ギギナが竜退治の出張から帰ってきたら事務所が空だった。
 壁の予定表を見ると[ラルゴンキン事務所で禍つ式討伐のバイト]とある。どうやらガユスは外でバイト中のようだ。
 事務所のコンビとはいえ互いのスケジュールは把握していない。緊急の用件が入れば携帯に掛ければいいだけの話だから、互いが手を抜いている証拠だ。
 ギギナは仕事が一段落したので、これからどうしようかと考えた。
 娼館に行きとりあえずスッキリしてくるか、家具屋か咒式屋に行くか、それとも事務所でヒルルカと語り合うか。結局三番目にした。
 しばらく留守にしていて愛娘の姿を拝んでいない。子供とのコミニケーションを疎かにするのは親失格だし、構ってやらないとグレたりするかもしれない。その辺の椅子風情と遊び歩くようになったらことだと、家具には優しいギギナは汚れた手を洗い娘ヒルルカの身体を磨く為に床に腰を下ろした。



『お前はやはりエリダナ中で、いや大陸中で一番美しい』
『年頃なのだから、その辺の下賤な椅子などに気を許してはならないと』と布で磨き上げながらギギナが親子の語らいをしていると。
 知った気配が二つ、事務所に近付いてきた。
 一人はよく知っている。ただしいつもとなんとなく歩調というか歩き方が違っていた。酔っている時とも違う。微妙な違和感を感じるが、気配は間違い無く眼鏡の付属品……ガユス・レヴィナ・ソレルすなわち相棒のものだ。
 その隣にもう一体気配がある。しっかりとした足取りから感じられるのは同じ咒式士の気配。機敏な動作からして前衛だろう。咒式士という事は知り合いでも連れてきたのだろうか。客という事はあるまい。
 とりあえず二つの気配に殺気はなかった。あったとしてもギギナは別にかまわないが。
 ただしここでの戦闘は困る。事務所には愛する家族親戚が多数存在している。乱暴な咒式士がいきなり攻撃を仕掛けてきたら、親族が負傷する恐れがある。殺気を感じた途端にまっ二つにしてやろうと、ギギナはネトレーに手を掛けた。
 気配が更に近付いて来たので聴覚を強化し、聞き耳を立てる。
 ガユスでないもう一人はどうやら女性らしかった。どこかで聞いた事がある声だ。となるとギギナも知っている咒式士か。
 二人の気配が扉の前まで来た。

「あれ、空いてる?」
 なぜか入ってきたのは相棒でない方だった。
 知った顔だったのでギギナはネトレーから手を離した。……が。
「ふぎゃっ! ギ、ギギナたん、帰ってきてたニョロか?」
 まるでギギナに事務所にいられては困るような顰め面を見せたのは、ラルゴンキン咒式事務所のエース、通称魔女っ子、本名ジャベイラ・ゴーフ・ザトクリフだった。
 ガユスはラルゴンキンの事務所にバイトに行っていたので二人が一緒にいてもなんら不思議はないが、なぜ揃って事務所に来たのだろう。何か用事でもあるのだろうか。
 おそらくジャベイラが強引に押し掛けてきたのだと思ったが、それにしてはギギナの顔を見た途端に顔を引き攣らせたというのはどういう事情だろう。
 もしかしてガユスとデート中だったとか。だとしても二人とも今はフリーなのだからガユスとジャベイラが寝ていようがデートしようがギギナは気にしないし、神経太いというより精神自体が休暇申請中の二人も気にしないだろう。
 趣味の悪い事にジャベイラはどこがいいのかガユスに気があるらしいから、ガユスとのデートを自慢こそすれ気まずい顔は見せないに違いない。
 ジャベイラは趣味も精神もおかしい。
 とにかくギギナは顔をチラとあげ、興味ないといういつもの表情でいた。
 ジャベイラが何故かガユスの前に立ちはだかるようにして、ギギナに向かい合った。
