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 イシュヴァールの虐殺は関わった者にはまだ記憶に新しい。

 エドワードの言う通り、抵抗しないできない者まで屠ってきた。それが命令だったからだ。

 軍人は人ではなく命じる者の銃と同じだ。命じられるから撃つ。銃に意志は必要無い。意志があれば心が壊れる。軍人が撃っているのは自分と同じ人なのだ。

 軍に正義はなかった。イシュヴァール人は己の土地で大人しく暮らしていた。錬金術を否定する人間など何処の土地にもいる。イシュヴァール人だけがあそこまで弾圧される理由はない。非は軍の方にもあった。

 だがそれを認めてしまえば、残るのは女子供を皆殺しにした悪魔という汚名だけだ。そうならない為に、軍は常に己を正当化する言い訳をいくつも用意していた。

 エドワードの言う通り、大義名分など後からいくらでも付けられる軍が、誘拐事件にここまで慎重になっているのには理由がありそうだ。

 そう思い付いてフュリーやブレダがロイを見る。

 ロイ・マスタングは苦い顔をしていた。

「鋼の。キミは大人を追い詰め過ぎる。聡明なのも考えものだな」

 ロイはエドワードの言葉を肯定していた。と言う事は、部下の知らない何かをロイは知って隠していた事になる。

「大佐? ……何かあるんですか?そこまで慎重にしなければいけない理由が?」

 ファルマンが聞いた。

「ホークアイ中尉は御存じなんですか?」

 有能な副官ならば知っているだろうと、ハボックが聞く。

「大佐」

 ホークアイが上司に許可を求めるように見る。

「大方誘拐事件に軍のお偉いさんが関わっているんだろ? だから誘拐事件はなかなか表沙汰にならなかった。そして捜査は進展しない。ロイ・マスタング大佐としては慎重にならざるを得ないというわけだ。違うか?」

「え?」

 エドワードの言葉に皆が驚く。まさかという空気が動揺となって漂う。

「エドワード君。それは飛躍しすぎじゃないのか?」

「本当なんですか? 大佐」

「信じられない」

「なんでそんな……」

 皆に見つめられてロイは鋭い眼光を正面に向けた。

 腹を括る。エドを計画に入れた時から遅かれ早かれ真実は暴かれるだろうと思っていたが、こんなにあっさり見破られるとは計算外だった。

 だがこれで腹が括れる。

「正解だ、鋼の。……いいか、皆よく聞け。これから話す事は絶対に外に洩らしてはいけない極秘事項だ。今回の事件は鋼のの言う通りだ。……軍の上層部の人間が関わっている」

 ロイの言葉に皆の呼吸が一瞬停まる。

 想像もしていなかった。子供をターゲットにするなど人道的に許せないと憤っていただけに、仲間の所行だと知って部屋に動揺が走る。しかも上層部? 犯罪は軍の仕業だというのか?

「ど、どういう事なんですか、大佐? これは軍の狂言なんですか? それとも組織ぐるみの犯罪なんですか? 我々は犯罪の片棒を担がされているのですか?」

 小心なフュリーがどうしていいか分らずに上官を仰ぐ。

「それは違うわ。フェリー曹長」

 ホークアイが沈痛な面持ちでフェリーの言葉を否定する。

「それじゃあ……」

「いいかげん全部吐き出せよ。でなきゃ協力はしない。こんな薄汚い事の片棒を担がされるのも、隠蔽工作を手伝わされるのもまっぴらゴメンだ。いざとなったらアンタら誘拐事件ごとなかった事として処理する気だろ」

 エドワードは怒ったように言う。

「どうしてそう思う、鋼の?」

「事実を知るのが大佐とホークアイ中尉だけだからだ。他の部下には知らせていない。事実を知る者は少ない程揉み消すには都合がいい」

 陰鬱な声でロイは言った。

「本当にキミは頭が切れる。だがそれを表に出しすぎるとロクな事にはならない」

「だから目をつぶり大佐のように隠せって? ……そこまで汚くは生きられないな。これがオレだ」

「子供の純粋さは稚拙と同議語だ。自慢にはならなぞ、鋼の。もっと大人になりたまえ」

「余計なお世話だ」

 空気が不穏になる。割り切れず拭い切れない沈黙を含んだ空気が足元に沈澱していく。

 皆はロイの説明を待った。

 ロイ・マスタングの部下は上官に全面的な信頼を置いている。たとえ汚い仕事でもやれと命じられればそうするだろう。だがそれには真実を知らなければならない。騙されて使われるのは納得がいかない。

