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『シュガー』

 砂糖の名前を持つそれは、南方地方に咲く砂糖花から作られるドラッグの一種だ。砂糖花からは名前通り、砂糖が採取できる。

 砂糖花の果実は水分と糖分をたっぷり含んでいて、煮詰めて水分を飛ばすと結晶と白い糖が残り、これが砂糖の元になる。サトウキビのように一般的でないのは、実を砂糖に精製する段階でドラッグが生まれてしまうからだ。結晶は摂取すれば精神の高揚と酩酊を促し、倦怠と幻覚を見せる。常用すれば心身が犯されやがて中毒になって死ぬと言われ、栽培禁止になった植物だ。

 どうやら犯罪組織のしている事は、人身売買だけではないらしい。

「セト。……余計なお世話。俺は別にいつ死んだっていいし。……心が壊れるなら、それでもいいよ。……きっとその方が楽だ」

 ネコと呼ばれた少年が部屋の中から返事をする。

 部屋が暗くて中の様子が分らない。

『シュガー』は少々なら吸っても中毒にはならないが、今幻覚に襲われるわけにはいかない。ドラッグ類の摂取はなるべく避けなければ。

「ネコ。そんなんじゃ部屋には入れない。新入りがドラッグで倒れたりしたら、俺がおかみさんに殺されるよ」

 セトの言葉に、ネコと呼ばれる少年がのそのそと部屋から出てくる。

 痩せた子供の姿が見えた。

 暗がりに浮かぶネコのような吊り上がった瞳。

 この顔は写真で見た。

(ビンゴだ)

 エドは思わず口笛を吹きそうになった。こんなに早く見つかるなんて。

 干したトウモロコシの頭のようなくすんだ金髪。ネコのような瞳。白い肌に散ったソバカス。

 リーヴ・マクミランだった。

 写真で見たのとはまるで別人のような生気のない印象だが、間違いなくリーヴ少年だった。エドより一つ下だが、エドよりも背が高いのがムカツク。

 こんなに早く見つかるとは思わなかったが、これなら仕事は早く済みそうだった。

 リーヴとエドの目があった。

 軽く驚かれる。エドの引き攣った左半分を見ている。

「酷い怪我だな。……事故か何か?」

 リーヴがエドの顔を見て、率直に尋ねる。

 エドは黙って頷く。

 早く二人きりになりたい。

「ネコ。こいつは喋れないんだって。名前はドール。今日から店出しだなんだ」

「今日から? 随分性急だな」

「俺もそう思うけど、一日伸びたところで大して変わりはないさ」

「そうだな」

 リーヴの視線はエドの手足にあった。

「それ、機械鎧?」

 エドはただ頷く。

「へえ。機械鎧か。子供でつけているのは初めて見る。機械鎧ってつけるのがすごく痛いって聞くけど?」

 エド、こっくり。

「機械鎧の男娼なんて目立つだろうに。こんなに傷だらけで売り物になるのか?」

「それを心配するのはおかみさんの役目だ。俺達はただコイツがここに慣れるまでそれとなくフォローするだけだ」

「そうだな」

 リーヴはまだエドと話したがっていたが、エドを休ませなければならないと言う事で、渋々引き下がった。

「『シュガー』はほどほどにな」

 セトがネコの背中に言う。セトはどうやら子供達のお兄さん役らしい。子供というより青年という雰囲気に変わりつつある年代だ。ここにいる月日が長いのだろうか?

 優しい眼差しがどこか弟を思わせて、エドは胸が痛くなる。こんな青年までが客を取らされているのか。早く開放してやりたい。

 リーヴの身体も心配だ。リーヴはどうやら『シュガー』の中毒者だ。

 組織は薬で子供を縛っているのかもしれない。

 外に出れば『シュガー』は手に入らない。薬欲しさにここで客を取る生活をしているのだとしたら、厄介だ。薬物中毒はすぐには直らない。『シュガー』の供給が絶たれた後の薬を抜くリハビリは大変だろう。

 ドラッグ欲しさに犯罪に走る人間は沢山いる。解放されたリーヴがそうならないという保証はない。

 しかもドラッグ患者では、裁判での証言能力の欠如が問われる。

 どうしたものかとエドは考えるが、とりあえず自分のやるべき事を優先する。後の事は大佐達の仕事だ。エドの仕事は子供の保護と合図することだけだ。

 考えろ、考えろ。どうしたらいい?

