言 (米→←英+日本)





 〈前編〉


「それでしたら。我が国には[言霊]というものがあるのですよ、イギリスさん」
「kotodama?」
 日本は丁寧な仕草で急須を傾けて茶を注ぎながら、イギリスに説明した。
「はい。古来より我が国では、言葉には霊的な力が宿ると言われております。大昔……千年以上も前より、言葉には現実に影響する力があると信じられてきました。…………大和の國は皇神(すめかみ)の厳しき國言霊の幸はふ國と語り継ぎ言ひ継がひけり………」
 耳に優しい低く訥々とした声が静謐な部屋に響いて消える。ゆったりした言葉は祈りのようでも呪文のようでもあった。
 開け放たれた窓から草の匂いのする風が入ってくる。
 い草の香りに仄かな日本茶の香りが解けて交わる。
 イギリスが普段好むのは紅茶だが、日本が手ずから入れてくれる緑茶も好きだった。
 紅茶よりずっと苦味があるが甘い菓子によく合い、後味がすっきりしている。
 聞けば茶葉は紅茶と同じで、違うのは加工工程だけらしい。
 日本が話すゆっくりとした英語がイギリスは好きだった。抵抗なく耳に入ってくる。まるで日本の存在のようだ。目立たず、だが居心地が良い。
 イギリスは「どうぞ」と差出されたお茶を受け取り、一口飲む。苦味の中に仄かに甘い味がした。
 異文化の中で安心できる自分が不思議だった。畳にも、低いテーブルにも慣れた。
 日本の家に出入りし始めた当初は違和感ばかりだったが、それも懐かしい。
 畳は絨毯とは違い、そのまま寝転がる事ができるのがありがたい。疲れたり酒で酩酊したときに気軽に体を横たえられる。
 畳の上でゴロリと横になりウトウトと意識をまどろませると、日本が薄い毛布をかけてくれる気配がしてそのまま意識を無くす。とても気分が良い。最近ではその恩恵はもっぱらアメリカが受けているようだが。
 イギリスはヨーロッパの国たちといるより、文化や歴史の違う日本といる方が楽だった。歓迎はされないが拒絶もなく、なんとなしの許容が心地よい。
 日本はスキンシップが苦手だし、言葉もあいまいで掴みどころがなく何を考えているかわからないところがあるが、何気ない日常の仕草に優しさが見えた。
 イギリスはそういう日本といるのが好きだった。
 九十年前、同盟が破棄されて会えなくなった事は悲しかった。しかしそれもまた昔の話。
 イギリスは日本が言おうとしている事を推測したが分からなかった。日本の言葉は含蓄深いが感覚的な内容も多く、文化の違うイギリスにはなかなか理解しがたい。
 だが一つ一つの言葉にちゃんと意味がある。日本はとても真面目で、フランスやアメリカのようにあざとい冗談は言わないから、口に出される言葉は全てが真実だ。
 しかし、真実だからといって安心はできない。
『善処します』
『また今度』
『考えときます』
 それら全てがNOという意味だと教えられ、日本語の言葉の奥深さに呻いた覚えがある。
『あからさまな表現は不粋ですから。……不粋ですか? ええと、なんと言いましょうか………粋ではないという事です。噛み砕いて言いますと、情緒がないというか、ダサイというか田舎者というか機微を解さないというか……とにかくそういう意味です』
 日本人は迂遠な表現をさりげなく使う事を格好良いと考える人種のようで、イギリスは違いすぎる文化が理解できず、頭を悩ませた覚えが多々あった。
 自宅にいる日本は落着いた色の着物を着てくつろいでいる。ホームグラウンドにいる日本は、より深い謎に包まれているように見えるから不思議だ。
 外見からは分からないが日本はイギリスよりずっと年上だ。東洋人の年齢も表情も読みにくい。言葉が分りにくいのは、見えない空気に全部書いてあるからそっちを読んでいるのかもしれない。
「言葉に力が宿る? なんだか怖いな。言葉が精霊みたいに見えるようになるのか?」
「いいえ。言葉は音ですから、形はありません。誰にも見えないし、力があることすら気づかれない」
