幸せと辛いの差は棒一本(米英)





 後編




 ああ、やっちまった。
 日本の顔は強ばり狼狽えていた。
「あの……それは本当の事なんですよね?」
 気まずいけれど誤魔化せないので頷く。
 日本の目が爛々と迫力を増した。
「アメリカさんもなんて事を…。いくら素直になれないからって、イギリスさんから対象と見られてないからといって、そんな強引に…。ああどうしましょう。あのメタボ。こっそり不能になる薬でも洩ってやろうか。イギリスさんの可憐な蕾にギッチギチに突っ込むなんて…………想像だけで萌えます」
「…日本?」
「申しわけありません。心の内の富士山が一瞬噴火しました。………イギリスさんはアメリカさんに抱かれるのが辛いのですね」
「……ああ」
「寝るのを止めたいのに止めるきっかけが見つからない?」
「うん」
「今さら遅いですが、もっと早めにアメリカさんを止めるべきだったのでは。おいたをしたらその場で叱らないと子供には分りませんよ」
「アメリカはガキだが子供じゃない」
「子供じゃなくても獣と一緒です。レイプだなんて……胸がムカついてしょうがありません。あのKYメタボ」
「どうしたらいいんだろうな」
 水みたいに見える口あたりのいい日本酒を呷る。ウイスキーやワインとはまったく違う味だが、日本の酒もうまい。コップが枡に入ってて、なみなみ注がれた日本酒が枡に溢れる。溢れた酒も最後に呑めるのがなんとも粋だ。
「……イギリスさんはアメリカさんをどう思ってるんですか?」
「メタボ、我侭、ガキ、煩い」
「あの人に優しくされるのが辛いのは…………好き、だからなのではないでしょうか」
「そう、思うか?」
「……ええ」
 言い当てられて日本から目を逸らした。
 日本は真剣な顔をして俺を案じている。
 それにしてもさすが空気が読める国だ。これだけの情報で俺の本心を当ててしまった。
 愛しているから愛のないセックスが辛い。心のない行為に心が軋む。適当に扱われて泣きたくなる。
 まさかアメリカに恋するなんて。俺はアメリカの兄、なのに。叶うはずのない不毛の恋をした。
「俺はどうすればいいと思う?」
「イギリスさんはどうしたいですか?」
「どうって」
「寝るのを止めてこのまま無かった事にするか、アメリカさんと恋人になるか」
「アメリカと恋人になる? そんなの無理に決まってる。ありえない」
「どうしてですか?」
「アメリカはノーマルで普通に女好きだ。ハンガリーみたいな巨乳美女ならともかく、男だって時点で論外だろう。やつはゲイにはなれない」
「でもアメリカさんはイギリスさんを抱いてます」
「俺と寝るのはマスターベーションの延長みたいなものだろ。セックスとすら思ってないんじゃないのか?」
「まさかそんな。イギリスさんは自分を卑下しすぎです。いくらアメリカさんでも、人を欲望の解消の為だけに使ったりはしませんよ」
「でも最初に俺に乱暴したのはあいつだ。縛り上げて突っ込んだ最低のひとでなしだ」
「……それには言い訳もできませんが、アメリカさんにはアメリカさんなりの理由がちゃんとあると思います。空気が読めなくても存在自体迷惑でも、一応自称ヒーローなんですから、信じてあげるべきなのではないでしょうか」
「あいつにとって俺は、ヒーローとして助けるに値しない存在なんだろうな。だから酷い事をしても罪悪感なんて持たない」
「あのクソガキがっ…」
 日本がありえない罵りを吐いたように見えたけど、勿論聞き間違いだろう。日本がそんな汚い言葉を使うはずがない。だいぶ酔っ払ったらしい。
 日本が俺の両手をとった。
「お可哀想にイギリスさん。身体に心が引き摺られてしまったのですね。アメリカさんに思ってはならぬ思いを抱いてしまったとしても、責められるはあのメタボです。イギリスさんが御自分を卑下するなど止めて下さい。私にとってイギリスさんは初めて会った時から変わり無いお優しい紳士です。大切なお友達が自分は責めるのは辛い」
 日本の労るような言葉が胸に染みて痛かった。