 ただ黙って道具のように使われるのはゴメンだと、エドワードは言っている。誰もがエドと同意見だった。

「大佐、説明して下さい。そうでなければ兄さんには協力させません。大佐が兄さんを裏切らないという保証がなければボクは大佐に逆らってでも兄さんを止めます」

 アルフォンスの決意に満ちた声が部屋に響く。

 幼いからこそそこには何の濁りもない。

 たった一人の家族になにをさせるのかと、アルフォンスの真摯さが皆の心に刺さった。

 ロイが口を開く。

「鋼のの言う通り、この誘拐事件には軍の上の方が関わっている。だがそれは個人的なものであって、軍全体の意志でも上層部の命令でもない」

「というと?」とエド。

「私の調べた所、南方指令部のパドル将軍が犯罪組織と繋がっているらしい。かくたる証拠はないが、ほぼ黒だろう」

 将軍と聞いて動揺が走る。階級に重きをおかないエルリック兄弟はともかく、軍の支配体制が制服を通して心まで染み付いた軍人にとって、上官の命令は絶対だった。ましてや将軍となれば雲の上の存在だ。いずれ上を全て押し退けようとしているロイはともかく、部下が動揺するのは仕方がない事だった。

「パドル将軍? それが今回の黒幕か? それで大佐が慎重になっているってわけだ。オマケに極秘裏に事体を片付けて、軍のお偉いさんが関わっていた事を揉み消す予定だったんだな」

「揉み消すのは私ではない。きっとそうなるだろうと予測しているだけだ。上層部は醜聞を嫌うからな。軍がこんなスキャンダルを外に洩らすわけがない」

「その将軍が事件に関わっているという根拠は?」

「パドル将軍は元々グラン准将の上官だった。グラン准将はパドル将軍の雛型だ。彼らは非情という枠組みの中では同類だ。彼の人は軍の為という大義名分の元、兵器開発の責任者として人体実験まがいの事もしていた。対象が一般市民ならともかく死刑囚などだったから、事実を知る者は公然の秘密だと皆黙殺した。だがイシュヴァール殲滅が終わり、軍事兵器の開発が縮小されると、パドル将軍の仕事はグラン准将に引き継がれた。だが将軍は人を使った兵器開発を諦められなかった。自分の仕事を他人に奪われる事が我慢ならない男だ。秘密裏に人を攫い、人体実験を続けていた」

「あのグラン准将の上官かよ。揃ってろくなもんじゃないな。それと子供の誘拐とどう繋がるんだ? 実験動物として攫われたのなら、娼館などにはいないはずだ」

 言いながら自分の言葉で不快になり、エドワードの気分が悪くなる。人体実験と娼館。どちらがマシかと聞かれればどちらとも言えない。

 身体を切り刻まれない分、娼館の方がマシかと思えるが、心を刻まれる生活に生存意義があるだろうか?

「開発や実験には巨額の金がかかる。それまでは軍の潤沢な資金を遣い放題だったが、将軍個人ではどうにもならない。軍の金に手をつければ、己がしている事が露見する。だから犯罪組織と手を組んだ」

「犯罪組織と? 正気か? バレればただじゃ済まないだろうに。軍人が犯罪者と組んで上手くいく訳がない」

「ところが犯罪組織の黒幕だろうと思われるキャゼリーヌ家は、表向きは地元の名士で慈善事業家としても名高い名門だ。しかも将軍の妻の実家ときている。万が一実験がバレても、資金は妻の実家の援助と逃げられる。人体実験が分かっても軍が今まで散々してきことだ。被害者が犯罪者のみなら内部で揉み消されるだろう」

「胸糞悪りい」

「犯罪組織と目されるキャゼリーヌ家は人身売買を行い裏の資金を増やしている。将軍はその隠蔽を行っているんだ。将軍は人身売買には加担していない。そちらはキャゼリーヌ家だけの犯罪だ。将軍が実験に使うのは収容された犯罪者のみだから、事が露見しても犯罪組織とは繋がらない。組織が攫ってきた子供は道具として売られ、将軍は関知していない」

