それからオレ達はまた少し話をした。
アルフォンスとの会話は弾んだ。オレもアルも沢山話したい事があって、いつまでも会話は尽きなかった。
マリアさんが痺れを切らしてオレ達を離さなければ、いつまでも話し続けただろう。
それだけアルフォンスは会話できる友人が少なかったという事なのだ。
「アルフォンス様。ウィンリィちゃんにこれから仕事の説明をしますので、これにて失礼させていただきます」
マリアさんに目配せされてオレは「じゃあまた」と微笑んで退出した。アルはオレの姿をじっと見ていた。
全く。ただ単にもっと話したいだけなんだろうけど、あんな目で見られると誤解したくなる。好意がありますっていう顔だ。
帝王学は学んでいるはずなのに、普段はポーカーフェイスを作る事をしないのか? 幼馴染み相手だから素顔でいいと思っているのかもしれない。
マリアさんと別室に入ると鍵を閉める。
「エドワードお嬢様。……いきなり素顔をさらすのはやめて下さい。アルフォンス様がびっくりなさってましたよ。あれではすぐにボロが出ます」
マリアさんが苦りきった顔でオレを叱る。
「悪い。……つい演技を忘れた。でもアルフォンスはオレが幼馴染みのウィンリィだって信じたみたいだぜ」
「それはそうでしょう。お姉様はお亡くなりになったと信じているのですから。しかも公爵様が直々に手配していたと聞かされては疑う余地はありません」
「顔合わせでは姉とウィンリィの印象がごちゃまぜだったみたいだけどな。そのうち頭ん中で思い出の摺り替えも終わるだろ」
「アルフォンス様もお可哀想に。折角お姉様が身近に来られたというのに、そうとお判りにならないなんて……。一人だけ蚊帳の外に置かれるなんてあんまりです。アルフォンス様ももう十五歳ですし、本当の事を話されては?」
マリアさんの陰った顔にオレは厳しく言った。
「まだダメだ。エドワード・エルリックは死んだ人間だ。今更名乗り出て寝た子を起こす事はしない方がいい。オレはアルフォンスの側にいられるんだったら他人のままで構わない。アルだって死んだと諦めていた姉が生きてると知ったら混乱する。今はまだアルを動揺させたくない」
「はい……」
「オヤジの阿呆め。アルに本当の事を話してから死ねば良かったのに。ツメが甘いんだよ。最後までケツ拭いてから死にやがれ」
「エドワード様。お言葉が下品です」
マリアさんが聞くに絶えないと顔を顰める。
しかし顔を顰めたいのは言葉遣いだけじゃなく、その内容だろう。
マリア・ロスはメイドというより家の内側を取り仕切っているオヤジの腹心で、オレ達の上に起こった事全てを知っている。
母子の偽装死の工作やオレの新しい戸籍の作成などにも関わり、公爵家の中で数少ない本当の味方だ。
母さんとオレの命を狙った公爵家の親戚筋の人間は殆どオヤジによって駆逐された。殺された者もいるし、それまで犯した犯罪が暴かれて刑務所に入っている者もいる。だが全てではない。
それをオレはロイ・マスタング公爵から聞かされた。
故にオレは未だエドワード・エルリックだと名乗る事ができない。
今回ウィンリィの名前を借りたのは、ウィンリィだと言えばアルフォンスの近くに自然にいられると思ったからだ。
貴族以外とは付き合う事を禁じられ、学校にも通えなかったアルフォンスは、この家の中で孤独だったとマリアさんは言った。
マリアさんはアルの事を主人というより、実の弟のように心配している。だからオレが側にきてアルの孤独を癒す事を歓迎した。
オヤジが余計な口を挟む親戚筋を消したし強力な後見人もついているので、アルフォンスは枷なくもっと自由にできる筈なのに、何をしていいか判らず自ら作った殻に篭っているらしい。
自由なのに自由が何か判っていないようだ。可哀想に。
外に出る事も可能なのに、母親の墓参りにもまだ一度も行っていないという。
親不孝だとは思わない。気持ちは判る。墓参りになどしたら、母と姉の死を受入れて諦めなければならない。死体を見ていないうちは心の中で生かし続けられる。もしかしてどこかで生きているかもしれないと、儚い望みにすがれる。だが墓の前に立てば、もうその時点でアルフォンスの疑いと希望は消え、残るのは本当の孤独だけだ。
「アルはいい子だな。もっと早く会いに来てやれば良かった」
アルフォンスに姉が生きている事を伝えたい。
だがオレは正直、公爵家とは関わりたくない。アルフォンスがいなければ来はしなかった。
