不健全な純情…………の
幕間

キース×イワン


01

「ファーヤー君、どうしよう、わたしはどうやら恋してしまったようだ」

 キラキラと瞳を輝かせ恋する男そのものの同僚の顔を見て、ネイサン・シーモアは『今更何言ってんだ?』と思った。

「ふふふふ。わたしの恋の相手が誰か知りたいかい?」

 勿体ぶる同僚だが、好奇心をくすぐられる要素がまるでないのだから勿体ぶられても困るだけだ。

「…別に? ………………………うそうそ。知りたい、すっごく知りたくなったわぁ…(棒読み)」

 ネイサンは内心溜息を吐きつつ、しょげたワンコの表情になった友人に慌ててフォローする。
 相手は成人男性だし、別にフォローなどせず放っておけばいいと分っているのだが、目の前の男を放っておくととんでもない事になりそうな予感大なので、皆の保護者を自認しているネイサンは放っておく事ができなかった。

「実は……ファイヤー君も知ってる子なんだ」

 笑顔だ。とってもいい笑顔だ。
 しかしネイサンは溜息しか出ない。

「……そう」
「……ヒントは金髪です」
「……そう」
「もう一つヒントを出すとね、その子はわたしよりも背が低いんだ」
「……そう」
「更にヒントを出すとだね、その子はとっても引っ込み思案で、でもとっても優しいんだ」
「……そう」
「顔もとっても美人さんだし」
「……そう」
「でも外見だけじゃないんだ。中身もすごくいい子なんだ」
「……そう」
「…………ファイヤー君。さっきからそうしか言ってないね。ちゃんと聞いてるかい?」
「……聞いてるわよ全部。……ついでに言うなら、あなたの片思いの子の趣味はジャパニーズグッズの収集で、瞳は紫色、ネクスト能力者で、擬態ができるコミュ障だけど根は素直な顔も性格もカワイイ子でしょう?」
「ど、どうしてネイサン君、そこまで知ってるんだい? もしかして心が読めるネクスト能力が開眼したとか? それともストーキングとか? 犯罪はダメだ、絶対ダメッ」
「あんたが言ったんじゃなければ蹴とばすところだけど、悪意がないのは分ってるから許してあげるわ…」
「ありがとう…??」

 ネイサンは天然の相手は疲れると溜息を吐く。会話を続けるのが面倒臭くなったので最後まで言ってしまう。

「スカイハイが片思いしてるのは私たちと同じヒーローで、あんたを『師匠』と慕う、一見地味っ子、でもとびっきりの美少年、ヒーロー名『折紙サイクロン』、本名『イワン・カレリン』ちゃんでしょう?」

 キースはネイサンの答えを聞くと顔を真っ赤にして
「ど、どうして…?」と聞いた。
「どうしてもクソもあるか。スカイハイのあの子を見る目を見れば嫌でも気づくわよ。……まあもっとも気づいてるのはわたしくらいなものだけど」
「そ、そうか。良かった」胸を撫で下ろすキース。
「良かないわよ。まったくなんだって身近にいる子を好きになるのよ。しかもあの子はあんたのストライクゾーンを外れてるじゃない」
「わたしはベースボールはやらないよ?」
「だれが野球の話をしたっ。恋愛ターゲットの話よ。あんたのストライクゾーンは肉体派の健全青年でしょ。折紙ちゃんはとっても綺麗な美少年だけど、あんたの好みじゃないわよね」
「そうなんだ。あの子は大事な同僚で後輩のはずだったんだ。折紙君の事は大好きだけど、その『好き』は友達の『好き』であって恋愛感情の『好き』じゃなかったんだよ。それがなんでか、いつのまにかあの子を好きになっていたんだ。……どうしよう?」
「どうしようって言われたって…………無理でしょ?」
「…………………………うん。分ってる」

