(裏切り+恋)
×惚れ薬=ひとりよがりの恋


 前編

「にほーん、惚れ薬を作ってくれよ」
「なんですってアメリカさん?」
「だから惚れ薬だよ。日本の技術力なら簡単にできるだろ? できたら俺にくれよ」
 にこやかな、できると信じて疑わないアメリカの笑顔に、日本は内心で顔を引き攣らせた。
(こンのスットコドッコイ! ギャルゲーの常備アイテムだからってそんな便利グッズが現実にあるわけないでしょう。二次元と三次元を一緒にしないで下さい。もしかして、アメリカさんの事だから本当にあると信じているんでしょうか
。……信じてるから言ってるんでしょうが、無理に決まってます、このスットコドッコイ! そういえばこの人、相手を恋に落としてしまう光線銃なんていうものを開発したんでしたっけ。ならそっちを使えばいいのに。惚れ薬なんてあったら私が欲しいですよ。ヤフオクでどれだけの値がつくと思ってるんですか。簡単に手に入れられると思っているんですね。私も舐められたもんです。……それにしても)
「アメリカさんは惚れ薬を誰に使うつもりですか?」
「え?」
「だから。惚れ薬が欲しいのは、ただ飾って眺める為じゃないのでしょう。使う目的があるから手に入れたいんですよね? アメリカさんが好意を持っている相手に使おうというのならば、その相手は一体誰ですか?」
「そ、そんな事、君には関係ないんだぞ」
 日本の笑顔がピキンと凍る。
「私から惚れ薬をぶんどっていこうというのに、関係ないわけないでしょうが。私は犯罪の片棒を担ぐのはごめんです」
「は、犯罪なんかじゃないぞ」
「なんとも思われていない相手に薬を飲ませて無理矢理気持ちを捩じ曲げて自分の物にしようというのは、明らかな犯罪行為です。法に觝触しなくても倫理から外れます。女性を踏みにじる事は許せません」
「そ、そこまで酷い事をする気なんかないぞ。ただちょっと俺の事を好きになればと思って……」
 自信満々だったアメリカの口調が怪しくなる。
 日本はズイ、とアメリカとの距離を縮めた。
「まさか相手は人妻や未成年ではありませんよね?」
「そんなわけないだろう。俺はヒーローだぞ。そんな卑怯な真似をする筈ないだろう!」
 憤るアメリカに日本は冷やかに言った。
「ヒーローたる者ならば、恋愛に対しても堂々としている筈です。少なくとも私の考える勇者というのは恋に対しても真直ぐに立ち向います。例え玉砕する結果になったとしても、正々堂々を貫くのが真のヒーローです」
 真っ当な正論にアメリカがグウッと喉を鳴らす。
 アメリカは自分の卑怯さを理解しているらしい。それが分かっていてもおかしな薬に頼らざるをえないほど、追い詰められているのか。
 アメリカは口を曲げて日本の視線から逃れるようにそっぽを向いている。
 悔しそうなアメリカに、日本は老婆心を働かせる。
 そこまでアメリカが好きな相手というのに興味を惹かれた。
 正義を自称する若者が卑怯な手段をとってでも欲しい相手というのは、一体どんな女だろう。そこまでの高値の花なのか。楊貴妃なみの美女か、はたまたクレオパトラのような女王様か。
 正統手段を早々放棄とは、まったくもってアメリカらしくない。……いや、アメリカらしいか。短絡的というか、考えが浅い。要するに後の事を全く考えていない。
 さあ、ジジイにネタを提供するでゲイツ。
「勿論アメリカさんがそんな卑怯な真似をするとは思っておりません。ですから相手が誰だか分かったら薬をお渡し致します。犯罪に使われるのではないと私を納得させて下さい。それが自分の恋愛に他人を巻き込む最低条件ですよ」
 有りもしない薬を盾にとり、日本は正論を振りかざした。
 アメリカは悔しそうに日本を見ていたが、日本が揺るがないのを悟るとしばらく逡巡した後、口を開いた。







