(裏切り+恋)×惚れ薬=ひとりよがりの恋


 後編

 アメリカの顔は真っ赤だった。外が真夏なら上気の理由も分かるが、街路樹の落ち葉が歩道を隠す季節だ。むしろ寒いくらいなのに。
「ア、アメリカ?」
「日本に貴重なお茶を貰ったんだぞ。き、君は日本贔屓だし、可哀想だから君にも飲ませてあげるよ、日本の紅茶を」
「そ、そうか」
 アメリカが差出した紅茶の缶は以前イギリスが日本にプレゼントしたものだ。
『あの偽薬紅茶はイギリスさんから以前いただいた、あの素敵な缶に入れてお渡し致しました』
 アメリカの手の中にある紅茶の缶がソレだ。つまりアメリカはイギリスに惚れ薬を一緒に飲もうと提案している。一緒に飲んで効果を確かめる為だ。イギリスを怪しい薬の試験体に使おうとは良い度胸だ。なんてヤツだと思うのだが。
 それだけならイギリスの想像した通りだ。イギリスを使って惚れ薬の効果を確かめようというのだろう。
 しかし。アメリカの顔はどう見ても騙して効果を見てやろうというソレではない。
 まるで…。
 まさかと思った。まさかそんは筈はあるまい。
 まさか、そんな。
 イギリスは頭を振って何度も否定した。
 しかし何度否定しても、アメリカの顔が真実を物語っていた。
 全く想定していなかった展開になっている。
 そんな事は予想外だった。
 しかしアメリカの顔はどうだ。耳まで赤くなり、恥ずかしげに照れたように、だが目の奥におどおどとしたらしくない怯えが見える。イギリスの様子を伺うような、内心を悟られるのではないかと、ビクビクと気後れしている。まったくらしくない。
 政治では恐ろしく鋭いのにプライベートの場になると別人のように鈍くなると言われているイギリスだが、さすがに空気は読めた。読めないはずがない。イギリスが空気を読む為に日本は予備知識を与えておいたのだ。
 つまりアメリカはイギリスの事を…。
 信じられない。信じられないが、アメリカの様子はどうだ。瞳をキラキラさえて恋が手に入るのではないかと期待に満ちている。若者特有の眩しい青さだ。何百人もの恋する若者を見てきたイギリスには一目瞭然だった。
 イギリスは愕然として、内心で焦った。
(知っていたのなら教えてくれよ、にほーんっ!)
 イギリスは進退極まって人の悪い友人を責めた。
 日本はアメリカの想い人を知っていたのだ。だからイギリスに思わせぶりな事を伝えた。
 アメリカの本心を知っていたのなら対策も立てられたのに。
 対策? 二択しかない。
 アメリカの気持ちを受け入れるか、それともきっぱりノーと言うか。
 イギリスは悩んだ。激しく悩んだ。困った。だってアメリカは弟だ。恋だなんて考えた事はない。いつか誰かがアメリカの隣に立つだろうと覚悟していた。兄として祝福しようと思っていた。
 だがまさかその相手が自分だなんて。想定外すぎる。
 ならばきっぱりとノーと言うか。それが正しい選択だ。
 だがアメリカはノーと言われるのを恐れたから惚れ薬などというものに頼ったのだ。頼らなければ叶わないと知っていた。薬を使うのは卑怯だと知っていながら、イギリスに惚れ薬を使おうとしている。薬の力に頼ってイギリスの心を手に入れようとしている。そんな事をすれば薬の効果が切れた時に辛い思いをすると分かっていて、それでもそうせずにはいられないくらいアメリカはイギリスの事を……。

