第三章
「……なんだってーーっ!」
アルフォンスの話を聞いて衝撃のエドワードだった。
アルフォンスの話はこうだ。
「ボクはずっと兄さんといたんだ。ボクらが互いを錬成した後……ボクはずっと何処かをたゆたっていた。肉体はなかったから魂だけが何か水のようなものに包まれて彷徨っているような感じだった。
それがある時から変化した。気がつくとボクは誰かの意識の中にいた。ボクは半分眠っているような感じだったけれど、その誰かの意識だけはハッキリと感じ取れた。始めはそれが誰だか判らなかった。
判ったのは大きな錬金術が使われた時だ。
兄さん、六年前、落ちる列車を助ける為に錬金術を使ったでしょ? あの錬成がきっかけでボクの目は覚めた。
気がつくと蒼い空が見えた。そして大佐の顔も。
……兄さんが大佐を見て『童顔だ』とか思ったのも判ったよ。
ボクの魂は兄さんに同化していた。ボクは兄さんに意識してもらう事はできなかったけれど、ずっと一緒にいたんだ」
「そんなの……全然気がつかなかった」
呆然とエドワードは呟いた。
「そうだろうね。ボクは兄さんに何度も話し掛けたけど、兄さんは聞こえなかった。ボクは兄さんが一人で頑張ってるのをずっと見ていた。……それしかできなかった。始めどうして時間が戻って過去にいるのか判らなかった。兄さんが師匠に会って話をしているのを聞いてやっと理解できた。………時間を遡ったなんて無茶苦茶だよ。ボクも理論は聞いてたけど、まさか成功しちゃうなんて、やっぱり兄さんは天才だ」
「天才っていうより、火事場のクソ力だ。自分でもどう成功させたのかよく覚えてない。気がついたら九歳の身体の中にいて、始めは夢かと思った」
「まあそうだろうね。誰が過去に戻ったなんて思うもんか。普通、夢だと思うよね」
しみじみとアルフォンスも同意する。
「夢じゃないと判った時、オレは『オマエ』を探した。けど……オマエはどこにもいなくて。小さな生身のアルがいて、二度と『オレのアルフォンス』が戻らないと判った時には死にたくなった」
「……でも兄さんは死ねなかった。母さんがいたから」
「そうだ。過去に戻ったという事は、これから母さんが死んでオレ達が人体錬成を行う未来が来るって事だ。……母さんを助けて未来を変えようと思った。オレにできる事があるならなんでもするつもりだった」
「だから兄さんは九歳で国家錬金術師になった。同じ過ちをくり返さないために。……こっちの過去ってボクらのいた時代の過去とはちょっと違うよね。六年前、本当なら大佐はまだイシュヴァールにいた筈だ」
「ああ。細かい部分で違ってる。時の流れは複数あるからな。自分達のいた世界の過去を正確に辿ったわけじゃないから違う歴史に入り込んだんだろ。平行世界(パラレルワールド)はそれこそ無限に存在している。ここが似た世界で良かったぜ」
「ボクはずっと兄さんの中にいて、兄さんと同じモノを見て兄さんがしてる事を経験してきた。母さんを助けたり、研究したり、ボクを思って泣いたり……兄さんは一人で頑張ってた。助けてあげたかったけどボクは見ているだけで何もできなかった……。『ボクはここにいる!』って何度も叫んだけど声は届かなくて……ボクも一人ぼっちだった」
「オマエがオレの中にいたなんて……」
信じられないとエドワードはアルフォンスの手を握った。ひんやりと冷たい鉄の手の感触に、エドワードの心が温かい水で満ちる。(ああ、これだ)
「互いの人体錬成をした時に魂が同化しちゃったみたいだね。ボクの魂は兄さんの中にとりこまれていたらしい。そこから出る事も消滅する事もなくて、赤ん坊が胎内にいるみたいに兄さんの魂に守られてた」
罪悪感と孤独に苦しんだ六年の間、ずっと求め続けたアルフォンスがエドワードの中にいたなんて、違う意味でショックだった。
「もっと早く気付いていれば……」
エドワードの心は救われただろう。アルフォンスも独りで耐えずに済んだのに。
自分なんかよりずっと深い孤独の中にいた弟を思うと、エドワードの胸はキリリと軋む。
