第一章
「君は何故国家錬金術師を続けているのだ?」
ロイ・マスタングに問われたエドワードはすぐには返答できなかった。
東方司令部のロイの執務室にあるソファーの上でエドワードは首を傾げた。
日が傾く時間。多忙なロイの部下達は出払っていて、珍しく部屋にはロイとエドワードの二人だけしかいなかった。
他人の目のないのをいい事に、エドワードはソファーの上で足を組んで鷹揚に構える。
「何故って? オレが国家錬金術師を続けてちゃいけないわけ?」
「君が国家錬金術師でいる必要はないと思うが。君が錬金術師として錬金術を極めたい、もしくは支給される金や特権を目当てにしている、というのなら分るが、鋼のはそういうものには執着していないんだろう」
ロイは仕事の手を止めずチラとエドワードを見て、また顔を下げる。手元には終らない仕事がたまっている。
「なら、あんたの目にオレはどんな風に見えるんだ?」
「さあな。君は感情が読みにくい。楽しんでいるのか飽きているのか何か良からぬ事を考えているのかそれすら分らんが……君が国家錬金術師という地位に固執していないのは分る」
「へえ……」
よく見ているとエドワードが視線で応える。
「だから問う。君は何故国家錬金術師を続けているんだ?」
ロイの突然の問いが何処から来ているのかその理由が知りたかったが、単なる気紛れかもしれないし世間話の一つかもしれない。もしくはなかなか本心を見せないエドワードの内面を探ろうとしているのか。
エドワードは適当にお茶を濁す事もできたが、素直に本心を語った。
「……国家錬金術師じゃない自分を想像できないから……かな?」
エドワードの返答が予想外だったのか、ロイはまた顔を上げた。
「国家錬金術師でない自分が想像できない、とは如何なる意味だ?」
「オレは骨の芯まで錬金術師だ。国家錬金術師であろうとなかろうと。錬金術はオレの一部だ。どこにいたってやる事が同じなら、利益の大きい国家錬金術師でいた方がいい、と思って。それに……」
「それに、何だね?」
「国家錬金術師でいる間はオレは『鋼の錬金術師』でいられる」
「銘にこだわりでもあるのかね?」
「鋼は……名だけではなく、折れない心の象徴だ。鉄の腕ではなくて柔らかい生身の身体であっても、鋼の称号がある限り、オレは鋼の心を持ち続けられる」
「君は何か心を折るような心当たりでもあるのか? 心配ごとかトラブルを抱えているとか?」
「んなモンねえよ。ただ、強いて言うなら、オレはそんなに強くねえって事だ。だから自分は強いと常に言い聞かせていたい。嘘も貫き通せば本当になるって言うじゃねえか。弱いオレでも虚勢張ってりゃ、少しは強くなれるかもしれねえと思って。……んな弱気な発言、アンタにしてみりゃお笑いぐさかもしれねえけど、オレはそう思ってる」
エドワードの返答はロイの望んだものではなかったが、それでもエドワードの本心と分ったので納得した。
しかしエドワードが素直に自分を弱いと発言するとは思わなかったので、ロイは少し驚いた。
「君が自分の弱さをあっさり認めるとは思わなかったな。君は虚勢を張るのが得意だと思っていた」
「はん。自分の弱さを認められなきゃ本当の意味で強くなれねえからな。虚勢を本物にするのが強さじゃねえか」
「その年でそれだけ判っていれば充分だ」
気負いのないエドワードにロイは苦笑した。
打っても傷もつかず、響くようなエドワードの強さが好ましかった。
自分が十五歳だった頃を考えればエドワードの精神年齢は遥かに高い。
エドワードと同じ十五歳の時、ロイはまだ学生でほんの子供だった。その頃の自分では認められなかっただろうが、倍の年を生きた今なら、自分がいかに世間知らずで口ばかりの子供だったか判る。
十五歳のロイが十五歳のエドワードと出会ったとしたら、何もかも適わない相手に嫉妬し尊敬し憧れ反発しただろう。年が離れている事をありがたく思う。
十五歳の少年が二十九歳のロイと対等な目線で会話している。それを当然のように思っている自分がいる。
ロイのエドワードに対する興味は出会った時から尽きない。
エドワード・エルリック、鋼の錬金術師の名前はこの数年で不動のものとなった。国家錬金術師になった当初は胡散臭げな目で見られていたエドワードも、今では当然のように受け入れられている。名と体が等しく並んだのだ。
