喜劇友情ロンド





 【#05 日本とフランス


 アメリカの向う先は自家用ジェットだ。そこからイギリスを自国に連れ去るつもりだろう。
 ドップラー現象のような響きを残したまま消えたイギリスの姿を見送って、日本は隣で地面に蹲るフランスに声を掛けた。
「大丈夫ですか、フランスさん?」
「だ、大丈夫、じゃない、よ、菊ちゃん。お…にいさんの、内臓、口から、出そうだよ。息が、できねえって」
 合衆国の本気の蹴りはイギリスの拳に慣れたフランスの身体にもダメージ大らしい。
 日本ははふー、と息を吐いた。
 とても友人が理不尽に攫われた人間の顔には見えず、平静で落着いていた。
「銃を出してきた時は驚きましたが、しかしアメリカさんも単純ですねえ。こんなに簡単に嘘に引っ掛かるなんて、あの人の頭が心配です」
 フランスも腹を擦りながら落着いている。
「お兄さんもまさかこんな嘘が通じるなんて思わなかったよ。菊ちゃんから話を持ちかけられたけど、こんなセンスの欠片もない嘘をアメリカが信じるとは思わなかったから……逆に驚いた」
「自分からイギリスさんを騙すと言ったくせに、自分が騙される可能性を全く考えていないところがアメリカさんらしいです。アメリカさんの嘘に対抗して、イギリスさんも同じ嘘で騙しましょうと言っただけなのに、こんな事になって」
「おかげでお兄さん、かなり痛い思いをしたんだけど」
 フランスが恨めしげに日本を見上げた。
 嘘を仕掛けた日本だが、まったく悪びれない。
「アメリカさんが嘘を信じた時点で逃げないからですよ。アメリカさんがイギリスさんを愛している事は、充分承知でしょうに。フランスさんとの結婚を聞き、アメリカさんは嫉妬の鬼になってましたよ。アメリカさんの逆切れは予想できていたんですから、注意していれば殴られずに済んだのに。油断大敵です」
「菊ちゃん、冷たい。酷いよ。…にしても、本当にいいのか?」
「何がですか?」
「アメリカのやつ、かなり頭に血が上ってたぞ。顔は平静を装ってたけど、腹ん中はグラグラ煮えまくってたぜ。嫉妬剥き出しの殺意ビンビンで、お兄さん殺されるかと思った」
 銃口には明確な殺意があった。もしフランスがイギリスを取り返そうと動いたら、アメリカは迷わず撃ったかもしれない。そんな男にイギリスは攫われたのだ。いかに元ヤンのイギリスでも力ではアメリカに叶わない。それくらいアメリカの力は桁外れている。
「イギリスは本当に大丈夫か? アメリカに連れていかれちゃったままにしてていいのか? アメリカのヤツ、身体から始めるとかなんとか、かなり中二病的なヤバい事言ってたぞ。イギリスのヤツ、かなり危険な状態じゃないのか? 取り返しのつかない事になる前に上に事情を説明して、アメリカの行方を捜してもらった方がいいんじゃねえの?」
「どうしてですか?」
「だって……あのままだと、勢いこんだアメリカが何すっか分らないだろ。つか、分かり切っててヤバい。アメリカのヤツ、力づくでイギリスを自分のモノにする気だ。愛があってもレイプなんて冗談じゃない。そこまでやっちまったら洒落にならねえ」
 フランスの慌てたさまを、日本は冷やかに嗤う。
「御自分もされた事なのに、どの口でおっしゃるやらフランスさん。片腹痛いですよ。イギリスさんが処女じゃないのは誰のせいですか?」
「……日本?」
「あなたが過去にイギリスさんになさった事を私が知らないと思っているんですか? 引き蘢っていても、そこまで鈍くないですよ。……ああ、アメリカさんは何も知らないようですから黙っていてあげましょう。あなたが幼いイギリスさんを陵辱しただなんて知ったら、今度は蹴りじゃ済まないでしょうからね。本当に撃たれるでしょうね」
「日本? なんでお前が知ってるんだ? ……五百年以上の前だぞ」
 フランスは、日本がどこまで知っているのかと探るように慎重に問い返してきた。
 日本は塵を放るように蔑む言葉を静かに投げる。
「だからもう時効だ、とでも? 苦痛は時間が癒してくれますが、罪は時間じゃ濯げませんよフランスさん。被害者と加害者の時間が同じように流れるなんて甘っちょろい事考えてるなら、そんな考えはお捨てなさい。愛の国は口先だけなんですか」
「……イギリスから聞いたのか?」
「さあ。………誰から聞いたなんてどうだっていいじゃないですか。それより、今回のイギリスさんとフランスさんの結婚がエイプリルフールの嘘だったという件は、いつアメリカさんにバラしましょうか。下手なバラし方をしたら、私もフランスさんの二の舞いですからねえ。アメリカさんに蹴られるのは嫌ですし。私は欧州の方のように丈夫じゃないんです」
