池沢佳主馬中学生日記







 01


「てめえ、最近生意気なんだよっ」
 佳主馬はどうして脅しと絡みの第一声はいつも同じなのだろうと思った。
 第二パターンは「チョーシくれてんじゃねえっ」だ。
 そういうパターン踏襲しなければならないという決まりでもあるのだろうか。そ
 れとも他人に何癖つける人間は、在来の行動パターンを踏まなければ気が済まないのだろうか。
 皆と同じだと安心するのはヤンキーエリアでも同じらしい。最近の不良はアウトローにはみ出す事をしないらしい。
 いや、ただ単に独創的発言を考え出すのが面倒臭いだけなのかもしれない。
 佳主馬の沈黙を臆したせいだと思ったらしい。
 佳主馬を囲んでいた少年達が口々に言い出した。
「池沢、ちょっとくらい女にちやほやされてるからっていい気になんなよ」
「お前なんかバカな女どもが勘違いしてるだけなんだからな」
「ビビって声も出せないのかよ」
「なんとか言えよこのチビ」

 何を言えというのだろう。
 佳主馬は呆れるよりただ面倒臭い。そして煩い。
 殴りたい、蹴散らしたい気持ちを自制する。
 放課後、帰宅部の佳主馬はそのまま帰ろうとして、知らない生徒達に捕まって学校の裏手につれて来られた。
 抵抗しようと思えばそれもできたが、面倒事をあとあとまで引き延ばすともっと面倒な事になる。
 それにしてもどうして自分はこうも絡まれ易いのだろうと思う。
 目立つ事などしていないつもりなのに、どこか他の同級生達とは違うらしく、必ず因縁をつけられてしまう。
 生意気なんだと言われてもそれが佳主馬の本質なのだから変える事はできない。自分を曲げてまで周囲に迎合する必用はないと考える。
 しかし何事にも妥協は必用だろう。
 佳主馬は焼却炉横のフェンスに背を向けて、囲む男達を見上げた。
 ざっと八人。中には同級生もいる。
 普段から佳主馬とはあまり仲が良くない少年だが、こんな風に因縁をつけられるくらい煙たがられているとは思わなかった。知らない人間もいるから上級生も混じっているらしい。
 揃いも揃って何だと、佳主馬はさっさと用件を言えと思った。
 何が彼らの琴線に触れるのか知らないが、何も悪い事はしていないのだから、怯む必要はない。
 言いたい事があるなら言えばいいし、聞く耳は持っている。逃げたり耳を塞いだりしていないのだから、こんな手段をとらなくても普通に話しかければいいのに、なぜわざわざ露悪的な手法をとろうとするのか理解に苦しむ。
 バカというのは本当に物を考えていないらしい。だからバカと呼ぶのか。
 苛められていた過去を持つ佳主馬だが、昔とは違う。佳主馬は努力し、力と自信をつけた。
 理不尽に屈しない力はある。多人数でなければ少年一人に文句を言えない相手に怯む必用はない。
 恐ろしくはないが、面倒だ。
 佳主馬から手を出せば正当防衛とはいえ色々問題が大きくなる。かといって易々リンチされてやる気もないが。
 経験が人を大きくする。ネットの世界との事とはいえ、実際生命の危険をギリギリでやり過ごした経験のある佳主馬にとって、軟弱な学生の嫌がらせなど鼻で嗤う事柄だ。
 人間やる気になれば何でもできる。
 例え相手が頭一つでかくて横にもがっしりした体躯を持っていようと、数を揃えなければ物が言えない相手を恐ろしいとは思わなかった。
 殴られたからって蹴られたからといって、それが何だというのだろう。それくらいで佳主馬は人にも世界にも屈服しない。佳主馬を捩じ伏せられるのは佳主馬が認めた人間だけだ。
 少年達は言いたい事を勝手に言い出した。
「池沢、てめえ、あちこちの女に手ぇ出しやがって」
「痛い目見なきゃ、自分が何をしてるか分らねえようだな」
「生意気でごめんなさいって言えよ」