高名な錬金術師への賞賛、讃辞、尊敬、妬み、敬遠、様々な感情や環境に置かれてもエドワードはあまり変わらない。子供らしからぬ落着きと、子供っぽい生意気さとを持ち合わせ、強風にも耐える柳のようにしなやかで強かった。
興味を持ち続けているからこそ変化が判る。
最近のエドワードは沈鬱ぎみだ。何か心に掛かる事があるらしい。
エドワードに秘密は多く、見えない事だらけだが、その感情は表に出やすい。感情を隠すのが下手なのだ。
最近のエドワードは幼い容貌の中にどこか疲れたような心が覗き見える。
出会った当初はなかった倦怠のようなものがいつの頃からか表に出始め、十五歳の少年が持たない筈の陰りを見せていた。
それを立場に相応しい貫禄ととる人間もいたが、初めて出会った時に見たエドワードの、ぬけるような青空のごとき笑顔を忘れていないロイは、少年の顔に浮かぶ陰を良くない徴候のように感じた。
思えばエドワードが何かを抱える時には必ず不幸な事件があった。どれもエドワードのせいではなかったが、そのどれもにエドワードは関わり、消せない傷を中に残していった。
側で見ている事しかできなかったロイは、また何か起こるのかもしれないと沸き上がった苦い思いに、仕事の手を止めて肘をつき顎を支えた。
仕事はまだ途中だったが、エドワードと二人きりになれる機会は少ない。ホークアイの厳しい顔が頭に浮かんだが、隅においやった。
「最近、調子はどうかね?」
「何それ。何が聞きたいの?」
社交辞令に付き合う気分ではないという顔のエドワードに、ロイは言った。
「言葉通りだよ。鋼のがどうにも調子良さげには見えないからな。何か心配ごとでもあるのか?」
「別に何もないよ」
「本当か?」
「何かありそうに見えるのかよ?」
「最近眉間から皺がとれないようだからな」
ちょい、と自分の眉間を突つくロイにエドワードはハッとして額に手を当てる。
「ハハハハ。そう素直に反応されると可愛く見えるぞ、鋼の」
「阿呆、死ね、タラシ」
「それが上官に対する口のきき方か? いいかげんにしないと処罰は免れんぞ」
「いいぜ、すれば? したらオレもホークアイ中尉にアンタのサボりスポット全部喋っちゃおっと」
エドワードの軽口にロイはギョッとなる。
「おい」
「なんだ? オレがアンタの秘密の隠れ場所を知ってるのが不思議か?」
「いい加減な事を言うな。君が私の……」
「B棟の物置きの奥に隠し扉があってその先が秘密の隠れ家だとか、食堂の地下室に寝袋を持ち込んで時々昼寝をしてるとか、裏庭の垣根の破れた所からこっそり外に出てデートに出掛けているとか……」
「……ちょっと待て、何故知っている?」
「さあて、何故でしょう」
面白そうにふふんと鼻で笑うエドワードに、ロイはだらしなく口を空ける。
エドワードの指摘は全部本当で、誰も知らないロイの隠れ場所を言い当てたエドワードに無気味なものを感じる。東方司令部常勤の部下ならともかく、エドワードがこの場所に来る回数は数えられるほどしかない。なのに部下の誰よりここの場所について詳しいのだ。
エドワードにはこういう事がよくある。知らないはずの事を知っている。
事の重要性の大小に関わらずエドワードの情報量は並ではない。なぜそんなに何もかも知っておきたいのかと思うほどに、エドワードはあらゆる事を知りたがり情報を集めている。
全ての謎を解明したいという科学者の性がそうさせるのか、それとも何か別の理由があるのか。問うてもエドワードは誤魔化すばかりだ。
「君は私立探偵か、もしくはネズミか? コソコソとどこにでも顔を出して、いらない事を探ってばかりいる」
「コソコソした覚えはねえな。オレがいつそんな真似をした?」
そう言われればロイは反論できない。
エドワードの言う通りだ。エドワードの行動は常に泰然としていて自然だ。コソコソと何かを探るような行動を、少なくともこの東方司令部でした事はない。
「じゃあ何故誰も知らない事を知っているんだ?」
ロイがそう問うと、エドワードは常に同じ表情で同じ答えを返す。
「……さあね。……秘密だ」
「君は秘密ばかりだ」
「アンタだってそうだろ」
エドワードに意味有りげな瞳でそう言われてロイは詰まる。
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