 恋愛を報告しようとした時とは真逆のテンションで落ち込むキースに、ネイサンは面倒臭い事になったと思った。



 ヒーロー界の王様、スカイハイの中の人、キース・グッドマンはKOHの名を掲げるに相応しい正義感の持ち主で努力家で善人で善良で人々の尊敬を受けるに相応しい選良だったが、完璧な人間はいないというのを体現したように一つだけ人に言えない秘密を持っていた。

 つまり…………嗜好がヘテロでなくゲイだった。
 キース・グッドマンは同性愛者だったのだ。

 別に同性愛者は犯罪ではないし、何らうしろめたく思う事はないのだが、オープンな気質のシュテルンビルト市においてもゲイはやっぱりマイノリティだった。嫌われはしないが、堂々と広言できる事でもない。人気商売でその嗜好は致命的で広言できなかった。つまり秘密。
 なのでキースが女性に恋できないガチゲイだという事はポセイドンラインのトップシークレットだ。知っているのはCEOだけという徹底ぶり。
 ネイサンが知っているのは女の勘と、直にキースから聞いていたからだ。秘密は大小に関わらず抱えているだけで重い。相談相手がいるといないでは心理的負担が違う。肉体と精神の性別が違うと堂々と世間に言い切るネイサンだからこそ、キースは安心して自分の趣味を相談できた。


 ネイサンは目の前の天然ハンサム、でも残念なイケメンゲイを見て頭を抱えた。
 いつかこんな日が来てしまうのではないかと思っていたが、キースが選んだのがよりにもよってキースを師匠と呼んで尊敬するイワンだ。
 ネイサンは気が気ではない。
 キースの好みは自分と同じ、ガチムチ爽やか系ハンサムだ。ネイサンとキースの好みは割と被っている。
 キースが今まで好きになってきた相手はみんなそんな感じだった。
 うっかり奇跡的に女の子に一目惚れした事もあったが、それは本当に奇蹟だったようで、やっぱりキースはゲイのままだった。
 キースが一目惚れした少女とうまくいっていれば……とネイサンは思ったが、聞くとその少女は美しかったがおおよそ女のもつ生々しさを感じなかったという事で、きっとキースは精神的にその少女に惹かれたのだろうと推測した。しかしいかに女の匂いの乏しいといっても、服の下には瑞々しい肉体がある。その時キースはきっと違和感を感じて戸惑うだろう。
 ガチゲイというのはそういう事だ。多くの同性愛者は思春期頃に自分は女性に興味を抱くはずだと、なぜ異性に欲望を感じないのかと散々悩んだ末に自分がゲイだと受け入れる。だから自覚後、異性に恋する事は殆ど無い。
 ちょっとやそっとじゃ自分の好みは変えられない。嗜好はコントロールできるものではない。
 ネイサンはキースが同僚には恋しないように無意識に自分をコントロールしていたのを知っていた。自己防衛本能だろう。自己保身もある。
 キースがゲイといのは絶対に知られてはいけない秘密だ。仲間とはいえライバル社の者達だし、どこから情報が漏れるか分からない。そんな状況で仕事仲間に恋したら大変だ。男性達はみんなノーマルで失恋決定だし、仕事にも色々弊害が出る。
 天然と言われるキースでもそれくらの計算はできた。
……というより、絶対に仕事関係の人間と恋愛するなとCEOにきつく言われていたので、キースはそれを固く守っていた。
 ネイサンも安心していたのだ。キースは仕事仲間には恋しないだろうと。キースの好みの、爽やか系の青年はヒーローにはいなかった。
 バーナビーがヒーロー仲間に加わった事で案じていたが、キースはバーナビーには恋しなかった。
 なのにどうして好みに擦らないイワン・カレリンに恋したのか。


「……気づいたのはいつ?」
「昨日だ。寝る前に折紙君におやすみコールをした後………唐突に自分の幸福と欲求に気づいた、気づいてしまった」
「おやすみコール? まさかあなた達、毎日そんな事してるって言うんじゃないわよね?」
「してるよ? わたしたちは師匠と弟子だからね」