 イギリスはアメリカの差出した紅茶の缶とアメリカ自身を見比べた。
 何故かイギリスの家にアメリカがいた。突然の訪問とその理由にイギリスはうろたえている。
「え…と…これって?」
「と、突然だけど、きゅ、急に君の入れた紅茶が飲みたくなったんだぞ。俺に飲ませるお茶なんかないって言われたら折角ロンドンまできた意味がないからね。ちゃんと紅茶は持参したんだぞ。だからイギリス。俺に紅茶を入れてくれよ。勿論君も一緒に飲むんだぞ。反論は認めないからな」
 上気した顔で言い張るアメリカに、イギリスは急な展開についていけない。
 アメリカの差出した紅茶の缶には見覚えがあった。それはかつてイギリスが日本に贈ったものだ。
 懐かしい。ちゃんと憶えている。
 中身はインドで採れた貴重な葉だった。その味に惚れこんだイギリスが個人で大量に買い付け、大事に飲んでいたのだ。茶の味の分かる日本に振る舞ったところ大絶賛され、イギリスは快く東洋の友人に葉を分けてやった。葉を入れた紅茶の缶はその辺に適当にあったものだがアンティークなデザインを日本は気に入り、中身が空になった後も茶葉入れに使っていると言っていた。


『先日アメリカさんにまた無茶を言われまして』
 また、の響きが耳に痛かった。
 またアメリカが日本に無茶な要求をつきつけたらしい。元保護者として苦々しくそして羞恥して、イギリスはアメリカの代わりに日本に謝罪した。
『すまない。アイツがまた馬鹿を言ったらしいな。悪いヤツじゃないんだが……。いや悪気がないから余計に悪いのか。……とにかく俺の育て方が悪かったんだ。本当にすまないな日本』
『いえいえ。イギリスさんが悪いのじゃありません。全部あのスットコドッコイの責任ですよ。いい年した若造の振るまいは最早親の責任ではありません。……それより。アメリカさんに口止めされているので本筋はお話できないのですが、口止めされていない部分は悔しいのでイギリスさんにお伝え致したくお電話差し上げました』
『アメリカが日本に口止め? なにか秘密の外交か?』
『いいえ。政治的な事ではありません。ごく個人的な小さな案件ですよ』
『個人的な事なのか。……口止めされたのなら話してはいけないんじゃないのか?』
『はい。絶対に言わないで欲しいと言われました。だから、言わないで欲しいと言われた事は言いませんが、口止めされなかった事は話しても良いのだと判断します。私は今回あえて空気を読まずにイギリスさんに喋ってしまおうと思います。AKYです。アメリカさんの真似をします』
『何を言ってるんだ日本?』
 空気の読める友人が、わざと空気を読まずにイギリスに何かを伝えようとしているらしい。
 アメリカは何かを日本に口止めした。日本は口止めされていない何かを伝えて、口止めされた内容をイギリスに察しろと言外に伝えているのだ。
 まったく日本らしくない行動だ。
 アメリカは日本を怒らせるような要求をしたのだろうか。したに決まっているから日本は怒っている。
 アメリカになり代わり、イギリスは恐々とした。
『アメリカは日本に何の無茶を言ったんだ?』
 電話の向こうで日本は低く言った。
『惚れ薬を作って欲しいと』
『……は?』
『惚れ薬です。いわいる強制フォーリンラブドラッグです』
 一瞬耳を疑った。
『な、なんでアメリカはそんなものを…』
『惚れ薬を欲しがる目的なんて一つしかありません。アメリカさんは好きな人にそれを使いたいのです』
 増々耳を疑う。
 アメリカに好きな女? いたのか、そんな相手が。
 いや、いてもおかしくはないが……。
『アメリカに好きなやつがいるのか? ど、何処のどんな女なんだ?』
『それはアメリカさんに口止めされたので言えません』
『そ、そうか…』
 イギリスはショックだった。何がショックか分からないが激しく動揺した。
