第三章
自分だって辛いのに、いつでもエドワードを心配し続けたアルフォンスの優しさは変わっていない。実際、会話するのは六年ぶりだ。
だが二人の間を隔てるものは何もないと流れる空気は語る。
「六年も一緒にいたのに、気付かなくて悪かった」
「いいんだ。兄さんはボクを想ってずっと苦しんでいた。ボクだって兄さんを抱き締める事も慰める事もできなくて苦しかった。母さんを助ける事ができたのも兄さんだけだし、その他の事だって…。兄さんは一人きりで戦っていた。何一つとり零さないように頑張り続けた。謝る事なんて何もないよ」
「アル……。これからは本当に一緒にいられるんだな?」
「たぶん、血印が壊れなきゃ大丈夫だと思う……」
「オレはもう……オマエを無くす事に耐えられない」
エドワードの膝から力が抜け、アルフォンスに縋るようにしがみつく。
六年の長い月日の重さにエドワードは始めて膝をついた。膝をついても手を貸してくれる相手がいるというそれだけの事実に途方もない安心感を感じた。
エドワードは『アルフォンス』のいなかった六年間、自分がよく耐えられたと思った。どうしてこの存在なくして生きてこられたのか、再会を果たした今ではもう判らない。
亡くした弟を諦めきれないのはただの未練と何度もアルフォンスへの想いを断ち切ろうとしたが、何をしても諦めきれない事を思い知らされただけだった。
天の星を掴むようにアルフォンスの存在を求めた。
夢にアルフォンスが出てきた朝は一人ベッドにいる現実が寂しくて、独りなのだと思い知り、泣いた。
さみしい、さみしい。
降り積もる雪のように寂しさはつのった。
何をしても誰と触れ合っていても寂寥感は拭えなかった。
エドワードが身を焦がすように愛してるのは鎧の弟だけで、それを知るのもまたエドワードだけだった。
過去に遡った事が夢かと思う現実で、亡くした弟を想う心は更に幻のようだったが、胸を塞ぐ重い石は本物で、現実化したら間違いなくエドワードは圧死していただろう。
だが心の痛みでは人は死ねない。
母と弟という枷がエドワードの正気を繋いでいた。家族を守るという大義がなかったらエドワードはとっくに自ら命を絶っていたかもしれない。
エドワードは強かったが、精神面ではどうしても鍛えきれない脆い部分がある。
「ボクだってずっと兄さんと一緒にいたい。もう……一人にはなりたくない」
「アル………オレの側にいてくれ」
「ヒドイよ……こんなに好きにさせて………。ボクだって兄さんなしじゃ生きられない。責任とってよ」
「オレにできる事ならなんだってしてやる」
エドワードはもう何もいらないと思った。これが夢なら覚めた瞬間手首を切るかもしれない。
鎧の内側から響く幼い声。
現実は甘くない。 このアルフォンスは魂のみの存在で鎧姿で賢者の石も無かったし、もう一人『本物』のアルフォンスはちゃんと存在してる。問題は山積みだったが、それでもエドワードの胸の隙間は全て塞がれた。
エドワードが求めたのはたった一つで、それが手の中に戻ったのだから、満ち足りて当然だった。
「なんでもしてくれるの?」
「当たり前だろ。オマエが願う事ならなんだって叶えてやるよ」
胸を張って言うエドワードにアルフォンスは言った。
「じゃあ、お願いがあるんだ」
「なんだ? 猫でも飼いたいのか?」
「ううん。それもあるけど、後回し。……兄さんを抱かせて」
けろりとアルフォンスが言った。
「だっ……」
「兄さんをこの手で感じたい。側にいたのに兄さんに触れる事ができなかった。直接感じたい。ただ触れ合っているだけじゃ我慢できない」
頑是無い子供のようにねだられて、エドワードはどうしようかと迷う。
「さ、再会したばかりでそういう事するのか?」
「したい。ボクの血印がいつまでもつか判らないし、ボクはずっと兄さんを見てた。ボクを呼ぶ兄さんの声を聞いて、抱き締めたくて仕方がなかった。さっき、兄さんがボクの名前を呼びながらしてるのを見て、すっごく興奮した。兄さんのペニスが濡れていやらしく立ち上がって先っぽが膨らんでいるのを見て、ボクは身体が無いにも関わらず昇天しそうだった。兄さんがボクの手を舐めて、後ろの……」
「だーーっ! そういう直接的表現はやめろって言ってるだろ! 恥ずかしくて死ぬっ! オマエは兄を殺す気かっ!」
「だって言わなきゃ判らないじゃないか。ボクには表情筋がないんだから言葉で伝えるしかない」
「判ってるけど、オブラートに包んで遠回しに言えよ……」
「遠回し? ……ええと、兄さんの誰も踏み入れた事のない花畑からバラを盗みたいとか? 太陽のような眼差しにボクだけを映し、ボクの身体を飲み込んで一番柔ら合い部分で感じて欲しい……とか?」
「誰がエロロマンス小説のような表現をしろと言った。……なんかもうどうでもよくなってきた。……そんなに……したいのか?」
「兄さんはボクがいるのにしたくならないの?」
拗ねたようなアルフォンスの声に、エドワードは愛を込めて言った。
「オレはオマエがいてくれるだけで、側にいて声を聞いているだけでいい。心は満たされる。アルは違うのか?」
「ボクだってそうだけど、したくて仕方がないのも本当だ。……兄さんがそういう風に思うのは、さっき一人でしちゃったからじゃないの? 一人だけ満足してるなんて狡いよ」
「うっ……そうなのかな? そういやさっきすっきりしたからな」
「ボクにあんな痴態見せといて何もするなって言うの? ボク、兄さんが好きなんだよ。好きな人のやらしーとこ見て何も感じないわけないでしょ。枯れちゃった老人じゃあるまいし、何も感じなかったら気持ちが冷めたんだって思うよ」
「……冷めたのか?」
「ばか、冷めないから兄さんと抱き合いたいって思うんじゃないか」
「そっか……」
エドワードはあからさまにホッとして、微笑んだ。
全てを許す笑みに誘われアルフォンスは兄に手を伸ばす。
片方が鉄の身体だから行為は一方的なものになる。
エドワードの身体を横たえたアルフォンスに、エドは言った。
「こんなまっ暗じゃ何も見えないだろう。……明るいとこ行くか?」
「人の気配を気にしなからするのはイヤだよ。それに見えなくても兄さんの声が聞こえればいい」
「本当に見えなくていいのか?」
「兄さんを感じたいんだ。楽しむっていうより……満たされたい」
エドワードにもアルフォンスの気持ちが判った。
触感がないアルフォンスが受けられる刺激は視覚と聴覚しかない。だから行為を楽しむ為にはその二つが欠かせないのだが、アルフォンスは視覚に頼らず聴覚だけでいいとそれだけで満足できると言っている。
心を満たす為に、愛する者の自分だけしか知らない声が聞きたいのだとねだっている。
弟の願いを兄は快く承諾した。
「はは……存分に聞けばいい。声くらい……いくらでも聞かせてやる」
「いつもは恥ずかしがって聞かせてくれないくせに」
「いつもって……六年前だろ?」
二人は笑って抱き合った。
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