池沢佳主馬中学生日記







 02


 そうだそうだと周りが賛同し、勢いにのって口々に文句を言い始める。
「三組の柏木に手ぇ出しただろう」
「四組の花田の事、知らないとは言わせないぞ」
「一組の沢田奈々香、振ったんだって?」
「二年の神崎千鶴から手紙貰ったそうだな」
「佐藤和美からデートに誘われたって?」
「西沢が…」
「神田と……」
「前川に……」
 延々出てくる女生徒の名前に佳主馬は面喰らった。
 何故この場で女子の名前ばかりが上がってくるのだろう。
 まさかとは思うが、そんなくだらない理由なのか?
「ち、ちょっと待て…。なにそれ…?」
「とぼけんじゃねえっ。みんなおまえが振った女だろうが。サイテー野郎、男の屑。知らないとは言わせないぞ」
 そうだ、ふざけんじゃねえ、おまえみたいなガキの何処がいいんだ、生意気なんだよ、と周囲から上がる声に佳主馬は記憶を掘り起こす

 そういえば上がった名前の中に聞いた事のある名もあった気がする。…が、顔がすぐには思い浮かばない。つまり佳主馬にとってさほど大事な相手ではない。……というのは佳主馬だけの考えであって、彼女やその周りの人間達はまた別の考えを持っているのだろう。
「つまり……俺が女の子達を振った事が気に入らなくて難癖つけてるの?」
 ばっかじゃないの、と最後の言葉は飲み込んだ。
 男達に囲まれて因縁をつけられている事は腹立たしいが、佳主馬に告白してきた女の子の気持ちを馬鹿馬鹿しいと言う事はできない。
 気持ちの重さはどうあれ、人の気持ちを軽んじていいはずもない。
「次々女を振っていい気になってんじゃねえっ」
 手前にいた少年の言い掛かりに、佳主馬は溜息を堪える。馬鹿馬鹿しすぎて付合ってられない。
 学校内の色恋沙汰は佳主馬にとって無関心に近い。ほとんど興味ない事柄に因縁をつけられても自分興味ありませんから、と言うしかない。
「あのさ。振った事が駄目なら、じゃあ告白してきた子達全員と付き合った方が良かったっていうの? どう考えてもそっちの方が男として駄目だろ。……っていうか、俺が告られた事とあんたらにどう関係あるんだよ。よくも女を振ったってわざわざ文句を言いにきたの? 女の子本人が言うならともかく、全然関係ないあんたらに文句をつけられる筋合いはないんだけど。あのさ…無関係なやつが何で怒るの? 理不尽て言葉知ってる?」
「ありえないのは池沢の方だっ。どうして斉藤ハルカは池沢みたいのかいいんだ…。チビのくせに。女に媚売ってチヤホヤされていい気になってんじゃねえ」
「つまり……あんたは斉藤って女が好きで、彼女が俺を好きになったからって、逆恨みして文句をつけてるのか。………馬鹿? そんなんだからモテないんだよ」
「んだとっ!」
 激昂し掴み掛かってきた男の手を軽く弾き、間髪いれず足の間を軽く払い、佳主馬は男を転倒させた。
「池沢っ!」
 他の人間も同じく佳主馬の身体を捉まえようと手を伸ばしてきた。一人や二人なら容易くあしらう事はできるが、それ以上だと多勢に無勢だ。
 両手を掴まえられても佳主馬は動揺せず、不遜な目付きのまま掴まえている男達を見下した。
「……あんたらは自分の好きな女が俺の事を好きになって、それでムカついてるの? 恋愛がうまくいかない腹いせを俺にぶつけるのはお門違いだよ」
 佳主馬の正論も冷静さを欠いた少年達には通じない。
「おまえみたいな女ったらしの野郎が許せないんだよ。どういう手を使って女の気を引いてるのか知らないが、池沢みたいのがヘラヘラして軟弱なツラ見せて、女の気を引いてるのが気に入らないんだよっ」
 少年の一人が怒鳴る。
 女ったらしと言われ、佳主馬はまるで自分に該当しない的外れな形容詞に、笑っていいのか呆れていいのかそれとも聞かなかった事にするか迷った。
 佳主馬の戸惑いを少年達は肯定と受け止めたらしい。
「女にモテるからっていい気になってんじゃねえ」
「殺すぞテメエ」
「泣かされたくなかったら地面に手ぇついて謝れっ」
 佳主馬は目の前の男の脛をするどく蹴り上げた。
「でっ…!」