『アメリカに好きな相手がいるのか。……いてもおかしくないが。俺の知らないうちにいつのまに…』
 アメリカは成長期の青年だ。美しい女性に惹かれてもおかしくない。むしろそういった相手を欲しがらない方が変だ。
 人はイギリス達を置いて先に死んでしまうので、対等に恋愛するにはリスクがある。それでも、喪失が分かっていても恋に落ちる事はある。
 イギリスにだって経験はあるからアメリカがそうなってもおかしくないと分かっている。分かっていたつもりだったが、実際アメリカにそういう相手ができたと知って動揺した。
 これは大事な我が子が他人を思っているという嫉妬なのだろうか。我ながら執着心が激しいと自嘲する。
『アメリカにそんな相手がなあ…。だけどだからといってなんでわざわざ惚れ薬なんか使うんだ? 相手がアメリカの事を嫌っているのか?』
 アメリカは見た目は好青年だが、万人に好かれるわけではない。アメリカの無神経さを嫌う繊細な女性はいるだろうし、典型的なアメリカ人を嫌う外国人が相手なのかもしれない。人の好みは千差万別だ。
 しかし薬に頼らなければならないとは情けない。
『嫌われてはいないのですが、恋愛の対象として好かれるのが難しいらしいです。……口止めされているので詳しくは言えないのですが、犯罪に踏み込まないという約束で協力しました』
『……薬の力を使ってまで好かれたい相手がいるのか。……あのアメリカが。自称ヒーローを名乗るくせにとんだヘタレだな』
『それだけ難しい相手なのですよ。好意は持たれているのですが、それが恋愛に発展するするとは……いえ、恋愛に発展しない事が分かっているからこその無茶でしょう。好意にも色々ありますからね』
『相手はアメリカが好きなのか? だったら薬なんか使わずに努力すればいい。脈がないわけじゃないんだろ。なんで努力を放棄してそんな反則技から入るんだ?』
『努力が恐いのでしょう』
『努力が恐い? アメリカが?』
『常日頃は強気に見えるアメリカさんにも弱味はあるのですよ。若いですからね』
『しかし…。薬を使うなんて卑怯じゃないか?』
『卑怯も戦略の一つですよ。それに相手がアメリカさんに好意を抱いてなければ、惚れ薬を渡したりはしません。現実を曲げて紡いだ関係はいずれ破綻する。私は卑怯も犯罪に手を染めるのもごめんです』
『すまない日本。アメリカがまた無茶を言ったんだな。……そうか。相手はアメリカに好意的なのか』
 事実を聞いてイギリスはホッとした。どうやらアメリカの好きな相手はアメリカに好意的な人物らしい。ただそれが恋愛感情とは限らない。いや、恋愛に発展させる事が難しいから日本に協力を要請(強制)したのだろう。日本が協力したくらいだからそう無茶な事にはならないはずだ。……と思いたい。
『いえいえ。……若い者の無茶に付き合うのは疲れますが、真直ぐな感情は爺には眩しくて心踊ります。私達もかつてあんな眩しい時期があったんでしょうかね。もう忘れてしまいましたが』
『日本はまだ若いだろうに』
『紀元前の頃はアメリカさんのような無謀をした事もありますが、それも記憶も定かではない昔の話ですよ』
 クスクスと笑う日本に、イギリスは唖然とした。そういえば日本はイギリスより年上なのだ。そうは見えないけれど。
 日本と同盟を結んでいた頃、こんな話をしたと思い出す。

(回想)

『ローマ帝国さん? 話は中国さんから聞いた事はあります。確か私と同年代くらいだというので御会いしたら話が合うのではないかと随分前に言われました。……ローマ帝国さんというのはどんな方だったんですか?』
 日本との雑談の中、ローマ帝国の話題が出てきて日本に知っているかと振ったらそう返され、イギリスは仰天した。
『ちゅ、中国がそんな事を言ってたのか?』