 日本の手が茶菓子の落雁をまっ二つにした。白い粉が受け皿の上に落ちる。
 日本は和三盆が口の中で解けるようにうっすら笑みを顔に刷き、落雁を包んであった和紙の表面の『日本の銘菓』という文字をなぞる。日本の文字は外国人の目には暗号のようにしか見えない。
「例えば。我々は約束というものの証として、文字を紙にしたためます。目に見える形があれば約束は効力を持ち、反故にはできない」
「そうだな。文書にはそれなりに拘束力がある。法律がちゃんと機能している国なら、それが証拠になる」
「ええ、そうですね。他人同士が約束を交わす。しかしその約束が守られるとは限らない。あえて約束を反故にする者もいれば、意志に反して約束を破ってしまう者もいる。約束とは脆いものです。しかし、紙にそれが記してあれば約束は誰の目にも明らかで、第三者に認識される事で事実になる」
「そうだな」
 イギリスには日本が何を言いたいのかさっぱりわからなかったが、素直に頷く。
 日本の会話法は独特で、最後まで話を聞かないとイエスかノーか結論が出ない。
 英語のisが、日本語では一番最後にくるから、自然とそういう話し方になるのだろう。
「約束を文書にしたためる。それは確かに拘束力を持つ事でしょう。しかし……所詮は紙の上に書かれた文字。焼いてしまえば約束そのものも反故なる。事実は何一つ欠けていないのに、それはなかったことになる。…おかしいと思いませんか?」
「別におかしくないと思うが…」
 イギリスは正直に言った。
 約束は脆い砂の城だ。証拠がなければ一波でただの砂に戻る。脆いと分かっているから形に残すのだ。
「そうでしょうか? 東洋とは違い、西洋の国の方は皆現実主義者で、形のないものは重要視されない。出した言葉は紛れもなくそこにあるのに、始めからなかったことにされてしまう。不条理です」
「見える物しか信じないのが人間だ。形がなければそれが本当にあったかどうか、本人たちにしか分からない」
「確かに。ですが、我が国では形のない物の方こそ人は大事にしてきたのですよ」
「形のないものをどうやって認識するんだ?」
「見えません。そこに本当にあるのかもわかりません。ですが、あると信じていればあることになるのです。………宗教と似ています。……神の言葉を、誰も聞いた事がない。我々は人よりも特別な存在ですが、これほど長く生きても神の言葉を聞いた者はいません。神は見えない。奇跡も起こさない。人の争いをなくしてくれないし、天災で数多の罪なき命が失われても助けてくれません。祈りは天に届かず、数多の願いはただ消え行くのみ。……しかし、神はそこにいて、確実に我々の上に君臨している」
 イギリスは言い方が日本らしくないと感じた。
「日本は神を信じていないのか?」
「いいえ。私は神を信じています。この世界を創造した者の存在を。…しかし同時に創造主が人を助けてくれない事も知っています。神はただそこにいるだけの存在です。……いるだけで何もしてくれないのなら、いてもいなくても同じです。かと言って本当にいなくなられては困る。神は人の心の支えですから」
「神の愛を信じていないのか?」
 日本は否定の意味でゆっくり首を振る。
「イギリスさんは信じておられるのですね。日本人の多くは神を愛するのではなく、恐れるのです。日本の神々は恩恵を施し、同時に祟りもします。祟り神でも神は神。畏怖の存在です。祟られないように祀り、仏に救いを求める。………私は他の方の信仰を否定しません。それが我が国の意思です。土着の神も仏教も儒教もキリストもイスラムもすべてを受け入れ、許容する。それが日本人です」
「日本は宗教観がかなり自由だからな。心が広いのかもしれないが、正直俺には理解できない」
 イギリスは明確な表現を避けた。
 無節操な日本の宗教観は同時に信仰心の薄さに感じられてしまうが、日本を見ている限り、神への信仰が薄いようには見えない。
 なるほど。形のない物の方を大事にするというのはこの事か。
 イギリスはなんとなく理解する。
