モラトリアム
第参幕


第二章

#17



「なんだ、その押し付けがましい断定は。ガキだからってどんな口でもきいていいと思うのは間違いだよ」
「お怒りはごもっともですけれど、これを聞いたら更に怒ると思います」
「何だ?」
「なぜオレが貴女を弟の師匠にとお願いすると思いますか?」
「さあね。初対面のガキが何を考えているのかなんて、判るわけない」
「オレは貴女と同じ錬金術師です」
「だから? 錬金術師だとしたらどうだというんだ? エドワードは国家錬金術師だってな。今九歳だって? ふざけている。何故ガキがそんなものになった? 親はなぜ許した? オマエ、自分が何になったのか判っていないだろう。聞こえはいいが国家錬金術師は軍の狗だ。召集されれば戦場にだって連れていかれる」
「知っています。それでも目的の為ならば仕方がない。それに母にはオレを止められません」
「なぜ?」
 エドワードは答えずにすくっと椅子から降りた。
 何から話そうかと迷うように唇を舐める。
 子供の躊躇いと緊張感に、イズミはエドワードが何を言うのかと待つ。
「師匠。アルフォンスを弟子にしてダブリスに連れていって下さい。そしてアイツに錬金術がどんなものか教えてやって下さい」
「だから私は弟子はとらないと言ってる」
「オレの……錬金術を見て下さい」
「お前の?」
「はい」
「何の為に?」
「話をしやすくする為です」
「? …意味がある事なのか?」
「はい」
「どんな意味がある?」
「見れば判ります。これを見て話を続ける気になったら五分以上の時間を下さい」
「やってみろ。……いや、今は夜中だから大きな錬金術は困るな。隣に人はいないが、大きな音を立てると迷惑になる。小さな錬成ではお前の力は判りにくいぞ」
「別に技術力を見せたいわけじゃないですから。オレの基本をお見せしたいだけです。言葉で説明するより、その方が早い」
「なんだそれは。基礎は大事だが、私が見る意味があるのか?」
「はい。とりあえず見て、判断して下さい。……この椅子でいいかな」
 エドワードはいきなりパンと両手を胸の前で合わせると、その手を今まで座っていた椅子の背に付けた。
 パアァ、と光が走り、バキバキという音がして、一瞬で椅子だったものが小さな木馬に変わった。かなりデコラティブな形状だ。
 イズミは知らずに手を口元に当てていた。
 背筋が引き攣り、その目から甘さが消える。
 今見たものは。
 ……ありえない。
 エドワードの錬成に錬成陣はなかった。
 それがどういう意味を持つのかイズミは知っていた。
「お前……それは………………………錬成陣無しか?」
「見ての通りです」
「まさか……」
 イズミはエドワードの錬成からある事を推測したが、すぐに否定する。
 錬成陣無しの錬金術。イズミと同じ。
 しかしこの錬成はアレの副産物だ。アレはこんな小さな子供にできる事ではないし、何か必ず代価を奪われる。
 エドワードに欠けた所は見られないし、そんな事はありえない。
 エドワードは泣きそうな顔だった。
「師匠の……想像しているとおりです。オレは〈貴女と同じ錬金術師〉と言ったでしょう?」
「なっ……」
 再び絶句させられ、イズミは信じられないとエドワードを凝視する。
 エドワードが言った『同じ』という意味が分った。
 この子は……。
「話を聞いていただけますか?」
「どうして……」
 エドワードは錬成した小木馬を元の椅子に直した。
 小さな錬金術。エドワードレベルの錬金術師なら無意識にだってできる。
 だがその手法は見る者によって色々な意味を持つ。
 素人には奇蹟に、ある程度の知識を持った者には謎に、そして一線を踏み越えた知識を持つ者には悪夢に。
 イズミは覚めても見える悪夢に、身体をフラつかせる。
「大丈夫か、イズミ」
「アンタ……平気よ」
 シグがイズミをベッドに座らせる。
「……五分経ちましたけど、話を続けてもいいですよね?」
 エドワードはイズミの体を心配してオズオズと言った。
「ああ」
 イズミはシグの手をどける。
 夫に縋ってエドワードと対峙する気にはなれなかった。
 エドワードは一人だ。イズミも一人で話をするべきだと思った。
 イズミの顔色はよくなかったが、エドワードも似たようなものだった。
「師匠は……イズミさんは自分の子供を人体錬成したんですよね?」
 エドワードの言葉には遠慮がなかった。
 イズミはグッと詰まる。誰にも言われたくない事だった。
 錬金術師としての、いや親としての最大の過ちを、他人に、出会ったばかりの子供に示唆されてイズミは何も言えない。
 否定はできなかった。エドワードは確信していたし、子供にしてしまった事を自らの口で否定するのはわが子を否定するのと同じだった。
「イズミ」
 庇うようにシグがイズミの肩に手を置いた。
 その視線はイズミを労り、同時にエドワードを責めていた。
 大人でも竦み上がるようなシグの視線を受けてもエドワードは動じなかった。
「シグさん。大事な話なんです。師匠を責めているんじゃありません。だって同じ過ちをオレも犯しているんですから」
 イズミは自分の目でエドワードの錬成を見たが、まだ信じられないでいた。
「……アンタは私と同じ過ちを犯したのか? アレを見たのか?」
「はい」
 エドワードは頷く。
「誰を……作った? なぜ生きている? 人体錬成を行って生き延びられるのはごく一部だ。そして……成功例はない。殆どが失敗して死ぬ。生き延びても……代価をとられる」
「ええ。肉体の一部を持っていかれる。師匠の言う通り、人体錬成はどんな錬金術師であろうと成功例がない。絶対に不可能です。肉体の再生、魂の錬成、精神の構築、そのどれか一つなら可能だけれど、三つ同時にはできない。真理の扉を開けても人体錬成は叶わない」
「扉を……開けたのか? ……やはり。…いつ?」
「二回、開けました」
「二回? ……え?」
「一度は母を作り出す為。二度目はリバウンドで連れていかれた弟の魂を引き戻す為」
「母親と弟? しかしエドワードの家族は何の問題もないようだが」
「その件について……長いお話があります。聞いていただけますか?」
 決意を秘めた顔に、イズミは頷く事しかできなかった。