後編



「ずっと、ずっと。君の事が嫌いだった」
 何故アメリカは分り切った事をそんな真剣な顔で言うのだろう。今までのような適当な言葉だってかなり堪えたのに、こんな緊張した真剣な面持ちで言われると、身の置きどころがないどころか本気で死にたくなる。
 イギリスは真っ青な顔でアメリカから出される暴言に耐えた。いや、耐え切れずただ震えて立っている事しかできなかった。
 アメリカがアポもなくイギリスの屋敷を訪れるのはよくある事だが、今回は珍しく電話で「これからそっちに行くよ。大事な話があるんだ。ちゃんと家にいるんだぞ」と連絡があったのだ。
 なんだ突然、こっちの予定も聞かず、と口で憤慨してみせても浮き立つ心は隠せない。
 イギリスはうきうきとアメリカの為にお茶の用意をし、スコーンを山ほど焼いた。オーブンから黒い煙があがっても、いつもの事とイギリスは気にしない。
 フランスあたりが見ていたら大仰に嘆いて適格なアドバイスをくれただろう。
「スーパーで適当に買ったクッキーの方が何倍もマシだぜ坊っちゃん。既製品にだって愛は込められるんだ」と助言してくれた事だろうが、腐れ縁のフランスはその場にはいなかったので、皿に盛られたのはところどころ焦げたスコーンの山。
 何の用事があるのか知らないが、アメリカはある意味素直な人間で、自分が気に入らない場所にわざわざ足を運ぼうとはしない人間だから、イギリスの家はそんなに嫌な場所ではないのだろうと、イギリスは前向きな気持ちでアメリカを待っていた。
 喧嘩しても傷つけられても、イギリスにとってアメリカは可愛い弟だった。今日はアメリカが怒らないように昔の話はしないようにしようと、イギリスはちょっぴり殊勝な気持ちでいた。
 悲しい事だが、アメリカはイギリスの事を好いていない。子供は大きくなりイギリスの嫌な部分を理解して、だから離れていった。
 イギリスにとってアメリカは未だ家族だが、アメリカは戦争を起こしてまでイギリスから離れたかったのだから、イギリスが昔の事を持ち出すのは腹立たしいのだと、イギリスも理解している。イギリスは悲しい気持ちで現状を理解していた。そのつもりだった。
 家族には戻れなくてもせめて良き友人でいようと思った。日本のようにアメリカに甘えられたいと願った。笑いかけてくれたらそれで良かった。多くは望まなかったのに。
 そんなささやかな気持ちさえ、アメリカは許さないというのだろうか。






「君の事が……イギリスが嫌いなんだ。ずっとずっと。君が大嫌いだった」
「そ……アメリカッ…………」
「だから、君が昔の事を持ち出すたびに腹が立った。もうオレは君の弟じゃないのに。立派な一国だと認めて欲しかった。庇護下にある国じゃなく、対等な存在だと認めて欲しくて君の側を離れ一人で頑張ったのに、君はなかなか気持ちを切り替えてくれないから腹が立って……イギリスに辛く当たった。オレは君が……大嫌いだ。二度と弟扱いしないで欲しい。オレ達はもう兄弟じゃない。他人だ。だから……」
「わ……かった……アメリカ」
 イギリスはもうそれ以上聞きたくないと耳を塞いだ。
 アメリカはこんな事を言いに来たのか。わざわざイギリスを糾弾するために海を渡ってきたのか。あんまりだ。
 イギリスの手をアメリカは乱暴に耳から外させる。
 アメリカは怒っていた。いつになく真剣な顔でイギリスを凝視し、どこか懇願するように言った。
「どうして聞こえないフリをするんだ。イギリスは卑怯だ。イギリス。オレは……本気なんだ。本気で君の事が……」
「分かったって言った! それ以上言うなっ!」
「分かったなら……どうして君は…………」
 イギリスは止まらない涙を拭う事もなく下を向いた。
 これ以上アメリカの顔を見ていられなくて、ただ自分の靴先を見つめ、これが夢ならいいと思った。
 ああ、あの時と同じだ。雨のヨークタウン。あの時も下ばかり見ていた。アメリカを見ていられなかった。自分を裏切った弟の顔を見たくなかった。裏切られて醜く歪んだ恨みの顔をアメリカに見られたくなかった。だから顔を上げられなかった。惨めで悲しかった。
