モラトリアム
第参幕


第一章

#10



 ふんぞりかえるエドワードにロイが冷静に発言する。
「協調性、礼儀、柔軟性、君に欠けているものはまだまだあるな」
「アンタの言う協調性柔軟性っていうのは、嘘ばっかついて本心を見せず周りを騙して人当たりよく波風立てない事だろうが」
「それが大人の社交術というものだよ、鋼の」
「表面上とりつくろう中身のなさを推奨すんなよ、クソ大佐」
「別に媚びへつらえとは言っていない。くだらん人間につけこまれるような隙を作るなと言っている。形だけ整えるのに余計なプライドはいらん。社交と妥協は上にあがるほど必需品になるんだぞ。雨の日の傘と同じだ。君も十五歳だ。そろそろ大人の仲間入りをするのだから、自然に大人の態度がとれるように完璧な礼儀を標準装備しておきなさい」
「本当は二十一歳だけどな……」
「何か言ったか?」
「いや。大佐の言う事も一理あるか。……波風立てない程度の礼儀は欠かしてないつもりだったが、もうちょっと外面強化しとくよ。大佐所有、防腐剤塗布虫よけ加工済み外面良さげ仮面をオレもアダルト専用通販で購入して顔につけるか」
「さりげに人をバカにしてないか? 何がアダルト専用だ。いかがわしい言い方をするな」
「大人になれって言ったのは大佐だろ」
「子供の甘えをなくし何事もソツなくこなせ、という意味だ」
「オレって甘えてるか?」
 首を傾げるエドワード。
 エドワードは隙を作らない為に仕事に妥協を許さない。
「…………とにかく、君も階級にふさわしい振る舞いをしなさい。私を見倣って」
「確かアンタが十五歳だった時には寮を抜け出して女の子と遊びに言ったり、嫌いなヤツをやりこめる為に悪戯の数々を繰り返してたんだよな。……それを見倣えって?」
 ギョッとなるロイ。
「ちょっと待て、そんな話誰に聞いた? まさか」
「ヒューズ中佐に決まってるだろ。アンタ達の悪行の数々は聞いてるぞ。
『ロイのヤツも今でこそあんな風だが、ガキだった頃はスカして……おっとこれは今でもか、キレやすくって止めるのが大変だったんだぜ。今のエドの方がよっぽど大人だな。だからこれ以上背伸びして大人ぶらなくったっていいぞ。時がくればいやでも大人になるんだから。もっとガキらしくしてろ』
…だそうだ。いい親友だな」
「ヒューズのやつめ。余計な事を」
 チッと舌を鳴らすロイ。
「いい人だよな、中佐は」
「鋼のはヒューズには素直だな」
「親切だし理想の父親像だからな」
「そうか、鋼のは父親が……」
 エドワードが話題にしないので忘れていたのだが、エドワードの父ホーエンハイムは長く家を空けている。蒸発したのかただ長く外にいるだけなのか知らないが、音信不通な事には変わりない。エドワードの冷めた目と背伸びした態度は家庭環境が原因かもしれないとロイは思った。
「クソオヤジの事なんかどうだっていい。…オレの事は放っておけ。それより大佐はこれ以上女を口説かない、仕事をサボらない。ハボック少尉はタバコを控える、フラれてもくじけない、酒場でクダまかない。二人とも子供に尊敬される大人になる事を切に望む」
「うっ……厳しいな、エド」とハボック。
「禁煙は無理だぞぅ。……オレがフラれるのは大佐が仕事を増やすせいだし……。つーか、フラれる前提で話をするなよ」
「私が女性を口説いているのではない。女性の方からアプローチしてくるのだ。それに仕事をサボる事などしないぞ。ちゃんと期日には間に合わせている」
 ロイの発言に周りの視線が白くなる。
「期日に間に合うのはホークアイ中尉が後ろで厳しく監視してるからだろ。自分の首絞めると分かっていてなぜ仕事を溜めるんだ? 夏休みの宿題じゃないんだからギリギリに終わらせるのはよせよ。中尉が可哀想じゃないか。面倒な事から逃げて部下の仕事を増やすな。中尉に残業させるな。中尉は美人なのに男っけがないのは仕事優先だからだろ。自分が仕事をサボった結果に女性を巻き込むなよ」
