第二章
「オマエはいつも突然来るな」
「はあ。すいません」
「軍の狗は家に入れん」
「じゃあ、外でもいいです。お話があります」
「私にはない」
「そこを何とか」
「帰れ」
「イヤです」
「私は忙しい」
「旅行に行くんですよね」
「何故知っている? 調べたのか?」
「調べなくても知っています」
「…………そうか」
「はい」
「だが私はオマエと話をする気はない」
「オレにはあります」
「勝手な事を言うな」
「すいません」
「謝ればいいと思っているのか」
「そんな事は…」
「しつこい男は嫌われるぞ」
「嫌いでもいいから話を聞いて下さい」
エドワードはダブリスのイズミの家に来ていた。
突然訪ねてきたエドワードを迎えたイズミは、厳しい顔で金の髪を見下ろす。
この世界でエドワードとイズミの関係は弟子と師匠ではない。エドワードにとっては弟の師で、イズミにとっては弟子の兄だ。アルフォンスだけがイズミに教えを乞うている。
イズミのエドワードに対する感情は色々複雑だ。そして関係は更に複雑だった。
必要がなければエドワードはイズミの元に来ない。
今度は何があるのだとイズミの目は厳しくエドワードを見据える。
「エドは私に何の用がある?」
「話を聞いてくれますか?」
「エドが来る時はいつも頼み事ばかりだな。手土産の一つも持ってこい」
「イーストシティ饅頭を持ってきました」
「阿呆」
イズミに阿呆よばわりされた天才少年(二十一歳)は、カステラの方が良かったかな…と口の中で呟いた。
会うたび罵られるが、エドワードはイズミに何を言われても腹を立てる事はない。
「師匠……」
「オマエに師匠呼ばわりされる覚えはない」
「オレにはあります」
「黙れ」
「黙りません、師匠」
「私はオマエの師ではない!」
言葉と同時にイズミに手首を掴まれ、ブン、と投げられる。
三メートルほど吹っ飛び、エドワードはゴロゴロゴロと地面で三回転した。
すぐさま起き上がり、服についた泥を払う。
「……っぶねぇっ」
「ほう、余裕だな。受け身はとれるようになったじゃないか」
「会う度に投げられれば、いいかげん慣れます」
「そうか……」
言い終わらないうちにムチのように足が伸びて、爪先がエドワードの腹に入る。勢いのままふっとばされたエドワードは「うえぇっ」と呻きながら腹を押さえた。
さすがのエドワードもこれは耐えられなかった。立ち上がる足元がフラつく。
「……れ、連続攻撃は止めて下さい」
「油断したエドが悪い。油断大敵。鍛練不足だ」
「ううっ」
エドワードの体が鍛えてあるとはいえ、イズミの力は半端ではない。痛いというよりショックで力の入らない身体を起こす。
「……変わってない。師匠は相変わらず師匠だ」
クマより強いイズミにエドワードは怯える。
「だから私はオマエのセンセイではないと言っているだろ。エドの記憶に私がいようと、私の過去にはエドはいない」
「判っていますけど、オレの師匠は貴女だけですから」
過去の世界にいたイズミのような温かい目は向けてもらえなくても、エドワードにとっての師はイズミ・カーティスだけだった。
「何が鋼だ。軟弱者め。お前の噂はこっちまで届いているぞ。天才児として祭り上げられていい気になってるんじゃない。エセ十五歳」
「師匠はお身体の調子は良さそうですね。良かった」
「お前に心配される筋合いはな……ゴフッ!」
言った側から血を吐かれ、エドワードは慌てて駆け寄る。イズミの吐血には慣れているがそれでも血を目にすると心配になる。
「大丈夫ですか? 無理せず休んで下さい」
「大した事はない。いつもの事だ」
「とりあえず、座って下さい」
「しょうがない。……バカ弟子のバカ兄という事なら特別に家に入れてやろう」
諦めたようにイズミはエドワードを促す。
「入れ」
「はい。おじゃまします」
家に入ると小山のような影が前の立ちふさがる。
首が痛くなるほど見上げ、エドワードの顔は更に引き攣る。
「エドか、久しぶりだな」
ぶ厚い声にエドワードの身体がのけ反った。
「シグさん。こんにちは。おじゃまします」
「大きくなったな。ゆっくりしてけ」
ガシガシと頭をかき回されて、エドワードはいつまでこの人に子供扱いされるのだろうと思った。
エドワードの年齢は本当なら二十一歳だ。大人に頭を撫でられる年齢ではない。
「それで、何の用だ?」
お茶を出してくれるのだから一応客として扱ってくれているのだなあと、エドワードは少しだけ安心した。
イズミとの関係は微妙だ。
エドワードはイズミにだけ自分の経験を話してある。
だからイズミはエドワードを子供扱いしない。
テーブルを挟んで向かい合い、エドワードはイズミを見つめる。
師でありエドワードの支えであった人。怖い人だが側にいると安心できた。