 蹴られた男は足の痛みに反射的に佳主馬を掴んでいた手を放す。
 片手が空けば充分だった。後側にいた男に肘を入れ、間髪入れず、裏拳で顔を殴る。
 佳主馬の左腕を掴んでいた相手に身体ごとぶつかり、体勢が崩れたところで身体を低くし、足払いをかけた。
 他の人間が掴まえようと手を伸ばしたところを空中で一回転、サマーソルトキックで相手の肩に足先をのめり込ませる。
 佳主馬の身体では体重の乗った蹴りもさほど威力はない。しかし荒事になれていない少年達は思わぬ反撃にたじろぎ佳主馬から一歩引いた。
 佳主馬は周囲の少年達の顔を一人一人焼きつけるように見た。
「……殺すって言ったの誰?」
「おい……池沢」
「誰が誰を殺すって? 地面に手をつけって? 誰が言ったの? ねえ、教えてよ」
 静かな声だった。力なく淡々としていた。何の感情も表現しない、ごく普通の声。
  変声期がまだ終りきらない佳主馬の高い声が周りの少年達を尻込みさせた。
 軽く反撃されたからといって恐れる事など何もない筈だが、佳主馬の爛々とした目が少年達を怯ませた。
 狩られる兎だと思っていた相手が肉食獣だと気が付き動揺しても遅い。
「……殺す? バカな人間ほどそういう脅しの言葉を使いたがるよね。ほんとバカ。……バカの言う事をいちいち聞いてたらキリないけど、その言葉は許せない。命の重みを知らないからそういう事を平気で言えるんだ。おまえたちみたいのが…」
 佳主馬は歯を食いしばった。
 単なる威嚇だというのは分かっている。 浅慮な人間が何も考えずに使う軽い脅しだ。
 だが……佳主馬の中の傷に触れた。
 死は遠いものだと思っていた。数カ月前の夏までは。
 佳主馬は母親を守れなかった。
 自分の死より、大事な者の死の方が何倍も恐ろしい。大事なものが本当になくなってしまうかもしれないという恐怖。自分の力では守れなかったという後悔。佳主馬の中の大きな傷だ。
 佳主馬が未だ夏の日の戦いを引き摺っている事は誰も知らない。誰にも気付かれないようにしてきた。
 池沢佳主馬にとって死はもう遠い世界の事ではない。曾祖母の栄が死に、その日に頭の上に人工衛星が落ちてきた。死は未来ではなく隣にあるものだと佳主馬は知ってしまった。あの静かな衝撃をなんと現わそう。
 健二がいなければ。あの人がいなければ佳主馬は今ごろこうしていない。母と妹だってどうなっていたか分らない。
 万が一人工衛星が落ちたのが陣内家ではなく、他国の原子力発電所だったとしたら。今頃は百万人単位で人が死に、そして陣内の人間は全員非難の的になっただろう。
 ラブマシーンがキング・カズマと戦って勝利した結果、ラブマシーンは更なる進化の為に人工衛星を地上に落下させようとした。
 ラブマシーンに挑戦したキング・カズマ。
 そしてラブマシーンの制作者、陣内侘助。
 他人同士ならまだしも、二人は親族で、その時一つ屋根の下にいた。
 もし『あらわし』が落ちていたら、何故そうなったか人々は原因を糾明する。
 侘助とキング・カズマは格好のスケープ・ゴートになる。そうなれば責任は陣内の一族全体に及ぶ。
 ネットのプログラムを対象とするより、特定の個人に憎しみを向けた方が分りやすい。
 佳主馬は自分の中の傷に触られ、殺すという言葉過剰に反応した。
 佳主馬は目の前で尻をついた少年の腹に爪先をめり込ませた。
「っざけんなっ! 殺すだって? バカ言うなっ! 死が何かも知らないくせにっ。 女がどうしたっていうんだ。くだらない。おまえらが女に好かれないのは俺のせいか? 違うだろっ。おまえらに好かれる要素がないからだろうが。嫌われて当然だっ。何も努力してないやつが何を得られるっていうんだ。自分が何故好かれないか考えた事もないんだろう。俺に八つ当たりする前に自分を磨けよこのバカどもがっ」
 佳主馬は吼えた。
 下らない。なんてつまらない事で自分は怒っているんだろうと、佳主馬は思った。
 佳主馬の周りは理不尽だらけだ。
 周囲は子供ばかりでことごとく視野が狭い。