『アメリカさんは以前その相手に酷い事をして、実は憎まれているのではないかと考えているんです』

 ああ、そういう事なのか。アメリカはイギリスに憎まれているのではないかと恐れている。アメリカの誕生日には未だに気分が悪くなるイギリスだ。家族としてあれこれ気を配られていたとしても、心の底ではまだ許していないのだとアメリカはそう思っている。
 そうだ。イギリスはアメリカの独立が未だに辛い。もう兄弟じゃないと手を振り払われた記憶は二百年経っても消えずにイギリスの脳に残っている。それくらい辛かったのだ。
 自分はアメリカを憎んでいるのだろうか。
 分からなかった。
 愛情の裏返しは憎悪だ。愛しているから憎い。
 そうなのかもしれない。アメリカに対する愛情が強ければ強いほど、独立戦争が許せない。それが国の必然だったとしても駄目だ。心が納得しない。
 同じ兄弟のカナダは戦争を仕掛ける事なく気運にのって独立した。イギリスと兄弟のまま、ちゃんと一つの国になったのだ。アメリカだってそうしようと思えばそうできたのだ。
 確かにイギリスの手を離れたからこその急激な発展があったのかもしれない。
 でも。愛情をドブに捨てて自分の望みを叶えたアメリカが許せない。
 せめてイギリスを納得させる努力をしていてくれれば。イギリスとは袂を分かちたくないという態度を見せていてくれたら、イギリスだってあんなに傷つかずに済んだ。
  ボロボロになって他国に嗤われて、イギリスは孤立した。何もかもアメリカがイギリスの元を強引に去ってからおかしくなった。
 辛い。アメリカに去られた事が辛かった。
 日本に指摘されて、いやアメリカが内心で恐れているのを知って自覚した。
 イギリスはどうやらアメリカを憎んでいたらしい。深い愛情はある。だが同時に憎んでいる。
 あんなに大事にしたのに、アメリカはイギリスの愛情をゴミのように捨てた。いらないものだと足蹴にしたのだ。
 キラキラした瞳でイギリスを見るアメリカ。アメリカは好きな相手をこんな目で見るのか。
 イギリスの事が本当に好きなのだろう。アメリカが恋したのが自分だなんて。そんなのあるわけないと思ったのに、事実は雄弁だった。アメリカの瞳が語っている。
 さて。イギリスはどうするべきなのだろう。紅茶を飲んでアメリカに惚れている演技をするべきか。それとも気分が優れないと言って紅茶を辞退するべきか。

『イギリスさん。アメリカさんの嘘に乗って下さい』

 日本の声が聞こえた。
 そういう事か。イギリスは日本の底意地の悪さに戦慄した。
 つまり、日本はイギリスと組んでアメリカを笑い者にしようというのか。そこまで悪辣じゃなくても、イギリスにアメリカの本心を教えてイギリスがアメリカに振り回されないようにと忠告したのだ。
 アメリカの恋にイギリスが巻き込まれて傷つかないように。
 
日本の忠告はありがたい。予備知識なしに告白されたら動揺を隠しきれなかっただろう。
 若者の恋は純粋だが、だからといってそれが永遠なわけではない。若者は移り気だ。何かの拍子にすぐに気持ちが変わる。若者の恋を信じて受け入れれば、最後には惨めに捨てられるだけだ。同じ時を生きていても若者と年寄りでは流れている時間が違うのだ。良くも悪くも変化し続けるのが若さだ。
『いぎりちゅ大好き、愛してる。一生一緒にいようね』
 幼いあの子もキラキラした瞳でそう言ったのに、数十年も経たずに気持ちを変化させた。
 アメリカはまだ成長過程だ。気持ちはこれからいくらでも変質する。
 イギリスはアメリカに向い、赤くなりながら言った。
「しょ、しょうがねえな。おまえがそんなに俺の煎れた紅茶を飲みたいっていうのなら、煎れてやるよ。言っておくがお前の為なんかじゃなく俺の為なんだからな。お前の味覚がこれ以上おかしくなったら俺が恥ずかしいからな」
「はははは、君がお手製の菓子を俺に食べさせなければ味覚は壊れようがないと思うけどね。可哀想だから全部ヒーローの俺が食べるんだぞ。他の人間が食べて気分が悪くなったら気の毒だからね」
 アメリカは相変わらずだった。相変わらずイギリスに対して辛辣で無礼だ。
「なんだと! 俺の料理がヘタだって言うのかよ」
「死線を彷徨ったプロイセンの二の舞いは困るだろ。俺も同盟国が毒殺犯になるのは困るからね。胃が丈夫でないとヒーローは務まらないんだぞ」
「う、うるせえっ。あ、あの時はたまたまプロイセンの体調が良くなかっただけだ……たぶん」
「あははは。俺は多少の体調の悪さではビクともしないぞ。ヒーローだからね。だから遠慮なく最終兵器、別名スコーンを出しても大丈夫だぞ」
「ヒーロー関係ないだろ。…………ちょっと待ってろ。今その紅茶を煎れてきてやる」
「…………頼むよ。その紅茶を君と一緒に飲みたいんだ」
 イギリスはアメリカから紅茶の缶を受け取った。
 ああ、確かにこれだ。イギリスが日本に贈り、そして日本がアメリカに惚れ薬だと言って手渡した紅茶の缶。
「その紅茶がどうかしたのかい?」
 紅茶の缶を持ったまま動かないイギリスにアメリカが不安そうに聞いた。
「いや……。どっかで見たデザインだと思って」
「に、日本から分けてもらった紅茶だからね。日本の家で見たんじゃないのかい?」
「……そうかもしれないな。……たぶんそうだ」
 イギリスの答えにアメリカはホッと安心した表情を見せる。
「待ってろ。今お湯を沸かすから」
 アメリカを居間に残してキッチンに立つ。
「なるべく早く頼むよ。……天気が良いから外でティータイムがしたいんだぞ」
「そうだな。冬になったら外でティータイムは無理だからな。今ならまだ秋の庭が楽しめる。外で待ってろアメリカ」
 イギリスはアメリカに背を向けた。アメリカがその背中を凝視しているのを承知しながら、表面はいつもと変わり無い様子を振る舞う。
 さて。イギリスがこれからとるべき行動は?

