モラトリアム
第参幕


第一章

#08



 エドワードの言う事は荒唐無稽だ。本当は二年後の1910年に会うはずだったとか未来が見えるとか、子供向けの冒険小説ではないのだ。
 背伸びして肩書きに沿う外見を作っている国家錬金術師のエドワードがそんなくだらない事を言うなんてと、ロイは失望し呆れる。
 無駄な事、益にならない事、甘え、はロイの嫌うところだ。プライベートでも仕事でもその世界にあった役割を演じられない人間は評価されない。
 冗談を言ったにしてはエドワードに余裕はなかった。
 くだらない事を言うと聞き流したが、胸につかえる何かに全てを流す気になれず回想し直す。
 変な事ばかり言っていた。もう一人のロイだとか、恩を感じているとか、エドワードの発言はでたらめばかりだ。
 ロイが気に掛ける事は何もなかった。だから気にする必要はない。
 比喩表現は錬金術師の得意とする所だ。
 エドワードは錬金術書のように何かに例えてロイに話をしたと考えた方がしっくりくる。
 だが、そう自身に言い聞かせていること自体がおかしな事なのだ。多忙なロイの心に残ったという事は、それが重要だと無意識に脳が判断を下したからだ。
 ロイは自分が何を重要だと感じたのか、エドワードの言葉を反芻する。


『もう……見えない。見える未来なんてない』
 

 エドワードの発言だ。
 未来が見えるのかと聞いたロイに答えたエドワード。
 聞いた時にはおかしいと思わなかった。だが。
 よくよく聞いてみるとおかしい。
 もう、見えないという事は、それまでは見えていたと言う事ではないか。
 後半部分の『見える未来なんてない』の方を重視して前半を聞き流した。
 エドワードの言い間違いかもしれない。言葉の表現方を間違える事なんてよくある事だ。
 それでもロイはエドワードが『間違えた』とは思わなかった。
 エドワードは油断したのだ。ロイが聞き流すと思い、気を弛めて本心を漏らしてしまった。ロイはそう思った。
『もう……見えない』という事はエドワードには未来が見えてきた時期があったのだ。
 未来が見えるなんて荒唐無稽だと思う。ロイだって言われたら信じないし笑い飛ばすだろう。
 エセ宗教家が道端で『悔い改めなければ世界が滅ぶ』などと叫んでいるが、エドワードのそれとは決定的に違う。
 エドワードは自分の発言を隠したがっていた。
 なぜか。

 ……軍部に知られたくなかったからだ。

 なぜ軍に知られなくないか。

 ……本当の事だからだ。

 未来が見えるなんてヨタ話は、誰も信用しない。
 だがエドワードは隠したがる。
 それが真実だから。

 ロイは自分の推測に唖然とし、ありえないと否定し、自分が動揺している事に気がついて呼吸を整えた。
 常に冷静であれと自身に言い聞かせている。笑っている時も苦渋を舐めている時も第三者の視点を持ち続けろと自己暗示をかけ、そうしてきた。
 冷静になればエドワードの言葉が本当で、荒唐無稽な話こそ真実だと判断できる。
 ああ、だからなのか。とロイは納得した。
 エドワードは時々見てきたように発言する事がある。それは事件であったり、日常の事だったり。小さな事ばかりなので聞き逃していた。その時はおかしな事を言うと思ったが、エドワードが未来を知っていたと仮定したらしっくりくる。
 だが…………やはりそんな事はありえない。

「鋼の……君は未来が見えていたのか?」
「は?」
「鋼のは未来が見えるんだろう?」
「今の話は冗談だって言っただろ?」
「嘘も冗談も言わないと言ったのは君だ。私は……」
 ロイは何を言うのか自分でも判らなかったが、何か言いたくて口を開いた。
 エドワードはとぼけているが、呆れた表情の下でロイをどう言い包めようかと少し焦りながら多大な脳細胞を駆使しているのかもしれない。
 ロイは面白いと思った。今まで掴めなかったエドワードの中身が少し見えた気がした。
 荒唐無稽な絵空事だが、エドワードの存在自体が絵空事なのだ。この際常識をとっぱらって考えた方が正解に近付けるに違いない。ロイは理屈よりも自分の勘を信じた。
 九歳で国家錬金術師になった天才児。錬成陣を使わない錬金術師。
 どれも規格外のファンタジー…………だがエドワードは現実にここにいる。
 ロイはいつのまにか自分が軽蔑している頭の固い老人連中と同じ思考回路に陥っているのに気がつき、恥じる。
 凡人に測れないから天才というのだ。その他大勢の視点でエドワードを測ろうとするから何も見えなくなる。
「鋼の、私は……」
 とうとうエドワードの真実が掴まえられるかもしれないと、
口を開いた時。



「大佐ぁー、ただいま戻りました。……おー、エドか」
「あ、エドワード君。いらっしゃい、お久しぶりです」
「エドじゃねえか。なんだ、来てたのか」
 ハボック、フュリー、ブレダがタイミングよく外出から戻ってきた。
 ロイの部屋にいるエドワードを見て声を掛ける。
 仕方なくロイは部下に対応した。
「お前達……仕事は終わったのか」
「B地区とD地区は終わりました。残りは明日です」
 ハボックが代表して答える。
「御苦労。報告は後で聞く」
「はい。……あれ、中尉はどこかに行ったんスか?」
「中尉には私の代わりに視察に行ってもらっている。本当なら私が行く予定だったのだが、鋼のが訪ねて来たのでホークアイ中尉に代わってもらったのだ」
 ハボックはああ、と頷く。
「エドはいつも突然来ますからね。しばらく会ってませんでしたがちっとも変わりませんね、エドは。……よーエド、久しぶり。相変わらずコンパクトで可愛いな」
「その表現で喜ぶと思っているのかよ、ハボック少尉。……久しぶり。そっちも相変わらず元気そうだな」
 発言は気に入らないが、東方司令部のメンバーに馴染んでいるエドワードは笑顔を見せる。
「非情な上司の下にいてもオレ様は元気溌溂だぞう」
「誰が非情な上司だ。残業したいなら喜んで仕事をやるぞ」
 ロイに睨まれてハボックはそっぽを向く。
「嫌っス。オレ、今日はデートなんで邪魔しないで下さい」
 だからやたら機嫌がいいのかと、周りは納得した。
 普段から陽気な男だが、今日のハボックは特に浮かれぎみだった。
「ほう、オマエと付き合う奇特な女性がいたのか。心の広い女性だ。せいぜい逃げられないように大事にするんだな」
「大佐の口の悪さも今日は気になりません。幸せっスから」
 浮かれるハボックを見上げてエドワードは記憶を探った。そういえばたしか……。
「ハボック少尉のデートの相手ってもしかして花屋のエレナさん?」
 つい聞いてしまった。
 ハボックがキョトンとなる。
「なんでエドが知ってんだ? 誰かから聞いたのか?」
 ハボックの全開の笑顔にエドワードの口元は微妙に歪む。
(確かハボック少尉、数回のデートの後あっさりフラれるんだよな。彼女が本当は大佐狙いで。それで少尉がやけ酒くらってオレ達も絡まれて………散々だった)
 言うべきか言わざるべきか迷い、結局歴史通りになるんだろうなと口を噤んだ。どうせハボックは数ケ月後ロイに連れられて中央勤務になるのだ。なら誰と付き合っていようがいずれ別れがくる。
 エドワードは笑って誤魔化した。