『はい。中国さんが「アイツはヤンチャばっかしてうるせえ男アルヨ。若ぇモンは勢いばっかで無茶するから嫌になるアル。日本はローマみたいになっちゃ駄目アル。でも同じ年の国は少ねえからな。案外お前と気が合うかもしれねえアルな」……とおっしゃられてました。……随分昔に言われた言葉なのに憶えているもんなんですねえ』
 しみじみ言う日本にイギリスは恐れを抱いた。
 偉大だったローマ帝国は滅んで今はもう亡いが、畏敬の気持ちは心に残っている。イギリスの目に大きく映った傷だらけの背中。彼の人と日本は同じくらい昔に誕生したのか。
 もう爺だと自称するのは言葉の綾だと思っていたのだが、単なる事実だったらしい。

(回想/終)

『アメリカが他人を頼って、そんな卑怯な真似をしてまで誰かを好きになるなんてな…』
『……気になりますかイギリスさん?』
『ならないと言ったら嘘になる。アイツは俺の元弟だし』
『それだけですか?』
『それだけ…って?』
『イギリスさんにとってアメリカさんはまだお身内なんですね。アメリカさんも報われない』
『どういう意味だ? アメリカが何だって?』
『アメリカさんはもう一人の立派な国だって事ですよ。いつまで弟扱いは気の毒というものです』
 たしなめる声は優しかったので日本が責めているのではないのは分かるが、何を言われているのかイギリスにはさっぱり分からなかった。
『だってアメリカを育てたのは俺だし…。アイツは力はあるがどうも危なっかしい。一人前と呼ぶにはまだ足りねえ。誰かが見ててやらなくちゃ。なまじ力があるだけに危険だ』
『誰だって始めは若造で未熟です。イギリスさんも私も。アメリカさんだってそうです』
『分かってるさ』
『分かっていても感情は制御できないというわけですか。……分かります。それでもイギリスさんはもう少しアメリカさんから離れてあの方を客観的に見てみるべきですよ。そうすれば見えてなかったものも見えるはずです』
『俺が何か見逃しているっていうのか?』
『誰も自分の事は分かっているようで分かっていないものです。イギリスさんは自らの視界に蓋をしているように見えます』
『……そうなのか? 分からないな。日本にはそう見えるのか』
 日本が思わせぶりに言うのだから、そうなのかもしれない。
 肝心な事をはぐらかす日本を焦れったく思う。
『なんで日本はアメリカが恋してるって俺に教えたんだ? ただ面白がって秘密を漏らしたんじゃないだろ?』
 日本はクスクスと電話の向こうで笑った。
『……そのうち分かりますよ』
『それにしても日本は凄いな。惚れ薬だなんて。そんなものがあるのなら俺も一つ欲しい。勿論代金は支払うから、可能なら融通してくれないか?』
 ブッと日本は吹き出した。
『え?』
『いやですねイギリスさん。本気になさって。そんな便利な薬、そう簡単に開発できるわけないじゃないですか』
『え、だってアメリカに惚れ薬を渡したんだろ? そう言ったじゃないか』
『アメリカさんがしつこいですから。諦めなさそうなので偽薬をお渡ししました』
『偽薬(プラシーボ)? 偽物を渡したのか?』
 日本はケラケラと笑った。らしくない朗らかさだ。
『無茶ばかり言うからです。惚れ薬なんてあるわけないじゃないですか。アメリカさんが開発できないものをどうして私が作れるんです。ちょっと考えれば分かるじゃないですか。中国さんならともかく私は持ってません。あの人は得体が知れませんから、もしかしたら本当に持っているかもしれません……。無いものを作れ、欲しいから寄越せ、とは無茶が過ぎます』
『だから偽物を渡したっていうのか?』
『恋愛は自分の力だけで叶える願いです。薬の力を使おうなんて、それこそ卑怯の極み。イギリスさんだってそう思うでしょう?』
『そりゃあ……思うけど。騙したりするのはちょっとな。アメリカが可哀想じゃないか?』
『そうですか』
 電話の向こうからヒヤリとした空気が流れてくる。
