池沢佳主馬中学生日記







 03


「随分偉そうだなお前。よく吼える。池沢だっけ? 自分は努力したから女にモテるのは当然だって言ってんのか?」
 先程のわし鼻の上級生が聞いた。
「あんたも女をとられたって逆恨みしてる口?」
 こいつは厄介だなと佳主馬は思った。軽くあしらえる相手とそうでない相手くらいは見分けがついた。
 わし鼻の上級生は否定した。
「いや。俺は単に面白そうだから来てみただけだ。最近女達が騒いでる目立つ一年がどんなやつか見てみようと思って。……ツラは奇麗だが女みたいじゃないか。本当に池沢は女にへらへらといい顔してるのか?」
「へらへら? いい顔? そんな事した憶えはないね。……逆恨みしたモテないヤツらが流したデマだろ。馬鹿馬鹿しい」
 吐き捨てる佳主馬に、わし鼻の上級生は周囲の少年達に聞いた。
「池沢はああ言ってるけど、本当か?」
「嘘だ。いつも女に囲まれてちゃらちゃらしてるくせに」
「そうだ。いつも女をはべらしてるじゃねえか」
 同級生達の云われない非難に佳主馬は口をヘの字の形に曲げた。
 佳主馬が好きで女に囲まれているのだと思っているのだろうか。
 鬱陶しいと思ってもくだらない話題を振ってくる女生徒は事欠かない。冷たくすればすぐに泣くし、すげなく扱えば集団で責められる。女は扱い要注意だ。
 そんな事までいちいち説明しなくてはならないのか。
「女達に、あんたらと会話するのは時間の無駄だから、必用がない限り声をかけてくるな、とでも言えって? 女は鬱陶しいけど敵に回すと色々うざいんだよ。俺が好きで女と話してるように見えるなら完全な見間違いだから。無視してもあっちが勝手に話し掛けてくるんだ。そんなに女と話したいなら、自分から声をかければいいじゃん」
 男には強い事が言えても、異性との付合い方が分らない少年達はそれができれば苦労はしないとばかりに黙り込む。
 佳主馬は確かに女と話している時も仏頂面だ。楽しんでいるようには見えない。
 それでも女に囲まれている事に変わり無い。少年達はそれが面白くないだけだ。
 中学生ともなれば当然気になる女子もいる。友人の手前興味がないと言っても建前で、心は言葉とは裏腹だ。
 可愛い子、性格が良さそうな女の子、同じ部でよく話をする少女。白い肌や柔らかそうな身体が思春期の男を自然に引き寄せる。
 彼女達への気持ちはまだはっきりしていないが、淡い恋を池沢佳主馬という少年が横からかっ攫っていってしまった。グズグズと不満は燻りどうやっても腹は治まらず、自然に同じ思いをしている者同士が集まってこういう形になってしまった。
「沢田奈々香をフッて泣かせただろう」
 佳主馬と同級生の黒い肌の少年が強く言った。
 突然上がった名前に佳主馬は知った顔を見た。
「沢田? ……玉木、おまえ、沢田が好きなのか?」
「お、俺の事はどうだっていいだろ。池沢が沢田に近付くから沢田は勘違いして、池沢なんか好きになって、結局フラれて泣くハメになったんだ。その気もないのに色々な女に気を持たせやがって…おまえは卑怯だ」
「あのさあ。……玉木。恋に目が眩む気持ちは分るけど、事実をちゃんと見ろ。沢田の気持ちまで俺に責任転化するな。言っとくけど俺から沢田に近付いた事は一度もないぞ。確かに彼女に告られて振ったけど、それは気持ちに応えられないからそう言っただけだ。傷つけた事は悪いけど、だからと言って嘘は言えないだろ。これは当事者同士の問題で玉木には関係がない事だ。たとえ玉木が沢田を好きでも玉木には口出しする権利はないし、文句を言われる筋合いもない」
 佳主馬は揺るぐ事なくきっぱりと言った。
 玉木一也は佳主馬のクラスメイトだが、あまり仲は良い方ではない。
 理由は今分かった。何もした憶えはないのに何かと目の仇にされているのはそういう事かと、納得する。
 沢田奈々香は客観的に見るならたぶん可愛い少女だ。
 その辺が他の男子生徒と佳主馬の間の温度差だろう。
 佳主馬にとってはどんな女も興味の対象外だが、他の男はそうは思わない。