 得意げに言うキース。

「……このおバカ師弟! 普通師匠と弟子はそんな事しないの!」
「そうなのかい? でもわたしが寝る前に折紙君の声が聞きたいと言ったら、折紙君は『僕も……スカイハイさんの元気な声を聞いて一日が無事終わったと安心できると思います。あなたの一日が無事に過ぎた事が嬉しいですから』……だって。あの子は本当に天使だね」
「……天使はあんたよこのバカ天使」

 スカイハイの無意識の思惑を知らないイワンは、キースの申し出に首を傾げながらも「師匠(尊敬するスカイハイ)に言われた事だから」と受入れたのだろう。
 素直なのはいいが、素直すぎる師弟はどこか王道をズレている。

「でも、かなえる気はないんでしょう?」
「仕方がないよ。折紙君はノーマルだからね」
「そうよね」

 仕方がないなんて、スカイハイなら絶対に言いそうもない言葉をキースは言った。
 人生に前向きなキースだが、恋愛だけはいつも最初の一歩が踏み出せない。マイノリティの性だ。
 らしくないキースに、ネイサンは慰めるように言った。

「……まあ、ろくでもない相手に惚れるよりマシだわね。わたし達はこういう立場だし、下手な相手とは付き合えないから」

 ヒーロー業の辛い所だ。どんなに大切な相手であっても自分がヒーローである事は洩らせない。第一級特秘事項だ。
 キースはらしくない自嘲の笑みを浮かべる。

「わたしは折紙君と恋人になろうだなんて思ってないよ。あの子にはカワイイ女性が合っている」
「それが分ってるのに、どうしてあえてわたしに言ったのよ?」
「だって秘密にしておくなんて辛いし、誰かに言いたいじゃないか。わたしだって恋の話をしてみたい、そしてみたいんだっ」
「声がでかい。うるさいバカ虎にでも聞かれたらお節介の虫が湧いてくるわよ面倒くさい」
「え、タイガー君は虫を飼ってるのかい? 初耳だ」
「……もういいからしばらくあんたは黙ってなさい」
「いいや黙らないよ。聞いて欲しいんだ、ネイサン君!」
「……なにを?」

 嫌な予感がしたが一応聞く優しいネイサンだ。

「わたしは折紙君の恋人の地位は諦めている。だが!」

 グッとキースは拳を高くあげて宣言した。

「折紙君の大事な友達の地位を明け渡さないぞ、そして渡さない!」
「……どういう意味?」
「わたしは折紙君の恋人にはなれない。だが師匠にはなれた。折紙君にはすでにエドワード君という親友がいるから親友の地位は無理でも、二番目に親しい友にはなれるはずだ。わたしにもジョンというソウルメイトがいるから、折紙君を一番目の友達にはできない。だからわたしは折紙君の二番目に大事な存在になりたんだ、そしてなりたい!」

 力説するキースに、ネイサンはなるほどと思った。

「まあそれはいいんじゃないの? 恋人にはなれなくても親しい友にはなれるものね。……で、あんたがそう高らかに断言するって事は、何か障害があるって事なんでしょ? 折紙ちゃんにはすでに親友がいるんだっけ。……今は刑務所だけど。言葉に出すとなかなかシュールよね。そういう事ならあんたが二番目の友達になっても何もおかしくないわね。それで何が問題なの? 折紙ちゃんがいつものネガティブを全開にして『拙者のような者がスカイハイさんの親しい友達なんて…』なんて遠慮してるとか?」

 イワンなら言いそうだとネイサンが推測する。

「違うんだ、ファイヤー君。問題は折紙君ではなく、いや折紙君が問題の中心なんだが、そこじゃなくて…」
「まどろっこしいわね、さっさと言いなさい! 企業のトップの多忙なめんじゃないわよっ!」
「す、すまない。…………実はバーナビー君なんだ」
「……は? ハンサム? ハンサムがどうかしたの?」
「バーナビー君も折紙君の二番目の友達の地位を狙ってるんだ。わたしたちはライバルなんだ」
「…………は?」