「でかい面してるとどういう目にあうか、分らせてやろうか」
 囲まれても平然と周りを観察する佳主馬に、身体の大きな上級生が佳主馬を正面から見下ろした。
 佳主馬は溜息を吐いて、顔面にニキビ痕の残る男に言った。
「……で? 俺が生意気だから、あんたら数で囲んでシメようっていうの? ばっかじゃないの? 別に逃げないんだから言いたいくらい一人で言えばいいのに。……文句があるなら聞くからさっさと言えば? 生意気って言われても具体性に欠けてこっちも困るんだけど。こういうのに付合うほど色々暇じゃないんだよね」
 大勢に囲まれても怯みもせずに泰然自若、不遜さを表面に張り付けた佳主馬に周囲は色めきだつ。
 佳主馬はやれやれ厄介な事になったと冷静に思った。
 どうしてか穏便に済ませる事ができない性分なのだ。理不尽をやんわりと回避する事ができない。戦って勝つのが好きなのはゲームの世界の事だけではないのだ。
「そういうところが気に入らないんだよ、てめえはっ」
 右手で佳主馬の胸元を掴み上げた男を見上げて、佳主馬は蔑むように言った。
「暴力でくるならこちらもそのつもりで対処するよ? 始めにそっちから仕掛けたんだから、こっちも遠慮はしない。OK?」
「おまえ、いい加減にしろよ。泣かすぞ」
「それはこっちの言う台詞。いきなりつれてこられて数で威嚇されて吊るし上げられて理由も言わずに難癖つけられて、どうやって友好的に振る舞えっていうんだ。おまけにこっちを責める理由一つ言わないで、生意気だ? ……あのさあ。人に物を言う時には言いたい事を整理してから理解できるように言って。なんでいきなり暴力沙汰? 頭悪すぎ」
「おまえ、一年のくせに随分舐めた口きくな。自分が何をしたのか分かってんのか?」
 佳主馬は首を傾げる。
「俺、何かした? ただ生意気だとか言われても困るんだけど。上級生だからって頭下げなきゃいけないなんて理由で囲むなら、付合う義理ないね。笑うよ。上級生だから偉いなんて、ただの幻想幻覚、勘違い。学校は軍隊じゃない。一年や二年の差なんて社会に出れば何の意味もない。たかだか何百日か早く生まれただけの理由で威張るなんて格好悪いよ。年齢差に意味があるとすれば、長く生きた経験値の差だ。俺とあんたらにその差があるようには思えない」
「おまえ、生意気なんだよ」
 佳主馬はハッ、と嗤った。
「俺は敬意を払うべき相手ならば年下だろうと女だろうと頭を垂れる。もし俺の態度が生意気だっていうんなら、俺にそういう態度しかとらせないあんたらに責任があるんだろ」
「んだとっ!」
 鬱陶しくなってきた佳主馬は胸元を掴んでいた手首を握り、力を込めた。
「…痛っ」
 軽く捻っただけで手を放した相手を突き飛ばし、佳主馬は腹に力を込める。舐められてたまるものかと背筋を伸ばす。
「俺に用があるならまずは理由と目的を言えっ! 生意気だとか挨拶しなかっただとか、そういう理由になっていない言葉を聞く気はない。俺の何が気に入らないのか知らないけど、明確な理由もなしに囲まれておとなしくできるわけないだろ。敬意を払ってもらいたいなら、まず自分から態度で示せよ」
 凛として揺るがず周囲に自分の言いたい事を伝える佳主馬に、周りにいた少年達が戸惑った顔になる。
 数で囲めばビビって言う事を聞くかと思っていた相手が、圧力などまるでないかのように平然と非がないように振る舞うのだ。
 よほど自分に自信があるのか、それとも単なるバカなのか、囲んだ少年達は予想と違う展開に先の行動を決めかねて互いの顔を見た。
「……あのさ、本当に理由ないの?」
 互いに顔を見合わせる生徒達の姿に佳主馬は呆れ、いい加減にしてくれと全員を殴りたくなる。
「これ以上用がないのなら、帰る。……言いたい事が整理できたてから来いよ」
