10代目(獄ツナ)






 ツナは獄寺が好きだった。とてもとても好きだった。
 それは山本とかハルが好き、という『好き』ではなかった。
 Likeではなく、LOVEだった。

 なので。

「獄寺君なんか嫌い」
 ツナは正直に言った。
「……え」
 獄寺は何を聞いたのか分からないと言った顔で(分からなくは無いが、信じたくなかったのだ。ツナに嫌われるという事は獄寺にとって世界の終わりに等しいから)ツナを見た。
 ツナは、手を伸ばせば届くほど近くにいる獄寺の歪んだ顔を見詰めて言った。
「聞こえなかった? 獄寺君なんか嫌いだよ」
「ど、どうしてですか? じゅ、十代目!」
 獄寺は叫んだ。
 喉が裂けるかと思うくらい喉が痛かったが、なんとか声を絞り出した。
 獄寺は耳を削ぎ落としたいくらいツナの言葉を聞きたくなかったが、主人の声を聞き漏らすくらいなら死んだ方がマシだったので、聞きたくない言葉をあえて聞いた。
「分からない? ……そう。獄寺君には分からないんだね」
 ツナの声は冷たかった。それ以上に瞳は獄寺を責めていた。
「オ、オレが何かしましたか? 言って下さい! 全力で謝罪します! 十代目が許してくれるなら、何でもしますからっ…」
 獄寺は必死だった。
 だってツナは獄寺の全てだったから。居場所のなかった獄寺に居場所をくれた人。生きる意味をくれた人。
 無くしてなるものかと思った。何かしてしまったのなら謝らなければならない。
 いつも獄寺はツナを怒らせるような失敗をしでかしてしまう。それでもツナは最後はいつも許してくれる。寛容で優しい人だ。
 だが面と向って「嫌い」と言われた事はなかった。
 今回はいつもとは違うと獄寺は青ざめた。
「こっちに来ないで獄寺君」
 ツナは縋る獄寺を軽く蹴飛ばした。
「じゅ、じゅうだいめ…」
 獄寺はツナの仕打ちに狼狽えて顔を強ばらせた。
 ツナは獄寺を傷付けるつもりで蹴ったのではない事は分っていた。力は全然こもっていなくて、ランボよりも弱い仕種だったから。
 だが獄寺にはとても堪えた。リボーンの容赦ない一撃よりも痛かった。身体でなく心が痛かった。
「オレは一体十代目に何をしたんですか? オレが嫌いになりましたか? どうしてですか? 理由を言って下さい。理由が分からなければ謝罪する事もできません。何でもしますから許してくださいっ」
 獄寺は必死に縋り付いた。ツナに見捨てられる事は獄寺にとって世界の終りだった。
 ツナは縋る獄寺を眇めた目で見詰めた。
 その目に嫌悪はなかったけれど、愛情の欠片も見えなかった。獄寺は増々怯えた。

『もー、しょうがないなー獄寺君は』
 何をしても最後には許してくれたツナ。
(甘えすぎていたのだろうか?)
 ツナはボンゴレファミリーの十代目だ。獄寺の主人だ。
 ツナが許してくれたとはいえ、慣れ慣れしくしすぎたのだろうか?
 だからツナは身の程をわきまえない奴だと、獄寺を鬱陶しく思ったのか。
 優しいツナは滅多に人を拒絶する事は無い。だからといって絶対に拒絶しないという理由にはならない。
 誰だって嫌いな人間はいる。ツナが獄寺を嫌いになる可能性だってあるのだ。……そう、今みたいに。
 早く理由を知ってツナに謝らないと。
 獄寺は焦ったがツナはムッツリと獄寺の焦燥を見下ろすだけだ。
 ただ謝ればいいというものではない。理由なく頭を下げればツナは増々怒るような気がした。誤魔化す為に謝罪してはいけないと思った。
 獄寺は考えたくない予感に背中をヒヤリとさせていた。

