05
部屋が一瞬静かになる。
エドは返答に困った。
アルフォンスほど純粋培養にできていないエドワードは、汚らしい大人の性癖を知っている。男だろうが子供であればと誰でも構わないという獣のような人間はいるのだ。男の子専門の変態もいる。考えたくないが、ローティーンの子供が売られた先というのはそういう所なのだろう。
エドワードは弟にそういう人間の心理や所行を説明したくない。弟にはなるべくイヤな思いをさせたくないのだ。
「もし兄さんが女の子だったなら話は分るけど、男の兄さんが潜入捜査は無理じゃないの?」
「いや……アルフォンス君。……世の中には男の子の方がいいっていう変態もいてね……」
ハボックが言葉尻を濁す。幼い子供に『赤ちゃんはどうやってお母さんのお腹に入るの?』と相談されている気分だった。
アルフォンスは十歳で肉体を失った。当然精通もまだだし、側にいた女性は母親と幼馴染みとその祖母だという。女性の神秘に興味を抱く前に錬金術にのめり込んで、興味は全部そっちに行ってしまっている。一番大好きなのは兄だと言って憚らない純粋培養の少年に、汚い大人の事情は説明しにくい。
「男の子? ……女の人と……その、男の人がどういう事をするのかは文献なんかで知っています。性教育も一応基礎は授業でやりましたし本でも読みました。でも男では……相手にならないでしょう? だって女の人のように膣も胸も無いんですから」
正論を言われて大人達は何とも言えない顔になる。
「あの……アルフォンス君。男でもできるんだよ?」
言わなきゃ墓穴は掘らないで済むのに、フュリーが言う。
「どうやって? 何処にどうするんですか?」
単純な疑問を大人達は応えようがない。アルフォンスの疑問は明解だ。
だが明確でも大人達は隠しておきたいのだ。声に出して言いたくないと思う。誰が純粋な少年相手に同性のセックスなど説明したいものか。
アルフォンスは肉体を持たないからこそ何の欲求もなく、今までそういった世俗の毒とは無縁でいられた。兄は注意深くアルフォンスにそういった事柄を見せないようにしていたし、故にアルは異性に仄かな憧れと憧憬だけを抱いて純粋なままなのだ。
弟に余計な事を言うなと、エドが気まずい大人達を睨む。
「別に一生知らずとも支障はない。だからキミが知る必要はない」
ロイは極めてそっけなく言った。
「だけど兄さんが潜入するんですよ? どういう場所なのか知っておきたいんです。兄さんが売り物にならなかったら捜査自体が成り立ちませんし」
売り物って…。お兄ちゃんをモノ扱いしないでくれとエドはヘコむ。
ロイはニヤリと笑った。
「鋼のは売れるだろうさ。それなりの値段でな。機械鎧の男娼なんて滅多にいない珍品だ。珍しいモノを好む変態は多い。金髪、トパーズの瞳。白い肌。健康な肢体。オマケに小さいのもポイントだな。年令を十二と偽ってもバレないだろう。幼いほど長く使える」
「今さりげなく小さいって言わなかったか?」
セリに出される牛のように品定めされても、怒るポイントは変わらず身長のエドだった。
「幼いほど使えるって……どうやって使うんですか? 労働力なら育った者の方がいいでしょうに?」
アルはロイの言っていることがさっぱり理解できない。
「性の対象を成人女性に求められない男もいる。だがそれは少数派で、しかも世間にバレればつまはじきにされるのが分かっているので、そういった者達は皆自分の性癖をひた隠しにしている。だからそういった人間達に目をつけ娼館を作ったのが犯罪組織だ。自分の欲が満たされるのなら、金に糸目をつけない人間は多い。戦争で親を無くした子供、各地から攫ってきた子供を使っておぞましい魔窟を作った。需要があるからそういう場所が成り立つ。忌々しい限りだ」
「性の対象を大人の女の人じゃない? ……それじゃあ変態じゃないか」
ようやく分かったのかと、大人達は肩を落とす。
幸い兄の方は世間の有り様を分かっているようで、ロイの説明に苦い顔だ。
「駄目だよ、兄さんがそんな変態の餌食になるなんて」
「餌食になんかなるものか。そうなる前に事を終わらすさ。いざとなったら変態親父ごとノックアウトだ。子供を買おうなんて変態なんぞ、二度と使い物にならないようにしてやる」
「兄さんがそんな変態に目を付けられるってだけでボクはイヤだよ」
「オレだってやりたくないが、オレしかできないならやるしかないだろ。これ以上被害者を増やしたくない」
「兄さん……」
アルはショックから立ち直れない。子供を性の対象にするなど、何処か遠い世界の事だと思っていた。だがそれが身近にあり、兄がそこに行くという。
ついて行く事が許されない自分はどうしたらいいのだろう? エドワードは強いが多勢に無勢という言葉もあるし、大掛かりな組織なら警備も厳重だろう。
「兄さんは綺麗だからきっと沢山の変態の目を引いちゃうよ。そうなったらどうするの? きっとこっそり行動なんてできないよ?」
綺麗というのは別にしても、アルフォンスのいう事には一理あると大人はハッとした。
エドワードは目立つ。際立った容姿。そして極め付けは機械鎧。集団には埋没できないだろう。
「そうか。そういう心配があったな」
ロイは思案した。ならば逆に更に目立つようにしてしまったらどうだろう?