 旧KOHと新KOHがライバル関係なのはシュテルンビルト市民なら誰だって知ってる。
 共にトップを狙うエース同士。仲が悪いわけではないが、仕事上では切磋琢磨するライバルだ。
 しかしこの場合のライバルは違うだろう。だって二人の間にあるのはランキングではなく、イワン・カレリンというちょっと暗めの美少年だ。おかしい。

「なんでハンサムが出てくるのか分からないけれど、ハンサムも折紙ちゃんと仲良くしてるって事なのね。そしてあんたはそれに嫉妬している」
「嫉妬? そうかこれが嫉妬心なんだね。わたしは折紙君に近付くバーナビー君にとても嫉妬しているんだ、そしてしている!」
「それにしてもハンサムと折紙ちゃんがそんなに仲良かったとは知らなかったわ。そういえばハンサムも友達少ないみたいだし、折紙ちゃんとは同じヒーローアカデミーの卒業生だし、仲良くなってもおかしくないわね。………………って、あからさまに落ち込まないでよ!」

 ずうん、と音がしそうなほど肩を落とすキースに、ネイサンが怒鳴る。
 喜怒哀楽がハッキリしているのはいいけれど、相手にするのはいちいち疲れる。
 しかし放っておくわけにはいかない。だって気の毒だ。…………巻き込まれるイワンが。

「……ちゃんと話を聞いてあげるから言いなさい。ハンサムがどうしたって?」
「昨日……わたしは仕事が先方の都合でキャンセルになって、ぽっかり時間が空いたんだ。それで折紙君に連絡を入れてみた。折紙君はその日仕事はないって言ってたから、もしかしたら会えるんじゃないかと思って」
「ふむふむ。それで?」

 デートに誘おうとはなかなか積極的だ。

「携帯に連絡したら、折紙君は外にいるみたいだった。人の行き交う雑音が入ってきた。
『……もしもし折紙君? わたしだ、キースだ』
『え、スカイ…………キースさんですか? どうしたんですか? まだお仕事中ですよね?』
『実は先方の都合で仕事がキャンセルになり午後から時間が空いたんだ。良かったら一緒にランチでも……』
『あ、すいません。今外にいて、ちょっと手が離せないんです。急ぎじゃないのなら後でかけ直します』
『あ、折紙君……。そ、そうか、多忙なら仕方がないな、はははは…』
『じゃあ急ぐんで失礼します』
 電話を切ろうとしたわたしの耳にはっきり聞こえた。
『先輩、そろそろ行きますよ』というバーナビー君の声がっ。よく聞いたらイワン君は昨日は一日オフで、バーナビー君と一緒にいたそうだ。…………酷い。どうしてわたしを誘ってくれないんだ折紙君。君の師匠はわたしだろう。遊びに誘うならバーナビー君じゃなくわたしを誘うべきだ、そして誘うべきだよ…」

 泣き崩れるキースに、ネイサンは無茶言うなと思った。

「まあまあ。仕方がないじゃない。あなたは昨日は仕事の予定がだったんでしょう? だったらオフの折紙ちゃんが誘うのはスカイハイ以外の人間って事よね。……たまたまハンサムと約束しただけでしょ。そんなに折紙ちゃんを束縛しようとしなくてもいいんじゃないの? もしスカイハイがオフだったら、折紙ちゃんは間違いなくあんたを誘っていたと思うわ」
「わたしもそう思って聞いたんだ。
『今度はバーナビー君じゃなくわたしも誘って欲しい、そして欲しいんだ』って。そしたら。
『スカイハイさんはダメです』……だって。わたしは折紙君には誘ってもらえないんだ、そして貰えない」

 ベンチに顔を伏せて嘆くキースを見て、ネイサンは男の涙って鬱陶しいわあと思った。