モラトリアム
第参幕


第一章

#07



 エドワードが知ったかぶりで言ったならロイは怒ったかもしれないが、エドワードの表情は絶望を知る者の諦めが含まれていたので、ロイに湧いた感情は戸惑いだった。
 エドワードの持つ悲哀に触れると居心地が悪い。理由の判らない悲痛はそれ以上内に入るなと警告されているようで、踏み込めない。
 エドワードが犯罪者なら締め上げて吐かせるのだが、エドワードは罪人ではないのでロイは口を割らせる事ができない。エドワードの事が知りたいと思うのはこんな時だ。
「君は卑怯だな」
「オレの何処が?」
「聞かれたくないのなら、探られたくないのならそういう顔をしていればいいものを、泣く寸前のガキの顔を時々見せながら何も聞くなと一人で耐える。気になるに決まっているだろ。いい加減大人になって心を全て隠すか、吐き出してすっきりしろ。こっちまで消化不良になる。思わせぶりな態度に振り回されるのは沢山だ」
「……泣く寸前のガキの顔って……オレってそんな顔してる?」
「自覚がないようだな。タッカー事件の前後の頃から、君は時々降り出す前の雲に覆われた空のような顔をする。泣きたいのなら泣けばいいものを、泣いてもどうにもならない事を自覚している大人のように、諦めと悲哀と慟哭を内側に持って外に出さずに消化もできずに、独り驟雨の中に立っているようだ。倒れれば助けの手が入るのに、ただ耐える。だから私は君に手を差し出す事も目を背ける事もできない。君がもっと卑怯で狡猾なら目を逸らして見ないフリをしただろう。君がもっと強かったなら私は君に関心を持たない。君はどこか中途半端なんだ。だから私は君から目が放せない。君は危うい」
 ロイの言葉にエドワードは第三者の方がよく見えるものだと思った。自分の事は自分が一番よく判っているつもりだったが、そうではないらしい。
「アンタから見たオレはそうなんだ。……そうか。気をつける」
「気をつけるだけか。私に何も話さず、また雨の中に立ちすくむように孤独でいるのか」
「うん」
「鋼の」
「……アンタは……認めたくないけど良いヤツだ。むかつくし腹立つけど、オレの知る中じゃまともな大人だし、恩人でもある。言った事はないけど感謝してる」
「私は君に感謝されるような事をしたのか? 覚えがないが」
「アンタは覚えてなくてもオレは覚えている。大佐は絶望にうちひしがれたオレに焔をつけた」
「私が君に?」
「闇に沈みそうになったオレを引き上げ、可能性を提示した。アンタは非情だったが正しかった。オレがこうしていられるのはアンタのおかげだから感謝している。大佐はおとなげなくて打算的でいけすかねえけど、それでもオレの支えだった。だからオレはアンタに借りを返したい」
「……君に何も貸した覚えはない。君の言っている事はちっとも判らないのだが」
「うん。判らないでいいんだよ。でも嘘は言っていない。オレが国家錬金術師になる前にアンタを頼ったのは、やっぱりアンタを信頼してたからだ。アンタはオレを知らなくてもオレは大佐を知っていた。大佐は初め、オレがアンタを知っていたのを不思議がっていただろ? オレ達はアンタの知らない場所で会っていた。大佐は知らなくてもオレは覚えていて、だからオレは東方司令部のメンバーが好きだし大佐を頼りにした」
「……エドワード?」
 エドワードの説明にロイは不思議顔だ。
「エドワードではなく、鋼の、だ。アンタはいつでもそう呼んだ」
「君の言っている事が全部本当だとして、それでは私達は何処で会っていたというのだ? 私の記憶では初めて出会ったのはあの陸橋の上だったと思うが。それ以前に会っていたのか?」
「……ああ。空が蒼かったな。雲一つなくて。倒れていたから空しか見えなかった。………大佐の驚いた顔が若くて………少し笑えた」
「若い? もともと私は若いが……。そういえば初めて会った時に私を童顔呼ばわりしたな」
「ははは……そうだっけ? アンタは髪が少し短くて……若く見えた。初対面の大佐はオレの知る大佐より若造で、変な感じだった」
「もし私達があの陸橋以前に出会っていたとして、一体いつどこで会ったというのだ? 私は覚えていない」
「うん。だってそれから二年後の事だし。本当ならオレたちが初めて会うのは1910年の筈だった」
「1910年? 陸橋事件は1908年だぞ。二年前だ」
「うん。タイムラグができたんだ。オレがフライングしたから」
「フライング? 意味が判らない」
「オレ達は本当は1910年に会う予定だった。だけれどオレがその予定を早めたんだ」
「君はまるで未来が読めるような事を言うな」
「あの時は未来が読めていた。オレはアンタに会う運命だし、国家錬金術師になるのも知っていた」
「未来が読めるのなら、会わずに国家錬金術師にならない未来も選択できたのではないか?」
「母さんが病気じゃなかったらそうした。だけど母さんの治療の為にはどうしても軍の力が必要だったんだ。オレは何の力もないガキだったし、最短距離で力を得るには国家錬金術師が一番だった」
「確かに母親の治療が目的で国家錬金術師になったんだったな。……では本当に君には未来が見えるのか?」
「もう……見えない。見える未来なんてない」
「本当か?」
「もし明確に未来が見えたなら……タッカーにあんな過ちを起こさせなかった。ニーナから母親を奪う真似はさせなかった」
「そうだな」
 未来が見えるなど、荒唐無稽だとロイは思った。
 未来が見えたならエドワードがタッカーの凶行を見過ごしたはずはない。あんなに傷付いたのだ。エドワードは三年前、タッカーを止める為に必死だった。
 それとも。
 ロイはふと思った。
 エドワードはタッカーの未来が見えたから、あんなに必死だったのか? 知っていたのに止められなかったから、後悔となって今も傷付いているとしたら?
 ありえないな。
 おかしくなって笑う。
 ……それこそ荒唐無稽だ。未来なんて誰にも判らないから皆必死に生きている。
 もしエドワードに未来が見える力があるとしたら、もっと沢山の奇蹟を起こしていただろう。
 エドワードは天才で優秀な錬金術師だが、人の範囲を出ていない。神でも悪魔でもなく、常識の枠をちょっとはみ出しただけの錬金術師だ。
「君が未来が見える人間だったら、私の部下にするのにな。私が出世する為に役立ってもらう」
「はん。誰がアンタの為に協力なんかするかよ。ぺぺぺっ、だ。未来が判ってたら投資して大金持ちになって遊んで暮らすよ」
「チンピラか、君は。外で見せているような大人の態度をとりなさい」
「大佐にとりつくろっても仕方ないだろ」
「可愛くないガキだ」
「大佐に可愛いなんて思われたら、そっちの方が寒いよ」
「それもそうか」
 ロイは釈然としない思いに何が引っ掛かるのだろうと今の会話を思い返したが、特に大切な事は言っていないようで、具体的な形にはならなかった。