10代目(獄ツナ)




 02

「……なんて事考えてやがる。オメーは余計な事ばっかり考えるな。他に考えなきゃならねえ事が山程あるだろうに」

 暴力家庭教師が帰宅した。
 ビアンキが嬉しそうにリボーンを抱き上げる。
「……何処に行ってたのさ?」
 ツナは蹴られた頭を抱えて聞いた。帰った時リボーンはいなかったのだ。
「スターバックスが新メニューを出したんだ」
「金持ちめ。二十歳以下はドトールで充分だ」
「働いて自分を養っている人間はスタバを飲む資格があるんだ。それにドトールのコーヒーの味は大雑把だ」
「どうせブラックしか飲まないくせに」
「混じりけがないから豆の味が楽しめるんだ。ミルクは邪道だ」
「そんな事言って、たまにキャラメルマキアートを飲んでるくせに」
「コーヒーではなくココアだと思って飲めばいいんだ。あの甘さをコーヒーとは認めない」
「詭弁ばっか言って」
「コーヒーに砂糖とミルクを入れなきゃ飲めないガキが語るな。ブラックで飲めるようになったら美味しい豆を教えてやる」
「全力で遠慮する」
 スパルタのリボーンの事だから、コーヒー豆の産地から豆のひき方、入れ方までレクチャーされるだろう。これ以上学ぶ事が増えてたまるかとツナは警戒する。
「ビアンキ、ママンが夕飯を作ってる。手伝いをしてこい」
「分ったわリボーン」
 リボーンはビアンキを追い出すと、ツナに言った。
「テメーは何拗ねてんだ。獄寺がどんな気持ちを持とうとデンと構えておけ。それがボスの務めだ」
 可愛い声でリボーンは偉そうに説教する。
「勝手に人の感情に立ち入って来るなよ。……っていうか、なんで帰った早々分った口きいてんの? 放っておいてよ、元凶が」
「オマエがボスになるのは運命だ。恨むのはオレじゃなく、その血と生まれだぞ。責任を転化するな」
 諦めろとリボーンはしゃあしゃあと言う。
 しかしそう言われて人生を諦められる人間はいない。
「するよ。継ぐ人間がいないなら潰しちまえばいいだろ。……というか、ザンザスがいたのに無理矢理十代目を押し付けといて、恨むなって言う方がおかしいよ。継ぎたいヤツに継がせろよっ」
「しょーがないじゃん、そういう決まりなんだから」
 リボーンはお馴染みの台詞で完結した。
 ツナは頭を抱えて絶叫した。
「何でも『決まり』の一言で片付けんなっ。言葉に重みも正当性もなんにも感じらえねえっつうの」
「規則を破るつもりか?」
 リボーンが脅す。
「棺桶に入ってミイラどころかバクテリアに分解されちまった先祖が決めたルールを、後生大事に守る義務はねえっ。ルールは生きてる人間が決めるもんだ」
「先祖を蔑ろにすると祟るぞ」
「ボスになる以上に祟られる事ってあるのか? ボンゴレリングだか何だか知らないけど、本気の殺し合いを実体験させられてこれ以上の呪いがあるかよ。今だにザンザスの恨みの篭った目を忘れられずうなされるんだぞ」
「肝っ玉の小せえ男だな」
「そんなの大きくなくていい。これ以上心が広くなったら何もかもを諦めて達観しなきゃならないじゃないか。オレは人生悟った老人じゃねえ」
「人生諦めが大切だぞ」
「ざけんな、リボーン。諦めたらそこで終るって教えたのはお前だろ」
「臨機応変に生きろ。その時その時で対処を変えていく事も大事だぞぅ」
「語尾を伸ばしても可愛くないっ! 赤ん坊は赤ん坊らしくミルクを飲んでろ。ブラックコーヒーなんて十年早いよ」
「十年経ってもブラックを飲めそうもないツナには言われたくない台詞だな」
「うるさい。オレは紅茶派だ」
「紅茶にも砂糖入れるくせに」
「糖分は頭にいいんだよ」
「そういう事は普段勉強してる奴が言えよ」
「最近はやってるよ」
 恐怖の家庭教師がサボる事を許さないので、ツナの勉強量は増加している。ちっとも成績には結びついていないが。ツナには勉強を理解できる頭がないのだ。
 リボーンも『コイツはボスの素質ねーな』と諦めつつあるが、まだそんな素振りは見せない。
 人間は突然変わる生き物なのだ。躍進中のボンゴレ参加のキャッバローネファミリーのボスのディーノは、ツナと同じ年の時、同じくらいダメダメで何もできなかった。それが今では傾きかけたファミリーを立て直し、部下からの信頼も厚い。人間変われば変わるものである。家庭教師の面目も立つというものだ。
 ツナだって何をどう間違ったのか(←酷い)最強と謡われたザンザスに勝利してしまったくらいだ。
 人間やればできるよなーと、ツナが負けて殺される可能性をしっかり考えていたリボーンは思った。
 ツナがザンザスに勝てたのは奇蹟だと思っているリボーンだ。
「何をぐだぐだ考えているのか知らねーが、お前が十代目になる事はもう決定事項だ。諦めろ」
「諦められっかーっ」
 ツナは心から嘆いた。
 ツナにとって悲しい事は未来が暗い事ではない。誰も味方がいない事だ。
 リボーンや獄寺はツナの意志を無視して十代目にしようとしてるし、母親は役に立たないし、父親はアレだ。