 信仰はあるが、それを他人にあえて見せない。言わなくても、祈らなくても、常に信仰を抱いている。
 自分だけが分かっていればいい。
 日本人は普段から奥ゆかしいが、宗教にまでそうしなくていいのに。…と言ったら、日本は曖昧な顔で笑った。
「外国の方には日本人の多宗教は理解できないでしょう。神への信仰心が薄いように見えるかもしれません。……しかし日本人の多くは、生まれた時から宗教に縛られています。………誕生したら、親は子を連れ、日本古来の神へ会いに神社に行きます。内容は違いますが、キリスト教の洗礼みたいなものですね。三才、五歳、七歳のお祝いをするのは、昔は大人になるまで生き延びられない子供が多かったから、生き延びられた事を祝うのです。正月を祝うのは神道と仏教、クリスマスはキリスト教、バレンタインがあり、最近ではハロウィンまで認知され始めました。亡くなったらお坊さんにお経をあげてもらい、寺の墓に埋葬されます。誕生から成長するまでは日本の神に祈りを捧げ、死んだら仏に縋る。……おかしいですか? ええ、おかしいです。でもそれが日本人です。この国には神と仏が当たり前のよう共存している。外国の方には理解しにくい習慣ですが、日本で育った者はそういうものだと親に教えられ、あまり疑問を持たない。伝統とはそういうもの。一度定着してしまえばそれが常識になる。……日本人の多くは死んだら寺の墓に入るので、自分が仏教徒だと思っている者も沢山います。神棚を作り祖先や神を祀るのもまた日本人の常識。それが日本人です」
「本当に変わってるよな。二つの宗教は衝突しないのか? 宗教が違えば常識も違う。日本人は神と仏の教えが違う場合、どちらを優先してるんだ?」
「それは、その時々で臨機応変に。…日本人は頑固で内向的で融通が効かない。しかし一方でいい加減です。現実に沿うように都合良く物事を解釈する。その場その場の行き当たりばったりという面もまた、普通にあるんですよ」
 あっけらかんと言われ、イギリスはどういう顔をするべきか迷う。
 言葉だけを聞くと日本人はいい加減な人種だ。良い解釈なら臨機応変に富んでいる。排他的なくせに、いざという時はとんでもない事を平気でする。日英同盟を結んだ時のように。
「日本は本当に変わってるなあ。……で、ええと、何の話をしていたんだっけ?」
「言葉には力が宿る、という話です」
「ああそうだった。日本では言葉には霊的な力が宿るんだったよな。……それがどうかしたか?」
「イギリスさん。言葉には力が篭るんです。……ですから、音として言葉を出し続ければそれが真実になります。……良い言葉は良い結果を、悪しき言葉は凶事を引き起こします。ですから決して禍ごとは口にしてはならないと言われてきました。言葉に力が宿り、それを真実にしてしまうから。それほど言葉の力は恐れられていたのです」
「はあ……。呪術みたいなものか? それとも魔法?」
 そちらの方がイギリスには馴染み深い。魔術なら本場だ。
「魔法でも呪いでもありません。でも確かに祝詞などは呪術に通じるものがあるかもしれませんね。……言葉には力が宿る。しかし、出す言葉全てに力が宿っていたら、世界中異様な力で溢れかえってしまう」
「それはちょっと恐いな」
「ええ。ですから、言霊というのは全ての言葉に宿るというわけではないのですよ。もしくは宿ってもすぐに消えてしまうか」
「曖昧だな」
「はい。言葉に力が宿るというのは恐ろしい事ですが、そんな風にハッキリしない面もありますので、あまり深刻に考えずとも良いのです」
「じゃあ深く考えずにそういう事ある、という事だけ覚えておけばいいって事か?」
「一般には。しかしイギリスさんの場合は……違います」
「違うって…何かあるのか?」
 自分限定で何かあると言われ、イギリスはギョッとする。
 日本は何を考えているか分からない笑みを浮かべ、口を開いた。
「イギリスさん。言葉に力を宿らせて、真実にしてみませんか?」





 (後編)


 長くなったので二つに分けました