「魂の同化なんて誰も気付かないよ。判るのは人の気配を探れるリンやランファン達みたいな人だけだ。師匠だって兄さんと会っても何も気付かなかった」
「そうだな。………けど、どうして鎧に魂を移せたんだろう。一度、鎧に錬成陣を描いたけれど、その時には何も起こらなかった。自分の中にアルの魂があるなんて知らなかったし……」
「それはやっぱり、ボクと兄さんの血を混ぜた事が原因なんじゃないの?」
「あれか……」
アルフォンスの血とエドワードの血を混ぜて血印を描いたのは気紛れだった。何か起こる事を期待して描いたわけではない。
「偶然か……」
「それと……兄さんの情報?」
「オレの情報って血だろ?」
「そうじゃなく……二重に遺伝子情報が混ざったからなのかなって……。ぶっちゃけ精液?」
ブッとエドワードは吹き出した。
「せ、せーえき………」
「ボクは兄さんの目を通して世界を見てた。……だから兄さんの見たものは全部ボクも見えていたんだ。…………お風呂とか、トイレとか、一人Hとかも……」
「なっ……?」
「一人で誰にも気付かれなくて寂しかったって言ったけど…………こういう特典もあるからまあいいかとか時々思ったりして……。兄さんは一人でしてる時ボクの名前を呼んでくれるし、ボクは兄さんの中にいるからこれって二人でHしてるようなものかな、とか…………なんで攻撃してくるの、兄さん!」
「うるさいうるさいっ! なに破廉恥な事言っとんじゃ! でばがめしてんじゃねえっ! この覗き魔!」
「覗いてないよ。堂々見学させてもらってたよ。兄さんが見たものは全部見えてたんだから」
「わーわーわーッンギャーオスッ! ……信じらんねー、イヤーッ」
「さっきの一人Hも……魂吹き飛ぶかと思うくらい刺激的だった。……眼福だったよ」
「そのまま吹き飛んでしまえっ!」
羞恥のあまりエドワードは弟に攻撃を仕掛ける。闇夜で光源の何もない場所だから盲滅法だが、照れ隠しだから当たらなくてもかまわない。
「ちょっと、兄さん。恥ずかしいからって本気で攻撃しなくても」
「黙れって!」
例え恋人でも家族でもマスターベーションを覗かれるなんて耐えられなかった。トイレとかその他諸々はどうしようもなかったとはいえ、今さっきしていた一人Hまで余す所なく見られていたなんて、羞恥の極みだ。
「恥ずかしいのは判るけど、ボクは嬉しかったんだからね。兄さんはいつもボクの名前を呼んでくれた。ボクの姿を追って身体を慰めてた。一緒にいて……声も出せないボクだったけど、その時だけは幸せだった」
「アル……」
静かに言われて、エドワードは落着きを取り戻す。
自分の事ばかり考えていたが、冷静になってみるとアルフォンスがどんな状態にいたのか理解できた。
六年。二一九〇日間。自由もなく誰とも会話する事なく、アルフォンスはただエドワードの目を通して世界を見ていた。見ているだけ。それしかできなかった。意識はあるのに誰にも認識されない、存在すら知られず、たった独り。
鎧だった時より酷い。鎧には感覚はないが、誰かと会話したり、少なくとも自分の意志で行動できた。見たいものを見て、話したい時に会話できた。不自由な身体でも自由があった。
だがさっきまでのアルフォンスは自由になる身体さえなかった。
ただエドワードの身体に間借して、窓から見える唯一の世界を眺めている独房の囚人だ。……六年間、ずっとそうだったのだ。
「いつも……なんでオマエだけが酷い目に合うんだ……。オレも一緒にいたのに……なんでアルだけがっ!」
「そんな顔しないで、兄さん。ボクに自由はなかったけど、ボクは不幸なだけじゃなかった。常にボクを気に掛け後悔してくれてた兄さんがいたから救われた。兄さんがボクを想って泣いて、ボクを想って苦しんでいるのを見てボクも悲しかったけど……こんな事言っちゃいけないのは判ってるけど、嬉しかった。兄さんはいつまでもボクを忘れてないんだなって判って。本当に、嬉しかったんだよ」
「……アルフォンス」
両手で顔を包まれて、エドワードの胸が高鳴った。
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