「そして行方不明者を捜査するのはその将軍の配下で、揉み消しと誤魔化しはどうにでもなる。捜査する者と犯罪者が同じなら事を運ぶのは楽だよなあ。上手くできている」

 エドワードが吐き捨てた。

「だから調査するにも信頼できる者を使って慎重にやってきたんだ。こちらの動きを将軍に悟られては潰されるからな。そしてようやく攫われた子供らしい人物を見つけだした。だが子供は捜査員を信じない。子供の心には大人に対する不信感が植え付けられている。だから潜入捜査には鋼のが必要なんだ」

「上に報告したりむやみに軍を動かすと、情報がダダ漏れってことか。下手をすれば子供達ごと抹殺して証拠隠滅か」

「最悪な事にその可能性大だ」

「中央に相談して、上層部だけでパドル将軍を拘束できないんですか?」と、フュリー。

「それは難しいだろう」

「何故ですか?」

「それじゃあ犯罪組織にバレてもバレなくても、結果が同じだからさ。そうだろ、大佐?」

 エドワードが辛辣に言い放った。

 フュリーにはどういう事なのか分らない。

「どういう事ですか?」

「事が中央に洩れれば上層部は事を隠蔽するだろう。軍の一将軍が人身売買組織と繋がって人身売買と人体実験なんて、聞こえが悪すぎる。軍は強引な突入を決行して、被害者ごと口封じをするかもしれない。それが一番楽な処理方法だからだ」

「まさか……」

「イシュヴァールに比べたら被害は少ない。……そう考えるのがお偉いさんの汚い思惑だ。大佐はそう思っているから事を自分の手元で止めているんだろ? 上層部が事実を知って揉み消しにかかる前に、証拠を掴み将軍を挙げて、犯罪組織を潰すつもりなんだ。……違うか?」

「正解だ。鋼の」

 ロイの言葉に皆が押し黙る。

 軍が醜聞を隠す為に被害者ごと消し去るかもしれないと聞いて、平静ではいられない。そんな事は起こらないと言い切れないのが軍だ。現に上官のロイはそう考えている。

 被害者が子供だからといって躊躇するような上層部ではない。必要なら赤ん坊でも殺せと命じられる。非情というより他者に対して無神経なのだ。価値基準は軍であり一般市民はその下に位置している。

「大佐……」

 どうしていいか分らずに部下は上官を見た。決定を下すのはロイだ。彼がどんな決断をしようと命令には従うと、皆決めている。

 ロイは言い放った。

「私の決断は変わらない。鋼のに潜入してもらい、子供と接触。本人と確認後、突入して全員を挙げる。将軍の邪魔が入らないように、中央に呼ばれている今がチャンスだ。行動は迅速かつ慎重に。鋼の侵入は四日後だ」

「了解!」

 ロイの命令に皆が一斉に敬礼する。

「四日か。……準備には早くないか? それまでに用意できるのか?」

 エドが聞く。

「四日でも長いくらいだ。こちらで動いている事が分れば証拠は隠滅される。四日がギリギリなんだ。実際には兵隊を分散して南部に送り込む。でないと怪しまれるからな」

「分かった。四日後だな」

 エドは了承した。

「兄さん。大丈夫?」

 アルが心配でたまらないといった声で聞く。

「心配すんな、アル。パッと入ってさっさとガキを見つけて大佐に合図するさ。それでオレの仕事は終わる。たった一日の辛抱だ。オマエはこっちで待っていろ」

「ボクも行きたい」

「駄目だ。オマエは目立ち過ぎる」

 エドワードの言葉に落胆するアルだった。エドワードの言う事は一々もっともで、アルフォンスは兄の言う事を聞かざるをえない。だけれど自分の手の届かない場所でエドが危険な潜入を試みるかと思うと、胸が潰れそうな気がする。

 側にいれば一緒に戦えるのにと、アルは己の身体を恨めしく思う。

「鋼のには詳しい説明を今晩するから、九時を過ぎたら私の宿舎に来い。場所は分かっているだろう?」

「大佐が時間外の仕事とは珍しいな。こっちじゃ駄目なのか?」

「ここにいると仕事が途切れん。キリのいい所で切り上げて鋼のの仕事を最後にする」

「分かった。……じゃあ九時に」

 エドワードは短く言うと、後は用はないとばかりに立ち上がった。

「エドワード君たちはこれからどうするの?」

 ホークアイが出て行く二人に声を掛ける。

「オレ達は六時までは図書館にいる。前の町で錬金術書らしきものを見つけたんで解読しておきたんだ。その後は宿舎で待機している」

「分かったわ。何かあったら呼び出すから」

「了解」

 エドは後ろ手を振って執務室を後にした。







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