(もしかしたら……)
 獄寺は一番考えたくない事を頭に思い浮かべた。
(オレの気持ちが…十代目に知られてしまったのか?)
 獄寺はそれだけは勘弁して欲しいと思った。
 獄寺の鍵を掛けた心の中にあるツナへの気持ちは、一生外には出せない危険物だ。うっかり誰かに見られでもしたら、ソイツを殺さなければならないくらいの危険物だ。
 捨てれば済むだけのものなのだが、獄寺にはどうしても捨てる事のできなかった心。
 ……ツナへの気持ち。

 『貴方を愛しています』

 英語にすると『I LOVE YOU』
 たった3文字の単語で、大勢の人間が耳と口にしてきた言葉だ。
 だが絶対に獄寺が発してはならない言葉だった。
 獄寺にとってツナは主人だ。命を掛けて守りぬくただ一人の頭だ。
 獄寺はツナの下にいる人間で、ツナは獄寺の上にいるべき人間だ。二人が並ぶ事なんてありえない。一緒に食事をして遊びに行ったって、順列は絶対になくならないのだ。ツナは十代目で、獄寺はその右腕になる人間なのだから。
 だから獄寺は芽生えた気持ちに蓋をした。鍵付きの金庫に入れて永久保存した。死ぬまで外に出さないと決心したのだ。そうすればツナの側にいられると思った。
 ツナの為の戦い、ツナの為に働き、ツナの為に死ぬ。
 それはなんて素晴らしい人生だろう。
 美しい主従関係。ツナはいずれ獄寺の死に涙を流すだろう。

『どうして死んだんだよ、獄寺君。キミはオレの右腕じゃないか』
 立派な十代目になったツナが、彼を守って血まみれで死んだ獄寺を抱き締める。

 それは甘美な想像だった。ただ一人の主が、親しい部下を亡くして悲観に暮れる。
 十代目がオレの為に泣いて下さる。
 その想像だけで獄寺はツナの為に命を投げだせた。
 獄寺は死にたいわけではない。なるべき生きてツナの側にいたい。
 うっかり死んだりしたら、空いた右腕の座に誰か座るかもしれないじゃないか!
 そんな事は許せない。ツナの右腕は獄寺隼人ただ一人なのだから!
 このまま成長してツナは十代目に、獄寺は右腕になる予定だった。