 あんな告白を聞かされた後でも変わりない眼差しを向けてくれる日本の優しさに、瞼が熱くなる。
 潤む瞳から涙が溢れないように堪えていると、日本は言った。
「イギリスさん。アメリカさんと恋人になりたいですか?」
「……無理だ」
「私はなりたいかなりたくないかを聞いています。無理か叶うか聞いたわけではありません。……なりたいですか?」
「なりたい」
 日本の前では不思議と正直になれる。日本はいかなる時でも俺をからかったり笑い者にしたりしない。日本はいつだって優しい。
「ならば」
 日本の目がチャシャ猫のように三日月を描いた。気のせいだろう。
「ひとつだけ私からできるアドバイスがあります。これをすればアメリカさんはきっとイギリスさんの事を真剣に考えるようになるでしょう」
「そんないい方法があるのか?」
 あったらとっくに実践してる。ヤフーにもグーグルにも載ってなかった。
「ございます」
 日本がずいと身を乗り出した。
「アメリカさんがイギリスさんを抱こうとしたらこう言って下さい。
『好きなやつができたからもう愛のないセックスはしない』…と」
「愛のないセックスはしない…」
「そうです。それだけでいいのです」
「で、でもそしたらアメリカは俺との関係を止めるだけなんじゃないのか」
「問題はその後です」
「あと?」
「はい。イギリスさんがそう言ったらきっとアメリカさんは『俺には関係ないんだぞ』とかなんとか言って強引に行為を続行しようとするでしょう。イギリスさんが抵抗したらムキになって抱こうとするでしょうから、一切抵抗しないで下さい」
「……抵抗しなかったらヤられるだけなんじゃ…」
「抵抗しないで、アメリカさんから目を逸らし、泣いて下さい。はい、ここ重要」
「泣く?」
「できればグズグズ泣くのではなく、耐えるようにハラハラと涙を零して下さい。咄嗟に泣けないというのなら、アメリカさんの誕生日の事でも考えてなんとか泣くのです。泣くのは得意でしょう」
「まあ……泣こうと思えば泣けるけど……そんなんでいいのか? でも今までだって泣いてもアメリカは関係ないとばかりに遠慮なしにガツガツと俺を抱いたぞ」
「抵抗するから相手もムキになるのです。こちらが抵抗を止めれば相手も幾分冷静さを取り戻します。そうしたらとりあえず身体は従順に、心は受け入れ難いといわんばかりに演技して下さい」
「乱暴じゃなければこちらもそれなりに気持ちがいいんで、感じちまうんだけど」
「それもまた良し。感じたくないのに慣れた身体は感じてしまい、心とは裏腹に身体は敏感でそれが辛い、こんなの嫌なのに……という風に見えるようにお願いします」
「なんだか面倒だが…………それに何の意味があるんだ?」
 日本が何を考えているのかさっぱり分らん。
「いいから。私を信じてぜひやってみて下さい。私はイギリスさんを騙したりしません。まずはやるだけやって効果を試してみましょう。きっとうまくいきます」
 日本は自信満々だ。何か根拠があるのだろうか。
「……アメリカが抱こうとしたら『好きな相手ができたからお前とはもうしたくない』って言って、それでもアメリカが抱こうとしたら抵抗しないで抱かれて、泣き真似をする……と」
 本気で首を傾げた。これに何の意味があるのだろう。
「俺がもうしたくないと言って、アメリカが本気にして離れていったら、どうしたらいいんだ?」
「その時は私がちゃんとフォローしますから。さりげなくアメリカさんにイギリスさんの気持ちを悟らせて、アメリカさんがイギリスさんを気にかけるように仕向けます」
「そんな事ができるのか?」
「ええ、できますとも。私を信じて下さい」
 信じ難いが、日本がこれ以上ないくらい自信満々なので一応信じてみる事にした。不思議の国ジャポンにはヨーロッパにはない不思議なミラクルがあるのかもしれない。忍者や陰陽師がいる国なのだから、ありえない摩訶不思議も実現可能なのだろう。
「アメリカに『イギリスが好きなやつって誰だ? 名前を言うまで信じられないんだぞ』なんて聞かれたら?」
