きみいない世界幸せだった






 03


「イギリス〜? あなたの心のコイビト、麗しのフランスお兄さんだよ」
 陽気な声を出しながらフランスはイギリスの家に入り、庭先で訝しんだ。
 イギリスの家はイギリスの精神状態に左右されるから、今ごろは幽霊屋敷のように陰鬱な空気に満ちているとおもいきや、普通の、否、普段より明るい空気で満ちていた。
 らしくない明るさにフランスは思いきり戸惑う。
 勝手に玄関から入り、イギリスを探す。
「ど、どうしたのかなー。イギリス、どこだ? 何があった? お兄さんが来たぞ。なんでこんなに家が明るいんだ? アメリカを完全に見限って吹っ切れたのか? わー、前向きすぎだそれ。それとも他に好きなヤツができたのか?」
 言ってゾッとするフランスだ。
 イギリス的にはその方がいいのだろうが、そんな事になったらアメリカがどう出るか分からない。
 アメリカはイギリスが好きだ。出会った時からイギリス一筋。独立してイギリスより大きくなっても、そんなのは当然の事だとばかりにイギリスを愛し続けた。
 愛というより最早執念。物心ついた時から200年以上イギリス一直線。数多の美女より辛気くさいエロ大使の英国紳士を欲していた。趣味が悪い。そうやって諦める事も余所見する事もなく、純愛&盲愛を貫いている。
 意地悪するのも独立したのも全ては愛ゆえ。イギリスを守れるくらいに大きくなるんだと、頑張って目標に向ってまっしぐら。イギリスを泣かそうと最後に笑わせればいいのだと過程を気にしない無神経さでもってイギリスを愛している。
 バカ丸出しで陽気な言動に惑わされがちだが、余計なオプションをとっばらえばあとに残るのはただのストーカー。自称世界No1の正義のヒーローで、その実単なる付きまとい変質者。
 相手に変質者と悟られない犯罪者がアメリカだ。ただの犯罪者ではない。世界一の、犯罪者だ。最悪。
 でもイギリスは気付かない。イギリスだけが気付かない。世界中が知っているのに気付いていない。アメリカがイギリス専用ストーカーだと。
 イギリス専用なので害が拡がらないので問題にされないだけ。当人のイギリスは頑にアメリカに嫌われていると思っていたので、まさかその逆だとは気付いていなかった。ある意味最強。心の引き蘢りなのでアメリカの執着心に気付かない。告白されるまでは。
 そんなアメリカだから、敵に回せばさすがのフランスも立場が悪い。……ので静かに見守っていた。
 二人がさっさとうまくいき、お兄さんにこれ以上迷惑を掛けませんように、と。