 何が悪かったというのだろう。
 いつもと同じ日常だった。
 ツナの部屋に二人はいた。
 ランボがイーピンと外にいて、リボーンは外出していて、山本は野球部で、ツナと獄寺は二人きりだった。
 獄寺は頼まれてツナの宿題を見ていたのだ。
 部屋に二人きりだった。誰もいなかった。そんな事は滅多になく(沢田家は誰かしら家にいて、人の気配が途切れる事はなかったから)獄寺は幸せだなあと思っていた。
 獄寺はこっそりとツナを盗み見ていた。
 飽きる程(一生見飽きるわけがないと思うが)見慣れた顔だが、獄寺は身近で見る事ができるツナの平凡な顔に見蕩れていた。
 日本人の顔はゲルマン民族に比べて凹凸が少ない。ツナの鼻も低いが、獄寺はそれを可愛いと思っていた。
 獄寺にとってツナは最高に美しい人だった。
 獄寺より細い身体もすぐに躓く足も、体育で突き指する手も、ありえないくらい滅茶苦茶な発音の英語も、獄寺は大好きだった。ツナは他の誰とも違っていた。
 ツナはできない事が沢山あった。
 それでも獄寺の忠誠も愛も揺るがなかった。
 獄寺は知っていたのだ。ツナは凄い人なのだと。本能で察していた。ツナには秘めた力がある。それは何代も続く名門ボンゴレの血の顕現だ。だから他の事が疎かになっても御愛嬌なのだ。完璧な人間はいない。ちょっとくらい欠点があった方が、親しみやすいというものだ。
 いざという時のツナのカリスマ性を獄寺は凄いと思っていた。
 獄寺は間近にあるツナの顔を見て、やっぱりオレはこの人が好きだなあと思ったのだ。思ったけれどすぐに感情を打ち消した。悟られてはならなかった。聡いリボーンはいなかったが、ボンゴレの血を持つツナが気付いてしまうかもしれない。ツナの前では何も隠せない。
 ツナは獄寺を好いてくれているが、それは右腕としてだ。ツナの本当に好きなのは笹川京子で、それは仕方がない事だと獄寺は諦めていた。ツナは可愛い女の子が好きだ。決してゴツゴツした男ではない。
 でもいいのだ。獄寺の欲しいのはツナの恋人の座ではない。欲しいのはツナの右側。ツナの信頼。忠誠を受け取ってもらえる主従の関係。
 笹川京子は可愛い女だ。性格は曲がらず、柔らかい甘い匂いがして、姿は花のようだ。ツナが好きになるのはよく分かる。
 嫉妬する立場に獄寺はいない。それは身の程知らずのおこがましい感情なのだ。
(十代目の大事な物は、オレにとっても大事な物)
 獄寺はそう自分に言い聞かせて我慢した。
 油断はしていないつもりだった。獄寺は心を隠しきれていたつもりだった。……つもりとは、つまり隠しきれていなかったという事。
 獄寺はとても優秀だったが、自分の事だけは分っていないという欠点があった。
 そしてその欠点を誰も口にしなかったので(リボーンは面白がって、ツナは優しさから、山本は欠点も裏返せば長所だとか思っていた)獄寺は自分の気持ちがダダ漏れているなんて、ちっとも自覚していなかったのだ。
 獄寺は犬だ。気持ちが顔に現れずとも尻尾が揺れる。ツナを前にするとブンブンと揺れる尻尾。ツナをうっとり眺める獄寺。聡くなくても分ってしまうほど獄寺の感情はあからさまだった。
 あからさますぎて、あえて突っ込むのが躊躇われるほど。
 ツナが気付かないフリをしていたので、誰もあえて指摘しようとしなかった。


 獄寺はツナの顔を見ていたのだ。そうしてたらツナがノートから顔を上げた。
 獄寺はよく分っていなかったが、ツナはブラッドオブボンゴレの覚醒済みだった。超直感アンテナが平時にもビンビン立っていた。
 遠くにいる人間ならともかく、同じ部屋にいて斜め向いに座る人間の感情など丸見えすぎて、困るくらいだった。
 下を向いていても獄寺の視線を感じていた。舐めるように見られてツナは落着かない。ただでさえ苦手な英語が更に分からなくなりそうだった。
『そんなに見るなっ』とツナは心の中で叫んだ。
 だが獄寺の態度は好意からきていたので、優しい(…というか優柔不断かつ面倒事が嫌い)なツナは、ハッキリとそう言えなかった。
 下ばかり向いていると首が疲れるので、何気なさを装って顔を上げて、獄寺を見た。
 獄寺の顔は『十代目が好きだ』と言っていた。
 それを見たらツナはたまらなくなったのだ。
 つい、今まであえて口にしないでいた事を言ってしまった。