 フランスの顔がますます引き攣った。
「やめてくれ。皆がグルで自分一人が引っ掛けられたと知ったら、マジでアメリカは切れる。アメリカとイギリスの仲がちっとも進展しないから、お兄さんも協力しろと言ったのは日本だろ。こうなる事が分かって仕組んだのか?」
「あのスットコドッコイが素直にならないから、イギリスさんは泣きっぱなしです。傷つける事しかできない恋なんて最低です。あの二人は両方ツンデレですから、こうでもしないとあと百年は進展しませんよ。お節介とは分かっていますが、ジジイが一肌脱ぎました」
「それは分るけど、イギリスの気持ちはどうなるんだ? イギリスはアメリカの事が大好きだけど、アメリカに好かれてる事に全然気付けないほどアメリカの好意を信じないガチガチの石頭だぞ。両思いのはずなのに、お互い片思いしてると思い込んでる不器用同士だから、うまくいくもんもうまくいかねえ。くっつくのは困難で、壊れるは呆気無い、ガラスのカップルつくる気か?」
「フランスさんはアメリカさんを見くびってらっしゃいますね。あの人がようやく手に入れたイギリスさんを手放すもんですか」
 アメリカの恋は愛を通り越してすでに執着の域だ。中身はガキだが、ただのガキが二百年も同じ人間を思い続けられるわけがない。しつこい所は義理の兄譲りの粘着質。おまけに自分勝手。恋の相手にはしたくない性格だが、イギリスはアメリカを愛している。
 フランスは恐い顔を日本に向けた。
「あの二人が恋人になるのは勝手だが、イギリスがアメリカに力づくでやられちまうのは賛成できねえ。自分のしてきた事を棚にあげて何だが、あいつをこれ以上傷つけるのは止めてくれ。あいつの中身が脆いってのは日本も知ってるだろ。ダチならもっと優しい手段とってやれよ。相思相愛なら、放っておいてもいつか結ばれる。無理矢理身体から始めさせるなんて間違ってる」 
 イギリスを気遣うフランスに、日本は穏やかに言った。
「知っていますとも。繊細でお優しいイギリスさん。すっとこどっこい渡してしまうのは業腹ですが、イギリスさんが幸せになるなら、仕方がないですね」
「間違った方法で付合い始めればいつか齟齬が生じるぞ。ボタンの掛け間違えを直すなら早い方がいい。日本はアメリカがイギリスを幸せにできるって信じてんの?」
 日本は内面を悟らせない顔で優しく微笑んだ。
「万が一、アメリカさんがイギリスさんを不幸になどしたら…………ふふふ、どうしましょうか」
「何考えてんの日本?」
「何も。イギリスさんが幸せになる事だけですよ。私達お友達ですから。私はあなたのようにイギリスさんから愛する者をとりあげたりはしません」
 日本の痛烈な皮肉に、フランスは顔を顰めた。
 フランスは日本が何を考えているのかさっぱり分らないと、表情の読めないアジア人の横顔を見上げる。
 フランスはイギリスとアメリカを捜しに行きたいが、アメリカは本気だった。こんな事で撃たれたら洒落にならない。
 国際状況を考えるといかにアメリカでも簡単に発砲したりしないとは思うが、恋の狂気にかられた若造の理性は少なそうだ。
 恋とは時に狂気で、アメリカは二百年以上もその狂気を引き摺ってここまできた救いようのないマザーファッカーだ。アメリカはイギリス絡みの事では半端ない。
 やっぱりイギリスと結婚するなんて嘘つくんじゃなかったと、フランスは後悔したがすでに遅い。日本に言い包められたとはいえ、地雷を踏んでしまって後悔しきりだ。
 ここはやっぱりイギリスの上司に相談するのが一番だろう。イギリスがアメリカにやられる前に。
 それにしても日本の態度は解せない。
 日本ならもっとうまいやり方でアメリカとイギリスをくっつけられただろうに。あまりに乱暴だ。
「日本はなんでアメリカとイギリスをくっつけようとしたわけ? 下手な嘘までついて」
 アメリカはともかく、日本の考えている事がさっぱり分らないフランスだ。日本とイギリスは友好関係にあり、国際情勢ではアメリカ寄りの日本だが、個人的関係ではイギリス寄りに見えた。
 フランスは日本の底の知れない黒い瞳を見ていると、深淵を探るような気持ちにさせられる。冷たくも暖かくも見える不思議な黒は底が見えない。
「私がアメリカさんをたき付けた理由ですか?」
 日本はからかうようにクスリと笑った。
「私はフランスさんが思っているより、ずっとイギリスさんの事が好きなんですよ」
「だから?」
「すべてはイギリスさんの為です」
 日本は八つはしに包んだ笑みを見せた。








