[祭]日が沈む、夜が来る(後編) |
試合終了の合図とともに、挨拶もそこそこにアメリカは身をひるがえすとすぐにコートから走り出た。呼びとめる声に片手を上げて「先に行くね!」と言い残してロッカールームへと駆け込む。 途中何人かの女子に親しげに声を掛けられたが、生憎と他人の顔を覚えるのが苦手なのでさっぱり誰なのか分からなかった。適当に「ありがとう」とかなんとか返事をしたつもりだったが、やや不満げな声が聞こえたのは気のせいだろうか。 それよりも、延長戦までいってしまったのは誤算だった。本当はもっと早く終わらせて生徒会室へ行くつもりだったのに、ちょっと気が弛んだ隙に点を入れられてしまい、挽回するのに随分と手間取ってしまったのだ。もちろん優勝は間違いないと自負していたが、気もそぞろだったのが足をすくわれた原因かもしれない。 手早くシャワーを浴びて制服に着替えると、脱ぎ捨てたユニフォームを愛用の星条旗柄スポーツバックに突っ込んで、アメリカは勢いよく廊下を走り出す。途中すれ違ったドイツに怒鳴られ、イタリアに怯えられ、中国に迷惑がられながらも特別棟にある生徒会室を目指した。 もう仕事は片付いただろうか。日本が一緒という事は普段以上にはかどったに違いない。フランスやセーシェル相手だとイギリスは常に何かしら怒っているため言い争いが絶えず、なかなか仕事が終わらないといつも愚痴っているのを聞いていた。 もっと協調という言葉を覚えた方がいいと思うよ、と言えばお前にだけは言われたくないと反論されたが、アメリカにしてみればさらなる反駁を要求したいところである。 「先に帰った、なんてことはないよね」 急ぎながら思わず唇を尖らせて、彼は青い瞳を窓越しに夕暮れ時の空へと向けた。 イギリスと日本は昔から仲がいい。最初二人はアメリカを介して出会ったのだが、そのうち彼らだけで話すようになり、気づいた時にはだいぶ親密な関係となっていた。 友達のいないイギリスに少しでも話し相手が増えればと、はじめはそう思っていた頃もあったが、やがてそれがなんとも言えない気持ちを抱かせるようになれば、アメリカは自分でももやもやとしたものが何に起因しているのか嫌でも気付くようになってしまった。 日本は優しい。そして思慮深いし穏やかで人当たりもいい。島国同士のせいかイギリスとは趣味も趣向も似通っていて、文化は違えど価値観がそれほど違わないのか話も良く合う。 最近ではアメリカ以上に日本はイギリスのことを分かっているし、イギリスも日本のことを理解しているようだ。どちらも付き合いの時間は自分の方がずっと長いというのに、である。 「……面白くない、面白くないんだぞ!」 日本のことは好きだ。彼がイギリスと仲良く過ごすごとはとても素敵だし、イギリスが日本といることで楽しくて明るい顔をするのは、見ているアメリカの幸せにも繋がることだと思っている。(だってあんな笑顔、もう見せてもらえない) けれど、もしも。もしも二人がもっとずっと……そう。たとえば友達以上の関係になってしまったら、それは。 イギリスは忙しいのであまり遊びに出かけることはないし、今日のように折を見て日本の方から生徒会室に顔を出す日も決して多くはなかった。なのに気が付くといつも一緒にいる気がするのは、きっとアメリカの思い過ごしなんかじゃないだろう。 フランスやセーシェルのような生徒会役員ほどではないが、自分も結構な頻度であの部屋を訪れている。けれどそのたびになんだかんだで文句を言われ続けていると言うのに、日本の時だけ歓待されるというのは少々納得がいかなかった。 「特別、なのかなぁ」 イギリスにとっての日本。 本当はずっとずっと以前から、アメリカにとってイギリスは特別な存在で、その逆もまたしかるべきものだと勝手に思い込んでいた。