 家出中のオヤジが。
 まふぃあの『もんがいこもん』だって。

『ありえねえって!』ツナは叫んだ。
 もう一生会えなくてもいいから帰ってくるなと思うくらい理不尽だと嘆く。
 殆ど家に帰らなかった父親がマフィアのボスと親しくて、息子を次期ボスにしようだなんて、そんなのまともな親のする事じゃねえとツナは思う。まともな人間ならマフィアになんかならないが。
 それにしてもなんで日本人がイタリアンマフィアなんだか。普通ヤ○ザだろうに。
『嫌いだ、皆嫌いだ。どいつもこいつも嫌い!』
 本音だが、ツナは口にする事ができない。
 嫌われるのが恐いから。
 ツナは嫌いな人間が多い。沢山の人間を嫌っているのに嫌われるのが恐いのだ。人の悪意や蔑みは心を痛めつける。だからツナも人を『キライ』とは言わない。
 リボーンはニヒルに笑う。
「子孫さえ作れば愛人の一人や二人、見逃してやるぞ。オレだって愛人は四人いる」
「お前と一緒にすんなっ。日本は一夫一婦制なんだよ」
「愛人を持つのは男のロマンだろうが」
「伴侶を蔑ろにする事を推奨すんな。女を大事にしない人間はボスに相応しくないんだろ?」
「つい浮気心が動くのが男ってものだ。本能には逆らえねー」
「都合の良い時だけ男になるなよ」
「男は狡いもんさ」
 リボーンはニヤリと笑った。
「で、ツナはなんで獄寺に『嫌い』つったんだ?」
「……なんでいなかったのに人の発言知ってんだよ? 盗聴器でも仕掛けてんの?」
 ツナは部屋を見回す。
「オレには沢山の子分がいたのを忘れたのか?」
「子分? …ふぎゃっ」
 いつのまにかリボーンの顔には無数の芋虫が張り付いていた。
 うごうごと動く手足が気持ち悪くてツナは顔を背ける。
「虫かよ…」
「障子に目と耳があるんだ。部屋に芋虫がいたっておかしかねえ。用心が足りねえぞ」
「どこの世界に虫に用心する中学生がいるのさ。頭おかしいヤツだと思われるだろ」
「慣れろ。昆虫の部下を持つと色々便利だぞ」
 リボーンの自慢げな声にツナはげんなりする。
「さっさと人の質問に答えろ」
 リボーンは命令する。
 ツナは嫌々答えた。
「嫌いに決まってるだろ。獄寺君は本当のオレを見てないんだから」
 リボーンはツナの心情を正確に把握した。
「はっ、だからお前はガキだっつうんだ」
 リボーンがツナの甘さを鼻で嘲笑う。
「リボーンにはオレの気持ちなんか分からないよ」
「ああ、分からない。だが一つだけ分かる事がある」
「何が分かるっていうのさ」
「ツナがガキだって事だ」
 リボーンはふふんと笑った。
「じゃあ聞くが、本当の自分てなんだ? ボディスーツを着た女が実はナイスバディじゃないと分ったら、それは嘘をついていた事になるのか? 全身を整形した女は嘘つきか? 醜い心を優しい仕種でカバーしている人間はダメなのか? ツナの言っている事はそういう事だ。人間誰しも本当の姿なんか見せちゃいねえ。獄寺がツナを十代目というブランドで見てるからって責められる事じゃねえよ。ツナは実際十代目なんだから。獄寺は事実しか見てねえよ」
