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 ミランダの背後には火薬の山。炎も銃も使えない。だがミランダの方からは発砲できるのだ。

「丁度いいわ。ここで貴方が死ねば事は揉み消せる。これだけの火薬の量があれば死体はバラバラになるだろうし、証拠は何も残らない。万が一貴方がここで死んだ事が分っても、パドルは今中央にいるのだから関係を疑われることもない。不幸な事故ということでカタがつくかもね。ましてやここは娼館ですもの。軍部は醜聞を恐れて事件を揉み消すでしょう」

 ミランダの言う通りだった。ロイがここで死ねば事件は闇に葬られる。ロイが動いている事は一部の者しか知らない。

「何故……こんな事を?」

 ロイは時間を引き延ばす為にミランダに言った。

 このままではこの館は吹き飛ばされる。この火薬の量とミランダの錬成術なら、館どころか近隣全てをなぎ払うだろう。館は形も留めずに跡形もなくなる。そして中にいるロイ達も肉片になって、誰が誰だか分らなくなる。地下に閉じ込められている子供達も吹っ飛ぶか、もしくは生き埋めになる。証拠は何も残らない。全ての罪は死んだ者達に押し付けられてそれで終わりだ。

 ミランダ一人が逃げおおせる。ミランダなら、自分の周りの空気だけ歪めて爆発を防ぐことなどわけはない。

「子供の為よ」ミランダは言った。

「子供?」

「そう、子供が生まれたの」

「貴女が母親?」

「……意外?」

「いえ……」

 意外だった。誰かの親になれる人間ではないと思っていた。

 命は育むより散らす方が似合う女。

 緋色のマクミラン。

「妊娠した時に戦場にいたのが悪かったみたい。生まれた子には生まれつき重い障害があった。このままでは死んでしまう。あの子の為にお金が必要なのよ」

 ミランダが母親になっていたという事に驚いた。

 鉄の女も母親になればただの女か。

「だから軍を辞めた。お金が必要だったから」

「金の為にパドルと繋がったのか?」

「それだけじゃないわ。あの男の研究が成功すれば、私の子供は健全な肉体になれるのよ」

「研究……。まさか……」

「軍が人体実験を繰り返していたのは知っているでしょう? ホムンクルス、キメラ、そして賢者の石。その研究があれば私の子供は丈夫な身体になれるの。新しい健全な身体が手に入る。今まで軍に貢献したのよ。つくした分は返してもらうわ。それこそ等価交換でしょう?」

「そうして貴女はパドルを利用した」

「ええ、そう。……仕事をグランに奪われて、パドルは怒り心頭だった。だから言ってやったの。研究を続ければいいって。命令に背いても、公にならずに利益さえあげれば、軍は黙認するわ。違う?」

 ミランダの言う通りだ。軍にとって利益が上がればそれは正義なのだ。方法は問われない。

「軍の研究は非道のモノが多かったけど、私にとっては大助かり。お金と研究と欲しいものが両方手に入る。だから貴方はここで死んでね」

 ミランダの殺意にロイは汗を滲ませる。

 エドワードはどうしているのだろう。まだ地下から出られないのか。それとも子供達を守っているのだろうか。

「……鋼のはどうした?」

「何がどうしたですって?」

「今日ここに連れて来られた子供だ。手足が機械鎧の金髪の子供」

「ああ。エディね。……あの子、貴方の知り合いなの?」

「先に潜り込ませてあった私の部下だ」

「マスタングはあんな子供まで囮に使っているの?」

 ミランダが流石に驚きの声をあげる。

「あれは幼く見えても国家錬金術師だ。年も十二歳ではなく十五歳だ」

「国家錬金術師? ……鋼のって……まさか、鋼の錬金術師? あれが? 嘘でしょう?」

「そうは見えないが、なかなか手強い」

「身体が鍛え上げられているからまさかとは思ったけど、性器を弄られてもお尻に指が突っ込まれてもなすがままだったので騙されたわ。大した役者ね」

 ロイはミランダの言葉にギョッとした。

 エドの身に何が?

