第一章
「君が臆病風に吹かれて帰って来るとはな」
「危ない事はしないと母さんと約束している。グレイシアさん経由で母さんの耳にも入るかもしれない。殺人鬼の彷徨うセントラルにはいない方がいい」
「そういう事か」
エドワードの慎重さの理由が判り、ロイは納得した。
エドワードは大胆で肝が座っている。たとえ相手が殺人鬼だろうと怯えたりはしない。子供だが、エドワードは強い。まるで場数を踏んでいるように戦闘馴れしている。内面に脆さはあるが、エドワードは対外的には強いのだ。
「さすがの鋼のも母親には弱いか」
「離れて住んでるんだから、これ以上心配の種は増やせない」
「母親想いの息子だな。……そう思うんだったら頻繁に顔を見せてあげなさい。それができないほど忙しくはないだろう」
「……まあ、そうだけど」
「家に帰りたくないわけでもあるのか?」
「そんな事はないけど」
「なら帰れ。顔を見せて安心させてやればいい」
「今すぐには帰れない。…用事を済ませてから帰るよ」
「用事とは? 査定は終わったし他に仕事が入ったのか?」
「これから南に行こうと思ってる」
「南? 何故?」
「南にいるアルの師匠に会いに行く予定なんだ」
「アルフォンスの師匠が南にいるのか。なぜ君が会いに行くんだ?」
「別に悪い事はないだろ。イズミ師匠は錬金術師の間じゃ名が知れている。国家錬金術師の中にも知り合いはいるぞ。話を聞きに行くだけでも無駄じゃない人だ」
「そんなに優秀なら国家錬金術師に誘ってみようかな」
「止めた方がいい。師匠は軍嫌いだ。オレはアルの兄貴だから家に入れてもらえるけど、そうじゃなかったら門前払いされる。腕っぷしはオレがサクッと全敗するくらいだから、大佐じゃ勝てない」
「サクッとって……。そんなに強いのか?」
「強い」
実力に比例して誇り高いエドワードが断言するのだからそれなりなのだろうと、ロイは勧誘を諦める。そういえば同じようなやりとりをずっと前にした覚えがある。
「君はこの後すぐに南に行くのか?」
「その予定」
「その後は?」
「大佐に言われた事だし、家にいったん戻る。たまに母さんとアルに顔を見せないと泣かれるからな」
誰より家族を愛しているのに、何故か家に帰りたがらないエドワードをロイは不思議に思う。
それもエドワードの秘密に何か関係あるのだろうかと問い質してみたい気持ちはあるが、正しい答えは返ってこないだろうと知っている。
ロイはエドワードの不思議よりも、秘密主義を許している自分の方が不思議だった。
中途半端な関わり合いは危険だ。エドワードがハクロ将軍を後見人にしている限り、エドワードとは疎遠でいた方が安全だが、どうしてかエドワードには警戒心が緩くなる。ハクロに対するのとは違いこちらに遠慮なく接してくるからなのかもしれないが、危険と承知でエドワードとの関係を深める自分が判らなかった。ロイが上にのぼる為には細心の注意を払わなければならないのに。
エドワードは使えば便利な少年だったが、同時にリスクもある。
「それはいい。帰って母親に甘えてこい。君は頑張りすぎだ」
「親に甘える年じゃないんだけどね(本当は二十一歳だから)」
「鋼のは大人ぶってもまだ子供だ。いやでも大人になるのだから、今のうちに母親の膝で甘えておけ」
「この年の男が母親の膝に縋るのは情けないものがあるんだけど。久々に母さんの手料理が食べたくなったから帰るだけだ。すぐにこっちに戻るよ」
「君はなぜそんなにも家に長居したがらないんだ? 家族との関係が悪いわけじゃないのに、君は家を敬遠している。……何故だ?」
ロイでなくても不思議に思うだろう。エドワードは家族を大事にしている。なのに家には寄り付かない。
まだ子供なのだから家で仕事をしても咎められないだろうに、仕事と称しエドワードはイーストシティで暮らしている。自由気侭な一人暮らしをしたいだけなのかもしれないが、遊んでいるようには見えない。それに態度が不自然すぎる。何かを恐れるようにエドワードはリゼンブールから離れている。
「大佐にまでそう見えるのかよ。……困ったな」
「他の人間にも言われたのか?」
「ヒューズ中佐に故郷に帰らないのは何か理由があるのかって聞かれた」
「理由があるのか?」
「……ねえよ」
「嘘ついてますって顔で否定するな。あるのなら理由を話せ」