 最近になり頻繁に告白されたりメールで呼び出されたりしている中に、沢田というクラスメートもいた。
 直接、好きだからできるなら付合って欲しいと言われ、佳主馬は正直にそれはできないと断った。
 甘い夢を見る少女達の願いを佳主馬は一顧だにしない。
 相手に恋愛感情がない時点で恋愛が成立しないのは当然の結末なのに、少女達は何故付き合えないのかと相手を責めて追求する。
 告白するまでぐずぐずと悩むくせに、いったん動き出せばどこまでも強気に変貌するのが女という生き物だ。
 男の佳主馬には女のふてぶてしさが理解できず恐い。女の強かさを本能で感じてドン引く。
 祖母を敬愛する佳主馬には女性蔑視がなく、女のくせにと女性を見下したりはしないが、同時に理不尽に対しては容赦がない。
 どうして付き合えないか、付合ってみれば好きになるかもしれないと言われ、佳主馬は正直に答えた。
「無理。あんたの事は好きじゃない。どうやったって好きになれそうもないから付き合えない」
 一刀両断、グウの音も出ない拒絶。
 佳主馬はただ自分に正直なだけだった。
 十代の片思いなど誰もが一度は経験するありふれた“はしか”だが、当事者にとっては大事件だ。
 タチが悪い事に女は一人では泣かない。秘かに失恋の涙を流せば可愛いのに、悲劇の主人公のごとく友達に泣き付き、振られた理不尽を、佳主馬がどんなに冷たい男かを切々と訴える。
 佳主馬が女に気がある素振りを見せていたら佳主馬の評価は少女の目論み通り下落しただろうが、佳主馬の公平な素っ気無さや冷たさが逆に少女達のハートに火をつけた。他の男達と違い、佳主馬は可愛い子だけを贔屓したり容姿によって対応を変えたりはせず、どこまでもクールで公平だった。
 自分が冷たくされるのは嫌だが、扱いが公平なら仕方がないと納得できる。
 佳主馬の沢田という少女に言った言葉は乱暴だが、間違ってはいない。恋をできそうもない相手への返答を明確に伝えただけだ。
 振られた少女達に近い人間は憤ったが、それ以外の少女達にしてみればざまあみろと対応は冷やかだ。可愛い女の子というのは無意識に傲慢で同性の嫉妬を買いやすい。
 少女であっても「女」はどこまでも女だ。しかし男は違う。
 人の口に戸は立てられないし、何処にいても人の目はある。
 沢田が池沢に振られて泣いたという事実に、沢田に気がある玉木は憤った。
 サッカー部の玉木は人気者ではないが、女子に嫌われる事もない普通の生徒だ。
 さほど成績が良くなくても、顔が普通でも、野球部やサッカー部でちょっと目立ったりいずれレギュラー入りも不可能じゃないと匂わせれば、女の子うけは格段と良くなる。
 沢田奈々香は玉木が秘かに気になっていた少女だった。顔は可愛いし、玉木とは席が近いせかいよく喋った。始めはただのクラスメイトだったが、可愛い少女と親しくなれば気持ちは分りやすく傾く。
 しかしそれは男の側の言い分だ。
 いつのまにか沢田の視線は池沢佳主馬に向くようになった。
 玉木にとって池沢佳主馬はとっつき難いが、嫌いというほどでもなく特に親しくなろうとも思わない、そんな同級生だった。
 しかし沢田の事があってからは大嫌いになった。
 何がそんなにいいのだろうと思うほど佳主馬は最近になり女性にモテ始めた。
 本人が迷惑そうなのが逆に腹立たしい。
 好意を示される度に振り捨てて、それがどうしたという態度だ。
 自分が秘かに好きだった女の子が振られて泣いたと聞き、嫉妬と怒りで胸は沸々と沸いた。
 佳主馬とも沢田とも毎日顔を合わせる。沢田の目は未だ佳主馬を追っている。
 ムカつきは日に日に育った。
 佳主馬をクラスでハブにしたりしなかったのは、仕掛けたのが自分だとバレるのが恥ずかしかったからだ。
 苛めなどありふれているし、小学校の頃、佳主馬は苛められていたと聞くから苛めのターゲットになってもおかしくはないが、今の佳主馬は侮られる弱さがない。
 聞けば何かの格闘技をやっていて、喧嘩が強いという裏話は嘘か本当か。
