ガユスと組んだ嘘だと思っていたジャベイラの告白が本当だと分ったのは、電話でヤークトーから事情を説明されたからだ。
 ラルゴンキン咒式士事務所の禍つ式討伐のバイトに参加していたガユスは、ジャベイラを庇って頭を地面に強打した。大した外傷もなかったので初めは誰も気が付かなかったが、仕事の後ガユスの言動がおかしいので調べてみたら、綺麗に記憶を無くしていたという事だ。
「すぐにツザン姉さんに見てもらったんじゃが、ツザン姉さんの言う事には、一時的なショックだからそのうち治るでしょ、との事だ。姉さんは性格はアレだが腕は確かなので診断には間違いがないと思う。しばらくすればガユスの記憶も戻るそうじゃ」
「…………眼鏡の奴隷の阿呆が……」
 ジャベイラの説明だけだったら信じなかっただろうが、実直なヤークトーに今回の事で真面目に謝罪され、さすがのギギナも信じないわけにはいかなかった。
 ガユスの記憶喪失の原因はラルゴンキン事務所の人間を庇ったせいだから、責任を感じずにはいられなかったのだろう。治療費はすべて事務所が払うという言葉に当然だと頷いて、ギギナは携帯を切った。
「不良品がとうとう粗大ゴミに変わったか。……仕方が無いから仕事はしばらく休みだな。私は山に修行にでも行くか……」
 記憶がないのでは咒式士としてはやっていけまい。ガユスがサボっているのに自分一人働くのは馬鹿らしいとギギナはしばらく仕事を休む決意した。
「それは困るなりギギナたん。ギギナにはガユスちんのお守りをして貰わなければならんのじゃ」
「どうして我がこの間抜けのお守りなどしなければならない? 世話が必要な年齢というわけではあるまいし、記憶が無いくらいで一緒にいる必要は無いだろう。しばらくすれば記憶は戻るのだろう? ならそれまで事務所は休業だ」
「ギギナたんは自分達の職業を忘れたのかえ? 高位咒式士十三階梯のガユスは、名を上げたいちんぴら咒式士達の格好の的なりよ。記憶があればさくっと返り打ちだが、ろくに咒式を紡げない今は鍋とネギしょった鴨と同じ。いただかれるのを待つだけ。危険極まりないニョロよ」
「……の阿呆がっ!」
 ジャベイラの指摘の正しさにギギナは歯をギリリと鳴らした。確かにその通りだ。咒式士としての戦闘ができないガユスなど、犬の糞以下だ。ちんぴらにさえ踏み潰されるだろう。
「ギギナさん、ゴメンなさい。……忘れてしまって……」
 ガユスの殊勝な声とうるうるとした瞳に、ギギナは高速でネトレーを振った。脊髄反射に近い。
「ひぇっ!……」
 寸前で刃をかわすガユス。
「な、なにを……」
「ガユスが……き、気持ち悪い……おえぇぇ」
 まんま気弱な乙女系の男を体現している相棒に堪えられず、ギギナは本気で後ずさった。黒魔女皇の眼光を至近距離で受けた時にも似たような怖気を感じたが、今回のはまた別口だ。
 人間記憶がないだけでこうも変われるのか。感心するよりとにかく気持ちが悪かった。これなら女好きの間抜けさの方が百倍マシというものだ。
「なんだこれは。記憶どころか本能までどこかに置き忘れたのか。女好きの間抜けさも堪え難かったが、今のガユスは蛆虫以下だぞ。これはガユスではない! 禍つ式の呪いだ!」
「ギギナたん、ギギナたん。落着いて。ガユスは今ラブリー乙女モードなのじゃ。普段と違う雰囲気があるが、それは見逃して欲しい。つか、相棒の新たな一面を知るいい機会じゃ。我慢せい」
「女。記憶喪失は一万歩譲れば我慢できるが、このクラゲのごとき惰弱な精神は相手の死を持ってしか堪えられん。よって今すぐガユスの記憶を元に戻さんとガユスを殺す。ガユスとてこんな様を晒すくらいなら死を選ぶだろう。正しい選択だ。相棒の私が引導を渡すのがせめてもの情けだ」
 ジャベイラはガユスを離すとガユスに聞こえないようにこっそりと言った。
「それは無理ニョロよ。記憶はすぐには戻らんし、ガユスの性格設定もすぐには変えられない。相棒の新たな一面を楽しむくらいの余裕がなくてどうする、ドラッケン。ここが男の見せどころじゃぞ。……それともナニか? ドラッケン一族というのはたかだか相棒が記憶を無くし性格を変貌させたからといって、その辺の男のように無様に動揺するのか? ずっとという訳では無く、しばらくすると元に戻ると知っているのに、そのくらいも我慢できん民族なのかえ? 見損なったぞ」