「ハ、ハロー。ちょっぴりお久しぶりなのじゃ、ギギナたん。相変わらず美人じゃな、羨ましいぞこの野郎が、死ね。……いつ帰ってきたの?」
「つい先程だ」
「こ、これから何処か行く予定はあるのかいな。あったらいいな、なけりゃないと言いやがれい?」
「特にはないが……それが?」
「そ、そうか。ならばガユスは宅配便の荷物のように置いていくなり。引き取りやがれ、つーか、いてくれて助かったのかなと思いつつも、ヤバいという気がなきにしもあらずだったりなかったり」
 いつもながらに人格が壊れているジャベイラに、ギギナが聞くに堪えないという表情になる。
 ジャベイラの姿が、ニのつくトカゲの親戚と重なる。
 ガユスの側にいて会話まで似てしまったのだろうか。
 だとしたら不幸な事だと思ったが、周囲の人間(とくに自分)の方がより不幸だと思い、相棒の罪状に死刑の判決を下す。
 ジャベイラが離れたら、挨拶代わりにまっ二つにしてやろうと決める。
「間抜けな眼鏡の台座がどうしたというのだ?」
「べ、別にどうしもしないが。ギギナたんの相棒のラヴリーガユスちゃんは相変わらず腰も細くてベリィベリィキュートなりよ。お姉さん羨まピー」
 ジャベイラの喋り方が変なのは置いておいて、どうして相棒は事務所の中に入らないのかとギギナは不思議に思った。
 ジャベイラが事務所の入口に立って邪魔しているので、ガユスはまだドアの外だ。
 ジャベイラからは『なんかとってもマズイ事バッチリ明確にあります』という明るいオーラが漂っていた。さすが電磁光学系咒式の光幻士。分りやすい。
 ギギナはガユスが内面の間抜けさをいかんなく発揮し、しなくていい怪我でもして気まずいのかと思ったが、重体なら事務所ではなくツザンの方に行くだろうし、ガユスからは血の臭いはしなかったので怪我ではないと判断する。では何があるというのか。
 胡乱なギギナの眼差しにジャベイラは顔を引き攣らせながら事務所に入ってくる。後に続いたガユスはギギナの顔を見た途端、呆然とした表情になった。
 何故だ?
「あ、貴方が……ギギナ……さん?」
「……さん?」
 幻聴を聞いたのかとギギナは自分の耳を疑ったが、それよりガユスの浮かべている表情がありえなくて注視した。
 ギギナはこんな表情をよく知ってる。
 ギギナを見た女性はたいていこういう顔になる。魂を奪われた顔。こんな時女の股は大抵濡れていて、ギギナの誘いを全身で待っている。ギギナが声を掛けなければ自分から果敢にアタックしてギギナに抱かれようとする。ギギナはそんな常軌を逸した反応を当然のように思っていたが、今初めておかしいと認識した。
 なぜならそういう顔をしているのは女性ではなく、情事相手としては正反対、世界をぐるりと一周しないと戻ってこられない限りなく遠い位置にいる筈の、女好きと阿呆の代名詞、ペット兼相棒のガユスだったからだ。
 ギギナはガユスのありえない反応になんだコレはと思ったが、すぐにああそうかと納得した。
 ガユスは壊れたのはではない。恐らくギギナを引っかけようとしてジャベイラを巻き込んで、演技をしているのだ。
 今日は〈愚者の日〉ではないが、ガユスのふざけたゲーム好きは知っている。
 そのせいで散々煮え湯を飲まされ続けてきたギギナはさすがに学習していた。
 今日は何を企んでいるのかと、ギギナはガユスの行動を待った。少しでもふざけた事を言ったらネトレーで刻んでやろうと密かに思いながら。
「あの…………貴方が本当に?」
 自信なげ……というよりいつもの皮肉に彩られたキツネのごとき狡猾さを滲ませた顔ではなく、なんというかウサギか子犬系の愛玩動物に属する顔でこちらを見るガユスに、ギギナは怖気を震った。
 誰だこれは?
