第一章
「鋼のは相変わらず情報通だな。ハボックの恋愛関係まで知ってるなんて」
皮肉げなロイの声にエドワードはまっこうから視線をぶつけた。
「見ただけさ。花屋の娘に花を贈っている変な軍人がいるなと思ったら、ハボック少尉だった」
「花屋の娘に花を贈ってどうするんだ?」
「だからお前は女心が判らないというのだ。よくデートを受けてもらえたものだ」
「ハボック少尉……。言うべき言葉が見つかりません。何考えてるんですか」
周りの呆れ声にハボックは「ほっとけ」と口先を尖らせた。
「なんだ、エド。見てたのかよ。声かけりゃ良かったのに」
ハボックが気恥ずかしいのを誤魔化すように言う。
「まあ、偶然ね。女を口説いている最中に声掛けるほど野暮じゃないよ」
(本当は見てないけど)
ハボックが花屋の娘に花を贈って結局はフラれた事は記憶の隅に残っていた。小さな事なので忘れていたのだが、そういえばそんな事もあったなあと、今思い出したのだ。
「あれ、でもオレがエレナさんをデートに誘ったのは先週だぜ。エドはその頃中央に行ってたんじゃないのか?」
「ぐっ…………そ、そうだったっけ?(ヤバッ、マズッた…)」
「確か大佐が『今、エドはセントラルにいる』って言ってたような……。ねえ、そうでしたよね、大佐?」
「ああ、そうだったな。鋼の?」
面白そうな、だが油断のならない視線を向けられてエドワードは自身の口の軽さを悔やんだが、後の祭りだ。軽々しく話に入り込むべきではなかった。小さな綻びも作ってはいけない。アリの穴からでも堤防は崩れる。
「じゃ、じゃあ勘違いだったかな。……そうだよな、オレ先週は中央にいたんだ。ははは……」
「しかしハボックが花屋のエレナ嬢に花を贈ったのを知っていたのは、鋼のだけだ。誰も知らない事をどうして知っている? 誰かに聞いたわけではないのだろう? 他に見た者がいたなら話題になっていたはずだ。軍の人間は面白い事が大好きだから」
(ンな時ばっかり突っ込むなよ、無能!)
エドワードの内心の罵倒が聞こえたわけではないだろうが、ロイは笑顔のまま鋭い瞳をエドワードに向ける。
「………鋼のはよく東方司令部のメンバーの行動を知っている。スパイでも送り込んでいるのか?」
「スパイだなんて……」
「冗談だ。そんな事をしても鋼のの益にはならんからな。……では何故ハボックの行動を見ていない鋼のが知っている?」
「だ、だから気のせいだったんだよ……」
「という言い訳を私が信じるとでも?」
進退極まったエドワードは無理矢理話題を変える。
「そ、そういえば花屋のエレナ嬢の事だけど、ハボック少尉は諦めた方がいいと思うな」
「どうしてだよ?」とハボックはタバコにつけようとした火を止めて、エドワードを見下ろす。
「だってエレナ嬢って……確か大佐に憧れているはずだぜ。だからハボック少尉がアプローチしても無駄だと思うんだけど」
「え、大佐? 本当かよ?」
ギョッとなるハボック。
「うん、本当。だから今からそんなに楽しみにしてると、フラれた時が辛いから期待しない方がいいと思う」
ぐるんとハボックはロイを振り向いて詰め寄る。
「うぉーっ、またか、またですか大佐! 人の恋路を邪魔するのはっ! 両手で余るくらい遊んでるんですから、純情なお嬢さんにまで毒牙に掛けるのは止めて下さい」
「人聞きの悪い事を言うな。鋼のの口車に乗せられるな、ハボック。落ち着け」
「嘘は言ってないもんね」とエドワードはニヤリと笑う。
「なぜ君がエレナ嬢を知っている?」
「オレもあの花屋でたまに花を買うからな」
「君が花を?」
「仕事上の付き合いでいろいろと。贈り物は花とお菓子が一番無難だから」
「そうか」
「エレナ嬢は大佐に気があるみたいだぜ。大佐の事をよく聞かれる」
エドワードの発言にハボックがショックを受ける。
「大佐っ! どうしてオレの邪魔ばっかするんですか」
「向こうが勝手に熱をあげる事まで責任とれるか。花屋のエレナ嬢には、レディに花を贈る際にサービスをしてもらっているだけだ。私はお得意さまだからな」
「そのついでに口説いてるんでしょうが」
「口説いてなどおらん。女性を褒めるのは当然の挨拶だ。栗色の髪が美しいとか働く姿が可憐だとか、その程度なら野菜売りのおばちゃんから軍の受け付け嬢までみな等しく言っている事だぞ。例外は中尉くらいだ」