『可哀想なのは、アメリカさんに恋してないのに無理矢理心を捩じ曲げられようとしている人です。その人に他に好きな方がいたらどうするんですか? 心は他人が力づくで操っていいものではありません。心の領域だけは自分だけのもの。金でも力でもどうにもならないものです。例え身体を蹂躙されたとしても心だけは他人に明け渡さない。それが最低限の理です』
 きっぱりと日本に言われ、イギリスはいたたまれない。
 日本の言う事は正しい。勝手な個人の願いの為に他人の心を捩じ曲げて自分に向かせるのは、卑怯の極み。
 アメリカが悪い。
 だがイギリスはアメリカに甘かった。
『なら薬はできないとアメリカに正直に言えば良かっただろ。なんで偽薬なんて渡したんだ?』
 日本はフフフと笑った。電話越しで顔は分からなかったが、意地の悪い顔をしているだろう事は想像できた。
『普段アメリカさんには散々無理無茶無謀を言われているんです。たまには報復したっていいじゃありませんか。……これが報復になるとは限りませんが』
『充分な報復じゃないか?』
『どこがです? アメリカさんは惚れ薬と信じて相手に薬を飲ませる。そして相手が好意を持ってくれるのを待つ。もしくは自分から告白する。相手が嬉しそうにイエスと答えるのを想定して。……ノーと言われても自業自得ですよ。相手の心を玩ぼうというのですから。それに薬が本物だとしても効果が永遠というわけじゃありません。薬の効果が切れたらまた再び薬を投与するんですか? 永遠に? そんな事できるわけありません。そこまで相手を好き勝手に操る権利がどこにあるんですか。アメリカさんの行動は短慮です。未来を考えていません。所詮は薬の効果。相手からの愛も好意も偽物です。そんな虚しいものを手に入れてどうするんですか。相手も自分もより不幸になるだけです』
 厳しい指摘にイギリスは言葉に詰まった。まったく日本の言う通りだ。薬などに頼っても効果は一時的でしかない。時間がきたら覚めてしまうタイマー付きの偽物の恋だ。相手を本気で好きならば自分を追い詰めるだけだし、相手の女性を不幸にするだけだ。
 ふいにイギリスはアメリカが可哀想になった。身勝手で自業自得だと分かっていても、そこまでして欲しい相手にそんな態度しかとれないアメリカが哀れだ。
『アメリカは馬鹿だな。……そんな偽物の愛がずっと続くわけはないのに』
『分かっているのかもしれません。でも分かっていても欲しかったのですよ。相手の心が』
『アメリカはそんなにその女が好きなのか』
『好きだと思いますよ。あのアメリカさんがずっとずっと諦められないくらいですからねえ』
『……日本は相手の女性を知っているのか?』
『アメリカさんからお聞きしましたから。……そうですね。私の好みとは少し外れますが、素敵な人だと思いますよ。優しい人です』
 日本の声に好意が見えて、イギリスは安心するのと同時に寂しくなった。
 アメリカが苦しい恋をしている。その相手を日本は知っているのにイギリスは知らない。聞いてもアメリカは教えてくれないだろう。イギリスに兄貴面される事を極端に嫌うアメリカだ。日本には素直に教えるのにイギリスには教えない。アメリカはイギリスを疎んじている。
『……どうして日本はアメリカの秘密を俺に教えたんだ?』
 日本は他人の秘密を勝手に漏らす性格ではない。隣のワイン野郎とは違うのだ。空気が読めるし人との調和を大事にしている。
 まさかそこまでアメリカに対して怒っているのだろうか。あえて空気を読まないと自ら言ったくらいだし。
 実は……と日本は言った。
『イギリスさん。私がアメリカさんに渡した惚れ薬の偽薬ですが、形は薬ではなく、中身はただの紅茶です』
『紅茶?』