「でもオレは十代目という前に、沢田綱吉なんだ。まだ跡を継いでもいないのに、そんな風に認識されたくない」
「だからお前は甘いっていうんだ。いずれなるもんなんだから今から自覚しとけ。友情ごっこしたって将来はボスと部下だ。仕組みは変えられねえ。忠誠心より理解と友情が欲しいなんて贅沢言ってられる身分か。身の程を知れ、半人前」
「オレは納得してないよ……」
 ボスになんかなりたくない。平和で怠惰な生活を続けていきたい。誰かが傷付くような生き方はしたくない。
「今からでもザンザスにボスの座を渡しちゃダメかな?」
 ツナのダメダメ発言にリボーンは呆れた声を出した。
「ザンザスが十代目になったら十代目候補だったツナは殺されるぞ。他のリングの保持者も。ザンザスはツナと違って徹底してるからな。反抗の根は潰しておく」
「そうなんだよねーっ」
 それがザンザスにボンゴレリングを渡せない理由だ。渡した途端に殺されるのは勘弁して欲しい。
 どうして仲良くできないんだろうと思う。別にザンザスと仲良くしたいわけではないが。
「ツナはザンザスを十代目にしたいのか?」
「だってあっちの方がそれらしいじゃん。威厳とか才能とかやる気とか……つまり適材適所?」
 九代目と門外顧問以外はザンザスが十代目になる事を当然だと思っていた。つまりツナはボンゴレファミリーの幹部からずっとザンザスと比べられ続けるのだ。ザンザス以上の才能を見せなければボスとは認めてもらえないだろう。
 非情にしんどい、やりたくない。
 やりたくない事を頑張る理由が分からない。
「……別に認めてなんか欲しくないけどさ」
 ツナはいじける。
 なりたくない役割を押し付けられて、相応しくないと蔑まれる。頼んだわけではないのに役柄が合ってないと文句を言われる。
「……たまんねー」
 ツナの未来は真っ暗だ。
 周りは敵ばかり。
 理解者が欲しいと嘆いて何が悪いのか。
「獄寺とか山本がいるじゃねえか」
「山本は野球選手になるんだよ。マフィアなんかに関わったら選手生命絶たれるじゃないか」
「大丈夫だ。スポーツ選手の寿命は短い。引退したらイタリアに来ればいい」
「山本の人生ももう決定済み?」
「雨の守護者になったんだ。もうファミリーの一員だ。ファミリーを出る事はすなわち裏切りだぞ。裏切り者には死だ」
「中学生に鉄の掟を押し付けるなーっ」
 ツナは叫んだ。
 自分はともかく、友達まで血なまぐさい人生に巻き込んでしまったなんて申し訳なさすぎる。謝罪のしようがない。
「山本は結構楽しんでやってるぞ。でなきゃスクアーロには勝てねえ。あれは天性の殺し屋だ」
「人の友達を勝手に殺人者にすんなっ。命が掛かっていれば誰だって必死になるよっ。山本は善良な一般人だ」
「ツナは分ってねえな」
 やれやれと肩を竦めるリボーンをツナは殴りたいと心から思った。
 殴っても幼児虐待にはならないと思う、絶対に。
 ビアンキがいなくなったせいだろうか。