 ギギナは再びギリリと歯を鳴らす。挑発と分っていても乗らずにはいられない。
「貴様、言動が軟弱眼鏡に似てきたな……」
「エヘッ★ トキメキ魔法少女は正義の為なら手段を選ばないなりよ。ガユスちんの為ならばジャベイラ姐さんはギギナたんを守る正義の味方になるなりっ。ガユスは記憶のない可哀想なヒロインなのじゃ。強者が守るのは自然の摂理というものじゃぞ。最強ドラッケンが守らんでどうする」
 人としてどうかというより生物としてどうかと思われる台詞に、ギギナはうんざりした。
 ガユスの性格の変貌が記憶の欠如によるものだとすれば、記憶さえ元に戻れば全ては丸く収まる。
 近日中に戻るというのだから数日ガユスの阿呆ヅラを我慢すればいいだけの話だが、その数日がどうにも堪え難かった。
 ギギナにとってガユスは卑怯で矮小、お情けで仕方なしにコンビを組んでいる始末の悪い男に過ぎない。どうしてこの男と一緒に仕事をしているのかと、分からなくなる事、数百回。
 それでもコンビを解散しないのは、解散後に何をすべきか分からないから。
 目標もなしに事務所を手放す事はできなかった。逆に目的があればいつでも事務所を捨てられた。
 この辺が潮時なのかもしれないとギギナはガユスを見限りかける。
 だがジャベイラの言う事も一理ある。
 ガユスが我慢ならない性格なのは今更だし、たかだか相棒の数日の変貌くらい我慢できないと思われるのも癪だ。それに今ガユスを一人にすれば間違いなく雑魚咒式士達に殺されてしまうだろう。それはなんとなく面白くない。
 ガユスがギギナの見ていないところで死ぬのは許せない気がした。弱くて軽蔑しか感じない相手だが、一応名目上は相棒なのだ。自分の一部というか……爪の垢と似たようなものだが。
 よってギギナは大譲歩し、ガユスの気持ち悪さを我慢する事にした。
 自分の寛大さに自分で感心するギギナ。
 ガユスは一応ギギナのペットだ。ペットの不始末は飼い主の責任。ギギナがちゃんとガユスの調教をしてやればいいのだ。ギギナは優しい飼い主だから、拾ったペットは捨てない。そういう事だと自身を納得させ、ギギナはガユスと向き合った。
「聞け、ガユス。私は優しい主人だから貴様が見るに堪えないおぞましき性格に変貌したからといって、見捨てはしない。食事係兼事務所の事務員兼家具の奴隷として使ってやろう。光栄に思え」
 ガユスはギギナの美貌に陶然としつつも発言の内容に首を傾げ、そして聞いた。
「あの……一つ質問があります」
「なんだ?」
「ジャベイラさんが言ってたんですけど…………ギギナさんとオレって…………大事な仕事の相棒でもあるけど………………同時に…………こ、こ、恋人同士でもあったって。…………ほ、本当ですか?」
 モジモジと身体を揺らし、チラチラとした上目遣いのガユスにギギナの右手が音より早く動く。
 ガッチン!
 ガユスの目の前で魔杖剣同士が激しく火花を散らせる。
「だから駄目だって、ギギナたん! いきなり攻撃を仕掛けたからガユスが固まってるぞよ。今のガユスは素人同然なのだから、ギギナは手加減してあげなければならないなりよ!」
 結構本気で対抗しながらジャベイラが忠告する。
「黙れ。今のガユスは気色悪すぎる! というか、何故ガユスと私が恋人などとでまかせを言った? そんな気持ちの悪いモノになった覚えはないっ! デタラメにしても酷いすぎる」
「そんなの面白いからに決まってるワ。いいじゃない。まるきりのデタラメってわけじゃなし」
「100%捏造だろうが!」
「あれ、そうなの?」
 キョトンとジャベイラの本気で驚いている様子にギギナは呆れ、ネトレーを握る手から力が抜ける。
 違うの? と問いかける瞳にギギナは唸る。
 すると何か? この多重人格女は私とガユスが本気でそんな関係だと信じていたという事か? 今の今まで?