『はい。以前イギリスさんにいただいた紅茶が美味しかったので、中身がなくなった後も同じ容れ物に別の茶葉を入れて楽しんでいたのです。その残りを薬と偽ってアメリカさんにお渡ししました。お湯を入れて紅茶のように抽出するのだとお教えしたら、アメリカさんは信じましたよ』
『なんでそんな』
『薬の形だと相手は警戒しますが、お茶という形なら相手も警戒しませんからね。一緒に相手と楽しめばその場で効果が確かめられるし一石二鳥だと言ったら、あっさり信じました。可愛いものです』
『容れ物の中身はただの茶葉なのか』
『日本産の紅茶です。本場のイギリスさんのお口に合うか分かりませんが、よろしかったらイギリスさんにもお分け致します。是非御賞味下さい。イギリスさんにいただいたのには叶いませんが、なかなか良い味です』
『日本でも紅茶を作っているのか』
『はい。元々紅茶と日本茶の茶葉は同じ物ですから。加工の仕方によって味や色が違ってきます。イギリスさんの方がお詳しいでしょう』
『そうか。日本にも紅茶があるのか。それは楽しみだ』
 日本も紅茶を作っていると聞いてイギリスは嬉しくなった。自分の好きな物を相手も好んでくれるというのは嬉しいものだ。
『アメリカはただの紅茶を惚れ薬だと信じて相手の飲ませるのか。……肩透かしになるな。ただの紅茶なら相手は何の反応も起こさないだろう。効果がないとアメリカが怒って、日本に文句を言うんじゃないのか?』
『それはどうでしょうか。アメリカさんにはこう言いました。「その惚れ薬は正確には惚れ薬ではありません。好意の増幅薬です。相手が少しでもあなたに好意を抱いていれば、それを増幅させいっぱいいっぱいにして、恋をしたと勘違いさせます。悪意を持っていたり何の関心も抱いていない場合は、効果がありません。当然でしょう。欠片も好意を持っていない相手の感情をねじ曲げるのはさすがに無茶です。無理に心を変質させれば心が潰れ、精神に異常をきたします」……とね。つまり薬を盛っても相手が反応を返さないのは、その人がアメリカさんを欠片も愛してないからだという事になります』
『そんな無茶な。……しかしそう言われてしまえば反論しようがないな』
『はい。ほんの少しも好かれていない相手を薬でどうこうしようとは、さすがのアメリカさんも思わないでしょう』
『それでアメリカが諦めればいいんだが』
『無理でしょうね』
 日本はあっさり言った。とても他人事だ。
『そうだよな。諦められないから日本に無茶を言ったんだろ。それに僅かでも脈がなければアメリカだって無茶は言わないはずだ。日本はその相手がアメリカに好意を持っていると言ったじゃないか。ならばアメリカだって相手が自分を少しでも好いているという事を知っているんじゃないのか?』
『知っています。ですが、相手が抱いているのが好意だけではないというのも知っているんです』
『好意だけじゃない?』
『はい。アメリカさんは以前その相手に酷い事をして、実は心の底では憎まれているのではないかと考えているんです。愛情と憎悪は同時に存在できますからね。愛しているから憎い、というのは無きにしも有らずです。アメリカさんはだから、相手に正式に告白できず二の足を踏んでいる』
『アメリカがそんな酷い事を女性にしたっていうのか? いったいアイツは何をしたんだ?』
『それは私の口からは言えません。……しかしそういうわけですから、アメリカさんは薬の力に頼りたくなったんでしょう。あの方もまだまだ青い』
 アメリカの複雑な恋愛にイギリスは今までアメリカの何を見てきたんだろうと自嘲した。アメリカを弟扱いしながら、何も見えていなかった。日本に教えてもらわなかったらずっと知らないままだっただろう。そういうイギリスだからアメリカが独立を宣言するまで気付く事ができなかったのだ。全然成長できていない自分が嫌になる。
 落ち込むイギリスに日本は優しく言った。
