きみいない世界幸せだった






 02


「イギリスと別れたぁ?」
 フランスは受話器の向こうに怒鳴った。
「別れるわけないだろ。二百年続いた初恋だぞ。諦められるくらいならとっくに諦めてるさ」
「でもイギリスにもう付き合えないって宣言したんだろ?」
「イギリスがぐずぐずと煮え切らないからだよ。俺にああいう風に言われればちょっとは焦って俺の事を意識するかと思って。荒療治だぞ」
「荒療治すぎだ。イギリスは絶対本気にしたぞ」
 フランスは心からイギリスに同情した。
 アメリカの本気を知っているから邪魔をせず傍観していたが、空気の読めないアメリカの恋愛駆け引きは最低だった。
「そんな風にイギリスを振り回してると本当に捨てられちまうぞ」
「あはは。捨てられてたまるもんか。イギリスが俺を捨てようとしても、俺はしがみついて振り払わせないから大丈夫だぞ」
「坊っちゃんの本気を舐めんなよ。あれでも大英帝国と呼ばれた男だぞ。やる時はやる」
「俺はアメリカだ。イギリスが俺を捨てられるもんか」
 脳天気なアメリカの声に、フランスは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
 今ごろ絶対にイギリスは泣いてる。号泣だ。そして酒に逃げているだろう。
 そのフォローに巻き込まれる自分を正しく予想して、フランスは嘆息した。
 甘えた言葉を吐くアメリカを厳しく嗜める。
「お前に捨てられたトラウマ抱えてああなっちまったイギリスに、なんて事言ったんだ。今すぐブリテン島に行ってイギリスに謝ってこい」
「すぐに嘘だってバラしたら、嘘をついた意味がないじゃないか」
「ついて良い嘘と悪い嘘の区別もつかないのか、お前は。嫌いだとかウザイとかの暴言が許されるからって、『愛してないから別れる』の言葉が許されると思ったのか? …甘いな。そんな事も分からずにイギリスを口説いてたのかよ。お前が反省しないなら俺は助けてやらねえからな。自分で何とかしろ。俺の手が借りられねえからって日本には頼るなよ。てめえのした事のツケは自分で支払え」
 らしくなく突き放したようなフランスの声に、アメリカは不安そうに視線を動かした。
「……だ、駄目だった?」
「最悪だぞお前。今ごろロンドンは土砂降りだろうな。大事な弟に二度も捨てられたんだ。酒浸りくらいなら可愛いもんだ。クスリに手を出してないといいが…。坊っちゃんは裏社会にも顔が利くからなあ…」
「イギリスがクスリ? …って麻薬とかかい? 犯罪だぞそれは」
「戦争略奪を繰り返した歴史を持つ俺らにとって、クスリごときどうって事はねえよ。普段やんねえのは必用ないからだ。でも今のイギリスは必用としている。自分を蝕むと分かっていても手を出さずにはいられないくらい、辛い状態だって事だ。お前に独立されたイギリスは自暴自棄になってたからな。二度目となると……想像するのも恐ろしいくらい落ち込んでいるぞ。今さら嘘だと言ったところで信じるかどうか…」
 淡々と告げられた事実にアメリカはシュンとなる。
 独立した事は後悔していないが、そういう状態にイギリスを追いつめた事はアメリカにとっても痛手だった。いつかは分かってくれるだろうと思っていたのに、イギリスは延々と許さず無理して気にしていない風を装い、アメリカもずっと辛かったのだ。
 冷静にフランスに指摘され、アメリカは短慮を焦る。
「どうしよう、フランス」
「どうしようじゃねえだろ。さっさとイギリスに行って謝ってこい」
「許してくれるかな」
「許してもらえないかもしれないが、そうなっても自業自得だ」
「フランス、冷たい、冷たいよ」
「お兄さんは愛の国なの。愛を蔑ろにしたガキに優しくしてやる気はないんだよ。自業自得の文字を噛み締めてイギリスにブン殴られてこい。また100年無視なんて嫌だろ」
 甘えるアメリカをフランスはピシャリと撥ね付ける。
「嫌だぞそれはっ!」
「嫌なら軽率な行動を反省してさっさとイギリスに謝罪してこい。好きじゃないって言ったのは嘘で、本当はイギリスが煮え切らないから拗ねただけだって、ちゃんと説明しろ。あいつはお前に甘いから、しつこく謝れば許してくれる。……かもしれない。会いたく無いと締め出されようと別れるとゴネられようと、足蹴にされても殴られてもしつこく食い下がって泣き落とせ。俺と違ってお前なら最悪殺される事はないだろうしな」
「恐い事言わないでくれよ」
「イギリスを失いたくないのなら本気で謝れ。いつものように簡単に許してもらえると思うなよクソガキ。お前のした事はイギリスのトラウマ直撃だぞ。200年塞がらない傷口に鋭利な刃物を突き立てたんだ。悪気がないからって許されるわけない。タチが悪すぎる。ガチガチに凝り固まった愛情不信をこれ以上増幅させてどうする。ヤツがこれ以上依怙地になったらお兄さんでもお手上げだぞ。最近ようやく気持ちが解れてきたっていうのに、元の木阿弥じゃねえか」
 フランスは一気に言って深々と溜息を吐いた。
 アメリカはフランスが思っていた以上にガキだったらしい。いや、空気が読めなかったのか。
 よりによってアメリカに再び捨てられる事を恐れて、一歩を踏み出せないでいたイギリスを崖から突き落とすような行動に出るとは。これはやったらヤバいだろうという最悪の行動をまさかとってしまうなんて。KYにしても酷すぎる。
 今、きっとイギリスは泣いている。酒びたりで荒れに荒れまくって酷い事になっているだろう。想像せずとも分かってしまう。200年前の再来だ。
 八つ当たり決定なのでフランスはそんな状態のイギリスに会いたくなかったが、放っておくわけにもいかない。色々ある相手だが、1000年の腐れ縁だ。
「とにかく。お兄さんが隣に行って様子を見てきてやるから、お前も速攻ブリテン島に来い。来ないなら本当にイギリスと別れたと判断して、隙だらけのアイツを言い包めて押し倒すからな。自暴自棄になってる手負いの子猫チャンをモノにするなんぞ、お兄さんにとっては朝飯前だ。頭から美味しくいただくぞ」
「ちょっ! 止めてくれよ、フランス! 絶対に止めてくれっ! そんな事をしたら……。殺すよ?」
 ゾッとするような本気を声に混ぜるアメリカだが、その程度の恫喝に恐れをなすフランスではない。伊達にイギリスの隣人を千年もやってはいない。
「お前本当にガキだな。元はといえばアメリカが撒いた種だろ。俺に横からかっ攫われたくなければ、なんとかしやがれ。急いで来なけりゃイギリスは俺のモノだ。お兄さんはイギリスに惚れてるわけじゃねえが、ヤツを泣かせっぱなしにさせとくのも気が滅入るからな。身体で慰めるのもやぶさかじゃない」
「行く、行くに決まってるだろ。イギリスのヒーローは俺だけだ。泣いてるイギリスを慰めるのもヤツ当たられるのもイギリスの恋人たる俺の役目なんだぞ。フランスは出てきちゃ駄目だ」
「お兄さんだって出てきたくないよ。今ブリテン島に顔を出せば、最高に不機嫌なイギリスに殴られる事決定だ。お兄さんの自慢の顔が倍に膨れ上がって変形しちまう。自分の面倒見の良さが嫌になるよ」
 うううっ、と電話の向こうでアメリカが唸った。
「イギリスに会って欲しくないけど、フランス、フォローを頼むよ。お願いだから俺が行くまでなんとか時間を稼いでくれ。あれはアメリカのお茶目な嘘だって事を説明しててよ」
「そんな言い訳は自分でしろ。いつまでも甘えてんじゃねえ」
「甘えてんじゃなく、お願いしてるんだ。イギリスの涙を一分でも早く止めたいだけだ。強い酒を飲ませて潰しちゃってくれ。俺が行くまで、これ以上イギリスが傷つかないようになんとか頼むよ」
「自分で傷つけといてそれかよ。お前、本当に最低だ」
「ちょっと判断が軽率だったかなって自分でも思うけど。やっちゃったものは仕方がないだろ。ヒーローだって間違える時はあるんだよ」
「何がヒーローだ。今回の事はあきらかにヒールの所業だぞ。ヒーローを気取るなら好きな子苛めは卒業しろ、クソガキ」
 叱られてアメリカは口を曲げたが、悪いのは自分だと自覚しているからそれ以上文句も言えず、とにかく一刻も早くイギリスに行かなければと焦って自宅を飛び出した。