 夜になると客が入ってくる。突入はその前の方がいい。人ごみにまぎれて敵が逃げる可能性もあるから、明るいうちの方がいいだろう。だとすれば事を起こすのは陽が沈む前だ。

 エドは立ち上がって部屋を見回す。狭い部屋だが、ただ寝る事が目的の部屋ならこんなものか。

 トイレとシャワー、クローゼットに鏡と椅子とベッドが全ての暗い部屋。天井が低くて息が詰まる。こんな場所で子供が閉じ込められて、客を取らされる生活しているのか。

 ドラッグに逃げたくなるわけだ。

 陽の射さない部屋にいると昼夜の区別がつかない。ここにいると徐々に腐っていくような気持ちになる。

 こんな場所、無くなってしまえばいい。

 壊してやる。何もかも。

 部屋を調べて盗聴器やら秘密の抜け道やらを探したが、それらしき物はない。どうせ逃げられないとたかをくくっているのか。隣はドラッグ中毒者だし。

 逃げ出そうとする子供は少ないのかもしれない。ここは生き腐れる為の場所だ。一度腐り始めたらもう抜けだせない。

 悪意ある闇。エドはまとわりつく闇を振り払うように前方を見据える。

 潜入は終わった。ここからはエディ・グレイではなく、エドワード・エルリックとしてやらせてもらう。

 パン、と錬成して、壁にドアを作る。隣の部屋に出入りする所は見られたくないので、強行手段だ。もうじき陽が暮れる。

 いきなり出来たドアから人が入って来れば、誰だって驚く。

 ドラッグに酩酊していたネコこと、リーヴ・マクミランは、自分が目にしたものがドラッグによる幻覚なのかそうではないのか判断がつきかねて、どちらだろうかとぼんやりエドを見詰めた。

「よう、リーヴ。助けにきたぜ」

 口がきけないはずの少年が、強い眼差しでリーヴを見た。

 やはり幻覚かとリーヴは興味をなくす。本名は半年前に攫われた時に捨てさせられた。それ以来リーヴを名で呼んでくれる人間はいなくなった。ここではただの『ネコ』だ。ネコの瞳に目付きが似ている、ただそれだけが名前の由来だ。

 心はとうに捨てた。でないと気が狂いそうだった。もう狂っているのかもしれない。自分にこんな悪夢が訪れようとは夢にも思わなかった。だが悪夢はずっと覚めないままだ。

 渡されたドラッグに早々に逃げた。薬を嗅いでいる間だけは苦しい事を忘れられた。そのうちどうでもよくなった。

 自分はたぶん地獄に堕ちたのだ。だから毎日がこんなに辛い。地獄にいる悪魔は人の形をしていた。だが中身は人ではない。人間ならこんなことはしない。神様が許さない。だから大人の姿をした者はみんな悪魔だ。逃げようとした子供は悪魔に酷い殺され方をした。それ以来逃げようとする子供はいない。死んだ方がマシだと思うのに死ぬのは恐かった。

 何も考えたくなかった。言われた通りにすれば苦痛は減った。苦しみたくない。その意識だけがリーヴの中に浮かんで、甘い臭気の闇の中で眠っていた。

 なのに、入って来た子供のせいで、『シュガー』が薄れている。

 やめて。頭の中の霧を消さないで。

「うわー、この部屋は駄目だ。煙りだけらけでこっちの身体がやられちまう。おいオマエ、こっちの部屋に来い」

 こいつは確かドールという名前だっけ。さっきセトが案内してきた。

 あれ? それも幻覚か? どっちだ?