「その時は『お前には関係ない』とつれなく突き放す事をお薦めします。もしかしたらアメリカさんは激昂するかもしれませんが、演技は続行で」
「ほんとにそんなんでうまくいくのか?」
 半信半疑というより九割疑っていると、日本は微笑んだ。
「イギリスさんがその気になったらアメリカさんなどひとヒネリでチョロイですよ。勝利は目前です。KYメタボとくっつかれるのは正直嬉しくないのですが、イギリスさんがそう望まれるのなら、私は応援致しましょう。わたしも日本男児。やるときゃやります、叶えます。あなたの恋のハート、赤く染めてみせましょう」
 拳を握って力説する日本は雄々しかった。世界大戦前のサムライ日本を彷佛とさせた。
 なんだか元気が出てきた。やっぱり日本は優しい。一緒にいると心が安らぐ。
「日本…。こんな話を聞かせたのに引かないでくれてありがとな。アドバイス、サンクス」
「いいんです。こちらこそ萌えと資料をありがとうございます。これで次の夏が乗り切れます」
「……夏? モエ? 資料?」
「いえいえこちらの事です。失言でした。……私が断言します。アメリカさんはきっとイギリスさんを好きになりますよ」
「……無理な気がするんだが」
「いいえ。信じるのです。失敗を恐れないで下さい。 愛は勝ちます。真実の愛に勝るものはありません。自分と私を信じて下さい」
「愛は勝つ…」
「そうです」
 なんだかできそうな気がしてきた。
 日本が慈愛に満ちた眼差しで俺を見ている。その優しい笑顔に見守られていると不思議とささくれ立った心が癒される気がした。
「日本。俺……頑張ってみようと思う」
「はい。良い報告をお待ちしております」


 イギリスがトイレに立った時に日本は素早くアメリカにメールを送った。
「あの二人……アメリカさんの片思いがいつのまにか片思いじゃなくなっていたなんて超びっくりです。無理矢理強姦→身体が心に引き摺られる、なんてパターン、エロ漫画だけじゃなく現実にあるんですねえ。参考になります。……それにしてもあのメタボ。イギリスさんとあんな事やこんな事をやっておきながら涼しい顔して、侮れません。でも今ごろはきっと、膠着した現状に葛藤中な事でしょう。自業自得です。身体はどうにか好きにできたけれど、逆に好きだと言えなくなってしまって、ざまあみろです。イギリスさんに優しくしたいけれど、抱くのを止めてしまったら関係が絶たれてしまいそうでそれもできず、喧嘩の時しか抱けないので喧嘩ばかりしている…なかな好きだと告白できない…と。泥沼です。ハーレークインというよりレディコミですか。若造め。勢いにまかせて欲望つっ走らせてどうするんですか。イギリスさんが壊れるじゃないですか。処女に無理矢理突っ込むなんて乱暴な。アメリカさんに犯されてるイギリスさん。見たいけれど見たくないような…。隠しカメラはアメリカさんに発見されそうですし……。それにしてもアメリカさんを挑発したら、きっとイギリスさんはアメリカさんにあんな事やこんな事までされて……。仕方がありません。愛に試練はつきものです。ガツガツヤられてから、アメリカさんを翻弄して下さい。フラグクラッシャーのイギリスさんの事ですから、きっとナチュラルにアメリカさんを振り回す事でしょう。あの二人が相愛だと自覚するのはもう少し先ですね。それにしても次の新刊のネタが向こうから降ってきてくれて助かりました。リアルツンデレ流石です、お見事です。今度イギリスさんに美味しいお茶でも差し入れしにいきましょう。ついでにイギリスさんからあれこれ話も聞いて。ふふふ、楽しみです」
 ゲヘゲヘスケベ親父のようないやらしい事を内心考えていても顔に出さない日本は、涼しげな顔で夜景の見える高級居酒屋で手酌の酒を楽しんでいた。



〈送信〉To:USA
〈件名〉イギリスさんに一大事
 前略アメリカさん。びっくりしたので前置きなしで失礼します。
 イギリスさんに最近、本気で好きな人ができたそうなのですが、アメリカさんは相手の方を御存じですか?
 イギリスさんはその人の事を想って切ない溜息を漏らしています。大層悩ましい風情で目の毒です。
  By.日本