「イ、イギリス? 家にいるんだろ?」
 イギリスが家にいる事は玄関にいた妖精が教えてくれた。イギリスの家限定だがフランスにも妖精が見える。
 居間に入るとソファーにふんぞり返ったイギリスがいた。
「うるせえヒゲ野郎。聞こえてるぞ。うちに勝手に入ってくんな。一体何の用だ。世界会議は来月だろう。それまで顔を見せるんじゃねえ。フランスの臭いが家にうつるだろうが。死ね、俺の見えない所でくたばれ」
「相変わらず口が悪いね坊っちゃん」
 フランスはアレ? と戸惑って動揺した。何もかも予想と違いすぎた。今ごろイギリスは酒浸りになって引き蘢ったり暴れているのではなかったのか?
 アメリカに捨てられ痛手にうちのめされてボロボロになっているはずなのに、この陽気さは一体どうした事だ? クスリのやりすぎでネジが飛んだか?
「イギリス。……どうしたんだ?」
「それはこっちの台詞だ。今日は何の用だ。手土産も持たずにうちに来ようなんていい度胸だ。用がないならさっさと帰れ馬鹿野郎。お前が来ると家がワイン臭くなる」
 イギリスはソファにどっかりと座り込んでフランスを見上げている。その顔には焦燥も悲哀もない。
 普段ならそれでもいいのだが、アメリカに去られた現状でその態度はおかしすぎた。
「イギリス。……お前落ち込んでないのか?」
「なんで俺が落ち込まなけれりゃならねえんだ? 寝惚けてんのか?」
「いや……その。坊っちゃんが元気でいてくれて嬉しいよ」
「何キモイ事言ってんだヒゲ。何か企んでるのなら受けて立つぜ。何だか知らないが気分がいいんだ。なんか久々にすっきりしてる」
 ふふんと尊大に嗤うイギリスにフランスは訳がわかならなくなる。
「気分がすっきりしてるのか?」
「ああ。なんだか気分が良いんだ。こんなのは久しぶりだ。気分の良さに免じて殴るのは勘弁してやるからさっさと帰れクソヒゲ」
「ちょ、ちょっと待てイギリス。……ちゃんと土産は持ってきたぞ。ほれ」
 包みを開けたイギリスの瞳が輝いた。
「へえ。今日はワインじゃねえのか。ウイスキーとは気が利いてるじゃねえか。でもなんでワインじゃなくうちの酒なんだ?」
 日常では口にしない上等の酒のラベルを見てイギリスの声が弾む。
「たまには他の酒もいいだろ。貰い物なんだが、坊っちゃんと一緒に飲もうと思ってな」
 本当は悲哀に暮れるイギリスを酔い潰す為に持ち込んだのだ。ワインでは簡単に潰れてくれないので。
 しかしイギリスは予想に反して元気だった。元気すぎた。まるでアメリカに振られた事などなかったかのように。
 フランスは何があったのだろうかと探るようにイギリスを見た。
 部屋の中に透明な光が入り、視界はクリアだ。イギリスの家の中は常に陰鬱としている雰囲気なのに、この明るさはどうだ。まったくもってイギリスらしくない。明るいと違和感を感じるとはイギリスも可哀想なヤツだ。
 フランスは台所を借りてつまみを作る事にした。腹が膨れれば口も軽くなるだろう。アルコールの力を借りてイギリスに何があったのか喋らせるしかない。
 妖精に聞くという手もあるが、何故か妖精達はフランスが来てからイギリスの側を離れてしまった。仲違いしているわけではないらしいが、雰囲気がおかしい。一番おかしいのはイギリスの態度だが。
 ポテトをレンジで蒸して、アンチョビと和える。オイスターソースと白ワインを合わせてソースを作る。レタスとトマトの上にレンズ豆とコーンを乗せサラダにした。セロリや人参を棒状にカットし、オリーブオイルを温めてパーニャカウダに添える。
 いくつかイギリスが好む料理を作り、テーブルに並べる。酒が進むように味付けを濃くした。
 フランス自身は気に入らないがフランスの料理は好むイギリスは、案の定文句を言いつつ目を輝かせて遠慮なく料理に手を出す。
 フランスはイギリスに最初の一杯を作ってやり、皿が空になるのを待った。
 いくつかあたり触りない話題を振ってから「そういえば」とさりげなく話題を変える。
「……最近アメリカとはどうだ?」
「……どうって?」
「ヤツとは会ってるのか?」
「なんで俺がアメリカと会うんだ?」
 アルコールの入ったイギリスは会話を不信に思わない。
「なんでって……。アメリカはお前の家にちょくちょく遊びに来てるだろ。近いのにお兄さんの所には来ないから、どうしてるかなと思って」
「アメリカが俺の家に? そりゃ誤情報だ。アメリカは俺の家になんて来ないぞ。どっから聞いたんだぞれ」
「……は?」
「誰に騙されたんだ? アメリカは独立して俺の元を去ったヤツだ。かつては兄弟だった事もあるが、それも200年以上前の話だ。ヤツが入り浸っているのはもっぱら日本とかだろ。なに言ってんだフランス」
「え、ちょっと…」
 フランスは当然のように混乱した。
 イギリスは何を言ってる?
 イギリスこそ寝惚けているような発言だ。これではまるでアメリカと疎遠のようではないか。
 アメリカが暇さえあればイギリスの元に通い不味いメシを食べて、イギリスを独占しているのは周知の事実だ。喧嘩をしながらも二人の距離は着々と縮まっていた。
 イギリスは頑固でなかなか最後の一歩を踏み出せずにいたが、それも時間の問題だとフランスは踏んでいた。イギリスはアメリカへの見方を変え、アメリカに恋し始めていた。
