第三章
もっと肩の力を抜けばいいのにと思うが、言ってもエドワードは聞かないだろう。
ウィンリィの目から見たエドワードは他の少年達とはまるで違う。
母親の病が判った時から、エドワードは何か決定的に自分達とは変わってしまった。
エドワードは何も悪くない。
エドワードが変わらなければトリシャは助からなかった。
必死に毎日努力を続けて今のエドワードになったのだから偉いと思うのだけれど、本音は寂しくて、帰ってこないエドワードに嫌味の一つも言いたくなる。
友達というより家族のつもりでウィンリィはエドワードを叱るのだ。
見下ろす少年は外見がちっとも変化しない。成長期なのに伸びない背に悩み、綺麗な顔を残している。
弟の方が『男の子』の顔になってきている。
アルフォンスとニーナがエドワードを呼ぶ。
エドワードはそれに応えて手を振る。
「ニーナ。大きくなったでしょ。来た時には赤ん坊だったのに」
「ああ。もう四歳か。大きくなったな」
「滅多に帰ってこないのにエドに懐いてるのよね」
「ははは。毎回顔を忘れられてないか、心配するんだけどな」
「アンタの顔が変わらないからでしょ。……エドはニーナが本当に可愛いのね」
「ああ」
「突然アンタがニーナを連れて来た時には驚いたけど」
「ああ」
「そんなに可愛いなら家にいなさいよ」
「そのうちに、な」
「そうやってずっと帰ってこないのよね、バカエド」
優しく詰る響きが胸に痛くてエドワードは目を閉じた。
ウィンリィを姉のようだとハボックに語ったが、本当にそうだと思った。
ウィンリィの機械鎧があったからエドワードは戦う事ができた。
そして待っていてくれる人がいるから旅を続けられた。ありがたいと思った。
向こう側のウィンリィは今頃どうしているだろう。
二十一歳のウィンリィは想像できなかった。
きっと綺麗になって、変わらずバリバリ働いているのだろう。
ガーフィールの所の修行は終わったのだろうか。
ラッシュバレーでそのまま働いているのか、それともリゼンブールに帰ってきたのか。
旅の途中、夢半ばで無念の死をとげた幼馴染みの訃報を知り、さぞや嘆いただろう。
ウィンリィの中でエルリック兄弟は過去になっているだろうか。過去になればいいと思う。どう足掻いたってエドワードとアルフォンスは生き返らないのだから、生きている者には過去より未来を見据えて幸せになって欲しい。
あまり悲しまないでくれと願う。勝手だった兄弟の事なんか忘れて、いい人を見つけて幸せになって欲しい。泣き虫だったあの子が泣いていなければいいと、エドワードはここにいないウィンリィの事を思った。
「ウィンリィ……」
「なに?」
「ありがとう」
ごめん、と言いたかったが出てきたのは『ありがとう』だった。
「なにが?」
エドワードが答えなかったので寝言を言ったのだと思ったらしい。
ウィンリィの笑った気配にエドワードも口の端を僅かにあげた。
「兄さん、ボクに錬金術、教えてくれるって言ったよね」
うきうきという音がしそうなくらいはしゃいだ弟に引張られて、エドワードはちょっと待てと苦笑した。
前回来た時にアルフォンスの研究を見てやると約束したのを、覚えていたらしい。半年も前の事なのに。
いや。兄とした約束がそれしかないからなのかもしれないと思うと、後ろめたい気持ちになる。
夕食の後、アルフォンスに手を引かれてエドワードは父親の研究室に足を踏み入れた。
「ボク、今、兄さんと同じ植物を媒介にした薬の錬金術を勉強してるんだよ」
「オレがそっちの研究をしてたのは三年前だぞ。今してんのは医療系だがちょっと系統が違う」
「ふうん。兄さんの研究も後で教えてね。それでね…」
部屋の真ん中に座りアルフォンスの書いたレポートの説明を聞きながら、エドワードは背後の鎧を気にする。
埃を被ったあの鎧は今も静かにただの置物としてそこにあった。
帰るたびに鎧を磨くのがエドワードの習慣になっている。
そんなものを大事にするなんて、男の子ねえ……と母は不思議がりながらも笑ったが、エドワードの顔は強ばりうまく笑えなかった。
本来なら必要ないワックスを買って帰るのはただ鎧を磨くためだけ。
あまり家に帰らないから鎧は埃を被り錆びている。
