第三章
幸いアルフォンスの怪我はそんなに大きくなかった。
旅をしているあいだ怪我は珍しくはなかったが、自分が負う傷と弟が負う怪我では痛みが違った。
ああ、アルフォンスもこんな思いをしていたのだなと、鎧だった弟が満身創痍の兄を心配する声を思い出し、今さらだが反省する。側にいる弟の心情をこれっぽっちも思いやっていなかった事を、今頃悔やんだ。
あの頃は走り続ける事に無我夢中で、自分の体を大事にする事なんて考えなかった。
立場を代えてみると、いかに自分が無謀で愚かだったか判る。
アルフォンスの血を見て心臓が痛かった。
心臓を持たなかったアルフォンスは何が痛んだろう。精神全部か。可哀想な事をした。
また一つ増えた罪悪感にエドワードは頭を垂れた。
「エドが反省しているようだから母さんから言う事は何もないけど、喧嘩をするなら外でやんなさい。家の中じゃ、こんな風に怪我をして危ないから。罰としてアルの手が治るまで責任持って面倒を見ること。アルがしてた仕事も全部エドがするのよ。……判った?」
反省しきりでうちひしがれ落ち込むエドワードをあまり強く叱る事もできず、トリシャは優しく言った。
アルフォンスが怪我をした事は母として辛かったが、幸い怪我は軽く時間が経てば傷も消えるだろう。
それより久しぶりの兄弟喧嘩に安心した。
小さい頃、兄弟は毎日のように喧嘩をしていた。とっくみあいは日常茶飯事でアルフォンスはよく泣かされた。(喧嘩に負けるのは兄の方なのに、なぜか泣くのは弟の方だった)
喧嘩をして、仲直りをして、本当に仲の良い兄弟だった。
母親の病気を境にエドワードはひとり成長し大人びて、家族はエドワードを理解しきれなくなった。
トリシャもアルフォンスもエドワードがよく判らない。知っていた部分と全く知らない中身の差に戸惑って、それが距離になった。
久々にエドワードがアルフォンスと喧嘩をして昔に戻った気がした。
エドワードは可哀想なくらい反省して、怪我をしたアルフォンスの方が元気なくらいだ。
男の子なんだからこのくらい大丈夫だよ、とピナコもカカカと笑っていたし、そんなに心配しなくても平気なようねと、トリシャはアルフォンスをエドワードに任せる事にした。
兄が反省しているのをいい事に、アルフォンスはここぞとばかりに兄に甘えた。一緒に寝たい、手を握ってて欲しいとエドワードにねだり、二人は同じベッドに入った。
こんな騒ぎの中でもニーナは一度も目を覚ます事なく眠り続けていた。四歳児の睡眠は深かい。
エドワードのベッドはいつのまにかニーナのものになっていた。
それを寂しいとは思わない。それよりもニーナが家族の一員として受入れられている事に安心した。
突然連れ帰った赤ん坊に、母も弟も戸惑い困っただろう。当のエドワードは一人イーストシティに戻ってしまったから無責任にも程がある。それを責めずに許してくれる家族のありがたさにエドワードは頭をあげられない。
アルフォンスの向こう側のベッドにニーナが眠っている。穏やかな眠りにいる幼女にエドワードは安堵する。
ニーナの母親を助けられなかった事は痛恨の極みだ。合成獣になってしまった女の声はエドワードの耳にまだ残っている。
死を望むのは当然だ。人外となった自分に、キメラは世界を呪った。無責任に歓声をあげる軍人達を前に、ニーナの母親は一つを残し希望の全てを捨てた。
たった一つの希望……自らの死を最後の望みとし絶食する事でそれを叶えた母は、娘の事を考えただろうか。狂人を夫に持った事を悔やみ残された娘を心配しただろうか。
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