モラトリアム
第参幕


第一章

#13



 エドワードの答えは明確で揺るぎない。
 初恋の相手なのだろうかとロイは思った。
 九年越しの恋と聞いて子供の一途さに驚いた。
 そういえばエドワードの周りにいる人間は皆大人ばかりだ。少年の恋愛対象になる人間は案外少ないのかもしれないと今更気がつく。軍の人間相手では気が抜けないだろうし、だとすると知り合う異性は限られてくる。ハボックのように花屋の店員とかカフェの女給とか探そうと思えばいくらでも見つかるが、異性にガツガツしていない根が真面目なエドワードは、自然に恋に落ちる以外の付き合い方しか考えていないのだろう。
 しかし同性とは。
 エドワードはどうみても異性愛好者だ。ホモは嫌いだと言ったのは嘘ではないだろう。とすると、やはり思春期の過ちか。
 そういう思い込みとか、危うく不安定な感情は十代にはありがちだ。
 ロイだって、学生時代には同性に言い寄られた事も少なからずある。
 同性愛者でなくても成長期に男だけで閉じ込められれば、感受性のベクトルはおかしな方向に曲がる。
 だがそれは外に出れば自然と落着く一過性のものだ。……そうでない者もいるが。
 エドワードの場合どこにも閉じ込められていないが、真面目さが祟ったのかもしれない。
 エドワードは生意気だし年長者を敬わないし口が悪いから本気で殴りたくなる事もあるが、それでも不真面目だとか卑怯とか底が浅いとか性根が卑しいとか、そういう表現が似合わない存在だ。他人に厳しいが、自分に対し一番厳しい。少年らしい正義感と真面目さと純情が同居している。身に余る権力を手に入れても驕れることなく畏縮するでなく、自然体だ。
 根が甘ちゃんだとは思うが、年齢を考えれば仕方がないし、清々しい潔癖さは好ましくもある。
 ハボック達が可愛がるくらいだから、中身は悪くない。背は低くても男らしさは誰にも負けてない。
 つまりは(言いたくないし認めたくないが)エドワード・エルリックは極上の人間で、その気になれば相手には不自由しない。
 なのに、なんでそんな面倒な恋をしているのか。
 一本気すぎたのだろうか。
 真面目すぎるのも考えものだな、とロイは密かに嘆息する。
 エドワードがどんな男に惚れているのか知らないが、たぶん恋愛というより思い込みなのだと思う。
 小さい頃に抱いた想いを未だ持ち続け、綺麗な思い出だけで恋し続けているのかもしれない。
 しかし。
 過去、心身美しい相手だったとしても、未来もずっとそうだとは限らない。恋は思い込み半分というが、幻想に想いを抱く事もまた恋だ。
 エドワードの恋愛感情は年齢より幼いのだろう。だから今も過去の想いを綺麗な気持ちのまま抱き続けている。
 しかし人は変わるし、恋には肉欲とか綺麗ではいられない付属品もついてくる。それが大人と子供の違いだ。
 エドワードは同性の肉体を愛せるのだろうか。
 少年の身体はある種の美しさがある。同性愛の気がなくても嫌悪感は湧かないのかもしれない。
 だから。
相手がもっと成長して大人の男の身体になったら、浮かれた感情や情熱は落ちついて恋も醒めるかもしれない。欲望と恋愛感情は切り離せないものだから。
 それともエドワードは心と身体を切り離して考えているのだろうか。
 そういう恋愛もある。プラトニックを至上とする人間もいるし、エドワードはどちらかというと禁欲的だ。酒にもタバコにも興味がないし、当然女も。……同性も。
「鋼のが惚れた相手と君は親しい仲なんだろう? 昔からの友達か? 鋼のが一方的に想っているだけなのか? 君はその相手に自分の気持ちを知って欲しいと思うのか? それとも受け入れられないと諦めて友情を貫く考えか?」
 たぶん後者だろうと思いながらロイは聞く。
 大抵の場合、同性への想いは相手に拒絶される。
 エドワードは臆病ではないが、恋愛ではまた別だろう。
 エドワードはロイにしか聞こえない小さな声で言った。
