第一章
知ったかぶりで言われたならエドワードを軽蔑しただろうが、「そうだよな」の声が心の底から漏れ滲み出た水のようで、ロイは言葉を無くす。
何もなくした事のない、人の死から遠く離れた生活してきた子供の筈なのに、エドワードは時折人の死を身近なもののように語る。
エドワードは内側を見せないが、沈黙の声の中にエドワードの本心があり、そこにエドワードの傷があるのだと、この六年の付き合いでロイは悟っていた。
家族の誰も知らないエドワードの傷は確かに彼の中にあり、小さな子供の精神を傷付け続け、エドワードは声無き声で悲鳴をあげている。視線でなく声でなくエドワードは人生の悲嘆を訴え、音も視線も表情もない嘆きに気付いたのは似た痛みを抱えたロイだけだ。
戦争を知らない無知で幸福な子供………のはずなのに、エドワードの中には絶望がある。ロイの生き続ける原動力となった心の破壊をエドワードも受けたようで、粉々になった心の破片の溢れカスをロイは見つけて、いつどのように壊れたのか知りたいと思う。
絶望とは死に至る病である。そう言ったのは誰か。
絶望は病なのにロイは自分で死ぬ事すらできなかった。側で支えてくれる友人がいなかったら、間違いなくこめかみにあてた銃の引き金を引いていただろう。
撃鉄を下しながらもわずか一、二センチの引き金を引けなかったのは恐ろしかったからだ。
自分が屠った者達と同じ場所に送られるという恐怖。
ロイは万の死者達の憎悪の対象で、行き着く先は地獄の最下牢だという事は分かっていた。
死を望み、楽になれる事を欲しながらも死ねずに、そんな己の臆病さに更に自棄になった。
ヒューズがいなければ今頃ロイは生きていない。生きても場末の酒場で酒浸りになっているのがせいぜいだろう。
壊れる寸前のロイを支えた友。
後悔するのなら前に進めと示された道に、ロイは希望を見い出した。無くしたものは還らないが、今生きている人間をこれ以上死なせないという道は残っていた。殺戮をつくした自分が望むのはおこがましく無神経に過ぎるが、常に死と血の臭いの漂うこの国をわずかでも救う事ができればと、上を目指そうとロイは決めた。頂点に上りつめる事ができれば、この国から死者の数を減らす事ができる。それだけがロイの存在する意味だった。
数百の命を奪い死神となって見い出した道だ。その覚悟は半端なものではない。
戦争も殺人も知らない子供にロイの心情は決して判らないし、僅かでも知ったかぶりをされればロイはエドワードを軽蔑しただろう。
ロイの傷はロイだけのものではない。殺してきた無辜の民の命と怨念と憤怒の上にある絶望という名の傷跡だ。
愛も思いやりも希望も絶望の前には塵に等しい。
エドワードにロイが理解できるはずはない。エドワードは幸福に育った子供なのだから。
なのに。
エドワードに対し「オマエのような子供に理解できるはずがない」という言葉が何故か出てこない。
何も知らない、何も傷を受けていない子供だ。
なのに時折、ロイさえたじろがせるような悲愴を目に浮かべる。まるでロイと同じ傷を持っているかのように。
エドワードを否定する為にはエドワードを知らなければならない。
だがロイはエドワードの事は表面上の事しかしか知らない。
誰もが知っている国家錬金術師としての顔。家族の中の子供の素顔。その二つの他に持っているだろう、秘めた第三の顔を知らない。
エドワードの隠された『本当の顔』をロイはまだ見ていない。だから一概にエドワードを否定できない。
「戦争を知らない君が知った口をきく。君に何が判る? 戦争を理解しているつもりか? もし戦争で敵を殺す事が英雄的行為だと思っているなら、自分の無知を恥じたまえ。どんなに綺麗ごとを述べても戦争はただの殺人だ」
「それを分かっていて戦争に出たわけじゃねえだろ、アンタは。そして虐殺という現実にうちのめされ壊されて、今の大佐ができたわけだ」
「誰が私の事を言った。君の話だ」
「オレは戦争を賛美するつもりは毛頭無い。人殺しは何があっても嫌だし、ましてや鎮圧の名を借りた虐殺にかり出されるなんてゴメンこうむる。オレに人殺しは無理だ。だが……国家錬金術師である以上、我侭も言えないんだろ」
「知っていながらそれでも軍から身を引かないのは、覚悟しているという事か」
「まさか。オレは絶対に戦争になんか行きたくないし人殺しも嫌だ」
「だが命令されれば嫌とは言えんぞ。ノーと言うなら国家資格を返上しなければならん」
「そんなのいつでも返す心構えはある。だが……」
「だが?」
「上層部がオレを手放すわけないからな。オレの資格返上は却下される」
「国家錬金術師は軍属ではあるが軍人ではない。正規の手続きを踏めばいつでも辞職できる。君の場合、上層部がゴネるかもしれないが、君がその気なら私がなんとでもする」
ロイの真剣な眼差しに、エドワードは噫と溜息のような自嘲を漏らした。
「その辺の二流国家錬金術師ならな。オレは無理だ」
「何故君は無理なのだ?」
「アンタに建前言っても仕方ねえから言わないけど、オレを手放せないわけがあんのさ、上層部には」
「わけ? どんな?」
「言わねえって言っただろ」
「どんな訳があるのか知らんが、辞めたいという者を引き止めるには理由がいる。……上層部は君を軍に繋いで何をさせようというのだ?」
「アンタが知らない事だ。……まあ色々あって、オレは国家錬金術師を辞退できない立場にいる。もしオレが強硬に国家錬金術師を辞退しようとしたら……」
「したら?」
「某かの冤罪を負わされて牢に放り込まれて軍に拘束されるか、もしくは誘拐かなんかされてこっそり幽閉されるか、家族の命を盾にとられて脅迫されるか……なんにせよロクな展開にはならねえ事間違いなしだ」
仕事に疲れた中年男の悲哀を浮かべてやれやれと語る少年に、ロイはアホかと本気にしなかった。
「何故軍が君を拘束したがる。君の存在は軍にとってそんなに有益だと思っているのか?」
「益は関係ない。オレが………を……た、錬金術師だからだ」
「よく聞こえんかったが何と言った? キミが何をしたと言ったんだ?」
「……聞こえなかったのならいい。……とにかく、オレは国家錬金術師を辞められない立場にある。軍がオレを必要としているからだ。どんな役割かは言いたくないが、オレが欠けると困ると思う連中がいる限り、オレは戦争には行かなくて済む。辞める事はできないが、死なせないように画作している連中がいるから、とりあえずは大丈夫だと思う」
「奇妙な話だな。……君の役割? 君は何か私の知らない所で動いているのか?」
「さあね。否定しても信じないだろうから肯定しとく。とにかくオレはこのまま国家錬金術師を続けるしかねえんだよ。大佐の心配も判らなくはないけど、オレの心配よりテメエの心配をしろ。アンタ、見てて結構危ない。上層部を舐めてかかると足元すくわれるぞ」
「君に言われたくはないな。……もしかして君は上層部の秘密か何かを知ってしまったのか? だから上層部は君を警戒し資格を返上できないのか?」
「当たらずとも遠からじだな。マジでオレが上層部の秘密を知っている事がばれたら……まず間違いなく何らかの冤罪を着せられて拘束されるだろうな。だからオレは何も知らないフリをしてなきゃならないんだ」
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