 あの時の気持ちを再現させられるなんて、なんて悪夢なんだろう。
「…………分かった。オレはお前を二度と弟だなんて思わない。だから…………」
 精一杯の虚勢でイギリスは声を出した。
「分かってくれたのかい、イギリス。オレの気持ちを……」
 ホッとしたように笑ったアメリカの顔をこれほど憎いと思ったのはフランスでの調印式以来だ。
 二百三十年前、フランスでの調印式が終った後アメリカが見せた笑顔もこんな風だった。イギリスの軛から正式に逃れられてせいせいしたという顔。
 その顔をイギリスに向けて、アメリカは笑ったのだ。これで君との縁は切れた、といわんばかりに。あれが決別の日だった。あの時、イギリスの心は殺された。アメリカがイギリスを見限った日がアメリカの誕生日なのだ。あれから七月四日は悪夢の日となり果てた。アメリカはその日をハッピーだと言う。最低だ。
 イギリスはこれ以上ないほど打ちのめされた。
「分かったから……。お前の気持ちは分かったから、二度とオレの前に顔を見せるな」
「……は?」
「お前の気持ちはよく分かった。オレを兄と思いたくないなら……それでいい。オレが鬱陶しいというのなら、二度とプライベートでは話しかけないし、お前には構わない。だから……」
 それ以上オレを傷つけないでくれ。お前に嫌いだと言われるたびに胸が切り裂かれるように痛い。辛くて死にたくなる。
 愛した者にその愛を根底から否定される事ほど悲しい事はない。嫌いな相手からどんなに憎まれようとも傷つく事はないが、愛を与え、与えられた者からの否定は鋭い刃になって返ってくる。
 君に育てられたくなかったという言葉はアメリカとの出会いを真っ向から否定するもので、イギリスはその残酷さに踏み付けられる。
 ああ、アメリカは酷い。
 でもその非道を引き出したのはイギリスなのだ。アメリカにこんな酷い事を言わせてしまうほど、イギリスという人間は救いがたい性格なのだろう。
「なんでそんな事言うのさ。オレは……オレは君が嫌いなんだ。君に嫌がらせする為だったらこんな来たくもない場所にだって来るし、まっずいスコーンだってドブに捨てる。君の傷ついた顔が見たいんだ」
「ア……メ…リカ………」
 あまりの言葉にイギリスは声を失い、虚ろな顔でまた下を向いた。
 そんなイギリスの顔をアメリカは無理矢理上げさせた。
「目を逸らさないでくれよ。オレの気持ちを否定するなんて許さないんだぞ。オレをこんな気持ちにさせたのは君だ。イギリスはオレに責任をとらなきゃいけなんだぞ。だから…」
「知るかっ!」
 もう耐えられなかった。
 イギリスはアメリカの顎に拳を叩きこんだ。
 イギリスから暴力らしい暴力を受けた事がなかったアメリカは油断しきっていて、奇麗に入ったアッパーに見事に吹っ飛ぶ。
「ア……アメリカのバカァァァァ……。オレだってお前なんか、だいっ嫌いだぁぁぁぁ……」
 イギリスは泣きながら屋敷から飛び出した。
「痛ったーーーーーーーっ。イ、イギリス、ひ、酷いんだぞ」
 顎を押さえてのたうちまわるアメリカの方も半泣きだった。
 イギリスが去った方に手を伸ばすが、もうそこには誰もいない。
 アメリカは身体の痛みより、心の痛みで泣きそうだった。照れを含まない暴力は明確な拒絶に他ならない。
 アメリカは勇気を出して告白したのに。二百年越しの恋だった。
 それをイギリスは泣きながらやめてくれ、そんな言葉聞きたくないと言ったのだ。照れてなんかいなかった。逆に、とてもとても悲しそうな顔をしていた。
 なぜあんな顔をしたんだろう。アメリカなんか好きじゃないから聞きたくなかったのか。アメリカを弟としか思えないから、アメリカの告白を気持ちが悪いと思ったのだろうか。だとしたら……酷すぎる。二百三十年の努力は全部無駄だったのか。イギリスの目に映るアメリカはまだ小さな英領アメリカなのか。超大国になったアメリカはイギリスの目に映ってなかったのか。
