モラトリアム
第参幕


第一章

#05



 ロイの視線がエドワードの顔に固定される。
「鋼のは……もしかして本当に上層部の秘密を知っているのか?」
「この部屋で語った事はオフレコになるって言ったのはアンタだろ、大佐」
 ロイはエドワードとの間の距離が空き過ぎていると、席を立ってエドワードの正面に座った。
「言え。君は何を知った?」
 エドワードは何が気になるのか右手を擦っている。
「言う義務はないしその気もない。今のアンタにはまだ心構えができてない。上層部が組織ぐるみで抱える秘密だ。おいそれとは口にできねえよ。万が一それを知られたら……アンタはまず間違いなく消される」
「バカな……」
 一笑に伏そうとして……エドワードの瞳とぶつかる。
 ロイの無知を一蹴する視線の強さと内包される痛みにロイは狼狽えた。
 これはまるで……。
 三年前、タッカーが人体錬成を行うとエドワードが言った時と同じ目だ。自分だけが事実を知り、それに気付かない周囲に焦り、蔑む目。
 子供の考えすぎと素直に信じなかった結果、手後れになった事件はロイの上にも陰を残した。
 ロイが悪いのではないしエドワードにも罪はない。
 だが知っていたのにタッカーの狂気を止められなかったのなら、黙認したも同じだ。
 同じ錬金術師がおかした悲劇。事件はロイの中でなかなか風化しない。
 幾万の敵を殺したロイがたった一人の犠牲者を忘れられないというのもおかしな話だが、理由は分かっていた。