(にほん、にほん、オレは、アメリカが、あいつが好きなんだ。どうしよう、弟なのに。あいつはオレの事を鬱陶しいと敬遠しているのに。嫌われているのに。あいつが好きなんだ。どうしよう、にほん。助けてくれ、苦しい)

 縋る手の弱々しさに、日本はイギリスの身体を抱き締めながら大丈夫ですよ、私が何とか致しましょう、と約束した。
 百年前、日本とイギリスが握りあった手を放したのは、そうさせたのはアメリカだ。日本とイギリスの仲に嫉妬して、イギリスに恋するあまり上司をたきつけてイギリスと条約を結び、力づくでに日本と引き離した。
 アメリカは子供だ。欲しい物を得る為の手段を選ばない。
 イギリスにアメリカは相応しくないと思うが、イギリスが好きだというのなら仕方がない。
 緑の瞳が陰るのが嫌で追い掛けて友人になった。大事な欧州の友人だった。二人の間は隔たり元に戻る事はないだろうが、また手を握りあう事は可能だ。
 アメリカは若すぎる。そして強引すぎる。強引に結んだ縁がうまく潤滑するには時間がかかる。
 イギリスはヨーロッパの仲間の数人と過去に関係を持っていた。イギリスの本意ではない事だが、事実は事実だ。知れば潔癖なアメリカは無意識に大きなわだかまりを持つだろうが、自分の行動が彼らのした事と同じだと分かれば、最早イギリスを責めるどころの話ではない。今回の事はその為の布石だ。

(にほん、にほん、アメリカはオレの過去を許さない。そういうやつだ。あいつはガキだ。汚いモノを許さない。オレは綺麗な身体じゃない。フランスともロシアとも……色んなヤツらにヤられちまった。荒れていた時期には自分から男を誘った事もある。アメリカはそんなオレを許さねえ。あいつはそういうヤツだ)

 アメリカの正義は残酷で傲慢だ。ロシアとはまた違う質で、大人になりきれない彼らの持つ潔癖さは現実と折り合わない。
 潔癖を振りかざすアメリカはその正論の刃でイギリスを断罪するだろう。
 イギリスがアメリカと付合うなら、その前にアメリカを高みから引き摺り下ろす必用があった。
 アメリカだって恋の前では所詮ただの男だ。愛する人間の身体を欲する普通の男のくせして、潔癖を口にするなど片腹痛い。口先だけの清潔さに何の意味もないと、日本はアメリカに自覚させたかった。
 過去イギリスを蹂躙した男達と同じ所まで堕ちて、己の汚さを痛感するがいい。


 日本はグッと拳を握って力説した。
「こうもうまくいくとは、我ながら完璧です。二次元のシュミレーション通りですね」
「日本、何を企んだの?」
「今回のゲームのターゲットはヒロインじゃなく、ヒーローの方だったという事です。乙女ゲーじゃありませんが、たまには逆攻略もいいでしょう。アメリカさんが単純で良かった」
「日本……何考えてるの知らないけど、お兄さんこれ以上のとばっちりはゴメンだよ。事態の収拾はちゃんとやってくれよな」
 フランスが腹を抱えて情けない顔を見せる。
 日本は当然です、というように微笑んだ。
「前向きに検討します」