 アメリカは疑心暗鬼の塊のイギリスの心に土足で踏み込んで居座って、追い出させない。力づくでイギリスを向かせようと必死だった。その甲斐あってイギリスはアメリカが家に来る事を当然のように受け止めていた。
 アメリカの粘り勝ち。
 嫌な予感にフランスは会話の続行を躊躇う。
「イギリス。……お前アメリカの事をどう思ってるんだ?」
「なんでそんな事を聞くんだ?」
「単なる好奇心さ。……アメリカもでっかくなっちまったしな。可愛い弟もああなっちまうともう可愛くなくなっちまったかと、イギリスお兄ちゃんがどう思っているのか聞きたいんだ」
「お兄ちゃんだなんてよせよ、気持ち悪い。独立した時からヤツは単なる他人だ。兄弟ごっこをした事もあったが、ヤツはカナダとは違う。アメリカは俺を兄だと思わないから独立したんだし、俺も恥をかかされてヤツへの未練はなくなった。なんで俺はあんなにアメリカの事が好きだったんだろう。若かったからな。昔は確かに可愛かったが、今は見る影もねえ。あんな性格良く無い男に成長しちまって、可愛いもなにもないだろ。カナダの半分でも可愛げが残ってれば可愛いと思えるかもしれないが、ああなっちまうとさっさと手が切れて良かったぜ。俺の手には負えない。ほんと生意気なクソガキだぜ。誰が守って育ててやったと思ってんだ。一人ででかくなったような顔しやがって。こんな事になると分かっていたら、手に入れた瞬間にさっさと潰しちまったのに。昔の俺は何を考えてたんだろうな」
 かつての大英帝国を思わせる凄みのある顔で舌打ちするイギリスに、フランスは出す言葉を失った。
 イギリスは冗談や嘘を言っていない。フランスをからかう時はもっと砕けた表情になる。今のイギリスは敵対する相手に対する酷薄さを纏っていた。
 アメリカには一度も向けなかった顔をなんで今さら見る事になったのか、フランスは戸惑うより恐ろしくなる。
 確実に何かあった。イギリスはアメリカを愛していない。
 その事実にフランスは戦慄した。
「イ……イギリス。ちょっと聞きたいんだが」
「おう?」
「3日前の事を憶えているか?」
「3日前? ……今日が18日だから15日か? 日曜だな。天気が良いから家で妖精達といたが」
「ずっとか?」
「ずっとだ。外には出てないからな。庭の手入れで休日が終っちまった。バラの手入れが大変だっていうのはお前も知ってるだろ。ヤツらは奇麗な分手が掛かるんだ。だが生意気な女ほど可愛いように、手が掛かった分、美しく咲いた花は見事だ。妖精達もうちの庭のバラが一番だって言う。自画自賛じゃねえぞ」
「お前……休日は妖精達以外は一人だったのか……」
「……俺に休日に招待する友達がいないと言いたいのか。喧嘩売ってんなら買うぜ」
 剣呑に瞳を光らせるイギリスにフランスは慌てて身体を引いた。
「被害妄想でお兄さんを殴るのは止めて。お前に友達がいないのなんて千年前から知ってるんだから、わざわざ確認したりしないって。……あ、ウソウソ。そんなに目を釣り上げたりしたらお前の可憐なお友達達が怖がるぞ。現に妖精達が近付いてこないじゃないか」
「ヒゲが来てるから遠慮してるんだろ。妖精達が嫌がるから酒飲んだらさっさと帰れ。できるなら酒置いて今すぐ帰れ。メシ作ったらお前にもう用はない」
「ひ、酷い。お兄さんは召使いやコックさんじゃないぞ。妖精達だってお兄さんの事はちゃんと歓迎してくれてるんだからな。お前の家にすんなり入れるのがその証拠だろ」
 イギリスは舌打ちした。
 イギリスの家にイギリスが望まない者は入れない。妖精達はちゃんと人を見ている。
「お兄さん、ちょっと妖精さん達とお話がしたいんだけど、いいかな」
「うちの可愛い妖精達に何の用だ。セクハラ目的ならドーバーに沈めるぞこら」
「なんでそんなに喧嘩越しなの坊っちゃん。普通にお喋りしたいだけなのに。下手な事をすれば恐ろしい報復を受けると分かってて悪戯するわけないだろ」
「それもそうか」
 イギリスはうっすらと笑う。
 愛らしい外見に似合わず妖精達はルールを犯す者に対して厳しい。人間の常識は妖精には通じない。彼らのルールを逸脱した者への報復は人間の比ではない。目玉を抉られたり異次元に放り込まれたり、報復は何倍にもなって返ってくるのだ。
「妖精と何話すつもりだ?」
「……知りたいの?」
「別に。ただお前が変な事を妖精に言わないか心配なだけだ」
「おかしな事は言わないさ。……というか、彼らの方が俺と話したいらしいぞ」
「え?」
「妖精達に聞いてみろよ。俺と話す気があるかどうか」
 イギリスは不機嫌そうな顔になったが妖精達を蔑ろにする気はないらしく、素直に宙に向って声をかける。フランスに向ける声とは違う親しみを込めた音色だ。
 何事か話した後、イギリスは増々不機嫌そうに、いや不可解そうな顔になった。
「……なんか知らんが、妖精達がフランスと話したい事があるそうだ。フランスだけに話したいなんて……くそっ、妖精が俺を仲間外れにするなんて……」
「別に仲間外れにしようっていうんじゃねえよ。つまらん勘違いする暇があったら酒でも飲んでノンビリしてろ。お前が何か疲れているんじゃないかって妖精達が心配してたぞ」
「俺は疲れてなんかいないぞ。むしろ絶好調だ」
 元気溌溂といった様子のイギリスをフランスは適当に誤魔化して、妖精と話をするべく庭に出た。







 04→


 novel top