だけど、それは絶対にありえない夢だ。イギリスはとうに諦めている。
 アメリカにとってイギリスは鬱陶しい元保護者、ただそれだけの存在だ。せめて友達に、と思って切り出しても一言で拒否され、近付こうとしても逃げられる。イギリスは追い掛けられない。
 アメリカはイギリスのジメジメした鬱陶しい性格が嫌いなのだ。愛されるわけがない。
 日本は恐い顔で言った。
 まだ、足りません。…と。
「何も行動しない者が望む物を手に入れられるわけありません。欲しいものがあるのなら、努力すべきです」 
 しかしイギリスが努力してもアメリカの気持ちは手に入れられない。もう散々試したのだ。その結果が今の状態だ。
 しかし日本はらしくなく手を緩めず、ヒタと剣を握った時のような厳しい目をイギリスに向ける。
「嘘おっしゃい。イギリスさんは……努力をしていないとは言いませんが、明らかにその方法を間違えています。間違った努力に結果がついてこないのは当然です。それは努力は無駄です、意味がありません。イギリスさん、自分が間違っている事にそろそろ気付いて下さい」
 イギリスはショックを受けた。日本がそんな事を言うなんて。日本だけはイギリスを突き放さないと思っていたのに。
「イギリスさんはどうせ何をやっても駄目だと諦めているのでしょう? 駄目です。諦めてはなりません。やれる事を全部やってから諦めるのならともかく、まだやれる事があるじゃありませんか」
 どうやら嫌われてしまったわけではなさそうだ。
 日本の手はしっかりイギリスの手を握り締めている。
 温もりにイギリスは勇気づけられた。
「私がイギリスさんを嫌うわけありません。私達、お友達じゃありませんか」
 ……ね? 包み込むような日本の微笑みに、イギリスは逆らえずこくりと頷いた。




 日本の言う事を信じたわけではない。
 だが友人の真剣な言葉を無碍にするのも良くないと自分に言い聞かせて、イギリスは毎日そうなったらいいと願う言葉を言い、力が宿る事を祈った。
 アメリカに愛されたら。恋人になれるなんて大それた望みは持つまい。ただ、他の友好国のように気軽に笑顔を向けてもらえれば、と思う。
 怒った顔、馬鹿にした表情より笑った顔の方がいい。
 気軽に「イギリス♪」と笑いかけて欲しい。

「アメリカはイギリスを好きになる…」
 本当に願うのだろうか。
 言葉には力が宿るのだと日本は信じている。


『ことだま思想は我が国ではすでに1世紀には存在しました。わが国に残る最古の歴史書『古事記』にはすでに言霊の事が記されています。我が国は霊的な力によって成り立ったのですよ。イギリスさんにもそういう力が本当にあると信じて、ちゃんと言葉に出してみて下さい。妖精と会話ができるイギリスさんならきっとやれます。自分が信じられないというのなら、私を信じて下さい。私はイギリスさんを裏切りません』


 言霊が千九百年前から認識されているとは恐れ入る。さすがイギリスを上回る老国だ。イギリスがフランスの属国にされる前よりに日本は独立国として独り立ちしていたのだ。
 言霊なんて今まで聞いた事はない。
 だから日本を信じたのではない。
 そうなったらいいというイギリスの切実な願いだ。
 アメリカを愛する心を消せない自分をどうにもできなくて苦しくて仕方がない。
 日本の言う通りだ。やれる事全てをやってから諦めても遅くはない。
 やれる事がこれ以上ないなら、日本の言葉に従うのもいいだろう。
「アメリカはイギリスを好きになる」
 何百回、何千回唱えた、すでに日課の祈りのようになった言葉を続ける。
 アメリカの笑顔が見たい。優しい言葉をかけて欲しい。イギリスはただひたすら想い願った。