「友情なんてアイツとの間に一度も芽生えた覚えはない。オレ達にあったのは常に愛だった」
「愛? ずいぶんクサイ事を言う。…………ちょっと待て。……という事は相手は君の気持ちを知っているという事か?」
「まあね」
「それは……。それで?」
「アイツもオレが好きだって」
「え……ええっ?」
 声が大きくなったのでロイは自分で口を塞いだ。
 ハボック達はそれぞれの仕事に集中している。こちらの会話が聞こえていないのを確認してホッとする。
「は、鋼の。それじゃあ君達は両想いなのか? つまり恋人同士というわけか?」
「違う……と思う。オレ達は互いにそう思ってなかった」
「しかし恋愛感情がお互いに向いていたら、恋人といってもおかしくないだろう。……相手の方の「好き」は恋愛感情じゃない、とか?」
「判らねえ。……肉体関係はあったけど」
「ぶっ!」
 吹き出したロイは信じられないとエドワードを見る。
 ちょうどハボック達が部屋を出たところだったので、安堵する。
 こんな話、誰にも聞かせられない。
 ロイは慌てて立ち上がり執務室の鍵を閉めた。こんな話が外に漏れたらエドワードの弱味になってしまう。
 なんて不用心な。
 エドワードがどういうつもりなのか知らないが、ロイの方もどう受け止めたものかと迷う。
 ロイはエドワードに真剣に問いかける。
「肉体関係、があった? 君が?」
「そう」
「そ、それは……そういう意味で?」
「ぶっちゃけ色々揉まれて突っ込まれた」
「ぐっ……」
 ロイは思わず心臓の上を押さえる。
 想像したくない。
「君はっ!……純情少年かと思ってたら、とんでもないな。一体何時から?」
「初めてそういう関係になったのはオレが十三の時。恋を自覚して、アイツもオレに執着して、互いの欠損を埋めるように身体を拓いた」
 淡々と雨垂れの音のようにエドワードは言った。
 色事を語っているのにどこまでも禁欲的に見えるから、余計にロイは混乱する。
 十三というと二年も前からだ。そんな事があったなんてちっとも気付かなかった。告白されても信じられない。
「そう……か」
「とんでもない事をしているという自覚より……自分達の間に隙間がある事が耐えられなかった。オレ達は別々の人間でそれぞれの考えと世界があったが、互いにそれが不安だったんだ。オレはアイツを独占したくて、アイツはオレの気持ちが他に向う事が我慢ならなかった。ガキの執着と言ってしまえばそれまでだが、気持ちは嘘じゃなかったから衝動のままに動いた。オレ達の関係に気付いたアンタ……じゃなく知り合いは、救いがないと哀しい顔をしたっけ。非難されたら反発したが、あの顔は反則だ。哀れまれて余計に腹が立った」
「私の他に相談した大人がいたのか?」
「聞かれたから答えただけだ。嘘はつきたくなかったから」
「そうか。……しかし大丈夫なのか? そんな事が外に漏れたら大変だぞ。気がついているか知らないが、君の足を引張りたいと思う人間は山といるんだぞ」
「大丈夫だ。あんたにしか言ってない」
「ならいいが……」
 ロイはこういう場合はどういう答えが正解だったかと脳内を検索したが、適当な解答は出てこなかった。
「ええと……肉体的比較からして、君が女役か?」
「女って表現はムカつくが、突っ込まれる方という意味ではそうだな」
「十三歳で初体験か。……私よりも四年も早いのか。早熟なのは頭だけじゃないんだな。……ちょっと待て! 相手は年下と言ったな。それじゃあ相手はその時十二歳じゃないか!」
「年齢は気にするな。早いか遅いかだけの問題だ」
「いや充分問題だと思うが」
「肉体的老化の経過を大人になる事だというならオレ達の行動は早いのだろうが、大事なのは精神の成長だろ。どちらかが大人だったなら問題になるだろうが、オレ達は子供だった。大切なのは互いの気持ちだ。オレ達は互いを必要としていた。飢えて欲っし、あがいて、手を延ばして掴んだ。ただそれだけだ」
「ただそれだけ」