第一章
どうしてだろう。何もかも持っているエドワードが酷く孤独に見えた。そんな筈はないのに。
きっと相手は。
エドワードのこんな顔を知っているのだ。精神が擦り切れたような乾いた顔。
子供のする表情ではないが、戦場を経験したロイは子供でも絶望し憎悪し精神が叩き潰される事を知っていた。悲劇に年齢は関係ない。
平和な家庭に育った事を前提にしているからおかしいと思うのであって、エドワードがロイの知らない所で酷い経験をしていたとしたらエドワードの歪みも判る。
ロイはエドワードの全てを知っているというわけではないし、だから下す判断が正しいと断言できない。
エドワードの恋には余裕がない。幸せの色が見えない。
飢えて欲して手を延ばして掴む恋が幸福なはずはない。それは執着だ。精神を削る恋だ。
「鋼の。……君の相手は誰だ? 何処にいる? 知り合って六年だが、君にそんな相手がいるなんて聞いた事がない。君の事は私も軍も色々調べた。だが、君の情報は誰もが知っている事しか出てこなかった。…………どうやって相手の存在を隠した? そしてどうして私に話す? 私に言わなければこの先も誰にも知られずに済んだろう。一人に知られるという事は秘密の漏洩に繋がる。そんな事が判らない君じゃない。何故だ?」
どうして自分が苛立っているのか判らないままロイは問い質す。
エドワードの恋。誰も知らない相手。鋼の顔の下でそんな想いが渦巻いていたなんて。
だが告白を聞いて嘘や作り話だとは思わなかった。
何も知らなかった時よりエドワードの内面が理解しやすくなった、と少しだけ思った。
エドワードは頬杖をつく。
「アンタが『恋をしろ』なんて薄っぺらい事を言うからだ。アンタらの言う適当な感情が恋だとしたら、そんなものがオレの安らぎになるものか。フラレてすぐ立ち直れるような恋はただの思い込みだ。オレにそんなものを押し付けるな。くだらねえ」
「それは失礼した。そんな相手がいたと知っていたなら言わなかった。……会ってみたいものだ、その相手に。君がそれほど執心する相手だ。興味がわく」
「そりゃ無理だ」
「秘密主義か? 出し惜しみするな。ここまで言ったのだから会わせろ。リゼンブールの住人か?」
「出し惜しみじゃなく……そいつはもういない」
「どうして? フラれたとか?」
「いや…………この世にいないから」
「………………いない?」
「うん」
「それでは……」
「死んだ」
「そ……」
全ての音が消えた。
だがエドワードはさらりと乾いた声で空気を破く。
「だから、紹介はできないし探しても見つからねえ」
「鋼の?」
「もう……会えないんだ」
「そうか」
それ以上ロイに何が言えただろう。
嘘だろうとか、冗談、などの否定の言葉は吐けなかった。
言えば今度こそエドワードは何も言わなくなると判った。
エドワードの中に感じた雨はこういう事だったのか。
どうして死んだと聞きたかったが、エドワードはもうそれ以上言いたくないとロイとの会話を拒絶していた。
再び落ちた沈黙にロイは言葉もなく無力さに浸る。
年長者の経験など役には立たない。
エドワードは慰めを欲してないからロイも言葉を投げられない。
いたたまれない沈黙の中、鋼のはよくよく自分をかき回すとロイは思った。ロイ・マスタングをここまで混乱させる人間はそういない。
短い沈黙は扉を鳴らす音で終わった。
「あれえ、大佐。鍵掛けてどうしたんスか?」
扉の向こうからの声とガチャガチャという音。
「ちょっと待って、ハボック少尉。今開けるから」
エドワードが扉の鍵を開ける。
荷物を持ったハボックが何してんだ? と言った。
「鍵なんか掛けて大佐となにしてたんだよ。怪しいな」
「ハボック少尉の想像しているような事は何もないよ」
「オレが何を想像しているって?」
「ホークアイ中尉には言えない事」
「本当にンな事してたのか?」
ハボックのからかう目つきにエドワードは冷たい視線で答えた。
「……とハボック少尉が言ってたって中尉に言っていい?」
「わ、バカ止めろ! 中尉に撃たれる!」
「オレにだって選ぶ権利があるんだから、嗜好疑われるような想像しないでくれ。つーか、ホントに何想像したの?」
「いやあ。エドは美少年だし、純情だし、大人の遊びを教えたいって大佐だって血迷う事あるのかなあって」
「ハボック。そんなに残業したいらしいな。今日のデートは取り止めだとエレナ嬢に連絡しといてやろう」
「そんな! 謝りますから残業は勘弁して下さい!」
「うるさい黙れ。どうせフラれるんだ」
「まだフラれてません!」
ハボックが来た事でエドワードの話がウヤムヤになってしまった。だが掛ける言葉の見つからないロイはホッとした。
「じゃ、オレ行くから」
エドワードはちょうどいいとコートを手に背を向ける。
「鋼の」
「何?」
エドワードが振り返る。すぐ前の空気が嘘のようだ。
「……いや。気をつけてな」
「何言ってんの。危ないところには行かないよ」
「子供の一人歩きは危ない。気をつけて行動しなさい。……お母様と師匠によろしくな」
「ガキ扱いすんな。すぐに帰ってくるよ。研究もあるし。……じゃあな」
後ろ手にヒラヒラと手を振るエドワードの背を見て、ロイはハアと溜息を吐いた。
「なんスか、その溜息は」
「うるさい。貴様がそうだから鋼のがああなのだ」
「訳わかんないんスけど」
ハボックの脳天気な顔がエドワードとは対称的で、ロイは思わず脱力する。どっちもどっちだ。二人を足して二で割ったら丁度良くなるのにとロイは無駄な事を思った。
「フラれてすぐに立ち直れる恋など薄っぺらくて意味ないとさ。……真剣な恋ばかりでは心をすり減らすだけなのに。安らぎたいから相手を求めるんだ。……と言っても鋼のは聞かないか」
「大佐?」
「子供はいつのまにか大人になるんだな」
「そのセリフ、オヤジ臭いです」
「ハボック、残業決定」
「ギャーッ」
ロイはハボックを適当にあしらいながら、騒がしさにホッとする。ぬるいやりとりに力が抜ける。
大人が気楽に相手を見つけているのに子供がああでは、立場が逆だ。
エドワードがあんな顔をして恋を語るなんて。
一体相手はどこのアルフォンスだ。どうして死んだのだ。エドワードと何を分かち合ったのだ。
ロイは今聞いた話は本当だろうかと、白昼夢でも見たのではないかと自分を疑う。
結局何もかもうやむやになってしまった。
エドワードが未来が見えると言った事、握っていると言った軍部の秘密、その他に隠している事。
……そして、恋。
エドワードの事を知りたいと思ったが、知れば知る程ますます判らなくなる事ばかりだ。
エドワードの正体が明かされる日は来るのだろうか?
(もう……会えないんだ)
エドワードの暗い目は恋人が死んだせいなのか。だとしたら惨い事だ。
心を潰す声はいつまでもロイの耳に残ってとれなかった。
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