 これが自他共に認める性悪錬金術師のガユスか?
 ギギナは気持ち悪さのあまり瞬時にガユスの首を跳ね飛ばしたくなったが、寸前で耐えた。
 ガユスの企みを知るまでは殺すわけにはいかなかった。どんな勝負事だろうと回避する事はドラッケンの血に反する。
 今回ガユスの仕掛けてきた罠はかなり複雑怪奇らしい。ガユスの悪戯時の演技はいつも細かいが、今回のはとびっきりだった。
 不安そうに小首を傾げるガユス。
 ギギナの顏を見て頬を染め、羞恥と希望に瞳を潤ませるガユス。
 はっきり表現しなくてもズバリ清純麗し乙女系。

 ………………悪夢だ。

 ギギナは額を右手で押え、動揺を表に出すまいと頑張った。
 演技と分っていてもかなり気持ちが悪い。吐きそうだ。
「今回のはどういう趣向だ? また何かの罰ゲームか?」
 ガユスとジヴーニャはつい先日別れたので、今回あの黒魔女は参加していないはずだ。ジヴの命令でもないのにギギナに恋する乙女役を演じるガユスは、どういう意図を持っているのだろう。ガユスの趣向が分からなくてギギナは用心した。
 バイトを募集するくらいだからラルゴンキン事務所は忙しいのだろう。平日の昼間にこんなゲームをしている暇はない筈だ。ガユスの単独遊戯だろうか。ジャベイラを巻き込んでギギナをオモチャにしようとでもいうのか。
「ジャベイラ、あの……」
 ガユスがジャベイラに何か訴えている。ガユスのもの言いたげな顔にジャベイラは頷いた。
 ……なんなのだ? 二人で何を企んでいる?
 ギギナは警戒しながら二人の次の行動を待った。
「あの……ギギナ……さん。実は折り入ってお話が……」
 自信なさげにオドオドと会話を振るガユスの物言いに、ギギナの背中に見事な鳥肌が立つ。
 ギギナは気持ち悪さに堪えて、ネトレーを振うタイミングを計る。
「今の貴様とする会話などない。私と話をしたければそのふざけた物言いをやめて顔を洗ってから出直してこい。牛糞以下の廃品回収寸前の腐れ眼鏡の台座という名前のガユス」
「牛糞以下……廃品回収寸前……腐れ眼鏡の台座……」
 酷い暴言を聞いた、ありえない信じたくない、といったガユスの表情。
 演技とは思えない顔に、今回も無駄に力が入っているなとギギナは感心した。ガユスは人を騙す時には、名俳優顔負けの演技を披露する。何もそこまでと思うくらい役になりきるのだ。ギギナには理解できない思考回路と性格だ。
「どうした、眼鏡の付属品。いつもの吐く息まで腐りそうな毒舌はどうした? 貴様の今回の名演技には私も感心したが、長く続けば飽きがくるぞ。その二枚舌こそ貴様の本体だろう。いい加減演技をやめろ。遊びたいならラルゴンキン事務所か警察署の貴様の悪友とやってこい。私は耳障りな貴様の腐れ声など聞きたくはない」
「ギギナさん。……一体何を? ……どうしてそんな……」
 ガユスは何を言われたのかよく分からないというポカンとした顔でギギナを見ていた。
 ギギナはガユスの堂のいった演技に、いつまでやってんだこの愚か者はと殺すタイミングを窺う。
「ガユス、仕事がないとはいえ昼間から遊ぶな。そんな暇があるなら本業の塾の講師のバイトでもしてこい。軟弱な貴様にはピッタリな職だろう。いっそ咒式士など辞めて転職してしまえ」
「ギ……」
 ギギナの軽口にガユスは『どうしてそんな酷い事言われるのワタシ』という傷付き乙女モードでギギナを見た。
 ギギナは今回の遊びにかけるガユスの熱の入れように感心したが、それは心底バカにした意味の感心だった。