「……う……ん。……あれ?」
 獄寺が目を覚ました。
 ツナの姿を目にした途端、飛び起きる。
「じゅ、十代目。も、申し訳ありません。またお手数をお掛けしてしまいました。お詫びのしようが……」
 獄寺はガバッと土下座した。
 意識を失う前の事を覚えている。ツナは獄寺に対してかなり怒っていた。
『嫌い』と言われた。
 今は側にリボーンもいる。いよいよファミリー除外かと獄寺は真っ青になった。
「ツナの事なんか気にすんな。勉強ができねえからイラついてただけだ。ガキの反抗期なんだから大目に見てやれ」
「リボーンさん……」
 鷹揚なリボーンの言葉に獄寺は顔を上げた。
 どうやらリボーンは獄寺を処分するつもりはないらしい。
 ……ではツナは?
「……オレの心からの嘆きを反抗期の一言で片付けんなよリボーン」
「オメーの気持ちなんてどうだっていい。命預けてくれる部下は大事にしろ。お前はザンザスとは違うんだろ?」
「ザンザスを引き合いに出すなよ。アレと比べられるのは心外だ。つーか、アレは規格外だろうが。あんなのがボスになったら部下は全員殺されるぞ」
「大丈夫だ。ザンザスの部下は丈夫なのばっかだから。スクアーロがいい例だ」
「……あの人も気の毒だよな。ヴァリアーでは唯一まともそうなのに」
 だからこそ貧乏くじを引いてるのだか。
「……あの、十代目。オレの事……許して下さるのですか?」
 獄寺は恐る恐る聞いた。
 ツナはもう怒っていないようだ。だからといって獄寺が許されたというわけではない。
 ツナはなげやりになった。相互理解の努力を放棄した。すなわち得意の『面倒臭いから諦めよう』だ。
 ツナはこれ以上ないくらいイイ笑顔になった。
「獄寺君」
「はい」
 獄寺の声が緊張する。
「オレはボスになる為に努力している。だから右腕の君も努力しなくちゃいけない」
「と、当然です!」
 ツナに右腕と言われて獄寺の気持ちは一気に浮上する。
 そうか。獄寺には努力が足りないと思われていたのだ。だから十代目は怒っていたのだなと獄寺は深く反省した。右腕と認められたからといって努力を怠るなんて、右腕失格だと獄寺は落ち込んだ。
「だから獄寺君」
「はい」
「まずは君の欠点から直そうね」
「はいっ」……と勢いよく返事をした獄寺だが、自分の欠点が何処だか良く分っていなかった。
 ツナは慈悲深く微笑んだ。
 主の優しさに獄寺の心は浮き立つ。
 ツナが獄寺を見ている。それだけで獄寺は幸せだった。
「獄寺君の一番の欠点はね」
「はい」
「自分でも分ってると思うけど……ビアンキだ」
「は……い……」
「姉を見るたびに倒れるなんて使えないよ。オレがピンチになった時に側にビアンキがいたらどうするのさ」
 ツナの言っている事はもっともだった。
 ツナの側で常に戦えなくては右腕の意味がない。
 獄寺はつきつけられた事実に愕然とした。
「だから」
 ツナは床を指した。
「下でビアンキが母さんの手伝いをしてる。君も手伝ってきてよ。いいかげんトラウマも克服しなきゃね」
「……じゅ、十代目……」
「当然、獄寺君はイヤとは言わないだろ? だってオレの右腕だものね」
「も、勿論です」
 獄寺の語尾が小さくなる。
 ツナの発言は正しい。正しいが、獄寺は姉の側には行きたくなかった。全身で拒否した。
「だったらさっさと行ってきな」
「……はい」
 獄寺は渋々立ち上がる。十代目がオレを認めて下さったのだ。応えるのが男というものだろう。
 背中に恐怖と哀愁を背負って消えた獄寺の姿に、リボーンは言った。
「獄寺でストレス解消すんのはヤメロ。部下苛めをしすぎると裏切られっぞ」
「大丈夫。獄寺君はスクアーロ以上のおバカさんだから。獄寺君は可哀想なくらいマフィアっこだ」
「可哀想と言いながらやってる事は逆だぞ」
「トラウマを解消する手伝いをしてるだけだよ。リボーンだって獄寺君がこのままでいいとは思ってないだろ」
「まあな。姉がいたら使えないなんて右腕じゃねえ」
 下からバターンという音が響いた。
 ツナとリボーンは顔を見合わせた。
「獄寺が倒れたな」
「まあ分ってたけどね」
 仕方がないとツナは立ち上がる。結局仲間を見捨てられないのだ。
 獄寺を介抱しにいくツナに、リボーンは言った。
「どうせ逃げられないんだから肚をくくれ。お前はもうリングの保持者なんだ」
 ツナは反論もせずに「そうだね」と言った。
 反抗しないツナにリボーンは何考えてやがると警戒した。

 やがて力をつけたツナが自分と守護者のリングを捨ててしまうなんて、流石のリボーンも考えつかなかったのだ。
 それを知るのは十年バズーカの暴発で未来に飛んだ時だ。
 苛めすぎた反動はやがてくる。
 人間は変わるものだとリボーンは知っていた筈なのに。
 鍛えすぎた弟子が叛旗を翻す事をリボーンはまだ気付いてなかった。






2007.5発行コピー本からの再録