「何威張ってるんスか。アンタがそんなんだから外見に騙された女達が勘違いするんスよ。タラシの大佐に真面目で純情なオレが勝てるわけないでしょ。少しは遠慮して下さい。部下の婚期を延ばしてどうするんスか」
「オマエの婚期など知らん。部屋にエロ本山積みにした野郎のどこが純情だ。純情というのは鋼のくらいの少年しか使ってはいけない言葉だ」
「エドは単にガキなだけです。チューの一つもまだな子供と恋愛適齢期なオレ達を一緒にしないで下さい」
「なに、鋼のはキスの一つもした事がないのか? それはいかんな」
ロイに言われてエドワードは顔をしかめる。話題が逸れたのは助かったが、こういう話題は好きではない。
恋はしている。昔から、現在進行形で……今も。
たった一度の恋。それは永遠であり絶対だ。
自分の恋を大人のからかいで語られたくはなかった。
「肉体的接触を大人になる事だと勘違いするのは結構だが、その価値観を他者に押し付けるのは止めてもらいたいな。自分が無駄に年をくった大人だからって子供の経験値の低さを笑う権利はない。過去を顧みて自分と比較してみろよ。誰もオレを笑えないだろ」とエドワードは素っ気なく言った。
「んな堅苦しい言い方すんなよ。エドが仕事ばっかりして遊んでないからオレらは心配なんだよ。ガキっていうのはもっとノビノビして自由なもんだぜ。友達つくったりバカ騒ぎして怒られたり、恋に悩んだり、そういうのが普通なんだ。そりゃエドは普通とはちょっと違うが、ガキにゃ変わりねえ。友達も恋人もいないなんて寂しすぎるぜ。これでも結構心配してんだぞ」
ロイに続いてハボックまで興に乗る。子供をからかうのは大人の特権だと信じているくちだ。
「そりゃどうも」
「あ、余計なお世話って顔しやがったなコイツ。エドがそんなんだとあの綺麗なおふくろさんも心配すんぜ。自分の息子にダチもガールフレンドもいないなんて。……そういや幼馴染みのガールフレンドはいたか。その子はどうなんだ?」
「ウィンリィの事か? ウィンリィはオレにとっちゃ家族も同じだ。妹のような姉のような…オレにとって異性じゃない。恋愛の対象にはならねえ」
言っておかしくなる。
だったらアルフォンスの事はどうなる。血を分けた最愛の弟。同じ母の胎内から出たのに、エドワードは常識を踏み越えて弟を愛した。
エドワードの自身に向けた嘲笑にハボックは首を傾げる。
「なんだ、その笑い。オレは何か変な事でも言ったか?」
「いや……。心配してくれるのはありがたいけど、人にはそれぞれ適性ってもんがあるからな。オレは恋愛には向いてないんだよ。友達を作る事も。自分勝手で他人に合わせられないから」
「うっ……。自覚してんならちっとは人に合わせる事を覚えろよ。そんな排他的じゃ将来困る事になるぞ」
「どんな風に? 金と権力があれば大抵の事は叶うし、不細工でも運痴でもない。何が困るっていうんだ?」
銀時計を手に言うエドワードに、ハボックは情けない顔になる。相手が何もかも持っている天才児だと今更気付いたのだ。
「確かに。オマエ頭と金には不自由してないからな。腕っぷしもそれなりにあるし、顔も悪くない。……って事は隙なし? 無敵? うわ、ヤなガキ」
ロイも頷く。
「そうだな、鋼のは背以外のコンプレックスはないからな。ハボックと違い将来有望だから、その気になればセレブ狙いの少女達から熱い視線を受ける事も可能だな」
「ちっさい言うな! 誰がナノミクロン単位の豆だ!」
ロイのからかいを受けて反射的に怒るエドワード。
「そっか。エドの欠点は背の高さか」
「そこで納得するな、ハボック少尉」
ロイとハボックの発言でドッと周囲が明るくなる。
普段隙を見せないエドワードだが、身長の事では容易く自我を崩す。なかなか伸びない背がエドワードのコンプレックスだと誰もが知っている。エドワードが隠さないからだ。口にすればエドワードが瞬間沸騰するので誰も正面きっては言わないが、ロイやハボック辺りは平気だ。
「まあまあ。男の子は後から伸びるもんだしな。エドはまだ成長期だから大丈夫だろ」
ハボックが慰めるようにエドの頭をポンポンと叩く。
「ふん。今に見てろ。でかくなって大佐も少尉も見下ろしてやるからな。身長さえ伸びればオレに欠点はねえ」
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