 佳主馬とてまだ子供で五十歩百歩だが、五十歩と百歩では少なくとも倍は違う。
 佳主馬の怒りに押され、少年達はどこか怯えたような顔を見合わせた。
 圧倒的な多数で囲んでいるのだから少年達の優位性は変わり無い。
 しかし本気で反撃されるとは思わず、軽い気持ちで嫌がらせを始めた少年達は戸惑った。
 池沢佳主馬という少年がどういう人間なのか、同級生達はその表面上の事しか知らない。
 愛想がなくどこかふてぶてしく生意気で、それなのに成績が良く鈍くもなく、クールなところがいいと最近女生徒達の評判は良い。
 どこの部にも属していないせいで一匹狼の印象がある。
 目立つというのは未熟な精神しか持たない学生の間では良し悪しだ。人は逸脱した者を異端視するきらいがある。
 本質を見極める前に印象のみが独り歩きし、それが真実に映る。
 誰かがあいつは悪いやつだと決めつければ、それがさも真実のように人の中に残る。
 佳主馬は入学当初はさほど目立つ存在ではなかった。
 最近になり成長が目立ち始めハッとするほどの色香が漂うようになり、それが強烈に女生徒達を引き付けるようになった。
 佳主馬は自分で何も変わっていないと思っている。
 なのに急に女達に関心を示され、逆に戸惑っているくらいだ。
 佳主馬は戸惑うだけだが、周囲の反応はそれぞれだ。好意的に見るのは女だけで、友達の少ない佳主馬を好意より悪意を引き寄せやすかった。
 佳主馬が生意気だと言い掛かりをつけられるのはムカつくが、どこか納得できる。
 佳主馬は自分の傲慢さを自覚している。媚びるより孤高の方がいいと胸を張っていれば敵は増えるばかりだ。
 しかし無理して他人に迎合する事になんの意味があるだろうと佳主馬は思う。
 だから小学校の頃に苛められた。
 それでも敵対する人間に媚びる事はしたくなかった。一度卑屈になれば誇りを取り戻すのは難しい。何も持っていない子供にとってプライドだけが自分の拠り所なのだ。
 ならばどうすればいいか。
 誰もに文句を言わせないくらい、圧倒的に強くなるしかない。
 なんだかんだ言って男の世界は強さがものをいう。
 学校という狭い世界では、狭いなりのルールが存在する。
 強い男だという事を示せば一目置かれ、嫌われたとしても攻撃される事はなくなる。
 佳主馬は自分の腕でその強さを示し、苛めてきた人間を退けた。
 中学でも同じ事をしなければならないのかと、腹が立つと同時に、何も変わらない環境に馬鹿馬鹿しさを通り越し虚しくなる。
 佳主馬が気に入らないのなら一人で文句を言いにくればいい。それができない弱い人間が群れて強くなった気になり、他人を攻撃して悦に入るなど愚の骨頂だ。
 そんな人間に膝を屈してやる義理はない。
 そもそもの理由が気に入らない。
 佳主馬が女にモテて、言い寄られたのを断っているのが気にいらない? ムカつく?
 佳主馬から告白した憶えはないし、女に愛想を振りまいたわけでもない。
 むしろ興味がないから素っ気無く接してきたつもりだ。それなのに何故女達から好かれるようになったのか、佳主馬自身さっぱり理解できない。
 佳主馬は自分では分かっていなかったが、確実に成長しつつあった。
 命の危険を身体全体で感じ、母と共に死を目の前にした。
 健二の示した努力、それは一つの奇蹟だった。
 小磯健二から諦めなければ願いは叶うと目の前で奇蹟を見せられた。
 佳主馬の脳裏に焼き付いた記憶。あの頼りない横顔が佳主馬と親族を救ったのだ。
 彼に恥じない生き方がしたい。もっと強くなりたい、大人になりたい、認められたい。
 少年には指針ができた。
 願いが成長になり佳主馬は一皮剥けた。
 そんな己を佳主馬は自覚していなかった。
 自覚できなくてもそういう変化は他人の方が気付きやすく、そして身体ばかり成長が早い少年達より多感な少女達の方がそういった変化に過敏だった。
 そして、佳主馬に芽生えた気持ちは尊敬だけではなかった。










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