 幻覚ではドールは口がきけないはずだったが。

「おい、薬でラリっている場合じゃないぞ。時間がないんだ。さっさと来い」

 幻覚は強引な力で、リーヴを無理矢理隣の部屋に引きずり込んだ。これも夢か? だったら随分リアルだが。

 子供が両手を合わせて何かすると、瞬間光が走って、ドアが消えた。今日の幻覚は多様で面白い 。

「たらたらしてんなよ、リーヴ・マクミラン。助けに来たんだ。オレはドラッグが見せた幻でも、この館の罠でもない。名前はエドワード・エルリック。錬金術師だ」

「……錬金術師?」

 ぼんやりと返す。錬金術師って何だっけ?

 ……ああ、あの錬金術ね。手品みたいに不思議なことができるんだっけ。

 その錬金術師が何故自分の目の前にいるだろう? 今日の幻覚はいつもとは違う。

「おい、しっかりしろ。ここから出られるんだよ。助かりたくはないのか?」

 助かる? 助かるってなんだ? 苦しくないって事か?

 でも地獄からは逃げられない。

「自分の家に帰れるんだ。しゃんとして、起きやがれっ!」

 目をキリリと吊り上げてこっちを見ている子供はとても異質に見えた。

 金色の髪と瞳がキラキラと輝き、この地獄の場所には相応しくない。この子供は間違って入って来た天使だろうか? それとも幻?

「……誰?」

「さっき言ったろ。エドワード・エルリックだ。助けにきたんだ」

 リーヴはゆるゆると首を振った。

「無理だよ。………ここは……地獄だもの。助けは…………来ない」

「大丈夫だ。軍がそこまで来ている。もうここから出られるんだよ。全員」

「出られる?」

 この地獄の場所から? 陽の射す地上に出られる?

 ……嘘だ。

「ぐずぐずするなよ。オレの仕事はお前を守る事だ。軍が乗り込んでくれば銃撃戦になるからな。まきぞえで死ぬかもしれないから、そうならないようにオレがお前を守ってやる。この部屋から出なければ大丈夫だから。……っとその前に確認だ。お前、リーヴ・マクミランだな?」

「その名前は半年前になくなった……」

 そんな名前はとっくにない。

「おっしゃっ! ビンゴ!」

 幻の子供はリーヴの言う事など聞いていないようで、ひたすら元気だ。

「じゃあ早速だが、打ち合わせだ。……っとその前に」

 子供がパンと手を叩き、床に手をついた。

 ピシッという音、再び部屋が光る。

 リーヴは流石にポカンとなった。

 部屋の壁が石に変わったのだ。何で?

 触った壁は冷たい手触り。幻じゃない?

「ええっ?……」

「爆弾なんか使われたらたまらないからな。壊されないように、石材とコンクリートを元の岩に変えた。入口も塞いでおく。周りが多少騒がしくても気にするな。全部終わったらここから出してやるから。ラリっていても大丈夫だぞ。とにかく大人しくしていろ。…な?」

 子供は言いたい事だけ言うと、一人でさっさと部屋を出て行こうとしている。

「ま、待って……」

「なあに、心配するな。一時間くらいで終わるから」

 金色の子供が振り向いてニヤリと笑う。顔の半分が変型しているのに、痛々しさも感じさせない強い笑みだった。

 それ以上何も言えずにいると、子供は消え、ある筈のドアが無くなり、リーヴは一人残された。

 部屋は四方が石になっている。

「えー?」

 訳の分らないリーヴはポカンとしたまま、ベッドの上でただ惚けていた。

 今のは全て幻覚だろうか? だがこの壁の感触は幻には思えない。それにドアは一体どこにいってしまったのだ? 自分はとうとう本当に狂ってしまったのだろうか?

 トイレはどうするんだろうと、バスルームの入口までふさがれた現状に少しだけ困った。







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