不毛地帯







    【03 / アメリカ Fall in Love



「……あっ!」
「あっ……ごめん」
 うっかりリンゴの山に気をとられていたら前から歩いてきた人間にぶつかってしまい、手から焼き栗の袋が落ちた。
「ソーリー。……はいどうぞ」
 差し出された焼き栗の袋を反射的に受け取り、オレは固まった。同時にアメリカも固まる。
 なんてこった。神様は気まぐれで意地悪で残酷だ。会いたくても会えない時に、こうやってアメリカに引き合わせるなんて。
 オレは顔を伏せ、小さく「サンクス」と言った。顔をあげられなかった。
 だがアメリカにはばっちりオレの顔を見られてしまっただろう。
 なんてこった。嗚呼、なんてこった。
「……きみ?」
 アメリカのどこか呆然としたような声。
 そうか。そうだろうな。まさかオレとこんな場所ではち合わせるなんて思ってなかったんだろう。オレもそうだから分る。なんという偶然。アメリカに会いたくないと思ったのは久しぶりだった。
「……あの」
 アメリカがオレの顔を見て焦ったような戸惑ったような顔になる。吹き出されなかっただけマシか。そんな珍獣でも見るような目で見ないで欲しい。
 オレは恥ずかしさのあまり、開き直る事にした。逃げ出して背中で笑われるのが嫌だったからだ。しかしオレは選択を間違った。
 背中で笑われた方がマシな事態が待ち構えているなんて、その時のオレにどうして分っただろう。
「あの……君、大丈夫? 怪我、しなかったかい? ごめんよ」
 アメリカの柔らかい優し過ぎる声に、感動するより戸惑った。
 オレに謝るなんて。こいつ。ありえねえっ。……何か変な物食ったんじゃないだろうか。古いバーガーにあたったのか。どう考えてもおかしい。裏があるとしか思えない。
 ……いや。きっとアメリカはオレに同情したんだ。こんな変な顔になってしまったオレに。
「だ……いじょうぶ。だいじょうぶだ」
 恥ずかしさのあまり声が小さくなる。よりによって一番見られたくない人間に顔を見られるなんて。
「本当? 良かった」
 パッと花が咲いたみたいな笑顔を向けられる。思わず見蕩れる。こんな無防備な笑顔を向けられたのは久しぶりだ。まるで独立前のアメリカのよう。オレに屈託なく接していた頃のアメリカ。
 なんで今さらこんな顔を見せるんだ。
 嫌がらせか。嫌がらせなんだろうな。アメリカは無邪気に残酷だ。悪意は少ないが考えも足りない言葉や態度がどれほど他人を傷つけるかなんて考えない。浅慮だ。もしくは浅慮を装った悪意か稚気か。本当にタチが悪い。
「……おい……どうかしたか?」
 ジッと顔を凝視され、大変きまずい。
 オレの顔を変だと思っているのならそう言えばいいのに。
 いつものように「きみって本当におかしな顔だねっ、ぷぷぷぷ」なんて笑うといい。そうしたらオレだって「うるせえ、だまれええええっ、ごらああああっ!」って怒鳴って逃げるのに。珍妙なものを見るような目で見るなんて反則だ。これ以上はない嫌がらせだ。ド畜生めっ。ドSかこんにゃろううううっ。
「……用がないのなら行くから」
 そういって離れようとしたオレの手がアメリカに掴まれる。
「な、なんだよ」
 思わずビクッと怯えたのは反射だ反射。アメリカに嫌な事を言われるんだろうという予感と、心の準備だ。
「ソ、ソーリー」
 オレが怯えるとアメリカも思わず手を放した。
「……おまえ、オレに何か用があるのか?」
「よ、用はないんだけど…」
「ならなんだ?」
「あの……」
 おかしいとオレは首を傾げる。なんだかアメリカの様子がおかしい。