「やーてっきりギギナたんとガユスちんは人目を憚る関係だとばっかり……。おかしいな、魔女っ子センサーによると二人はばっちり恋愛関係にあるとビンビンに反応していたのに。センサーの故障かな? それとも宇宙からの交信の受信ミスかしらん」
 人としてありえない台詞を堂々吐いて、ジャベイラはキャハッ! と舌を出した。
「ガユスに聞かれた時に、相棒のギギナたんとは肉体関係があるって口を滑らせちゃったのよう。まさかキスもまだだなんて。ギギナたんも本命には手を出しかねているという事か。純情よのう」
「誰が本命だ、魔女っ子。私とガユスの関係は主人とペット、戦士と眼鏡置き、戦闘員とやられ役の関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。何を勝手に想像している」
「いいのよう、照れなくても。ギギナたんの気持ちは我が一番良く知ってるなりよ。だから今がチャンスなり!」
 ビシィッ! と目の前で人指し指を突き立て子供のように目を輝かせるジャベイラに、何がチャンスだとギギナは全身で胡乱な気持ちを示した。どこをどう見ればガユスとそういう関係に見えたのか。宇宙と交信しているくらいだから人類と見ているものが違うのかもしれない。
「記憶のないガユスちんはギギナたんを恋人と本気で信じてるなり。チャンスよ! ここぞとばかりにガユスにつけこみ、モノにしてしまえ。今のガユスはまな板の上の鯉、据え膳の御馳走、ギギナたんの思うがまま! ガユスの処女を奪う大チャンスよ!」
 嬉々と語るジャベイラにギギナはこの女を殺すにはどんな咒式がいいかと考えた。
 何がチャンスだ。眼鏡の相棒と何をしろと言うのか。
 あまりに阿呆臭くて途中から聴覚を最小限に絞ってしまった。女の思考回路は、とくにこの年齢無視した規格外ミラクル魔女っ子は理解できないと思っていたが、ここまで妄想激しかったとは思わなかった。
 相手をするのも面倒なので記憶のないガユス共々事務所から消える事を望む。
「殺されたくなければガユス共々出て……」
 出て行けと言いかけるが、ジャベイラがにんまりと笑うのを見て悪寒が走る。
「な、なんだ?」
「ガユスを追い出すなら、今度はイーギーが以前の恋人だと言ってしまおうかしら」
 おほほとさわやかな笑顔を向けるジャベイラ。
 ギギナは鼻で笑った。
「今度はアルリアンか。あのアルリアンがそんな戯言に乗るわけないだろう。鳥肌を立てて逃げるのがオチだ」
「あれ、知らないの? イーギーはガユスに知り合い以上の気持ちを抱いているのよ。ガユスの事が好きなり。見てて分からない?」
 一笑に伏そうとして、ジャベイラの目が笑っていないのに気がついた。ギギナは狼狽える。
 そんな筈はないと思うが、尻軽ガユスはあちこちに愛想を振りまき、磁石が砂鉄を吸い寄せるようにやっかいなものを引き寄せる性質がある。その訳の分からない磁力に半端者のアルリアンの引っ掛かってしまったという可能性はなきにしもあらず。そういえばプライベートの時に酒場などでよく顔を合わせるとか。
 ジャベイラなどと組める趣味の悪いイーギーの事だから間違えてガユスに惚れてしまったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今は違っても、ジャベイラにそそのかされてうっかりその気になるかもしれない。
 そう考えると面白くないギギナだった。
 ガユスが誰とどうなろうと知った事ではないが、相棒が男とどうにかなってしまうと、アシュレイ・ブフ&ソレル事務所の人間は同性愛者だとエリダナ中に噂が流れてしまう。
 そんな不愉快な事になったらジャベイラとイーギーとガユスをミンチにするくらいでは済まない。
 竜を目の前にして逃げ出したのと同じくらいの不名誉だ。ギギナは故郷にすら帰れなくなってしまう。
 ギギナは二択を迫られ、最悪な方を除外するしかなかった。
 ギギナは苦虫を潰したかのような顔でジャベイラに言った。
「ガユスはこちらで引き取るからお前は帰れ」
「え、我を追い出してガユスちんと二人で何をするつもりじゃ? 二人でしっぽり…」
「帰れっ!」
 ギギナの光速スイングにジャベイラも引き際と、飛び退きざまに事務所を出た。
「じゃっあねー、ガユス、ギギナたん。ガユスは愛しのギギナ様に優しくしてもらうのよぅ。ほほほほ」
 ジャベイラの声の余韻にギギナは痛みの走る頭部を抱えた。精神的なものなので咒式はきかない。
 仕方なしに振り向くとガユスの気弱なはにかむような笑顔とぶつかった。
「あの……ギギナさん。記憶が戻るまで御迷惑をかけるかと思いますが、よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げるガユスを見て、ギギナは勘弁してくれと本気で思った。これならガユスとジャイベラの悪魔的策略だという方がまだ精神的に優しい。
 乙女系のガユス。
 咒式士としての記憶のないガユスにネトレーを振えば一秒でほかほかの死体ができてしまう。魔杖剣も使えず、暴力も駄目な壊れた相棒に、ギギナはこれは呪いだろうかと愛娘の上によろよろと座り込んだ。
 こちらを見つめてくるガユスの邪気のない澄んだ瞳に、ギギナはこれは最大の試練だと言い聞かせた。滅多にない、精神を鍛える修行の場なのだと。
 ガユスの薄い赤い唇が開いた。
 ギギナの顔を恥ずかしそうに見ながら聞きにくそうに問う。
「あの……。それでさっき質問した事ですが…………ギギナさんと俺って、ホントに恋人なんですか? ジャベイラさんが言ってたんですけど、その……身体の関係もあるって……」
 純真無垢、清純乙女、明鏡止水の見本のような澄みきった瞳のガユスを前に、ギギナは勝負をする前に白旗を上げた。

 本当に勘弁してくれ。 










ギギナ視点の話というので、こんなものを。まだ出来上がる前の二人。