『イギリスさん。アメリカさんの相手はそのうち分かります。その時、どうしてアメリカさんの恋にイギリスさんが気付けなかったのか、分かります。そんなに落ち込まないで下さい』
『相手は俺の知っている女なのか? まさか国なのか?』
『うふふふ。それは秘密です。……それで、一つ提案なのですが』
『提案?』
『何の為に私がイギリスさんにお電話をかけたとお思いで? アメリカさんの恥ずかしい秘密を漏らした理由はちゃんとあります』
『何を考えてるんだ日本?』
 イギリスは警戒した。日本は何かを企んでいるらしい。それをイギリスに噛ませようというのか。
『イギリスさんに私の嘘に乗って欲しいのです』
『日本の嘘に乗る?』
『はい。アメリカさんにお渡しした薬と偽った紅茶を見ても、驚かないように心構えていて下さい。嘘はお得意でしょう?』
『二枚舌は得意だが、アメリカが俺にその偽薬を見せる可能性があるのか?』
『おそらくは。理由を今は言えませんが、アメリカさんにその紅茶を見せられても平然としていて下さい。なぜ私がこんな事を言うのか、その時になれば理由が分かります』
『なんだか恐いな』
『私はイギリスさんに不利になるような事はしません。政治の場で工作する事はあるかもしれませんが、プライベートな場では良いお友達でいたいのです。イギリスさんとの友情は100年前から変わっていません』
『日本…』
 きっぱりと言われてイギリスは照れる。
 日本の好意は感じていたが面と向って言われると恥ずかしい。友情という言葉に憧れを感じるくらいイギリスは友情に飢えていた。
『お、俺だって日本とはいい友達でいたいと思っている。公的な立場では敵対した事もあったが、個人的に言えば……日本とは争いたくなかった』
『我々は国ですから。個人の思惑とは別に時代の流れに飲み込まれてその時その時を生きねばなりません。悲しい事ですが、辛いのはどの国達も一緒です。短い生を生きる人間達は利益を求めて他人の身を削りたがります。我々は人とは決別して生きられない。彼らの大地が我々なのですから』
『そうだな。悲しい事だがそれが事実だ』
『今は平和です。仮染めであると分かっていても幸福な時代だと思いますよ。……だからこんな温いお遊びも可能なのでしょう。イギリスさん。アメリカさんは考え無しのスットコドッコイです。あの人の恋愛は危うい。だから……』
『なんだ?』
『いいえ……。結果を出すのはアメリカさんのお相手だけですから』
 イギリスは不意に思い付いた。
 そういう事か。
『分かったぞ』
『何がですか?』
『アメリカが俺にその惚れ薬を見せるわけが。まずは俺で薬の効果があるか試して中身を確かめてから、好きな女に使ってみようっていうんだな。なんてヤツだ』
『……イギリスさんもいいとこ突くようで斜めですねえ。それがイギリスさんの良い所ですが、悪い所でもある…。まあその時になれば分かるでしょう。そうですね。アメリカさんにその紅茶を飲まされたら薬の効果が出たフリをするのも面白いでしょう。メロメロメロンになって「アメリカ愛してる」とでも言えばアメリカさんはウキウキで好きな相手にその偽薬紅茶を飲ませるでしょう。…………ブブッ』
『なんか日本、声が笑ってないか?』
『いえいえ。電話の調子が良くないのでしょう。……そういうわけですからくれぐれも協力をお願いします』
『なんだかよく分からないが、その程度なら協力するさ。と、友達だからな』
『ええ。お友達ですから。お友達だからイギリスさんにはアメリカさんの秘密を打ち明けたのです』
 イギリスは日本の謎めいた笑い声の意味はよく分からなかったが、アメリカが誰かを本気で愛しているという事実の方に興味を惹かれて、日本が何を考えているのか追求しようとはしなかった。





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