 いつもなら『用がなくちゃ話しかけちゃいけないの? 会話するのにいちいち理由がいるのかい? 君って相変わらず変な人だね。DDDDDD』……なんてバカにするだろうに。いつもアメリカに声をかける理由を探しているオレを揶揄した、アメリカの残酷なからかいの言葉。
 しかし今日のアメリカはどこかちぐはぐというか、妙だ。いつもの軽口が出てこない。
 見上げてアメリカの真意を探そうとジッと顔を凝視すると、アメリカがサッと赤くなって目をそらせた。増々妙だ。
 さすがに心配になってアメリカの額に手を伸ばす。
 熱でもあるのだろうか。本当に仕事が多忙だったのかもしれない。最近の不況でどこも苦しい。アメリカも体調不良なのだろうか。
 額に触れると、ヤケドでもしたかのようにアメリカは大仰に仰け反った。なんだか酷く慌てている。何もしないのに。熱があるか確かめようとしただけだ。なんでそんなに慌てているんだろう。オレが何かするかと疑ったのか。大袈裟な反応に傷つく。
「ちょ、ちょっと、君っ、何をっ急にっ!」
「いや。言動がおかしいから熱でもあるのかと思って」
「熱、熱なんかないよっ。きゅ、急に触らないでくれないか。驚くから……」
「そうみたいだな」
「そうだよ!」
「でも様子がおかしい。本当に熱があるんじゃないか」
「それはっ」
「それは?」
「………………いや。オレ、なんだか、おかしい…」
「どこか悪いのか?」
「君の顔を見た瞬間から……おかしいんだ」
「んだとごらああああああっ! 喧嘩売ってんのかああああぁっ、上等だ買ったる!」…と怒鳴らなかったのはアメリカに急に両手を掴まれたからだ。上から手の項を握られる。
 人の顔をおかしいと面と向って言うなんて、失礼なヤツだ。自分でも変だと思ってるから余計に腹が立つ。
 しかしこの手はなんだ。オレの鉄拳を封じているつもりか。甘いなオレには黄金の右足がある。スネを蹴られたくなかったらさっさと手を放せ。
 アメリカの顔がどこか焦って見える。
「こ、こんな事突然言われて驚くと思うけどっ」
「……なんだ?」
「冗談でも遊びでも浮ついた気持ちじゃない。……突然、降ってきたんだ」
「……今日は晴天だぞ」
 思わず青空を見上げる。
 天気予報じゃ雨だっただろうか?
「雨じゃなく……」
「じゃあなんだ?」
「しょ、初対面なのにこんな事を言うオレを浮ついた男だなんて思わないで欲しい」
「……初対面?」
「オレは君みたいな可憐な人に会ったのは初めてなんだ。だから……どうしていいか分らなくて」
「可憐? 初めて?」
「君は……まるで……天使だ。綺麗だ」
 会話がズレているというか、繋がらない。訳が分らない。……いや。分った。
 これはアメリカの嫌がらせだきっと。オレをからかう為の悪質な冗談。
 綺麗、なんてオレに向って言うわけない、というか今の顔を見て言うなんて、なんて酷いヤツだ。言って良い事と悪い事がある。
「おまえなあ……言っていい事と悪い事があるだろ」
「悪い事なのかい? きききき君を……きききき綺麗だって思う事が。……す、好きだって思う事はっ」
「……好き?」
「君が好きだっ!」
 怒鳴られた。
「……はあああああ?」
「一目惚れだっ!」
「ふあああああ?」
 繰り返されるLOVEの言葉にオレは首を傾げる。
 からかうにしては真にせまっている。これが演技ならアカデミー賞ものだ。
 顔は赤く上気し、隠しきれない興奮と喜びと戸惑いとを浮かべた恋する若者の顔が目の前にあるのだが……。相手はアメリカだ。
 そっくりさんの別人じゃないよな? だってありえねえ。
 というか、突然なんでこんな展開になっているんだ? 手のこんだドッキリ企画か? その辺に隠しカメラが仕込んであるのか?