イズミに冷やかな目で見られるのは辛いが、それは仕方がない事だと諦める。
自分でいうのもなんだが、エドワード・エルリックという人間は相当胡散臭い。
「実はお願いがあります」
単刀直入に切り出す。
「オマエが来るのはいつも頼みごとする時だけだな。……今度は何だ?」
「師匠はこれから行く旅行先…セントラルで父に会うはずですから、会ったら家に戻るように言って下さい。もしくは至急イーストシティのオレの家に連絡を入れるように伝えて下さい。母さんが危ないから、と言って」
「父って、行方が知れないっていうオマエらの父親の事か?」
「はい。ヴァン・ホーエンハイムといいます。オレ達と同じ金髪で、背が高く顎ヒゲを生やしてメガネをかけてます。会えば判るはずです」
「お前達が十年も会ってない人間を、会った事もない私が判るわけないだろ」
「旅行先で『ホーエンハイムという男に会った』と言ったのは『師匠』です」
「それも『オマエが体験した未来』の話か?」
「はい」
イズミはふうと息を吐いてエドワードの金色の瞳を見た。
イズミを「師匠」と呼ぶ少年に、イズミが錬金術を教えた覚えはない。
だがエドワードの言葉が本当なら、エドワードはイズミの弟子なのだ。
滅多にない金の瞳のエドワードは、外見以上に稀少な存在として知られている。最年少国家錬金術師として名高く、その力は国家錬金術師の中でも抜きん出ているという。
そして特筆すべきはエドワードの錬金術だ。錬成陣を必要としない錬金術師。
どんな錬金術であれ陣を媒介にして錬成を成す。
だがエドワードは式を表に出さずに内に表し、円のみを体現して再構築を行う。
……イズミと同じように。
初めてイズミとエドワードが出会ったのは六年前。
カーティス夫妻は旅行中にリゼンブールという田舎に立ち寄った。
折角の旅行なのにタイミング悪く天候が崩れて、宿に足留めされた。
そして村にある川が欠壊寸前だと聞き、イズミは錬金術で災害を防いだ。
その後イズミは倒れ、宿に運ばれ村人に囲まれた。
褒め称えられる中、一人の少年がイズミに教えを乞うてきた。それがアルフォンスだった。
弟子をとるつもりのなかったイズミは断った。
話を聞いて更に拒絶の気持ちが強くなった。
アルフォンスの兄は国家錬金術師だと村人は言った。
兄のエドワードは九歳で最年少国家錬金術師になったと自慢げに言うのを聞いて、冗談かと思った。
本当だと知ると同じ錬金術師としての興味と、いいようのない嫌悪が湧いた。
たった九歳で国家錬金術師になれるだけの力量と、特権にひかれて軍に身を委ねた浅はかさが胸を塞いだ。
亡くした子と同じ年くらいの子供が軍属になっているなど胸が悪くなる話だ。親は何をしているのかと思った。
村人が帰った後、一人の少年がイズミを訪ねてきた。
エドワードだった。
「お前の『未来』はあとどれくらいだ?」
エドワードが過去を遡ったというのを知っているイズミは聞いた。
「あと五ヶ月です。そこまでの『未来』しか判りません。……死んでしまったから」
「死んだのではなく、錬金術で時空を跳んだからだろう。自ら肉体を捨てたのだから自殺に等しい。バカモノめ。お前はそんな事の為に錬金術を学んだのか?」
「すいません」
何を言われてもエドワードは逆らわない。エドワードを愚かだと叱るのはイズミだけだ。当然の叱咤だった。エドワードが過去にした事は結局自殺だ。肉体を錬金術の代価として捨てたのだから。何を言われても仕方がないと思っていた。
誰もエドワードを責めないから、イズミに詰られる事は逆にありがたかった。自分の罪を忘れないでいられる。
イズミは鋭い眼光をエドワードに突き刺す。
「オマエは五ヶ月後、どうするつもりだ? 見えない未来にオマエはどう立ち向かう?」
「その事でお話があります。オレがしようと思っている事を聞いて下さい」
「聞こう」
「その為にまず、オレのオヤジを見つけなければならないんです」
「なぜ? 十年も会ってなかったのに。探さずにいたのは必要じゃなかったからだろ? 突然どうした」
「必要になったんですよ。母さんとアルフォンスの為に」
「どういう事だ?」
「二人を守るのにオヤジの力が必要なんです」
「お前、一体何をしようとしているんだ?」
腹を括ったエドワードの瞳にイズミは過去を思い出した。
(そうだ、確かこんな目をしてこの子は私を見た)
初めてイズミが九歳のエドワードと対峙した時と同じ目だった。
「実は……」
私は結局この子のいうとおりに動くのだろうと、イズミはある種の諦めを感じながらエドワードの言葉を聞いた。
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