「おい、あの子に何をした?」

「別に。ここにきた子供達が受ける健康診断をしただけよ。病気持ちは困るから」

「それだけか?」

「ただのボディチェックだけよ。貞操はまだ無事だわ」

「まだ、か。……それは良かった」

 よくエドワードがキレなかったものだと、ロイは安堵した。身長の事ではすぐに激昂するエドが。

「ただ……」

「ただ、何だ」

 ミランダが可笑しそうに言った。

「あの子は今日から店に出そうと思っていたから、ちょこっと薬を仕込んでおいたの。始めに出したお茶に、少しだけど催淫剤が入っていたのよ。遅効製のものだから、夜にならないと反応が出ないけれどね。あの子、夜になったら大変よ」

「催淫剤?」

 ロイは再び驚いた。

 だがエドワードが突入を早めた理由がこれで分った。夜になればエドワードは見張られて、自由に動けなくなる。比較的自由になる今をチャンスと思ったのだろう。だが催淫剤とは。まだ薬は効いていないという事だが、時間が絶てば症状が出てくる。エドワードは自分の身体の変化を知らないだろう。

 しかしロイ達は今動けない。動けばミランダは躊躇いなくここを破壊する。

 精神的余裕がミランダに会話を続けさせる。

「鋼の錬金術師があんな可愛い子だなんて思わなかったわ。最年少国家錬金術師の噂は知っているけど、見ただけじゃ分らないわね。あの顔の傷は作り物? よくできている。すっかり騙された。十二歳かと思ったら十五歳だし。惜しい事をしたわ。色々遊べるチャンスだったのに」

「貴女に遊ばれたら、鋼のが再起不能になりますよ」

「地獄を見た目をしていた。だから自閉症というのにも引っ掛かった」

 ミランダはエドの瞳の奥にある闇に気付いていた。演技では到底出せない苦痛の気配に逆に騙された。

「それなりの経験と覚悟がなければ十二歳で国家錬金術師の資格は取れない」

「そうでしょうね……。マスタング、そろそろお遊びはお仕舞いにしましょうか。周りがうるさくなってきたわ」

 ロイの背後で追い付いてきた部下が集まってきた。

「大佐!」

「来るなっ!」

「さようなら、焔のマスタンング」

 ミランダ声にロイは瞬間死を感じた。だが。

 緊迫した空気は二度目の爆発音で破られた……が、それはミランダが起こしたものではなかった。

「…っ何?」

 ミランダが爆発をおこす一瞬前、突然天井から水が降り注いだ。

「スプリンクラー?」

 天井から降る水はスプリンクラーのものだった。ロイがあちこちで発火したから作動したのだろうか?

「何でスプリンクラーなんか……。この館にはそんなもの付いていないはず……」

 ミランダの呆然とした声に、ロイは理解した。鋼のが何かやったらしい。

「仕方がないわね。こう水浸しじゃ炎も爆破もできない。勝負はドローということであずけておくわ」

「待て!」

 身を翻したミランダをロイは追い掛けた。

「甘いわよ、マスタング」

 身体を掴もうとした瞬間、襟元を逆に掴まれて派手に投げられた。反射的に受け身はとったが、起き上がった時にはミランダの姿は何処にもなかった。

「……やられたな」

 錬金術師として有名だったのですっかり忘れていたが、ミランダは軍隊格闘術の達人でもあった。

「大丈夫ですか? 大佐」

「止せっ!追うな!」

 ミランダを追い掛けようとした部下を止める。死体が増えるだけだ。

 部下が集まって来る。

「私の方は問題ない。……状況は?」

「地下への入口を見つけました。それと火事が拡がりかけたのですが、たった今スプリンクラーが働いて消化中です」

「火事? 私の出した火か? 最小限に抑えたつもりだったのだが」

「敵に付いた火がアルコールに移って燃え広がったようです。不思議なことに急に天井に配管ができ、水が降ってきて消化されました」

「たぶん鋼のだ。火事に気が付いて、スプリンクラーを作って水道管と繋げたんだ」

「ですが鋼の錬金術師殿の姿が見当たりません」

「鋼のなら心配はいらない。何処かで敵と戦闘中だろう。このまま地下に向かうぞ」

 シャワー室から繋がる地下へのスロープを駆け下りて、ロイ達は地階に突入した。

「灯りを!」

 暗い路に照明が付けられると、浮かびあがったのは金色の髪だった。

「遅いっ!」

 エドワードが仁王立ちでロイ達を睨む。

 エドワードの姿にホッとする。

「無事か? 鋼の」

「見ての通り、無事だよ」

「敵は?」

「そっちに閉じ込めてある」

 見ると壁のあちこちが変型している。戦闘の名残りか。敵が閉じ込められている部屋のドアには、何重もの南京錠が取り付けられ、異様な有様だ。たぶんエドワードが錬成したものだろう。中から怒鳴り声が聞こえる。