 ちょっと待て。冷静に考えよう。というか、アメリカに真意を吐かせよう。どういう魂胆でこんなふざけた事を言ってるのだろう。
「好き、なんだ。一目惚れなんだ。信じられないだろうね。だってオレだって突然こんな気持ちになって信じられないくらいなんだから」
 何かがおかしい。アメリカの演技力が凄すぎる。真に迫っている。思わず騙されかける。
 いつのまにハリウッドに弟子入りしたんだおまえは。
 CIAの陰謀か? 搦手でグレートブリテンを支配しようと企むアメリカ国家の策略か?
 黙っているオレにアメリカはなおも言葉を重ねる。その必死さが嘘くさくて、でもなり振り構わない姿勢が逆に演技らしくなく、オレはアメリカが何をしようとしているのかと身構える。
 このオレが見当もつかないとは。アメリカも駆け引きというものを覚えたらしい。くそうっ。アメリカ対策マニュアルを至急書き直さないと。明日は残業決定だ。部下の嫌そうな顔が想像できてしまう。
「君みたいに……綺麗な人には初めて出会った」
「………………………………そうか」
「一目見た時から、心臓がおかしいんだ」
「………………………………心臓病か?」
「オレは健康体だよ。……そうじゃなく。君を見た時から……平静ではいられないんだ。胸がドキドキして、でも目が逸らせなくて……君が綺麗で。君はまるで天使だ。いや、天使の姿をした悪魔か。その美貌で何人の男を恋の地獄に落としてきたんだ。君の美しさは罪だ」
「………………………………その眼鏡、レンズがあってないんじゃないのか? 眼科に行け」
「一目惚れって本当にあるんだね。ノベルかコミックかスクリーンの中だけだと思ってた」
「………………………おおおいいい? 大丈夫か?」
「初対面のオレの心配をしてくれるなんて、君はなんて優しいんだ。……信じて欲しいんだ。本当に、いきなり君に恋に落ちた。運命なんて信じてなかったけど、今日は信じるよ。オレは君が好き、らしい。一目惚れだ」
「………………………………」
 演技、演技、だよな? アメリカがオレに告白なんてイベントかます訳ないからなっ。
 でもでも。アメリカの顔が。演技にしてはリアルに迫りすぎてる。余裕なくてテンパっているのが丸分り。
 これ、本当に演技?
 オレはわけが分らなくてひたすら硬直する。
 そんなオレの態度を、オレがアメリカの言葉を疑っているのだとやつは思ったらしい。
「いきなり初対面の怪しい男に愛の言葉を囁かれても、信じられないのは当然だ。だけど。オレは本気だ、真剣なんだ。オレを怪んでいるのなら身分証を見せるよ。オレはアメリカ人のアルフレッド・ジョーンズ。十九歳だ。……君は? この近くに住んでるの? 年齢を聞いてもいいかい? まさかローティーンじゃないよね?」
「年は、二十……三歳」
「……わお。年上なのか。てっきり年下なのかと思ったよ。……でも良かった。未成年じゃないのなら口説いても淫行にはならないよね。……君って童顔なんだ。可愛いよ、すっごくキュートだ。……名前を教えてくれないかい?」
 これはアメリカンジョークか。それとも『初対面ごっこ』か『告白ごっこ』か『ラブストーリーごっこ』なのだろうか。フランスの濃厚な恋愛映画を見てあてられでもしたのか。アクション映画のヒーロー役に飽きて、ラブストーリーの登場人物になってみたかったのかもしれない。突然、市場で出会って恋に落ちる男女の恋物語。
 しかしアメリカとオレは元兄弟だし、何より男だし、配役には色々問題がある。というか問題しかない。
 疑似恋愛ごっこがしたいのなら、大使館勤めの美人にでもつき合ってもらえばいいのに。仕事が多忙だと断られたのかもしれない。大使館勤めのエリートがこんなバカな遊びにつき合うはずがない。
 オレは溜息を吐いた。
 オレをからかって遊びたいのだきっと。なんてくだらない事ばかりするのだろう。つき合ってられない。
「冗談言ってないで。ンな遊びに付き合ってられっか」
「冗談じゃないって言ってる! 君が好きなんだ! 一目惚れしたんだっ!」
 それが思わぬ大きな声で。周囲にいる人間が興味深そうにオレ達を見ている。逃げ出そうにも手はアメリカに掴まれていて、逃げ出せない。まあ本気で逃げようと思うなら黄金の右足を使うだけだが。
「ちょ、ちょっと、人が見て…バカ、状況を考えろっ!手を放せっ」
 衆目に晒され、いたたまれなさに身を引きかけたオレを、アメリカがいきなり抱き締める。
 ふぎゃっおえええーー@@★??
 アメリカの胸板がーっ! ……あ、柔らかい? このメタボめっ。脂肪じゃねえか。
 アメリカの心臓がドキドキしてる?
 不整脈か? 成人病の前兆だろうか。精密検査を受けるよう言わなければ。
「君が、す、好きなんだ。……と思う。君を見ていると正気じゃいられない。君が男だって分っているのに。……君、ゲイじゃないよね?」
「殴るぞ」
「ごめんよ。いきなり男に告白されたら気持ち悪くて恐いよね。……でも。逃げないで欲しいんだ」
「現在お前に掴まれているので、逃げようにも逃げられない」
「逃げないで欲しい。……い、いきなり恋人になって欲しいなんて言わないよ。まずは友達からお願いします」
 アメリカの頬の熱さを感じて、オレはワイン瓶で殴られた気がした。
(えええっ? こいつ、本気だ! 本気でオレの事を口説いてる。……つかっ)