彼は自分にだけ甘いところがあったのですっかり油断していたとも言える。 あのイギリスが、アメリカ以外の誰かを選ぶなんて想像だにしなかったのだ。こんな性格だからだろうか、よく周囲に楽観主義者と言われてしまうのは。 「でもでも、だってさ、そんなの関係ないだろ?」 スニーカーの靴底がリノリウムの床を軽快に蹴る。 下校時間の過ぎた特別棟の校舎内はとても静かで、自分の足音だけが鈍い蛍光灯の下で響く。耳を澄ませばまだ数名残っているであろう生徒達の声が聞こえてくるが、それでも日中の騒がしさはすっかり鳴りを潜めていた。 夕焼けの空は茜色で雲が美しいグラデーションとなっているのが見える。 「だって俺は」 生徒会室のドアの前で立ち止まると、アメリカは一度だけ深呼吸をした。先に帰られたりしていないだろうか。日本のことだからそんなことはないだろうと思い直しながらも、イギリスは面倒くさがって先に行こうなどと言い出しかねない。 いや、違う。イギリスは絶対に自分を置いていったりはしないはずだ。 絶対に、絶対に。 「イギリス! 勝ったよ!!」 そう声を張り上げると、アメリカはぐるぐると回る思考を吹き飛ばすかのように、鍵のかかっていない木製の扉を勢いよく開いた。 * * * * * 中に入ると一般の教室とはちょっとつくりの違う、防音設備も完璧な部屋が広がる。重厚な机といい革張りの応接セットといい、よくある校長室に似た印象だが、それよりもさらに高級なものが揃えられているのはひとえに生徒会長自身の趣味によるものだろう。 最大限の特権を有した会長は、昔からアンティークと価値あるものが大好きだ。 「ノックしろって言ってるだろ、この馬鹿!」 奥から鋭い一声を浴びせられてやれやれと思っていれば、手前にいた日本が電卓から目を離してこちらを見上げ、にこりと愛想のいい笑顔を向けてくる。 お疲れ様でした、という言葉にアメリカが応じようとすれば、再びイギリスから「あと廊下も走るな!」という小言が飛んできた。 「いちいち口煩いなぁ君は。それよりほら、これ!」 バックから先ほど優勝商品として貰ったばかりのペットボトルを取り出し、放り投げる。コカコーラのロゴが入ったそれを受け取りながら、イギリスは嫌そうに眉をひそめ「炭酸を投げるなよ」と文句を続けた。 「優勝したんだろうな?」 「もちろん。俺が負けるはずないだろう?」 「言ってろ」 肩を竦めてイギリスは立ち上がると、手早く書類をまとめて日本に声を掛ける。 「そっちは終わったか?」 「はい。あとは会長のチェック印だけです」 「寄越してくれ」 日本がテーブルの上の紙束を持って立ち上がり、イギリスの元へと向かう。アメリカは一人掛け用のソファに腰を下ろしながら、見るとはなしに二人の姿を視界におさめた。 イギリスは日本が差し出す書類を受け取り、一枚一枚に目を通しながら穏やかな顔つきで囁くように言葉を発する。それに対して日本もにこやかに顔を寄せながら丁寧に答えてゆく。その至近距離具合は、見ているこちらが居心地悪いような気分にさせられてしまうほどのものだから、余計になんとも言えなくなってしまった。 ―――― やっぱり、仲いいよなぁ。 アメリカはふ、と溜息をついてソファのへりに足をかけ片膝を抱えた。行儀が悪いと言われるのが分かっていてもついついやってしまうのは癖のようなものか。(あるいは) 「よし、完璧だ。済まなかったな、日本」 「いいえ。お役に立てたようで何よりです」 「じゃあそろそろ行こうか。おいアメリカ」 いつの間にか上着を着込んだイギリスが書類の端を揃えて小脇に抱え、予め用意していた鞄を手に取るとこちらの名前を呼ぶ。