モラトリアム
第参幕


第一章

#06



「あのさあ……。子供に銃の使い方を教えるまともな大人はいないよね。……そゆこと」
「意味が判らんが。……私が思慮に欠けた子供だと?」
「逆だ。アンタはガキじゃないから下手な事が言えない。大佐は優秀で野望があって、ある意味真っ直ぐだ。……アンタがオレに似てるっていうのはそうかもしれない。オレ達は危ういところで似てる。だから、オレはアンタに何も言いたくないんだ。オレは自分が愚かだという事を知っているから。オレに似た大佐が何をするか判る」
「君と会話してると問答をしている気になってくる。……いつも君は私の質問に答えないな。……たまには本心を話せ。なぜ私達が似てると思うのだ? どうして君は本当の事が言えない? ……ヒューズに何かあるのか?」
「何もないさ。……なにも」
 視線を横に向け窓の外を見るエドワードの頬は緊張を帯びている。
 今更ロイの存在に緊張するエドワードではない。ならば何に対し緊張しているのだろう。
「……君が何も言うつもりがないのなら、思わせぶりな事は言うな。聞いて欲しくないなら嘘も本当の事も仮面の下に隠しておけ。私は君の戯言に付き合っている暇はない」
「あー。悪かったよ。……アンタ相手だとつい。…………オレもだらしねえな。一人で背負うって決めてたはずなのに」
「何を?」
「オレの過去全部。してきた事のツケを払おうと思ってたのに、手に余って大佐に愚痴零してんだから、やんなるよな。……大佐か師匠に喝入れてもらおうと思ったけど、事情も説明しないで気合入れてもらうのも間違ってるか」
「師匠とは? 君には師がいないはずだが」
「オレのじゃなくてアルの錬金術の師匠だよ」
「アルフォンス君のか。確か女性だったな…」
「うん。気合の入った女傑でさ。弛んだ精神締めるのには丁度いい人なんだ。すげえおっかねえ。ホークアイ中尉の実弾装填済みの銃の的になるくらい、恐ぇ」
「それは……本当に怖いな。……そういえば君は頑に弟に錬金術を教えないな。師匠なら外に求めなくても、君が教えればいいのに。それとも兄弟を弟子にするのはやりにくいか?」
「オレはアルに錬金術を教えたくない。錬金術は対価が必要になる危険な科学だ。オレはアルフォンスに、失う物と得る物のバランスや危険を教え込む自信がない。いくら言葉で語っても自分で失敗してみないと判らない事だし。……人にものを教える事と自身が学ぶ事はまた別だ」
「それはそうだが…。そんなに嫌がならくてもいいと思うぞ。可愛い弟の為じゃないか。鋼のはブラコンを通り越して過保護だ。もう少し弟を信用してやれ」
「……錬金術は別だ。オレはアルに錬金術師になって欲しくはない。でもそれはオレの勝手な望みだから、アルには押し付けられないが、協力するつもりもない」
「どうして?」
「アルは優秀だから望めば国家錬金術師にもなれるだろう。オレはアルがそんな事を言い出さないように気をつけているんだ」
「弟を国家錬金術師にしたくないのか。……というか、アルフォンスはそんなに優秀だったのか」
「オレの弟だからな」
「なぜ国家錬金術師にしたくないのだ? 確かに軍の狗だし聞こえは悪いし世間の目も冷たいが、国家錬金術師になれば特典も多いし優秀だと認められた事になる。そう敬遠したものでもないだろう」
「オレに国家錬金術師を辞めろって言ってるアンタのセリフじゃねえな、それ」
「子供が戦場に送り出される事に納得がいかないからだ。君も私の気持ちが判るなら、軍の狗などやめてどこかの企業にでも勤め、がっぽり稼いで平穏に暮らせばいい。君ならば可能だろ」
「だからオレは戦場には行かねえって。金が欲しくて国家錬金術師になったわけじゃないし、あんま心配すんなよ。大佐はオレに関わるより大事な事があるだろ。オレの内側を覗く暇があったらもっと仕事して、一日でも早くトップに上がれるよう頑張れ。それがヒューズ中佐との約束だろ」
「……なぜヒューズとの約束を知っている? あれは……イシュヴァールで誓った二人だけの秘密だ。君が知るはずない」
「大佐が教えてくれたんだぜ。……イシュヴァールでの事は」
「私が? 私は君に話した事などない」
「うん、アンタは話してない。けどアンタじゃない大佐から話を聞いた。ロイ・マスタング。焔の錬金術師。……悪魔の錬金術師。イシュヴァール人達の仇。ロイ・マスタングがオレにそう教えたんだ」
「私は君に何も言った覚えはない」
「だからアンタじゃないロイ・マスタングなんだってば」
「ロイ・マスタングという人間が他にいるというのか?」
「いる……じゃなく、いた、だ。今はもういない」
「死んだ人間なのか?」
「死んじゃいないけど……死んだも同然かな。もう二度と会えないから」
「冗談に付き合っている暇はないと言っただろう。私は君の謎掛けに付き合うつもりはない。……戦場での私の事は誰に聞いた? ヒューズか?」