 手酷く傷ついたイギリスの顔に、アメリカは追い掛ける事もできず、どうしていいか分らなくて床にへたりこんだ。
「オレは君を…………今までずっと君だけを愛して…………諦められなくて……腹が立つほど愛してるんだ。どうして……受入れてくれないんだ。どうしてオレじゃ駄目なんだ。どうして君は一人の男としてのオレを見ない。弟としてじゃなきゃ、見る価値もないのか。君は……いつも酷い。イギリス、オレはどうすればいいんだ……」
 アメリカはイギリスが去ったドアを見詰め、へたりこんだまま呆然と呟いた。








 ドワーフは暖かい日射しの中、うとうと昼寝をしながら、きゃっきゃとはしゃぐ可愛らしい妖精達の会話を聞くともなしに聞いていた。
 花の精たちはいつも姦しい。若い娘の会話に口を挟む気はない老妖精はうるささに顔を顰めつつ、半覚醒で暖かい庭の芝生に転がっていた。
 バラの妖精が花の上で跳ねる。
「うふふふ。早速アメリカが来たわ。でも、イギリスはもう大丈夫」
「そうよね。私達が魔法をかけたもの。イギリスは今度こそ泣かないでいられるわ」
「本当ならアメリカを撃退したいところだけど、イギリスがアメリカを招き入れたんじゃしょうがないわ」
「今日はきっとイギリスの機嫌が良いわ。お菓子が余ったら分けてもらいましょう。でもアメリカは大食らいだからたぶん残らないわね。つまらないの」
「じゃあイギリスにクッキーを焼いてもらいましょう。冷たいミルクもね。イギリスを助けてあげたのだから当然の御褒美でしょ」
「ダメダメ。イギリスに呪いをかけた事はイギリスには内緒よ。バラしたら駄目」
「そうだったわね。イギリスには内緒。あの子は何も知らないままでいいの」
 聞き捨てならない言葉に眠りかけていたドワーフが飛び起きた。
「おいおいお前さん達。まさかイングランドを呪ったのか。あの子に何をした」
 妖精達は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「大丈夫。酷い事なんてしてないわ。だって私達はイギリスが大好きだもの」
「その大好きなイギリスに何をしたんだ?」
 バラの精がしたり顔で説明する。
「あの子が泣かなくて済むようにおまじないをかけたの」
「おまじない?」
「アメリカはイギリスに酷い事ばかり言うから、アメリカから出る言葉が全部逆に聞こえるように、イギリスの耳に魔法をかけたの。だからアメリカがイギリスに酷い言葉を言うたびに、逆の意味に聞こえるはずよ。素敵な魔法でしょ。イギリスはアメリカに何を言われても傷つかない。だって反対に聞こえるんですもの」
 そうよそうよ、とても素敵なアイデアでしょ、と妖精達は口々に笑って跳ねる。
 ドワーフは若い妖精もたまには粋な事をするなと思ったが、年を経ているだけに人の気持ちも理解していた。ドワーフはアメリカが本当はイギリスを大好きな事を知っていたので、少し心配になる。
 もし万が一アメリカが素直になってイギリスに好意を示したら、それも反対の意味に聞こえてしまうではないか。
 でもそんな事はありえない。素直になれないアメリカは正反対の言葉ばかり吐き出してイギリスを泣かせ、自業自得なのに勝手に苛立っている。
 あの若者が素直になる時はまだ先だろうとホッとして、ドワーフは昼寝の続きを決め込んだ。最早若い妖精達の声も気にならない。花の妖精達の魔法でイギリスも少しの間落着いていられるだろう。
 ドワーフも、まさか危惧した事がそのままリアルタイムで進行中などとは思わなかったのだ。



 ドワーフが事の真相を知るのは数日先の事であるが、その時には事態は拗れに拗れ、真実を知らせてイギリスに嫌われる事を恐れた妖精達は全員口を噤み、だからイギリスは真実に気付く事もなく、またアメリカもまさか告白が通じていないとは思わず、すれ違いの恋と涙はドワーフがイギリスに真実を告げるその時まで続くのだった。
 それが数日先か、数年先かは……当事者のみが知るところである。