「子供達は?」

「隅の部屋に集めてある」

「何処だ?」

「こっちだ」

 案内された場所は行き止まりで、部屋など何処にもない。

「鋼の?」

「扉は塞いである。……待ってろ」

 エドワードは両手を合わせて壁に手を付いた。一瞬で扉が錬成される。

 現れた部屋にロイが呆れる。

「扉を塞いでしまうとはね。これでは火事になったら、中の人間は逃げられないだろう」

「だから焦った。天井が熱くなっているから大佐が炎を使ったんだと分ったけど、下手に子供達を出せば人質にされるか銃撃戦に巻き込まれる。ここだと上の様子が分らないんでどうしようか迷った。下手に水を撒けば大佐が炎を使えなくなるしな。火元がハッキリしないから消火のしようがないし。煙が地下に入ってきたんで、ヤバいと思って仕方なく屋敷全体に水道管を伸ばして水を撒いたけど。……まずかった?」

「いや。絶好のタイミングだった」

 あやうく爆死するところだったのは伏せておく。エドワードにこれ以上借りを作ると、いつ返済を求められるか分らない。

「子供は全員保護したのか?」

「たぶん全員だと思う。確認はしていない。それどころじゃなかったし」

「リーヴ・マクミランは?」

「他に保護してある」

「……閉じ込めてあるの間違いではなく?」

「薬でラリってるから危ないんだよ。フラフラ銃の的になりかねない」

「薬?」

「リーヴは『シュガー』の中毒者だ。たぶん他の子供達もそうだろうな」

「何てことを」ロイが吐き捨てる。

「たぶん探せば『シュガー』が大量に出てくるはずだ。……水に流されていなければの話だけど」

「探してみよう」

 子供達は全員保護され、店の者は一人を除いて全員検挙された。破壊された地下室はエドの手によって全て元に戻っている。

 外に出ると、ロイの配下ではない軍人が周りを固めていた。

 思わず身構える。パドル将軍の配下の者だろうか?

「大佐!」

 ロイの姿に気が付いたホークアイが駆け寄ってくる。

「ホークアイ中尉、外の状況は?」

 言い終わらないうちに背後の人間に気が付く。

「よう、ロイ、エド。ご苦労様」

「ヒューズ!」

「ヒューズ中佐?」

 いるはずのない人間がいて、二人は驚いた。

「なんでここに?」

「目的はお前と同じだ」

「同じ?」

「こっちもパドル将軍の足取りを密かに追っていたんだよ」

「じゃあ、誘拐事件の調査に中央が乗り出したのか?」

「違う。俺の方は麻薬の製造密売調査だ」

「……『シュガー』か」

「知っているのか?」

「鋼のが言っていた」

「エド。薬を見つけたのか?」

 ヒューズに聞かれてエドワードは首を振った。

「いや、見たのはほんのちょっとだ。だけど、誘拐された子供達の中に中毒患者がいる」

「子供に使ってたのか? ……なんてこった」

 ヒューズの顔に怒りの色が浮かぶ。

 子供がどんなめにあってきたかを知れば、ヒューズの怒りは更に増すだろう。

 ロイはまだすっきりしない。何故ヒューズがここにいる? あまりにタイミングが良すぎる。

「ヒューズ。どう言う事だ?」

「どうもこうも。……こっちは中央に出回っている『シュガー』の摘発中だった。何も知らない売人ばかりを掴まえても、製造元を絶たないと何もならないから密かに調べていたんだが、一年以上探って出てきた名前がパドルだったってわけよ。これが本当なら相当マズイっていうんで更に慎重に捜査してたんだが、どうやら俺だけじゃなくロイのところでもパドルを調査しているっていうのが分って、どういう事なのか聞こうと今朝東部に出向いたら、すれ違いで南部に行ったっていうじゃないか。大急ぎで中央から人を呼んだんだが、ギリギリのタイミングだったみたいだな」