「だからロイ・マスタングにだってば。……言っとくけどオレはアンタに冗談は言った事はない。嘘は時々つくかもしれないけど、この件に関しちゃ嘘も冗談も言わない」
 エドワードの真面目な顔にロイはどう判断したものか迷う。
 戦場での事を冗談にするようなエドワードではない。
 では一体どういうつもりで、もう一人ロイ・マスタングがいたなどと戯言を言うのだろう。それともこれは何かの暗喩なのだろうか。
「冗談ではないとすると、私の他にロイ・マスタングという人間がいたという事か? どこの人間だ?」
「いや、いない」
「おい…」
「いないけど、いた。この世界でない別の世界に。アンタと同じ歴史を歩んだロイ・マスタングが」
「戯言を言うな。本当の事を話せ」
 戯言と聞いてエドワードは顔色をくすませる。
「ああ……そうだな。戯言か…………戯言だ。……忘れろ」
 ロイの不審顔に不味い事を言ったとエドワードも顔をしかめたので、逆にロイは興味を引かれた。
 エドワードの気まずい表情は、つまらない冗談を言ったからというより言ってはならない事を思わず漏らしてしまった後悔のようだったので、ロイはおやと思ったのだ。
 ロイの探るような視線にエドワードは逆に表情を消した。
「気分ではないが、たまには戯言に付き合うのもいいだろう。……別の世界のロイ・マスタングは君に何を教えたんだ?」
「……だから冗談だって」
「この件に関しては冗談も嘘も言わないと言ったのは君だ」
 グウの音も出ないエドワードにロイはたたみ掛ける。
「君が別の世界のロイ・マスタングから聞いたという話を聞かせろ。君は何を聞いた? 別の世界というのはどういう事だ?」
 エドワードはロイを見て、それから視線を逸らし、あちこち視線を彷徨わせた後、諦めたように溜息を吐いた。
「口を滑らせたオレが悪いが……できれば聞いて欲しくない。聞き流せ」
「何故?」
「この話が外に漏れれば……軍がオレに興味を示す。オレには秘密があって、それは絶対に外に漏らしてはいけないものだ。これ以上、軍の裏で暗躍する者達に僅かのヒントも与えてはいけない。大佐だって……イシュヴァールの悲劇はトラウマになってんだろ。あれ以上の悲劇を起こさない為に、オレは死ぬまで秘密を抱えていかなければならない。僅かのヒントですら与えてはいけないんだ」
「君の秘密とは何だ? 軍に何か関わり合いがあるのか? 軍の裏で暗躍する者達とはなんだ? 君は何を知っている? 悲劇の材料とは何だ?」
 エドワードは吐き出せない毒を飲みこむように、諦観と絶望を浮かべた。
「アンタがそれを知るのはまだ早い。……いずれ知る事になるにしても、それは今じゃない」
「なら何時ならいいというんだ。何故君がその時期を決める?」
「オレが決めたわけじゃない。そういう流れだからだ。オレが勝手をしてアンタに知らせれば、事態がどう動くかオレにも判らなくなる。案外何も変わらないかもしれないし、とんでもない展開になるかもしれない。オレが何も持っていなければアンタに協力しただろうが、オレには家族がいる。命と引き換えにしても守るべき者達が。オレが一番大事なのは家族だ。だからアンタに協力できない。母と弟を巻き込めない」
 エドワードの真剣な表情にこれは冗談ではないとロイは知る。全て本当の事なのだ。エドワードはそう信じている。
 エドワードの声には恐怖がある。弱点を晒している恐怖だ。
「君は何を言っているんだ。もしかして本当に軍の秘密を握っているのか?」
「握っている……と言ったら?」
「言え! 君は何を知っている?」
「言えないし、言わない。口にすればいずれ誰かに漏れる」
「私は秘密は守る。絶対に口を割らない。ヒューズにだって言わない」
「それでも駄目だ」
「鋼の!」
「大佐は上と取り引きする材料が欲しいんだろうけど、この事は何かと交換できるようなものじゃない。口封じで殺されるのがせいぜいだ。これは本当にヤバいんだ。オレはリスクは侵せない。秘密に近付けば危険は必ず生まれる。アンタだってもしヒューズ中佐の命が危うくなると知っていたら……(オレ達兄弟をあの人に)近付けなかっただろう」
「おい、何の話だ。ヒューズがどうしたって? アイツになにかあるのか?」
「何もないよ。……ただ考えてみろよ。アンタもオレと同じで弱点丸出しだ。もしヒューズ中佐の家族を人質にとられてみろ。身動きできなくなるだろ。そういう事だ」
「ヒューズの家族には指一本触れさせん」
 怒気を露にするロイにエドワードは冷静に指摘する。
「意気込みだけで守れると思うのか? 犯罪者相手なら軍を使う事ができるけど、逆に軍の手から大事な者を守るのは相当の覚悟と犠牲がいる。自分の全てを犠牲にするつもりじゃないと無理だ。一日二十四時間の護衛を一生続ける事なんかできやしない。覚悟するっていうのはそういう事だ。現実は厳しい。覚悟なんてちっぽけなものじゃ大事な者は守れない。何が一番大事か順序をつけて、それ以外を切り捨てるのが覚悟だ。何も捨てずに何かを得ようなんて傲慢というより愚かだ」