鎧を解体し丹念にワックスを塗り込める作業は自分を追い詰めているようで、こんな事をしても何にもならないと判っていても手は止められなかった。
いっそ処分してしまえればいいのだろうが、それだけは無理だった。
鎧を見る度に亡きアルフォンスを思い、罪悪感と寂しさで胸が潰れそうになる。
『鎧に魂を定着させる』
理論は頭の中にあるから、右手を差し出せばもしかしたらアルフォンスの魂が取り戻せるかもしれない。
だがそれはしてはならない事だ。生身のアルフォンスはちゃんとここにいる。もう一人アルフォンスを存在させる意味はない。それは冒涜だ。天国の母の元で安らかに眠っている魂を再び呼び戻そうなんて勝手な所業だし、アルフォンスも望んでいないだろう。
してはいけない事だから絶対にしない。
だが心は鎧だった弟を求める。鎧を磨き続ける事は自慰に等しかった。
「……兄さん、聞いてる?」
気もそぞろなエドワードにアルフォンスが口を尖らせる。
「ちゃんと聞いてるよ。……その細胞分裂の速度の実験結果が安定しないな。もっと実験を繰り返して裏づけを強固にしないと次に進めないぞ。ここで手を抜くと後々理論が揺らぐからな」
「設備が乏しいから実験が面倒なんだよね。……ボクも兄さんの研究室を使いたいな。兄さんと一緒にイーストシティで暮らしてもいいでしょ?」
「それは駄目だと何回も言ってるだろ。母さんを一人にする気か?」
「母さんも一緒にイーストシティで暮らせばいいんだよ。兄さんも母さんを説得してよ」
「あの人はオヤジをここで待ち続けている。絶対にこの家から出ねえよ。たとえ何があっても」
「でも兄さん……」
「研究材料が足りないならいくらでも揃えてやる。だから我侭を言わないでくれ」
「兄さん……」
「母さんを頼む」
「卑怯だよ。そんな風に言われたらボク、何も言い返せないじゃないか。我侭言うなだって? 母さんに寂しい思いをさせてるのは兄さんなんだよ?」
「判ってる」
「判ってないよ。兄さんは父さんを嫌ってるけど、同じ事してるんだよ。錬金術の為に母さんを放っておいて」
「あのクソオヤジと一緒にすんな」
「ボクから見たら兄さんも父さんも同じだよ。二人とも勝手だ」
「……ああ」
「そういう顔しても駄目だからね。そんな顔しても大事な事は何も言わないんだから。母さんが病気になった時だって、ニーナを連れてきた時だって、兄さんはボクに何も説明しないで全部事後承諾で、ボクは兄さんに従うしかなかった。ボクは兄さんみたいに何もできないし役立たずだから兄さんの言う事を聞くしかできないけど、兄さんが母さんを放っておく事は間違ってると思う」
「アルが役立たずなわけないだろ。アルはオレより立派だよ。真面目で優しくて……。みんなオレよりアルを好いている。オマエはオレの自慢の弟だ」
「好きな人以外に好かれたって嬉しくないよ。……兄さん、外で働いてるせいか、話し方が大人っぽいね。ずっと年上みたいな話し方する」
「そ、そうか?」
「うん。兄さん前はもっとガキくさかったのに。いたずらもしなくなっちゃったし、一足先に大人になったみたい」
(そりゃもう二十一歳だからな)
十四歳の少年と精神が二十一歳の青年の差は大きい。
三年旅をして経験を積んだエドワードとのんびりと家で暮らしているアルフォンスでは、経験値が違いすぎて比較にならない。
アルフォンスの為を思うなら、外に出して見聞を広めさせてやるのが一番だ。
旅は辛い事も沢山あったが、それでも経験した事は全て自分を支える糧となった。沢山の人間と接し、苦境を乗り越えて精神を鍛えた。
こちら側のアルフォンスは人の死も逆境も知らず、家族の愛に包まれて傷がない。それは幸せな事だし田舎でのんびり暮らすなら急いで成長しなくてもかまわない。
だがずっとそうするわけにもいかない。エドワードの弟というだけで、アルフォンスにはこれから幾多の試練と選択が待っている。
アルフォンスをどうすべきか、エドワードは決めかねていた。この事も師匠と相談すべきだったかなと思った。
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