第三章
寒いだろうからと言ってアルフォンスはエドワードの下だけ脱がせた。アルフォンスの手に触れられ、エドワードの身体はビクッと震える。
「あ、ゴメン。冷たかった? 六年ぶりだから忘れてたよ」
「平気だ。……すぐ馴染む」
アルフォンスの手は夜風に当たり室内にあった時よりずっと冷たくなっていた。冷えた鉄の身体は生身のエドワードには氷に等しく身体は自然拒んだが、心は歓喜で満ち全身を擦り付けたい程だった。素直にそうしなかったのは恥ずかしかったからだ。
アルフォンスは六年間エドワードと共にいた。エドワードがした事を、生活を、秘め事を余す所なく見ていた。独りきりだと思い、エドワードは色々な醜態を晒した。その全てを余すところなくアルフォンスは見ていた。
とてつもない羞恥だが、今更言ってもどうしようもない。誰のせいでもない。あえて言うなら、エドワードの自業自得だ。アルフォンスに責任はない。
醜態の全てが弟にバレているとしても、今何を考えているのかは知られたくなかった。
滅茶苦茶に抱いて欲しいなど……。
アルフォンスの手が身体のあちこち触れ、エドワードの息が乱れる。久しぶりの感覚だった。
求められる事の歓喜にエドワードは羞恥を忘れ、己の欲望に素直になった。
冷たく固い手がエドワードを傷付けるのではないかと遠慮がちだったアルフォンスも、次第に六年ぶりの逢瀬に我を忘れる。
エドワードの反応は過敏だった。 アルフォンスがエドワードの性器を擦れば「痛い、いやだ……ああ、やめるな……ばか………違う、もっと……」と支離滅裂な言葉を漏らすのでアルフォンスは煽られ、動揺しつつも夢中で触れまくった。
触感のないアルフォンスは手加減しないと容易くエドワードの肌を傷つける。今は視覚もきかないから細心の注意が必要となるのに、身近で聞こえるエドワードの喘ぎがアルフォンスの理性を狂わせた。六年ぶりの逢瀬という時間の隔たりが理性を枯渇させた。
「兄さん、兄さん、兄さん……」
エドワードはアルフォンスに溺れ、アルフォンスもまたエドワードにのめり込んだ。引き裂かれていた恋人同士の逢瀬としては順当な反応だ。たとえそれが許されない間柄だったとしても。
命を掛けて愛し愛された経験はやがて兄弟の度を越え、相手への執着を深めた。
『アルフォンス』不在のまま六年が過ぎたが、エドワードは『アルフォンス』への愛も執着もそのままだった。
いや、不在が長くなるほどにエドワードの中のアルフォンスへの気持ちは膨れ上がった。
逆に、エドワードが悲しみに浸るほど、中にいたアルフォンスは狂喜した。
エドワードの嘆きを、悲しみを、絶望を、努力を、アルフォンスはエドワードの魂に同化し、ずっと見てきた。存在を意識されないからこそエドワードの本心の全てを知る事ができた。
健気な兄が可哀想で可愛くて、愛しかった。エドワードの愚かな部分がアルフォンスを満たして、いつでも幸福に浸っていられた。
エドワードには言わなかったが、普通なら発狂していてもおかしくない。精神を牢獄に閉じ込められて手足を拘束されているに等しい状態だった。人の来ない塔の頂上に縛られ放っておかれた囚人と何ら変わらない。
六年……二千日以上の孤独は人ひとりを狂わせるのに充分な時間だ。
だがアルフォンスは精神はそのまま保たれた。おかしくなる暇はなかった。
内から外から、自分を呼ぶエドワードの声が聞こえた。アルフォンスが辛いと感じる以上にエドワードの慟哭が全身を叩いた。
本当に辛いのはどちらだったのか。
『アルッ……アルフォンスッ!』
兄の自分を呼ぶ声はアルフォンスにとって天から垂れるクモの糸だった。それに縋っていれば絶対に大丈夫だと安堵していられた。こんなに愛されて幸福だとすら思った。
妙なところで恥ずかしがりやの兄は正直に心を伝えてくれない。恋愛感情というもっとも苦手な分野では当事者だからこそ照れてぶっきらぼうになり、そっけなかった。
命懸けで愛されているのは知っていたが、それでもこんな風に横っ面を引っぱたくように感情(こころ)をぶつけられた事はなかった。