気付いてアメリカもスポーツバックを手にすると立ち上がり、イギリスの方へと寄っていった。 「なんだい?」 「鮨屋、行くんだろ」 「あ、うん。マックには及ばないけど鮨も美味いよね!」 明るくそう言えば、イギリスの隣で日本がひきつった表情で物言いたげに見上げてくる。けれど結局は何も言わずしょうがないという顔をして、ひょいと肩を竦めるイギリスに向かって静かに笑い掛けた。 その笑顔に、イギリスの方もはにかんだように笑い返す。ほぼ日本の前限定のそんな横顔を見て、アメリカは胸中にたちこめるもやもやとしたものがさらに深まるのを感じた。それは面白くない、というよりもむしろこのままではヤバイ?という気持ちに切り替わり始めている。 こんなの自分らしくなくて正直嫌だったけれど、どうしたって気になるものは気になるのだ。 イギリスは日本のことが好きで、日本もイギリスのことが好き。二人はとてもよく気が合って、趣味も合って、イギリスは怒らなくて、楽しそうで、日本はいい奴で。 イギリスは。 イギリスは日本に恋して、いて。 「アメリカ? 変な顔してどうしたんだ?」 浮かんだ想像に自らびっくりして思い切り首を左右に振れば、突然の奇行にイギリスが目を丸くして顔を覗き込んできた。アメリカの瞳をまっすぐに見つめてくるその眼差しは、綺麗な緑色をしていて差し込む夕日に落ち着いた光が灯っている。 思わず見蕩れそうになって再び慌てて首を振ると、気を取り直すようにバックを肩にかけ直し、アメリカは出口を目指すため身体を捻った。 「別になんでもないんだぞ! さぁ、早く行こうよ!」 「そうか? 変な奴だな。あ……お前これ冷蔵庫入れておけよ。どうせ月曜日も来るんだろ」 「え? あ、そうだね」 渡されたコーラを手に給水室に移動し、使い慣れた冷蔵庫に放り込むとすぐに戻る。日本が部屋の明かりを消し、イギリスが廊下に出るのにあわせてその後を追えば、明後日もまたここへ来てもいいという許可を得たことに今更ながらに気付いて口元が弛んだ。 そう言えば冷凍庫に買い置きしてあるアイスもいつの間にか増えていることがあるし、やっぱりイギリスはなんだかんだと文句は尽きないがアメリカの来訪を心底嫌がっているわけではないらしい。 そういう彼なりの不器用な優しさがくすぐったくもあり、嬉しくも感じられる。そして自分だけが特別なのだとも。 鍵をかけて職員室に向かうイギリスを見送り、日本と共に下駄箱へと先に歩き出しながら、アメリカは隣に立つ彼を見下ろしてまばたきをした。 日本はどこかいたずらっぽい眼差しでこちらを見返している。言いたいことをちゃんとはっきり言わない彼の心情を推し量るのは難しい。まぁ大概はそんな些細なことなど気にせずに話を進めてしまうのがアメリカだったが、今は気分的にも無視は出来なかった。 「なんだい?」 「いいえ、なんでも」 ふふふ、と笑うその顔にはどこかしら見覚えがある。 首をかしげて戸惑っていれば、彼は優しく背中をぽんと叩いてきた。珍しいこともあるものだ。 「頑張って下さいね、アメリカさん」 「なにがだい?」 「イギリスさんのこと。これでも私、応援しているんですよ」 「え?」 突拍子もない言葉に思わず足が止まる。 けれどすぐに日本が向けた眼差しの意味を悟って、彼が何を言わんとしているのかに気付き唖然とした。前々からその勘の良さには舌を巻くことが多かったが、本当に、油断も隙もあったもんじゃない。 「えーと、ね、日本」 「はい」 「……内緒だよ」 「わかっています」 くすくすと笑ってこちらを見上げるその黒塗りの瞳には面白そうな光が灯っていて、これは厄介だぞ、と思う。 楽しまれては責めることも出来ないじゃないか。 アメリカは大袈裟なほどの溜息をついてから、日本を促して再び歩き出した。 前編 |