 アホくさ、と帰ろうとした佳主馬を「話はまだ済んでいない」と止めたのは後ろの方にいた少年だった。
 十代前半の一年の差は大きい。小学校から抜け出て間も無い一年生と、もうすぐ高校入りする三年生とでは身体の大きさが縦にも横にも違う。まして佳主馬はあまり体躯に恵まれている方ではない。同級生の中では平均的だが、身体の大きな上級生と比べるとかなり小柄に見える。
 佳主馬を止めたのは高校生にもひけをとらない体躯を持つ少年だった。眉が太くワシ鼻で、顔のパーツはどれをとっても一つ一つ大きく、印象的だ。身体はいかつく柔道でもやっていそうな体躯だ。
 周りが僅かに身体を引いたところを見ると、一目置かれているらしい。
 それが力による恐怖なのか人間性による精神的なものなのかは知らないが、どちらにせよ会話をするなら頭とした方が話が早い。相手が人の話を聞く気があるとは限らないが。
 ただ単に佳主馬という人間が気に入らなくて囲んでいるとしたら、佳主馬が何を言おうと会話にならない。
 相手が三年生なら表沙汰になった時に内心書もあるから酷いリンチにはならないかもしれないが、なったとしても佳主馬は怯まない。
 佳主馬は他人に屈する自分を許せない。理不尽に屈するくらいなら、どこまでも戦い抜く。昔なら怯んでいただろうが、今の佳主馬は昔と何もかもが違った。
 人間死ぬ気になればなんでもできると教えてくれた人がいた。
 人工衛星が頭の上に落ちてくる事に比べたら、こんな事ピンチでもなんでもない。ただの人間対人間だ。元々陣内家の人間は多勢に無勢で戦う事から始まって続いてきたのだ。
 理不尽に付合うのは面倒臭いが、これから先も人との摩擦は避けられない。揉まれる事も自身の成長の糧になると思えば、やるしかない。
 佳主馬は自分がまだガキでしかないのが分かっている。ネットの世界ではキングと持ち上げられていたって、現実ではこうだ。ただの無力な中学生。
 こんな狭い世界のもめ事一つこなせなくて、どうしてこの先道を切り開いていけるか。
 佳主馬は胸を張り、堂々と自分を囲む男達を見上げた。
 知った顔が約三分の一。残りは知らない。
 佳主馬は顔も憶えていない他人の不興をいつ買ったのだろうと思った。
 人は自分の気が付かぬ所で他人を傷つける事がある。もしかして自分もそうなのだろうかと佳主馬は考えた。
 佳主馬はこの中のまとめ役だろうと思われる年上の少年に向って言う。
「……なに? 何か用? 言いたい事があるならはっきり言って。さっきから聞くって言ってるじゃないか。なのに要点を言わずぐだぐだ要領をえないのはそっちだろ。俺に何の用があるのさ」
「……おまえ、本当に生意気なガキだな」
 大勢に囲まれても怯む事なく自然体でいる佳主馬を、上級生は呆れてその小柄な身体を見下ろす。
「だから? 他人の前で小さくなるくらいなら生意気だって殴られる方がマシだ」
「……へえ」
「そっちの予想に反して悪いけど、暴力に屈するほどへたれた背骨は持ってない。他人に恥じる生き方はしてない。……あんたら恥ずかしくないの? 下級生一人、大勢で囲まなきゃ言いたい事も言えないなんて。ばっかじゃないの」
「…ンだと! 池沢てめえっ。おまえが悪いんだろうがっ」
 一番最初に佳主馬の胸ぐらを掴んでいた男が叫ぶ。
「俺が? 俺が何したっていうの? ところで、あんた誰? 俺、あんたの事知らないんだけど」
「そっちは知らなくてもこっちはちゃんと知ってるんだよ! お前があちこちの女に手を出してるのを!」
「……へ?」
 佳主馬は思わず間の抜けた声を出した。









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