エドワードがアルフォンスを想って泣く度に、アルフォンスの手を思い出して自慰する度に、アルフォンスの魂は満たされた。エドワードの魂の中は孤独な愛の海だった。海原は広く深く暗かくてその中で独りぼっちだったが、その熱はアルフォンスを温め続けた。
こんな奇蹟があるのかと思った。
いつものとおり、エドワードが弟を思って欲望を吐き出すのを見て満足していた。エドワードが手を傷付けた時はギョッとしたが、アルフォンスの血と混ぜて錬成陣を書いた瞬間、アルフォンスの意識は混乱して、気がついたら鎧の中に移っていた。
鎧に入ったのは視界が違ったからすぐに判った。いつもなら鏡を見なければエドワードの顔は見えない。
始め、エドワードのパジャマ姿に、ああ、これは夢なんだと思った。
エドワードが眠るとアルフォンスもまた意識を失う。その間、たゆたうように夢を見る。
エドワードの姿が見える事は夢の中でしかないからそうだと思ったのに。幸福な夢は現実になった。
「あっ……あ、いや…………ん……アルフォンス……。……もっと早く擦って…………そう…………もっと」
アルフォンスの乱暴な愛撫にエドワードは遠慮なしに声をあげる。見えないアルフォンスにせめて声だけでも聞かせてやろうと、エドワードの声は艶に満ち、はしたない。
「舐めて」
エドワードの口の中に指を突っ込んで濡らす。エドワードの口から唾液が溢れる。
「力を抜いてて」
手を洗っていないとか、衛生面がとか、ここが外だとか、エドワードが傷つくかもしれないとか、アルフォンスの頭の中にはなかった。探せば転がっていたかもしれないけれど、そんな余裕はどこにもなかった。
「……兄さん」
「うわっ……ああっ……!」
性急なアルフォンスの求めにエドワードが悲鳴をあげる。
自分でするのとは違って遠慮も加減もない。
肉が拡がり無体な所業にあらぬ箇所がピシリッと痛みを訴える。
「アル……フォンス…………痛えっ……」
エドワードの息が詰まり、顔が歪んだ。
「ゴメン、兄さん、……ゴメン」
「ああ……うぅ…………ヒッ…………アウッ…………アルフォンス………んのッ…バカッ……」
太くて固い鉄の指に内側を擦られて、柔らかい皮膚は無理だ痛いと脳に刺激を送る。下半身から情報を受けたエドワードは声を上げるが脳は別の信号も送っていた。
これはアルフォンスだ、長年求め続けた相手だ。これは愛の行為だ…嬉しいと。
一方的で異質でゼンギもホンバンもないあらゆる意味で本来の行為とは違っていたが、形が望みではないからアルフォンスもエドワードもおかしいと思わない。
吐き出して突っ込む行為に何の意味もない。あるのは欲求だけだ。より相手に触れていたいという欲と願望。
アルフォンスが奥まで指を侵入させると、エドワードの喉がグウと鳴る。正直色気もそっけもないが、それがエドワードの正直な反応だ。エドワードがアルフォンスの指を含んで背をのけ反らせ苦しんでいる。誰にも許さない行為をアルフォンスには許し、同じ気持ちで欲している。その認識がアルフォンスを昂らせる。
いっそ下半身を裂いてしまいたいと思う事がある。どこまでエドワードが許してくれるか試してみたい。
だがそんな事をすれば後悔するだけと判っていた。
限界なく弟を許す兄は身体どころか命まで捧げるのだから。
「や…………アル、もう、イ、イクッて……出るッ………」
「イッていいよ」
もう限界だとエドワードが訴える。
繋がりは痛みの方が多くて快感はなかったが、アルフォンスがそうしているのだという意識が身体に熱を集める。
ああ、狂っていると、冷静な部分でエドワードは思う。
だが正気に返ってこの恋を失えばエドワードに待っているのは植物の生えない砂漠のように簡素な世界だ。清潔だがそれ以外何もない。エドワードはそんなもの欲しくはない。
エドワードは問い質さなかったが、判っていた。
アルフォンスが六年もの間、魂だけで存在して狂わなかったのは、とうに狂っていたからだ。正気の声と態度で、それでもアルフォンスは狂人だった。