『獄寺君、オレの事好き?』
『勿論大好きです、十代目!』
 獄寺の即答に迷いはなかった。
『どんな所が? オレみたいなダメツナを好きになる要素なんかないだろ? 獄寺君の方が顔も頭も良い』
『何をおっしゃってるのですか、十代目。貴方以上に素晴らしい人間はいないというのに。尊敬しています』
『……ふーん。そう』
 ツナの気持ちは急降下した。何故そうなったか分からないほど底辺に落ちた。
 輝く獄寺の瞳を鬱陶しいと思った。
『尊敬なんて……止めてよ』
 ツナはいつもは言わない事を言ってしまった。
 気持ちが攻撃的になった。滅多に人を責めないツナが本気になった。
『十代目?』
『尊敬なんて気持ちが悪い。そんな事言う獄寺君は嫌いだよ』
『十代目?』
『その呼び方も嫌い。そんな風に呼ばないでよ。オレは沢田綱吉だ』
『十代目? 何をおっしゃってるんですか? 十代目は十代目でしょう。そしてオレは貴方の右腕です』
『右腕なんかいらないってば。いい加減その口閉じなよ』
 ツナの突然の不機嫌の理由を獄寺は分からない。
『十代目? オレ……何かいけない事を言いましたか? 謝りますから……』
『訳も分からず謝るなよ。そういうとこも大っ嫌い』
 ツナは机を叩いた。
『じゅ……』
『獄寺君なんか嫌いだよ。ムカつく。何でキミはオレを見ないんだよ。側にいる意味なんかないじゃないか』
 ツナは本気だった。獄寺にはそれがよく分ったが、突然ツナが機嫌を損ねた理由は分からなかった。
『十代目……何故……?』
 獄寺の悲痛な問いかけにもツナは冷たい態度を通した。
『オレ……帰ります。申し訳ありません』
 帰ろうとした獄寺にツナは「宿題がまだ終ってないよ。教えてくれるって言っただろ。約束は守れよ」と言った。
 嫌いだと言った口でツナは獄寺を引き止める。獄寺にはツナが何を考えているのか全然分からなかったが、まだ必要とされているのだという思いが救いとなって、獄寺は留まった。

 針の筵の上にいた獄寺を救ったのは、獄寺にいつも被害をもたらしている2名だった。
 階下が騒がしくなったと思ったら、階段を上がる音がして、ドアが開いた。
「ガハハ、ランボさん帰ってきたもんねーっ」
「あら隼人来てたの。ちょうど良かったわ。新作のお菓子の味見をさせてあげるわ。クッキー大好きでしょ」
 マフィア中ぶっちぎりでウザイ宸Pと断定された五歳児と、実の姉によって。
「うるせーアホ牛。十代目は今お勉強なさってるんだ、静かにし……ぎゃっ、アネキ!」
 獄寺は腹部を押さえて撃沈した。獄寺はビアンキを見ると条件反射で体調を崩す。肉を前にした犬と同じだ。条件反射は身体に刻み込まれた記憶と神経の結合と連動だ。意志ではどうにもならない。
 倒れた獄寺の頭の下にツナは座布団を敷いてやった。
「宿題、まだ終ってないのに…」
 ツナは獄寺の様子に頓着する事なく呟いた。
 ツナらしくない情の欠片もない言葉だが、獄寺の体調不良の原因は幼少期のトラウマなので、ツナにはどうにもできない。できない事なら悩むだけ無駄である。
 ツナは損ばかりしているので、これ以上自分から何かが削られていくのがイヤだった。なので獄寺の事はスルーした。敷いてやった座布団がせめてもの情けだ。


「あらツナ。宿題が分からないの?」
 ビアンキは真っ赤に染めた唇をツナに向けた。
 結局ツナはビアンキに勉強を教わる事にした。
 ビアンキはボイズンクッキングとリボーンへの愛を除けば、割合普通の人間なのだ。ただ心中は愛が九十九%を占めるので、普通である事が分かりにくいのだが。つまりビアンキには愛しかない。
「……そこは前置詞が入るの」
 ビアンキの香水と体臭の仄かな甘い香りに、ツナは落着かなかった。恐ろしい人間だが、年頃の美女である事には変わりがない。
 青少年のツナは心をドキドキさせていた。ビアンキに恋も欲望も感じていないが、ツナも男であるという業からは逃れられない。
「分った? ツナ」
 ビアンキがツナの顔を覗き込む。
「……うん。……教えてくれてありがとう」
 苦手だった英語の和訳が終ってツナは一安心した。これで明日指される事になっても恥をかかずに済む。
「いいのよ。家庭教師であるリボーンがいないんですもの。愛人の私が教えるのは当然よ」
 ビアンキはウットリと言った。
 一歳児の何処に愛を感じるのか分からないが、ビアンキは本気だった。
 ツナはやっぱり姉弟だなあと思った。恋愛を理屈でなく本能でする所が。この人と定めたら、相手が赤ん坊だろうが非常識だろうが、同性だろうが、ダメダメ人間だろうが、そんな事は関係ないらしい。
『好き』→『一生ついてきます』
 ……という単純な構図ができあがってしまう。そこにビコーズは入らない。
 何故という疑問を持つ事を愛の欠如と考えるくらい彼らは一途だった。
 だが受ける方といえば。
 ツナとリボーンはその愛を適当にスルーしていた。
 一方的に押し付けられる愛は重くて息苦しい。しかし切り捨てるには情があるし、無碍に扱って悲しい顔をされれば罪悪感が湧く。勝手に好きになったのは向こうだが、片思いの辛さは分かる。どうでもいい人間ならどうって事はないが、好意ある相手からの拒絶は堪える。
 懐に抱え込んだ人間には甘いツナとリボーンは、ビアンキと獄寺を突き放せなかった。
 しかし我慢も限界を超える事もあるのだ。

