前編



「また君は昔の事ばかりだね。いい加減聞き飽きたよ。君も言い飽きないね。そういう所、しつこくて嫌になる。どうして君は未来に目を向けられないんだ。過去にばかり固執して、とっても気持ちが悪いぞ。昔の事ばっかり話すなんて、まるで未来に一つも良い事がないみたいじゃないか。昔の事なんか全部忘れて未来を見るんだ。もう君の口から昔の話なんて一つも聞きたくない。オレを君の記憶から開放してくれ。オレはもう君の弟じゃない」
 辛辣なアメリカの言葉にイギリスは立ち尽くす。
 アメリカは冗談で流す様子も見せず、苛立ったようにイギリスを見下ろした。
「だって……。オレがお前を育てたのは事実だ」
 イギリスが言葉を重ねるほどアメリカの苛立ちは大きくなった。
「そういうところが嫌なんだよ。いつまでも昔の事をしつこく恩に着せて、君は本当に鬱陶しいね。こんな事なら君になんか育てて欲しくなかった。あの時、君じゃなくフランスを選べば良かったよ」
「アメリカッ!」
 悲痛なイギリスの声に、苦いものが混じったアメリカの声が被る。
「オレだってこんな事言いたくないんだ。これじゃまるでオレがヒールみたいだ。全然ヒーローらしくない。でも、オレにこんな事を言わせてるのはイギリスだ。全部君が悪い。これ以上オレを嫌な気分にさせないでくれ。イギリスの懐古主義にはうんざりする」
 自身の正当性を疑わぬ傲慢な若者の苦情を、童顔ながらそれなりに年を経た青年は立ちすくんで受け取るしかできなかった。
 アメリカの辛辣な態度はいつもの事だが、いつもの通りイギリスは酷く傷ついた。
 昔を懐かしむイギリスと、昔を忘れたいアメリカの溝は永遠に埋まらず、関係は平行線を辿り、ずっと近付く事はなかった。……二百三十年間。