 少年の真面目な叱咤にロイは旗色が悪い。
「鋼の……。君は中尉の肩をもつのか」
「男社会で頑張っている女の人は応援したくなるよな。中尉はあんなに立派な人なのに、どうして大佐みたいなサボリ魔を見捨てずフォローしてるのかな。もっと将来有望で真面目で仕事をサボらない上官につけばいいのに」
「真面目な顔でもっともらしく発言するな。哀しくなるじゃないか」
「エド。オマエにゃ判らんだろうが、大佐の良さを一番良く知っているのは中尉だ。あれはあれでいい関係なんだぞ」
 ブレダが含蓄深く言うが、エドワードはンなの判ってるという顔だ。
「大佐の長所は知ってるよ。ただなあ……。……ギャンブル好きの男の妻が真面目な人だったり、逆に浪費家の妻の旦那が吝嗇だったり、良くも悪くもバランスがとれるというか、片方が損をする関係で成り立っている組み合せってあるよな。大佐と中尉の関係もそれに類似してると思う」
 少年の素朴なつぶやきは他意ない分痛かった。
 大人達はどんな顔をしたものかと複雑だ。一人ロイだけが情けなさを通り越して無表情になったが。
 子供の顔でエドワードは結構辛辣だ。精神年齢は二十歳を越えているのだから発言が子供らしからぬのも当然だが、それを知らない大人達は言葉に詰まる。
「エドって言う事が厳しい……」
「大佐が気の毒です」
「本当の事だから余計に痛いよな」
 部下達は言いたい放題だ。
「は、鋼の。君の言葉は耳に痛いな。ついでに胸も痛い」
「自覚があるからだろ」
「うっ。……そ、それはそうと……話を仕事の方に戻そうか。鋼のが中央に行ったのは査定の為だったな。ヒューズは元気だったか」
 強引な方向転換だったがエドワードは乗った。
「元気だったよ。……イヤになるくらい。愛娘写真攻撃は相変わらずで最強だった」
「ヒューズのアレは病気だ。たまにしか行ってやらんのだから諦めて付き合ってやれ」
 エドワードのげっそりした様子に、見なくても判るとロイも頷く。会うどころか電話を使って妻子自慢する親友にさすがのロイも辟易している。
「もっとゆっくりしてくれば良かったのに。とんぼ返りしたとヒューズが文句を言ってたぞ。グレイシアの手料理を堪能せずに帰ってきたのは何か用事があったからなのか?」
「ああ……ちょっとな」
 エドワードの顔色が陰る。
「何だ?」
「国家錬金術師殺人事件のせいだ。セントラルは物騒だから、早々に帰ってきた」
「国家錬金術師殺人事件? なんだそれは?」
 ロイの顔が引き締まる。
「まだこっちの方までは情報が来てないか。それとも情報が遮断されてるのか。……セントラルにいる国家錬金術師が二人殺されたんだ。犯人は不明。身内が殺されたって軍はやっきになってるけど、犯人の目星はついてないらしい。同一犯か判らないけど、国家錬金術師に警護の人間をつけるとか面倒な話になってきたんで、帰ってきた」
「事件が起こったのはいつだ?」
「オレが中央に行く直前。司令部は空気がピリピリしてたぜ」
「フュリー。どういう事か調べろ。ブレダ、フュリーに協力しろ」
「はい」
 別人のように締まった顔になるロイと部下達を見て、エドワードは「そのうち嫌でも情報は入ってくるよ」と口の中で呟いた。
 いよいよスカー(傷の男)が国家錬金術師を消し始めたのだ。とうとうと言うべきか。
 今の世界ではまだ会っていないが、エドワードにとっても馴染み深い相手だ。
 殺人を見逃している事になるが、スカーを止めようとは思わない。スカーが中央の国家錬金術師を殺害しなければロイの栄転はなくなる。
 なるべく歴史は変えない方がいいとエドワードは思っている。