「……ツナ」
 ビアンキは髪をかきあげた。ビアンキの顔に険が浮かぶ。
「なに?」
「隼人に何かしたの?」
 ビアンキは弟を愛していた。ただ一人の弟と、獄寺を純粋に可愛がっていた。その可愛がりかたが一般的ではなかったので関係は歪になったが、ビアンキは愛があれば通じると思っていた。
 ツナの瞳が陰った。
「……何もしてないよ」
「嘘」
「なんで嘘だって決めつけるんだよ。オレが獄寺君に何かするわけないだろ。逆ならともかく」
「だって……」
 ビアンキが整えられた爪を噛んだ。
「隼人がおかしな顔をしている。悲しんでいるわ。そんな顔をするのはツナに関してだけ。……だからツナのせいよ。何があったの?」
 鋭い観察力だなあとツナは思った。
 意識のない獄寺の顔は、ビアンキを目にして表情がひきつっている。そんな歪んだ顔を見ていつもと違うと悟るなんて、女のカンというのはバカにならない。超直感並に女性の嗅覚は鋭い。
「されたのはオレの方だよ」
「隼人が? ……あの子に押し倒されでもした? 貞操奪われちゃったの?」
「うわ、衣着せてよ。表現が生々しいよっ」
 ツナは両手で顔を隠した。
「じゃあやっぱり隼人が我慢できずにやったの?」
「してないよ。獄寺君にそんな甲斐性ないの、ビアンキだって知ってるでしょ」
「知ってるわ。可愛い子。好きな相手を目の前にしてもプラトニックでいいなんて。情けなくて我が弟とは思えないわ。愛は奪うものなのに。例え何を傷つけようと、殺しても自分のモノにするべきなのに」
「その考え方、日本では通じないから止めてね。……というかイタリアでも通じないと思うけど」
 ツナの顔が引き攣る。
 ビアンキは甘い毒をまき散らすように微笑んだ。
「愛に国境はないわ。世界は愛でできているのよ」
「だったら世界は平和なんだけどね。ビアンキが言うと危険にしか聞こえない」
「男は危険な女ほど惹かれるものよ」
「危険すぎる女は敬遠されると思うけど。皆が皆、リボーンみたいに強くないから」
「私はリボーンにさえ愛されればそれでいいのよ」
 ビアンキはうっとりと言った。
(その考え方はイヤだなあ)…とツナは正直に思った。
 ビアンキは愛を理由に無理を通しすぎる。理屈が破綻している。
 例えそれが京子の口から出た発言だとしても引くだろう。
『愛が全て』と言って愛以外のものを平然と切り捨てるなんて、思い切りが良すぎる。気が合わないというか、理解できない。