 フランスはやれやれと溜息を吐いた。
 フランスの弟達はいつまでたっても落着かない。
 アメリカがイギリスに惚れてるのなんて、イギリス以外の国全てが知っている事実だ。イギリスがアメリカを弟としか思っていなくて、アメリカが片思いの苦さに当の本人に八つ当たりしているのも。
 分かってもらえないのならば分かってもらえるように努力すればいいだけの話なのに、アメリカは子供のようにイギリスに八つ当たりを繰り返す。感情を露にするだけの好意は甘えでしかない。
 アメリカはイギリスに弟としか見られていない事をイラついているが、アメリカのそういった態度こそイギリスの認識を弟から成長させない原因なのだ。アメリカは全然分かっていない。アメリカが大人になればイギリスの見方も変わってくるのに、根が大人になりきれないアメリカにはそれが分からない。なまじ力が強いだけに自分の稚気を認識できない。子供の域から抜けだせない。
「バカだねえ、ほんと」
 フランスは苦笑しながら顔を歪めた。
 こんな状態でイギリス邸に行けば、不機嫌なイギリスに中身の入った酒瓶を投げつけられかねない。
 だが知ってしまった以上、放っておく事もできない。
 アメリカに捨てられたイギリスがどうなるのか、200前に見た。心を壊した隣人の再現などフランスは見たくなかった。
 すぐに焦ったアメリカが来る。イギリスの涙は止まるだろうが、子供に振り回され精神を病んだイギリスを放置しっぱなしにする事はできそうもなかった。アメリカが来るまでの間にアメリカの本心を教えればいい。フランスの言葉をすぐには信じないだろうが、希望は持つはずだ。そうしてアメリカが来ればあとは二人でなんとかするだろう。
 イギリスの事だ。アメリカを信じる事がいかに危険かを再認識して増々頑になるかもしれない。そうなってもそれはアメリカの自業自得なので、フランスはかまわなかった。むしろ簡単なハッピーエンドはムカつくので、せいぜい若造には泣いて欲しいものだと思う。
 しかし事態はフランスが想像以上の悪化の道を転がり落ちているのだと、さしものフランスも気付く事はなかった。







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