『イギリスさん。アメリカさんの嘘に乗って下さい』

 日本は意地が悪い。そして自分も。
 若造の恋を本気にするなど、老齢に達した者はそんな愚かな真似はしない。
 若者を信じたら馬鹿を見る。アメリカを信じれば裏切られるのは二百年前で保証済みだ。
 だから。一緒に紅茶を飲んでアメリカに優しく微笑みかけてやろう。顔を赤くし、俯いて恥ずかしそうにアメリカの視線を受け止めるのだ。それだけでアメリカは誤解するだろう。なんてチョロイ。
 薬なんかに頼るからだ。頼らなければ叶わないと思っているなんて。アメリカの馬鹿野郎。


『いぎりちゅ、大好きだぞ』

 裏切ったアメリカが憎かった。愛しているから憎かった。
 何故裏切ったのだ。イギリスはアメリカに優しくしたではないか。裏切られる理由はなかった。
 行き場を無くした愛をようやく片付ける先が見付かったのだ。裏切られるという事がどういう事なのかアメリカは知るといい。あの時のイギリスの気持ちを身を持って知ればいい。
 報復ではない。ただアメリカは自分のした事のツケを支払うだけだ。裏切った者に信じてもらいたいのならばそれなりの代償を支払うべきだ。
 同じ痛みを味わって、それでもイギリスを愛しているというのならば、その時初めてイギリスはアメリカの気持ちを信じられる。……信じるだけだ。同じ愛情を返すとは限らない。
 だって始めに愛を踏みにじったのはアメリカだ。疑心暗鬼を植え付けた本人が努力するのは当然だ。嫌なら恋など捨ててしまえばいい。捨ててくれたなら、イギリスはまたアメリカを弟として愛せる。愛するだけだ。信じない。ただ愛するだけ…。
 イギリスはもう疲れたのだ。信じる事、裏切られる事、愛する事、愛される事。……疲れ果てた。
 一方的に愛するだけでいい。こちらから構うだけでいい。何も期待しない。
 もう何も変化して欲しく無い。フランスにからかわれ、アメリカに振り回されて。今までと同じでいいのだ。変化は望まない。
 臆病でいい。逃げ続けていたい。幸せは長くは続かない。幸せが壊れるのを見るくらいなら、ジクジクとした痛みの中にい続けたが方がマシだ。


 トポトポとティーカップに緋色の紅茶を注いだイギリスをアメリカは注視している。
 イギリスは照れたように微笑んでアメリカと自分の前にティーカップを置いた。
 卑怯な手段を用ようとしたアメリカが悪い。
 愛を踏みにじったアメリカが悪いのだ。
 イギリスはアメリカの視線を受けとめながらカップに口を付けた。

  





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