『愛も友情もほどほどでいい』
 ツナの素直な感情だ。何事も余裕があったほうが対応が楽だ。
 愛される事になれたツナは受け身で焦りがなく、つまり自覚しないほど傲慢だった。
「……で、ツナは隼人に何をしたの?」
 ビアンキは引く気はなさそうだ。
 ツナは正直に答えた。
「嫌いだって言ったんだ」
「そんな事を何故言ったの? 可哀想に。隼人は貴方に優しいでしょ。首ったけですもの。それなのに何故?」
 ビアンキの気配に殺気が混じる。
 ツナはビアンキの殺気に動じない。
 ツナだって怒っているのだ。
 言い辛い内容だが、姉であるビアンキは丁度良い愚痴の相手だ。
「獄寺君の好きなのは『十代目』だよ。『綱吉』じゃない」
「ツナが十代目でしょ」
「違うよ。オレは沢田綱吉だ。ボンゴレ十代目じゃない」
「どっちにしろ同じ事よ。貴方の未来はもう決まっている」
「それでも」
 ツナは唇を噛んだ。
「オレは綱吉だ。けど獄寺君には一度もそう呼ばれた事がない。獄寺君にとってオレの名前なんかどうだっていいんだ。十代目っていう肩書きが大事なんだ。名前が銀行通帳サンプルの鈴木一郎だって構いやしないんだ。一生呼ばない名前なんだから」
「ツナ」
「ビアンキだってリボーンの事、『アルコバレーノ』なんて呼ばないだろ」
「ええ、そうね」
「十代目は愛称じゃない。獄寺君の理想だ。オレが応えてやらなきゃいけない義務はない」
「それでも隼人は貴方を愛してる」
「名前を呼んでくれない相手の気持ちなんかどうだっていいよ。酷いのは獄寺君の方だ。オレの事なんかちっとも見ちゃいない。獄寺君が見てるのは『十代目』のオレだ。ただの沢田綱吉はアウトオブ眼中。そっちの方がよっぽど酷い。そう思わない?」
「……そうね」
 ビアンキは怒りをおさめた。
 弟の心を踏みにじられるのは我慢ならないが、愛する人間を正面から見ないのはいけない事だ。
 それは愛への冒涜だ。名前はその人をあらわすもの。大切に口に乗せるものだ。愛する人の名前は世界で一番大事な『音』だ。
 獄寺は肩書きをとっぱらった生身のツナを見ようともしていない。だからツナは怒っている。自分を見ろと獄寺を責めたのだ。
 全部を一から説明しなければ分からないなど、それは相手を理解しようとしていないしるしだ。
 ビアンキは弟の失敗を悟った。
(ダメよ隼人。愛が欲しければまず相手をちゃんと見ないと)

 ツナは悔しそうに口を曲げる。
「オレはダメダメのダメツナなのに。獄寺君はそういうオレを見ようとしない。素晴らしいと称えるだけだ。何が素晴らしいっていうの? オレがダメなのは周知の事実なのに。ビアンキだってオレがダメ人間だって知ってるだろ」
「…………………………」
「勉強も獄寺君に劣るし、体力も反射神経も顔の造作もスタイルも背も……というか全部獄寺君に負けてるのに、獄寺君はオレを尊敬してるって言うんだ。どこに尊敬に値する要素があるっていうのさ。おかしいよ」
「…………………………」
「オレは人に崇められるような事は何一つしちゃいないのに」
「…………………………」
「獄寺君はオレの姿を見ようともしてない。自分で勝手に作り上げた人間像に当て嵌めてウットリしてる」
「…………………………」
「そんな愛はいらないよ」
 ツナは淡々と漏らした。
「じゃあ」
 ビアンキは口を開いた。
「隼人が『本当のツナ』を見て愛を捧げたら、貴方はそれを受け取るの?」
 ツナはビアンキの言葉を受けて、とても悲しそうな顔をした。
 ツナの表情に拒絶は感じられなかったが、肯定も見られなかった。
「……ツナ?」
「そんな事……できるわけないじゃないか」
「どうして?」
 ツナは皮肉に口を歪めた。
「リボーンが許さない」