「鋼の顔に傷を付けたらどうだろうか?」
「それでエドの顔を隠すんですか?」とハボック。
「いや。隠すのではなく目立たせるのだ。手足の機械鎧に加えて顔半分を覆う醜い傷跡。それなら簡単な錬成で作れるし、誰もそんなものを人工的につくったなんて思わないだろう。エドには簡単には客がつかないからその分自由がきく」
「顔に傷をつける? 何の為に? そんなんじゃ本当に売り物にならなくなっちまうんじゃ……」
「いや。中には傷だらけの子供に倒錯的な嗜好を求める変質者もいるだろうから、それは大丈夫だ。心配なのは鋼の言動だ。いつもの乱暴な口調では具合が悪い。いっそ口がきけないという設定で、喋らせない方がいいかもしれないな」
「オレに演技力がないと言いたいのか?」とエド。
「ならば『小さい』『豆』『チビ』と言われてキレないでいられるか?」
言い終わらないうちにエドがキーッとボルテージを上げるのを見て、ロイはやっぱりと諦める。エドワードの体型コンプレックスは相当で、己を抑えるという事ができない。いっそ錬成で口も縫ってしまおうかと乱暴な事を考える。
「兄さん。いい加減自分を抑える事を覚えようよ」
「アル。オレは豆じゃない!」
「いいじゃない豆でも可愛くて。ボク可愛いもの大好きだし」
「オレは好きじゃない! さりげなく兄を豆よばわりするな!」
「なら毎日牛乳を飲もうよ。きっと背が伸びるよ」
「アル。それは嫌がらせか?」
「何を言っているの? 兄さんの為でしょ?」
エドは溜息を吐いた。
「大佐の提案だが、傷だらけにして本当に売り物になるのか? 変装なんて、してもしなくてもどっちでもオレは構わないけど」
「さっきも言ったように傷だらけで言葉に不自由という事もプラスに働く要素がある。行動もしやすい。口がきけないなら、不審な行動を咎められても言い訳はせずにすむ」
「まあそういう事なら確かに。口がきけない設定なら余計な詮索はされずに済む。顔につける傷は簡単な錬成で大丈夫だし」
「ならそいういう事でオッケーだな」
「何だかボクは不安だ。兄さんが口をきけない演技なんてできるのかな?」
アルはエドの潜入捜査に反対なので、エドの楽観が心配でならない。
アルは抗議する。
「潜入捜査だっていうなら何も売られる側じゃなくったっていいじゃないか。大人が客として中に入って子供に接触すればいいだけの話だ。何も兄さんがわざわざ危険な潜入をする事はないよ」
もっともな提案に頷きかけたエドワードだが、ロイはそれは不可能だと却下した。
「どうしてですか?」
「店側もかなり警戒していてな。子供に決して自分の事を話さないように言い含めてある。情報漏洩にはかなり慎重だ。自分の出身や名前を明かしたら子供は酷い虐待を受けるらしい」
「だからって……」
「噂では時々子供を試すという事だ。客を装った店の手の者が、助けに来たと偽って子供に逃げる手引きをする。勿論それはヤラセなので、子供は逃げるどころか後で相当の折檻を受けるという事だ。子供達はそうした仲間の末路を知っているから、客で入ってきた大人を信用しない。逆に正体を洩らされて捜査員が危ない」
「ひでえ……」
狡猾な大人達のやり口に、エドは持って行き場のない怒りを滾らせた。
世の中にはどうにもならない事が多すぎる。どうにもならないのではない。誰もどうにもしないのだ。自分が直接被害を被らなければ、他人事として黙殺される。世界は限り無く黒に近くて、白く生きようとする人間を許さない。無力さは弁明にはならない。強くなければ生きてはいけないのがこの世界だ。弱者が悪なのだ。だが分かっていても割り切れない。
「そこまで分かっていて放置しているのか?」
エドの噛み締めた歯の間から漏れる声にロイは応えた。
「放置ではない。……だが手を出しかねているのは事実だ。下手をすれば子供が口封じされて、犯罪組織は難を逃れ地下に潜る。捕まるのは一部トカゲの尻尾切りにされる雑魚だろう。それでは何にもならない。今まで潜入捜査が出来なかったのは、中に潜る人間がいなかったからだ。鋼ののような、子供でかつ危なくなった時に自分で自分を守れる者がな。危険は承知だがやって欲しい」
エドはロイを睨む。
「やるさ。……だが軍が犯罪組織が逃げるかもしれないから手を出しかねていたというのは、嘘だな。何かあるんだろ? 軍が秘密裏に事を運びたい理由が」
「何故そう思う?」
エドは刃物を舐めるように言葉を出した。
「目的の為なら手段は選ばないのが軍のやり口だ。イシュヴァールがそのいい例だ。鎮圧の言葉を借りた、老若男女を問わない虐殺の決行。抵抗できない、その意志もない女子供を銃の的にした。反乱の鎮圧ならそこまでする筈がない。したかったのは鎮圧ではなく粛正だ」
「エドワード君、言い過ぎよ」
ホークアイが嗜める。
ロイは眉一つ動かさない。
空気が重い。軍人達は言い訳はしたいが言い訳はただの弁明であって、その場の取り繕いでしかない。エドの言う事は正しくて、子供特有の残酷さで弱い大人を斬りつける。
「責めているんじゃない。ただ取り繕うのは止めてくれ。オレは自分を正当化する気はないんだ。だが偽善者になるつもりもない。軍の狗になるって決めた時から蔑みや罵りは覚悟している。世の中が汚い事だらけだというのも知っている。だからオレにでっち上げた大義名分を押し付けるのは止めろ」
大人達は気まずい表情のままだ。
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