 腕っぷしでは叶わないから影で苛めるというのは男として格好悪いし、万が一好きな女をとられた腹いせと周囲にバレたら、男としての立場がない。それくらいの判断と打算はあった。
 だから佳主馬に文句を言いたくても言えないでじりじり苛つく気持ちを燻らせていたのだ。
 同じような気持ちを抱く男がいると知り、渡りに船で佳主馬に報復しようと思った。女にチヤホヤされていい気になっている佳主馬が悪いと、玉木は真実から目を逸らし、自分を正当化した。
 女にモテる事がイコール軟弱なわけではないし、軟弱だと決めつけている相手に喧嘩一つ正面から売れない自分を直視したくない男達の歪んだ自尊心が、きっかけを経て表面化した。
 佳主馬にとっては理不尽きわまりない災難だ。
 玉木は悔しそうに言った。
「文句を言う筋合いはある。沢田とは…友達だ」
 佳主馬は呆れる。
 佳主馬には男達の歪んだ自尊心理解できない。
「あのさぁ。……玉木って沢田が好きなんだろ? なんで沢田が俺に振られたからって怒るんだ? 普通そこは悦ぶところだろ?」
「悦ぶって、なんでだよ?」
 玉木は佳主馬の言う事が理解できず、本気で聞き返す。
「なんで? それを聞く? 玉木って本当に沢田の事が好きなの? 聞いちゃう時点で駄目だろ、それ」
「どういう意味だよ。女を泣かせておいて何で悦ぶとか言うんだ。最低だぞ」
 文句をつけてくる男が何を求めているのか理解できない佳主馬は、面倒だと思いつつ説明する。
「だっておまえ沢田が好きなんだろ。だから俺と付合って欲しくないんだろ。俺は沢田の事が好きじゃないから付き合えないって言った。沢田は確かに泣いたかもしれないけど、玉木にとってはチャンスだろ。折角のつけこむ隙なのになんで怒るんだ? なんとか食らい付いて彼女の気持ちを自分にむける絶好のチャンスなのに、そうする事を考えないのか?」
 理解できないと、本気で理解不能だと首を傾げる佳主馬に、玉木は狼狽え、屈辱とばかりに顔を赤く染めた。
「バ、バカにすんなっ。泣いてる女につけこむような卑怯な真似ができるかっ。本気で言ってるならお前最低だぞ」
「卑怯? どこが? 当然全部本気だけど」
「振られて傷心の女心につけ込むなんて、男のする事じゃない。そんな男が腐ったような事、できるもんか。バカにするなっ」
 佳主馬はぼかんとした後、眉間に皺を寄せた。
「…は? 男が腐る? 誰が決めたのそんな事。本気でそんな事思ってるのか」
「……そんなの……当然の事だろ」
 呆れ果てた口調の佳主馬に玉木の自信が揺らぐ。
 佳主馬の発言は男としては少々卑怯だろう。男なら正々堂々とした態度こそ正しい。
 女の傷心につけこむやり方は心で賛同しても、口にはできない。何故なら男は見栄の生き物だからだ。常に他のオスの目を気にし、男らしさを誇示していなければならない。〈男の腐ったの〉と仲間に思われたら、その時点でお終いだ。
 その当然の理屈を佳主馬は男なのに理解していないようだった。
「何が当然なのさ。自分だけの思い込みだろそれ。玉木が勝手にそう思ってるだけ。…………ああそうか。おまえ、そんなに沢田の事が好きじゃないんだ。好きになってるつもりなだけか。沢田の気持ちが俺に向いて思い通りにならないから、ムカついてるだけか。おまえらって気持ちまで中途半端なのか。その程度か。……本当、バカバカしいったらないね。下らない恋愛事情に付合ってるほどこっちは暇じゃないんだよ。こんな迷惑な呼び出しになんか付合ってらんないよ。……女? そんなの知った事か。気になる女がいるなら勝手に口説けばいいだろ。俺には関係ない。……もう帰る」
「ざっけんな、素直に帰すと思ってるのかよっ。それに……俺の気持ちが本気じゃないって、中途半端だなんて決めつけやかって! お前みたいな人の気持ちが分らない最低野郎、大嫌いだ」
「嫌いで結構。こっちだってお前らなんか好きじゃない。自分達のバカさ加減すら気付いていないくせに。俺を巻き込むな」
 怒りのまま迫る同級生に佳主馬の視線は冷たい。











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