 その一言でビアンキもまた言葉を失った。
 十代目でないツナなど何処にもないのだ。ここにいるツナは紛れもない名門ボンゴレ次期十代目。ツナ本人がイヤだと言ってもいずれそうなる。
 ツナは自分を十代目ではないと言う。
 本人がそう思わなくても、周りがそう思ってしまえば人間の形は決まってしまう。中身がどうであろうと外側がその人の形だ。目に見えるものだけが本物で、目に見えないものはあっても認識されない。人は人に認められて初めて形になる。
「本当のオレなんて何処にもいない。リボーンや獄寺君がオレという人間を決める。……十代目に必要なのは右腕で、恋人じゃない。リボーンならそう言う」
 ツナは持っていたシャープペンシルの尻を齧る。ツナの歯形がうっすらとプラスチックに刻まれる。
「獄寺君なんて嫌いだ。……彼の前ではオレは何処にもいない」
「ツナ」
「怒る? オレはビアンキの弟が嫌いだって言ってるんだよ?」
「愛を蔑ろにしている隼人がいけないわ。ツナ、隼人を見捨てないでやって」
 ビアンキは弟の為に言った。
 ツナは無条件に愛されている獄寺を羨ましいと思った。
「ビアンキはオレを十代目とは呼ばないね。…なんで?」
「貴方がいるとリボーンが私の所に戻ってこない。ツナなんか嫌いよ。ボンゴレなんか知らないわ」
 皮肉な事だった。ツナを邪魔だと思うビアンキは正確にツナを把握し、ツナを至上だと思う獄寺はツナを全然見ていない。
「ツナは……隼人の事、好きなのね」
 ビアンキの女の勘がツナの気持ちを理解した。
(ああ、弟は愛されているのね)
 リボーンを奪うツナは嫌いだったが、弟を愛で満たしてくれるツナは好きだった。
「嫌いだよ」
「好きだから見てもらえない事が悲しいのね」
「…………………………」
 ツナは顔を歪めた。
「獄寺君は……人の言う事聞かないし、無茶ばかりするし、迷惑かけるし、バカだし、友達作らないし、山本を邪魔者扱いするし、ランボと喧嘩するし、何処だろうとダイナマイトを爆発させるし、性格悪いし、好きになる要素なんか何処にも無いのに」
「愛は理屈じゃないわ」
「うん」
「愚かな子だからこそ愛しいのよ」
「かもね」
 ツナは素直に認めた。
 認めてしまえば簡単なのだ。
 ツナは獄寺が好きだ。だから許せないのだ。ツナ自身を見ようとしない獄寺が。虚飾のツナを盲目的に愛して献身を捧げる獄寺が我慢ならない。
「ならば貴方が教えてあげればいいじゃない」
「獄寺君は一生気付かないよ。オレの言う事なんてちっとも聞きやしない」
「隼人はバカだけど、愛する人間を傷付けて平気な人間じゃないわ。過ちにいずれ気付く。そうしたら許してあげて」
「……考えとく」
 考える必要なんかない。獄寺とツナが愛しあう事は許されていない。リボーンが許さない。
 獄寺はツナの右腕になれても恋人にはなれないのだ。ツナは誰のものにもなってはいけない。ツナは孤独で独りで高みにいなければならないのだ。
 ツナが将来リボーン以上の力を得てリボーンを押さえつける事ができても、それはちっとも勝利ではない。
 そんな力を得たら。

『お前もようやく一人前のボスになったな。オレはお役御免だ』と言って飄々とトンズラするに決まっている。
 ついでに邪魔な人間(ツナの恋人になった獄寺)を始末して。
『アディオス』と去るリボーンの姿が想像できてしまう。

「想像できる。……これもボンゴレの血か?」
 ツナは頭を抱える。
 どう考えても明るい明日が見えてこない。
 万が一、普通に年頃の女の子を好きになったとしても。
「……イタリア在住マフィアのボス夫人になりたい女は皆無だよなあ……」
 同じ世界の人間ならともかく、一般人はマフィアとなんて結婚したいと思わない。裸足で逃げ出す。ツナが女だったとしても絶対に逃げる。
 ツナは可愛い女の子が好きなので、きっとマフィア関連の女性には惹かれない。美人のビアンキを見ても心が奪われないように。
 ツナがボスでいる限り、ツナは幸せになれないのだ。






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