 寝室に閉じ篭って泣き伏せるイギリスに、屋敷に暮らす妖精達は心を痛めて次々慰めの言葉を与えたが、愛し子から無自覚の刃を振われたイギリスは親しい友人達の同情の声も耳に入らないようだった。
 頼むから一人にして欲しいと言われたオールドローズの妖精は腹を立て、鬱憤を仲間の妖精達にぶちまけた。
「あったまにきちゃう。なんでイギリスはあんな子がいいのよ。イギリスには私達がいるじゃない! イギリスのバカバカ。アメリカなんか死んじゃえ。アメリカなんて大嫌い」
「しょうがないわよ。イギリスはずっとアメリカが好きだったんだもの。……でもオールドローズの言う通りよね。イギリスには私達がいるんだから、いい加減アメリカの事なんか諦めて捨てちゃえばいいのに」
 緑の髪をしたパキラの妖精が同意する。
「そうよね。イギリスは優しいのに。アメリカは酷い事ばかり言って、あんな子、イギリスには全然相応しくないのに。大体あの子、昔にイングランドを裏切ったんでしょ。なんでこの家に来るのよ。何様なの、図々しい。来なきゃいいのに」
「今度来たら呪いをかけてやりましょう。イギリスにはバレないようにこっそりと」
「それがいいわ。うんと強い呪いをかけて、イギリスを苛めた仇をとってやりましょ。いいきみよ」
「いっその事、醜いヒキガエルにでも変えちゃう? あなた、姿変えの魔法、使えるでしょ?」
「醜い姿になればイギリスもアメリカの事が嫌いになるかもしれないしね」
「こらこら、おまえ達」
 ヒートアップする妖精達の会話に、年長のドワーフが水を差した。
 イギリスの愛と憎しみはコーヒーに落とした砂糖のようなもので、愛の中に憎しみが溶け込み一体化し、最早分離する事は不可能だ。アメリカとイギリスの関係も是と非が絡んで解けて複雑に組み上がって、だからどちらも歩み寄れないし過去を清算して新たに未来を築く事もできない。
 寿命の短い花の精達よりずっと年を経たドワーフは複雑なイギリスの心情を理解していたから、無邪気な親切が仇になると、暴走しがちな幼い精霊達を嗜めた。
「イングランドに内緒でアメリカを呪ったりしたら、イングランドが悲しむぞ。どんなにアメリカが酷いヤツでも、イングランドはアメリカを愛してるんだから」
「でもでも。アメリカは酷い男だわ。イギリスからあんなに愛されたのに、挙句に裏切って、それなのに今もしゃあしゃあとこの屋敷に出入りしてイングランドを泣かせてばかりいるのよ。あんな子大嫌いよ」
 花の妖精達は皆その言葉に同意して頷いた。
 ドワーフは「とにかく」と言った。
「イングランドに内緒でアメリカを呪ったりしたら、イングランドが困る事になるから止めなさい」
「どうして? 私達が呪うのはアメリカよ。イギリスじゃないわ。なぜイギリスが困るの?」
「イングランドが何も知らなくても、イングランドの友人たる我らがした事ならば、呪いを受けた者はイングランドが命じたのだと思うだろう。イングランドが何も知らないと言っても、あの傲慢な子供は信じまい。我らが短慮で動けばイングランドが非を被り困る事になる」
 その前に妖精が見えないアメリカに妖精の呪いが通じるか分らないし、という本音は言わずにおく。
 私達の呪いがきかないのならばと、若い妖精達は更に強力な呪いか魔術を施すかもしれない。妖精には遠慮や善悪の判断はないから加減もない。どんな事になるか分らないので妖精達を暴走させない方が賢明だ。
 ドワーフにも思う所はあったが、イギリスの為に若い妖精達を嗜める。
「でも。私達はアメリカを許せない。イギリスに育てられたくせにイギリスを裏切った裏切り者。それなのに、何事もなかったかのように図々しくこの屋敷に入ってきて、挙句にイギリスを苛めて帰るのよ。信じられないっ! イギリスもアメリカなんかこの家に入れなきゃいいのに! イギリスが望むのなら呪いをかけてアメリカを家に入れないようにする事なんて簡単なのに、イギリスはそうしないし。どうしてイギリスはアメリカを許しちゃうのかしら。理解できないわ」
 イギリスに愛され育まれたバラの妖精は憤慨する。
 それはこの家に暮らす妖精達全員の疑問で怒りだった。
「なんとかアメリカに一泡吹かせられないかしら。このままじゃイギリスが可哀想よ」
 イギリスに対する愛と、アメリカに対する怒りで妖精達はいきり立つ。
 それはイギリスの友としては正統な感情だが、正しい事が良い事だとは限らないのが世の常だ。
「復讐するつもりならとっくにイングランドはそうしている。だがイングランドはそうしなかった。イングランドが望まない事を我々はしない。我らはイングランドの良き友だ。あの子が悲しむような事をしてはいけない」
 強くドワーフに言われ、バラの精は渋々と頷く。
 イギリスが悲しむような事はしない。分かっていても妖精達は納得しきれない。現にイギリスはアメリカに苛められて泣いているのだ。
 アメリカは酷い。それが妖精達の共通の認識だ。
「アメリカには何もするな。イングランドは復讐を望まない」





 ドワーフが去った後も妖精達は口々にアメリカの悪口を言い、こき下ろした。
 イギリスの嘆きは深く、見ているだけで何もできない妖精達は不満は募らせ、アメリカへの悪意と変換させる。
 しかしドワーフに止められ、アメリカへ復讐する事は叶わない。妖精達がアメリカを呪ったりしたら、ドワーフがイギリスに告げ口するだろう。
 イギリスはアメリカを愛し、アメリカの不幸を望まない。それがまた妖精達には面白くない。イギリスと仲良くするのは自分達だけでいいのにと、妖精達はイギリスのアメリカへの愛を苦々しく思う。
 妖精を頭から否定するアメリカは妖精達の天敵だ。
「なんとかイギリスに気付かれないようにアメリカに一泡吹かせられないかしら。アメリカをへこませて打ちのめしてやりたいわ。アメリカなんか、うんと不幸になっちゃえばいいのよ」
「それができないから腹が立つの。イギリスもアメリカなんか見限っちゃえばいいのに。イギリスのバカバカ。わたしたちの気持ちも知らないで」
「アメリカを呪ったらイギリスが怒るし……。なんとかイギリスにバレないようにアメリカを不幸にできないかしら」
「あ、そうだ」
 スミレの精が手を叩いた。
「こうすればいいのよ。アメリカに復讐するのは無理だけど、こうすればイギリスはこれ以上アメリカに泣かされずに済むわ」
「え、どうするの?」
「何かいい事を思い付いたのね」
「あのね。呪いを掛けるのがアメリカじゃなければいいのよね」
 スミレの精は最高の悪戯を思い付いた子供の顔でにんまりと笑い、仲間を見回した。
「みんな、協力して。これからイギリスに呪いを掛けましょう」