エドワードがアルフォンスを狂わせた。弟は兄に惑わされ狂わされ、命懸けの想いに騙され、〈愛〉という恋獄に引きずり込まれた。
アルフォンスがエドワードを愛したのではない。エドワードがアルフォンスにそうしむけたのだ。自分だけが一方的に想ってるのに耐えられなくて、弟がいつかエドワード以外の人間を選ぶかもしれない事が辛くて、エドワードは全身全霊でアルフォンスを絡めとった。食虫植物のように内側に入れてドロドロに溶かして自分のモノにした。
アルフォンスは自分が虫だとは知らない。自分こそ捕食者だと思い込み、兄に縋っている。その姿に悦に入っているエドワードの本心を知らない。
「アルフォンス……!」
エドワードの身体からクタと力が抜ける。
「………………兄さん、イッたの?」
「……ッた……」
「気持ち良かった?」
「死にそうだった……。アル、とばしすぎ。……痛え」
「ゴメン、次は手加減する」
「しなくていいさ。……アルのいいようにしろ。オマエに求められるのは気持ち良い」
エドワードはだらしなく拡げた足の間にアルフォンスの手を挟んだままハアと息を吐きながら、閉じていた目を開けた。
宝石をぶちまけたような星明かりの美しさに一瞬目を奪われる。夜空を見上げて感動したのは久しぶりだ。下半身を剥き出しにして夜空の星に見蕩れている自分がおかしかった。
「どうして笑ってるの?」
「そりゃ……幸せだからさ」
声は無くてもニヤニヤと笑うエドワードの変化にアルフォンスはすぐに気がついた。
「変な兄さん」
「変でいいんだよ。とっくにオマエに狂ってるんだから」
「そういうの平気で言えちゃうところが変なんだよ」
アルフォンスの声が照れる。
「オマエのエロ表現の方がおかしいよ」
「愛する人を賛美するのは男として当然だ」
「オレも男なんだけど」
「兄さんのセンスって前衛的だからね。あんまり無理して表現しなくていいよ」
「なにおう」
くくく、とアルフォンスが笑うのでエドワードも可笑しくなってクスクスと笑う。
何もかもがおかしくて幸せだった。
何も進展していない。
夜が明ければ現実が待っている。人目があるから鎧のアルフォンスは動けなくなる。人前では名前を呼ぶ事もできない。
何もかも理解していて、それでもエドワードは大声で喚いて踊りだしたいくらい幸福だった。
もう我慢しなくていい。ひとりきりの地獄じゃない。もはや嘆かなくてもいいのだ。
エドワードは唯一のモノを手に入れた。後はそれをどう保持していくかだ。
エドワードがしようと思っていた計画を実行すれば、アルフォンスと共にいられるだろう。
大変な事に弟を巻き込んでしまうが、アルフォンスはエドワードと一緒にいる事を望むだろう。
「ねえ、兄さん。……パンツ穿かないと風邪ひいちゃうよ」
「動けないから穿かしてくれ」
「タオル持ってくれば良かった」
「パンツで拭けよ」
「兄さん情緒ない。……でもそうする」
弟に甘えながら、エドワードはいい気持ちになってされるがままになっていた。こんな安らいだ気持ちは久しぶりだ。このまま眠ってしまいたい……。
「兄さん、明日からどうする?」
アルフォンスの心配げな声に、エドワードは手を伸ばし「起こしてくれ」と言った。倒れたままだと眠ってしまいそうだった。
「アル、計画があるんだ」
「師匠に話してた事?」
「それに加えて、もう一つ」
「なに?」
「悪巧み」
ニッと笑い、エドワードはアルフォンスに飛びついた。暗がりで目測を誤ったエドワードはゴン、とアルフォンスの胸に額をぶつけ、散った火花に呻いた。
「大丈夫、兄さん?」
「はは……マジ痛ぇ……」
目の前がチカチカして涙が滲んだ。
見上げた星の海も滲んでエドワードは「雨が降ってる」と言ったら、アルフォンスが「本当に兄さん大丈夫?」と慌てたので「バーカ」と顔を擦って涙を誤魔化した。
暗くて何も見えない闇をありがたいと思った。
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