 どうしてコイツは毎回馬鹿な事ほど熱が入るのだろうか。本当に分からない思考回路だ。
「阿呆な演技はさっさと止めろ、馬鹿の代表。女に相手にされないからといって女らしさを磨いてどうする変態。それとも隣の多重人格性の女にあてられて内なる変態人格が表に出てきたのか? もしそうなら変態向け娼館でのバイトも増やせるか。良かったじゃないか。せいぜい変態道を磨き矮小な自分を更に小さくして、いつか消えてなくなれ」
 ここでいつもなら『娼館で働くならギギナの方が高給稼げるぞ。お前なら男も女も札束抱えて足開く。さっさとその無駄にでっかい身体を売り飛ばしてこい。娼婦買うより買われる方が金は減らず逆に増え、一石二鳥だ。どうして今までそうしなかったんだ』とガユスの憎たらしい口がペラペラとほざくだろうに、ガユスはギギナの軽口に傷付いた心情を浮かべ、そっと目を伏せた。
「……ギギナさん。……どうしてそんな酷い事……」
 ギギナにふられる女達が浮かべるのと同じ表情をしたガユスに、ギギナは相手にするのもバカらしくなってきた。
 無性に背中が痒かったのでガユスの首を撥ねようとネトレーを振るう。
 ガキンッと刃同士が弾ける音が響いた。
 いつもならガユスが両剣で防ぐところを、間に入ったのはジャベイラの〈光を従えしサディウユ〉だった。
「貴様……あの暗黒魔女皇どころか多重人格女にまで庇われるとはなんという……。そこまで腑抜けたか」
 ギギナは軽蔑も露に剣を引っ込めた。
 ジャベイラの背後にいるガユスを穢らわしいモノのように見る。
「そこの大迷惑多重人格女。この眼鏡の台座がとうとう不良品に格下げしたようだから引き取れ。なんならシュレッダーで細切れにしてもかまわないから私の目の前から消せ」
「ギ、ギギナたん。実はこれには、ふっかーい訳が……」
 ジャベイラの言いにくそうな声がオドオドと告げる。
 ガユスの手がそっとジャベイラの肘を触った。
 伏せた瞼が不安を示し、どこか諦めの表情を作っていた。
「ジャベイラさん。この人が俺の大事な人というのは嘘なんですね。……こんな綺麗な人が俺なんかを相手にする訳がないと思いました。……俺をからかったんですね」
 ジャベイラは振り向いてブンブンと首を振る。
「ガユスちん、ソレは違う。ギギナたんの乱暴と毒舌はいつもの事なのじゃ。DVは二人のコミュニケーションなり。……て、照れかくし、そう、照れ隠しなのじゃ。ギギナたんは見掛けによらず恥ずかしがり屋さんなので、素直に己の気持ちが表せないのじゃ。だからガユスは何も心配する事はない。大船に乗ったつもりでギギナの側に寄り添っておれば良いのじゃ。ギギナたんはガユスが大大だーい好きなのだから」
 ジャベイラは訴えるガユスを励ますように両肩に手を置いた。
 ジャベイラは意を決したようにギギナと向かい合う。
「聞け! ドラッケン!」
 ジャベイラは男らしくビシィッ!と人指し指でギギナを指した。
「言いにくいので誤魔化そうと思ったのじゃが、それはいかんと思い直した我輩が説明するのでよく聞くのじゃ! 実はガユスちんは、今………………記憶喪失なのじゃ。自分の事、この事務所の事、名前はおろか攻性咒式士という事も覚えておらんのじゃ。だからガユスちんが突飛な言動をしても驚いては駄目なり、オホホホホ……」
 ギギナはネトレーを床に落とした。






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