「他人のプライバシーに口突っ込むんじゃねえ。家に帰りたがらないガキなんていくらでもいるじゃねえか」
「家に問題があるわけじゃなし、マザコンブラコンのガキが家を敬遠してたら変に思うのは当然だ。君は訳が判らない。たまには素直に返事をしたらどうだ?」
「オレのプライベートだ。放っておいてくれ」
「そうしたいが、君と会うと、なになぜどうして? と疑問が湧いてくるんだから仕方がない」
「夏場の食べ残しに湧いた虫じゃないんだから、お約束のように疑問を湧かせないでくれ。オレはプライベートには関わって欲しくないんだ。仕事以外の話題はふるなよ」
「初対面の時はそっちが呼びつけたくせに」
「六年も前の事を言うな。そんな昔の事、覚えてるか」
「たった六年だぞ」
「オレにとっちゃ人生の三分の一以上だ」
「……年の差というのは大きいな」
「感慨深げに言うな。大佐だってまだ若いくせに」
「人をオヤジ扱いするくせに、こういう時だけ若いというのか」
「将軍だの大総統だの老人中年を見慣れると、アンタが若造に見えんだよ。上層部の人間は軍服を脱ぐと老人倶楽部に早変わりだ。オレなんかヒヨコどころかタマゴ扱いだぞ」
「不敬だが尤もだな。人は権力を手に入れるとそれにしがみつく。だから老人が多い。力とは正義を駆使す為のものである筈なのに、力を得た者ほどそれを忘れる。目的と手段を取り違えるんだ」
「んなの分かってる。けど、実際にアンタが力を得た時に同じようにならないという保証もない。人は変わるからな」
「私が権力の味に溺れるとでも?」
「変わらないものなんかないし、アンタだって脆弱な人間だ。弱いから力が欲しいんだろ」
「君は弱くないと言うのか?」
「オレは……弱いさ。だから強くありたいと思っている。本当に強い人間は上を見なくてもいいんだ。ありのままの姿でいいんだから」
「含蓄があるのかそうでないのか判らない言葉だな。しかし君の弱音はあまり弱音に聞こえない。自己の弱さを認めているのにな」
「弱音じゃなくただの事実だからだ。オレに限らず人は誰でも弱いものだ。だから過ちを犯すんだろ」
「君は弱くても間違わないじゃないか。大事な事は理解している」
ロイの言葉にエドワードの顔が強ばる。
「……なんだ?」
「いや、アンタの目にはそう見えるのかと思って」
「君は常に正しい選択をしてきた。依怙地な面はあるが、その年でその判断力は賞賛に値する」
「大佐に褒められると複雑だな」
「素直に喜びたまえ」
「喜べないな。オレは間違いだらけの人間だから」
「君の何処が?」
「今、生きている事。国家錬金術師になった事。愛する者の顔が見れない弱さ。立ちすくんでいる自分。……全部だ」
「生きている事がなぜ間違っている。君は死にたいのか?」
「死にたくない。生きていたいさ。だけどその生にしがみつく無様さが全ての発端だった。死ぬ事は簡単だが、生きる事は難しい」
「また君の訳の判らない哲学か?」
付き合っていられないというロイに、エドワードは爪を噛んだ。右手の柔らかい感触に慣れて、機械鎧の感覚を忘れかけている。自分の犯した罪まで忘れそうで恐怖する。
何より怖いのは忘れてしまう事。
弟を殺したのはエドワードだ。人の身体を取り戻せないまま魂を消してしまったアルフォンスを夢の存在にしてしまいそうで、それが恐ろしい。
故郷に帰り母と弟に囲まれると、〈過去に戻った事〉が妄想の産物だったような気持ちになる。
だが時折見る夢……人体錬成の失敗、ロイ・マスタングに胸ぐらを掴まれて焔をつけられた事、軋む機械鎧、装着の激痛、鎧の中で響く幼い声、鉄の鎧の弟を恋愛感情で愛した事……に、自分の罪状を叩き付けられるのだ。
お前は罪人だと。愛に満ちた平和な暮らしを甘受する事は、亡きアルフォンスへの裏切りだと。
誰もエドワードを責めない。誰もエドワードの罪を知らない。ロイ・マスタングでさえエドワードに間違いがないと思っている。
いっそ全部ぶちまけて自分の罪を晒してしまいたい気持ちになるが、それもまた逃げだと判っている。
自分にできる償いは母と弟を災厄から守り幸福にする事。
だがそれはとても難しい。この国に暮らす限り、当たり前の幸福は砂上の楼閣に等しい。
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