 『 死 ニ タ イ 』


 あの声がロイの耳に張り付いてとれない。
 絶望の声は戦場でいくらでも耳にした。理不尽に殺害され狩られたイシュヴァール人の悲鳴は砕けるガラスのようにロイの耳を刺し、その傷は塞がらず血を流し続ける。
 タッカー夫人…キメラの漏らした絶望の声は、何もできなかったロイ自身を責める呪の音だった。
 なぜ助けてくれなかったのかと。これがオマエと同じ錬金術師のした事だと。ロイもタッカーと同じ穴のムジナだと。
 エドワードはだから耐えられず意識を飛ばしたのだ。
 あの時と同じようにまた何か間違った判断を下そうとしているのだろうかと、ロイは自分に問うが、応えがあるはずもなく。
「鋼の。君が何を言いたいのか判らん。君は何を知っている? 私に何か言いたい事があるから私に隙を見せているのだろう? 物言いたげにこちらを見るのなら、胸に抱えているものを吐き出せ」
 エドワードを信頼しているわけではない。大事に思っているわけでもない。
 エドワードは得体の知れない人間で、ロイはエドワードの見えない部分に生理的な拒否感を感じる。
 ……だが。
 初めて会った時から思っていた。エドワードはどこかロイに似ている。過去を引き摺りながら前を見続けている瞳が鏡を見ているようで、嫌悪と共感を引き出す。
 目を逸らしたいのは似ているから。目を逸らせないのは不安定なのに強い瞳をするから。ロイが持っているのと同じ……。
「君はどこか私に似ている」
 言った途端エドワードがそれはそれは嫌な顔をしたので、ロイは少しだけ気分が良くなったが、よく考えれば失礼な態度だ。
「なんだ、その顔は?」
「サボり魔でタラシのアンタに似てると言われて喜ぶとでも思ってるのか?」
「相変わらず口が悪い。素直にかっこいい大佐様に似ていると喜んだら可愛げがあるものを」
「……アンタに可愛く思われてどうすんだ。つーか、自分でかっこいいとか言うなよ。恥ずかしいやつ」
「子供にはまだ大人の魅力は判らないか」
「自分が魅力に溢れているって言いたいわけ?」
「だから女性達は私に熱い視線を向けるのだ」
「童顔の大佐に大人の魅了を語られてもな……。せめてヒューズ中佐くらい年相応の顔してれば説得力あるけど……」
「か、顔の事は言うな。ヒューズはヒゲがあるから老けているように見えるだけだ」
「ならアンタもヒゲ生やせば?」
 エドワードがまじまじとロイの顎の辺りを見る。
「……私にヒゲは似合わんのだ。……もちろん君にも似合わないだろう」
「オレは関係ねえだろ。……つーか、まだ生えねえし」
「……まだなのか?」
「そんなに珍しいものを見るような目をするな。だってまだ十五歳だぜ」
「十五歳といえば中等部か高等部辺りか。そういえば私のヒゲが生え始めたのももう少し後だな」
「ヒューズ中佐はいつからだったんだ?」
「ヒューズが剃刀を使い始めたのは高等部に上がった頃だったかな」
「ふうん。大佐と中佐ってそんな前から一緒にいたんだ」
「ああ、軍の幼年部からの腐れ縁だ」
「ヒューズ中佐も大変だな。アンタのお守は骨が折れただろうに」
「それはどういう意味だ?」
「あの人は面倒見が良すぎるって事だよ。だから……」
「だから?」
(オレ達兄弟に関わり過ぎて……殺されてしまった)
 エドワードから瞬間感じた冷たい空気にロイは反射的に身構えた。エドワードがロイに攻撃を仕掛けようとしたわけではないのはすぐに分かったので緊張は解いたが、一瞬見たエドワードの歪んだ表情が引っ掛かる。
 瞳にあったのは悲嘆? ……憤怒?
 子供の……こんな顔を見た事がある。
 どこだ?
 いつ見たのだろう。
 エドワードの歪んだ顔。
 いつもの小憎らしいすました顔が、引き攣った、見たくないものを直視せざるをえないといった醜く痛々しい表情に変わり……。
 あれは……。
 ロイの優秀な頭脳が記憶を引き出した。
 ずっと前だ。
 わずかに開かれた口。目は見開かれ、顔全体が歪み。
 なぜ……。
 胸が苦しくなってロイは口元を手で覆った。
 なぜこんな気持ちになる? エドワードの顔を見て。
「大佐?」
 何も言わないロイにエドワードが訝しげな声を出す。
その顔に先程の歪みはない。
「だから、の先は? 何を言おうとした?」
「いや……先はないよ。接続詞を間違えた」
「嘘だな」
「嘘って……」
 言い切ったロイにエドワードは言葉を濁す。ロイは何かに気付いたのか……。
「君の嘘は判る。君は嘘をつくときにとても……」
「とても?」
「表情が清々しくなる。うすら寒いくらいに」
「清々しい顔して、なんで嘘なんだよ」
「顔と目の暗さがあってない。人を騙したいならその淀んだ瞳を払拭するんだな」
 咄嗟に口元が歪むエドワード。
 図星指されたくらいで動揺するなんてオレもまだまだだな、と苦く思う。
「反論は?」
「ねえよ。大佐はオレの事、けっこう良く見てるんだな。もしかしてオレの事好き?」
「からかうな。冗談で誤魔化そうとしても無駄だ。……なぜ君は嘘ばかりつく?」
「そりゃ……本当の事が言えない場合は嘘つくしかないだろ」
「なぜ本当の事が言えない?」
「うーん。説明しにくいな……」
 未来を知ってるからとは言えないエドワードは困って天井を仰ぐ。
 言ってしまえれば楽になるのは分かっている。ロイは信じないだろうが、エドワードがその気になれば信じさせる事はできる。
 だがそれをしようとは思わない。エドワードは時間を遡った事は誰にも言わないと心に決めていた。ロイは優秀な錬金術師だ。エドワードの時空錬成を知ればエドワードと同じ愚を犯す可能性がある。
 絶望は人を変える。万が一ロイが全てを無くすような事があれば、ロイは全てを取り戻したいと願うだろう。全てでなくてもいいごく一部でも戻ればと、可能性に縋り付く。
 それが人の性であり錬金術師の犯す愚なのだ。