 本気でオレがイギリスだって分ってねえのかぁっ?!

 思わず目眩がした。
 それで、初対面なのか。
 あんまりだ。ショックで呼吸を忘れる。
 確かに。今のオレはいつものオレではない。凛々しいグレートブリテンではない。紳士ですらない。しがないその辺のイギリス人だ。
 何故なら。
 今朝。顔に剃刀を当てている時に。うっかりくしゃみをして眉毛をばっさり剃り落としてしまったのだ。バランスが悪いので、もう片方も泣く泣く剃った。
 久々の細い眉に、鏡の前で男泣きしたさ。
 この眉のせいでアメリカに会えないと、こっそり遠くで眺めようとしたのだ。
 こんな軟弱な眉毛なオレは見せられない。
 眉毛のないオレは紳士ではない。
 眉毛こそ紳士のシルシ、紳士の証明であり、紳士の具現なのだ。なのに今のオレの顔にあるのは軟弱な細眉。これじゃあ、紳士じゃない、ただのイギリス人。
 オレは立派な眉が特徴だから、眉が無くなるとノー個性になって大分印象が変わる。
 だからといって。嗚呼、だからといって。
 育てたわが子に「WHO ARE YOU ?」と聞かれるとは思わなかったぜ、こん畜生!
 衝撃から立ち直れずうなだれるオレに、アメリカが情熱的な言葉を次々投げかけてくるのだが。
 オレが正気で、言葉が『イギリス自身』に向って投げられたのなら感激のあまり涙ぐんだかもしれないが。
 その時のオレは頭に血が上って怒髪天突いていた。キレキレにキレていた。つまり爆発三秒前。
 オレはありったけの理性を掻き集めて微笑んだ。
 アメリカの顔が赤くなる。
「おまえ……本当にオレが好き、なんだな……」
「う、うん」
「なら………オレの名前を当てられたら、つき合ってもいい」
「本当かい?」
「オレの名前、当ててみろ」
「うん」
 真剣な顔をして考え込むアメリカに隙ができる。
 その時オレがやった事は。
 思いきり息を吸いこんで。

「きゃーーーーっ! 痴漢ーーーーっ! たすけてーーーっ!
 いやーーーーーーっ! おまわりさーんヘルプミーッ!!」


「ええええっ?」

 大声を上げたオレに思わずアメリカの拘束が弛む。
 手が自由になればこっちのもの。ボクシングの本場を舐めんなヤンキーめ。
「くたばれっ!」
 強烈なボディを入れたあと、身体を屈めたアメリカの顎にアッパーカットを叩き込み、すみやかな退却。つまり逃げた。
 痴漢扱いされたアメリカがどうなろうと知った事じゃない。本気で殴ったからしばらくは動けまい。元ヤンを舐めんな。
 多少すっきりしたが、それでも腹立たしさは残ってプリプリしていたオレはアメリカに正体を明かさなかった事を忘れていた。
 つまりは。
 アメリカは誤解したまま。
 フランスの市場で出会った眉の細い青年に一目惚れして、その美青年に恋い焦がれたまま、進行形。
 誤解はその場で解かないと、後で解きにくくなる。
 オレは誤解を解くタイミングを完全に逃した。