 すると周りにいる軍人は南部の兵ではなく、ヒューズの部下か。安堵する。

「派手な爆発があったみたいだが、ロイがやったのか?」

「いや、鋼のだ」

「エド? 何をしたんだ?」

 ヒューズがエドに尋ねる。

「派手に合図しろって言われたから、密室で壁の石を粉塵に変えて火を付けた」

 二人は感心した。

「なるほど、炭塵爆発か。考えたもんだ」

「とりあえず怪我人は出なかった筈だ」と、エド。

「エドは今回大活躍だな」

「別に……」

 エドワードは自分の仕事が終わって一気に疲れていた。慣れない演技が堪えたらしい。

「……ヒューズ、助かったよ。これで一気にパドルを挙げられそうだ」

 ロイが笑顔を向ける。

 ヒューズも頷く。

「これだけ派手にやっちまえば、セントラルも揉み消せないだろうからな。麻薬製造だけではなく人身売買も手掛けるとは、悪党ここに極まれり……だな。だがあのおっさんの運もここまでか」

「ああ」

「犯罪組織もいっきに挙げられそうだな」

「……いや」

「ロイ?」

「幹部の一人は……捕まらないだろうな」

「一人? 誰か逃がしたのか?」

「ああ。目の前にいたのに逃げられた」

「珍しいな、お前が」

「……ミランダ・マクミランだった」

 ロイの言葉に驚くヒューズ。

「ミランダ? ……破壊の錬金術師、緋色のミランダかよ? あの女が犯罪組織にいたのか?」

「雰囲気は昔と違っていたが、あれは間違いなくマクミラン中佐だ」

「……変わっていた?」

「昔は殺伐としていたが、今は手負いの野獣みたいだった」

「どう違うんだよ……」

「……後で説明する」

 二人の間にエドが入る。

「なあ、大佐。オレもう帰っていいか? アルが待ってるんで」

 エドワードの仕事はこれ以上ない。手伝おうとすれば仕事はなくもないが、エドワードでなくてもいいだろう。それより待っているだろう弟の元に帰りたい。

「ああ、確かにアルフォンスのヤツ、かなり心配してたぞ。エドが囮捜査に協力しているって」

 朝アルフォンスに会ったヒューズが言う。

「だけど今帰ると夜になるぞ。こっちで一晩泊まって、明朝帰ったらどうだ? アルには電話を入れて」

「アルはきっと一晩中オレの心配してるよ。アイツ眠れないし。仕事がないんなら、帰りたいんだ」

「鋼の、帰っていいぞ」

 ロイが言う。確かにエドワードの仕事はもうない。ここに留めておく理由もないだろう。

「じゃあ帰るな」

 走り去って行くエドの背中をエドの背中を見て、ロイは「しまった」と呟く。

(鋼のに催淫剤を盛られた事を伝え忘れた)

 ロイはどうしようかと迷う。今はまだ大丈夫だが、薬は夜に効いてくるとミランダは言っていた。

 そういった薬に免疫がないエドワードは一体どうなる? ……たぶん物凄くマズイことになるだろう。エドが弟の所に帰るころに薬は効きはじめる。

(非常にマズイかもしれない)

 薬が回れば思考能力が衰えて、いつ自制心が崩壊するか分らない。エドはロイと散々情を交わしている。そしてエドは弟に恋している。ロイと弟を間違える可能性もある。状況はどう転ぶか判らない。危険だ。

 ロイはエドを追い掛けるべきなのだろうが、責任者のロイがここを外すわけにはいかない。

「どうした、ロイ?」

 思案顔のロイにヒューズが聞く。

「……鋼のに聞き忘れた」

「何を?」

「鋼のがお尻に指を入れられたらしいんだが、大丈夫だったのかな?」

 ヒューズは足を下水の蓋に引っ掛けて、転んだ。









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