 
 カンカンカンカン。
 夜遅いというのに強く叩かれるノッカーに、イギリスは一体誰だろうと訝しんだ。知り合いならば、訪問前に携帯で連絡してくるだろう。
 いつも連絡などしない隣国でも、夜中の訪問なら電話の一つくらいは入れる。(でなければイギリスから逆歓迎の蹴りが入るからだ)
 アメリカなら………合鍵で入る。
 イギリスは許可した覚えはないのに、いつのまにか自宅の鍵がアメリカの手にあった。
「来た時に君が不在だったら外で待ちぼうけをくらうじゃないか。君の国は雨ばっかりなんだから、俺が濡れたらどうしてくれるんだい。鍵をくれないなら窓を割って入るからね」などと理不尽な勢いに押され負けた。前もって連絡すればいいだけだと言っても聞きはしない。
 どうしても嫌ならアメリカの手から鍵を奪うか、鍵を変えればいい。そうしなかったのは、アメリカが鍵を奪っていったという事は、これからもイギリスの家に来るつもりがあるという意味だ。ただ待つのが嫌という意味しか含まれていなくても、イギリスは嬉しかったのだ。
 アメリカは嫌な事は嫌と正直に言う。イギリスの家に来る事は嫌ではないから、来るのだ。そう思うと心の中が楽になった。
 少なくともイギリスと家の中に二人きりになって過ごす事をアメリカは厭わない。
 だからアメリカから鍵を奪う事はしない。鍵を返してもらったらアメリカはこの家に来なくなるかもしれない。それはとても寂しい事だ。
 アメリカはイギリスの家の鍵を持っている。家主に開けてもらう必用もないし、夜中に来る予定もない。訪問者はアメリカではない。
「……誰だ?」
 イギリスは玄関の脇に置いてある銃を確認し、ドアの向こうに声をかける。不機嫌がそのまま声に出た。
「俺だよ、アメリカだ。イギリス、開けてくれよ」
「アメリカ?」
 間違いなくアメリカの声だった。ドア越しだろうとイギリスには分かる。イギリスが絶対に聞き間違える事のない声。
「一体どうしたんだ? お前鍵を持ってるだろう」
 急いで鍵を外す。
「手が塞がっててね。……それに、君に開けて欲しかった」
「アメリカ?」
 重厚なドアを開いて、イギリスは絶句した。
「……それはなんだ?」
 人がいた。アメリカだとすぐには分からないくらい、深紅のバラがイギリスの視界を埋めた。
 緑と赤のコントラストにイギリスは唖然とする。
「なんだ、これどうしたんだ?」
 アメリカが何十本、いや百本を超えるバラの花束を抱えて立っていた。花束というより、ここまで多く密になると花の塊だ。市場からまるごと盗んできたように情緒もへったくれもなく無造作にバラが束ねられている。
 予想もしない状態にイギリスは「すげえな」と言った。
「パーティーの余りものか? 仕事でこっちに来てたのか?」
 アメリカは無言でバラをイギリスに差出した。
 イギリスはどういう意味か分からなくて、目の前の花とアメリカを見る。
「イギリス。受け取ってくれよ」
 どうしてか、アメリカの声が緊張しているように聞こえた。
 意味が分からずイギリスは戸惑う。
「バラを水あげして欲しいならそのまま庭に持っていってくれ。その量じゃ多すぎて家の中じゃ無理だ」
「違うよ。君に受け取って欲しいんだ」
 イギリスは巨大な塊を見て諦めた。
「持てねえよ。その大きさじゃ玄関につっかえる。無理に入れると花が痛むから、庭においとけ。庭なら妖精達が……いや、一晩くらいならそのまま放置して大丈夫だから。明日の朝になったら水あげして仕分けしてやる。そのままアメリカに持って帰るのか? それとも俺の家に飾ってもいいのか? どっちにしろ、今日はもう遅いから花は外に置いて、家に入れ。花に免じて夜中の訪問は許してやる。メシ食ったか? 紅茶を入れてやる。スコーンもあるぞ」
「違う!」
 アメリカが反論を許さない強い声でイギリスの意識を縫い止めた。
「アメリカ……?」
 アメリカは怒っているようだが、何故アメリカが怒ったのかイギリスには分からない。
「これは俺が買ったんだ。……君にあげる為に」
「え?」
 耳を疑った。アメリカがイギリスにバラをあげたくてわざわざ金を出して買った?
 今日はエイプリールフールではない。
 そんな事があるはずがない。
 何かの嫌がらせだろうか? ……だとしたら、随分金のかかった嫌がらせだ。
 イギリスは笑った。笑うしかできなかった。
「そうか。わざわざありがとう」
 近くにこの時間に開いている花屋はない。郊外にだってこんな時間に開いている店はないはずだ。イギリスではバーでさえ十一時に閉店する。
 泣くまいと思った。アメリカの冗談などよくある事だ。今回のジョークはいつもにくらべれば悪意もなく可愛いものだ。赤いバラを貰ったイギリスの反応を見たかっただけだろう。よく見ればバラは色も形も見事な貴重種だ。1本1本が最高級品で、どれだけ金が掛かっているか考えるだけでも恐ろしい。イギリスの月収を超えている。ジョークに使う金額ではない。
 花に罪はない。イギリスはただ花を貰えた事を喜ぼうと思った。噛み締めた歯がギッと鳴った。
「さあイギリス」
 差出された花束に、イギリスは手を伸ばした。
 花束に何かの仕掛けがしてあるかもしれない。花が損われたら、生きているモノで遊んではいけないと叱ってやろうと思った。
 受け取った花束はズシリと重くイギリスの腕を圧迫したが、それだけだった。花束に悪戯の仕掛けはなさそうで、少しホッとする。
「イギリス」
 花の向こうにアメリカがいるが、花が盾になって全然顔が見えない。
 花束のおかげで歪んだ顔が見られずに済んで良かったと思った。今笑う事は難しそうだ。
 自分はいつもと同じ顔をしているだろうか。イギリスは俯いた。
「アメリカ、入ったら鍵をちゃんと閉めておいてくれ」
 とりあえず温かい紅茶でも入れてやろうと思ったイギリスをアメリカが引き止める。
「イギリス。俺は君に…」
「アメリカ。玄関で話さなくてもいいだろ。リビングで待ってろ。紅茶を入れてやるよ。言っておくがお前の為じゃなく俺が飲みたいからついでに入れてやるだけなんだからな」
「定番の台詞はもういいよ。君は失礼だね! 人の言う事はちゃんと最後まで聞くべきだ! 俺をそう教育したのは君じゃないか!」
 強い言葉がイギリスを責める。
 なんでそんな言い方されなくちゃならないんだ。夜中に勝手に来て謝罪の一言もないお前にだけには言われたくないと無視しようとしたイギリスの背に、アメリカが更に言葉をぶつけた。
「酷い人だな、イギリスは。……君はプロポーズにきた人間にそんな対応しかできないのかい?」
 憤懣やるせない声は僅かに震えを帯びて、イギリスは硬直した。
 背後でワァッ、と妖精達の歓声が響き、イギリスは花束を床に落とした。




                                   〈おまけのにっさま〉


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