「エドワードお嬢様。何をしてもよろしいですが、どうか慎重に行動なさって下さい。ここではエドワード様は一介のメイドです。人前では特別扱いできません」
「判ってるよ。ロイにも慎重に動けって言われてるし」
「判ってないから言っているのです。エドワードお嬢様に何かあったら、公爵様に顔向けできません」
「お嬢様って言うなよ。それから誰が聞いてるか判らないから、オレの事はウィンリィで通せ」
「はい。ウィンリィちゃん」
出窓に腰掛けて斜め後ろを見る。
人の手の入った庭は美しい。計算された庭の設計。ホーエンハイム公爵邸は庭まで完璧に整備されている。だが隙が無さすぎてオレは好きにはなれなかった。
家の中もそうだ。ペルシャ絨毯、藤のように垂れ下がったシャンデリア、猫足の優雅な浴槽、ドアにまで彫られた植物型の彫刻、螺鈿の小物入れ、金銀の飾り棚、見せるだけの磁器の壷、沢山のメイドと従者。
こんな場所でアルフォンスは育ったのか。息がつまりそうだ。
ここは黄金の檻だ。素材が何だろうと檻は檻。
外に出る事も叶わず、アルフォンスはよく性格が曲がらなかったものだ。想像すると胸が痛む。
自分ばかり苦労してきたような気がしてたけれど、母といられただけオレは幸せだったのだ。
オヤジが心優しい母を求めた気持ちが判る。
「エドワード様。あの……本当に、本気でメイドをなさるおつもりなのですか?」
マリアさんがいまだとんでもないと躊躇っている。
「今更何言ってんのさ。オレは庶民育ちだからメイドだって下働きだって何でもやれるよ。散々打ち合わせしただろ」
「しかしホーエンハイム公爵令嬢がメイドなんて……」
マリアさんは頭痛を抑えるような顔だ。
世も末だと嘆かれてもなあ。公爵令嬢なんてガラじゃないんだけど、マリアさんからしてみれば主人の娘だから仕方ないか。
母の死から二年が経った。
オレは弟の側に来た。正確には母との約束を守る為だ。
母が最期にオレに願った事がある。それを叶える為に、敬遠していた公爵家にメイドとして潜入したのだ。
この家には沢山の人間が働いているから、オレ一人くらい紛れこんでも大丈夫かと思ったのだが。
「でも……本当に気を付けていただかないと………お嬢様は目立ちますわ」
「オレってそんなに目立つ?」
没個性のメイド服を着てるのに?
「ええまあ。貴女の存在は派手ですから。地味なメイド服を着ていても、自然に目が吸い寄せられます」
「それって……オレがあんまり女らしくないからじゃないのか? 女装に違和感があるんだろ」
「確かに女性らしくないですけど……失礼、そういう事ではなくて、何もしなくても目立つんですよ、貴女は」
「そうなの?」
マリアさんに力説されたけど自分がどういう風に目立つかなんてよく判らない。オレは十六歳になったが未だ胸はぺったんこだし、声は中性的な少年声だし、どっちかっていうと男が女装しているみたいだと言われる。
「本当なら国家錬金術師として此処に来るはずだったのに」
「止めて下さい。そちらの方がより目立ちます」
「そうなんだよな」
「十四歳で国家錬金術師に合格した天才少年エドワード・ハーネットがアルフォンス・ホーエンハイム次期公爵に近付けば人目を引きすぎます。……優秀なのは素晴らしい事ですが……この場合は困ります」
マリアさんが沈痛げに言った。
「ははははは…………。なんだかなー。…………いつのまにかそういう事になっちゃって…………」
オレは笑って誤魔化した。
他人事のように笑いとばしたが、実情は全然笑えない。
エドワード・ハーネット十六歳。
戸籍上の性別は男。ロイ・マスタング公爵を後見人にもつ最年少国家錬金術師。二年前に史上最年少で錬金術師国家試験に合格し、その記録は未だ破られていない。
目立つといえばこの上なく有名人なのだ、オレは。
顔はあまり知られていないから大丈夫だとは思うけど。
それもこれもロイ・マスタング無能公爵が、二年前オレに大学受験だと偽り、国家錬金術師の試験を受けさせたせいだ。
そうだと知ったのは、実技試験も終わり合格発表を見てから。
でかでかと貼られた『国家錬金術師合格者発表』の文字に、オレは大きく口をあけ間抜け面を晒した。
受験番号の確認は実に簡単だった。
約五百人受けて、合格者は五人しかいなかったからだ。そのうち八割は実技の前の筆記で落とされていた。合格率は一パーセント。計算が楽だ。
白い二メートル四方の紙に大きく書かれていたのは五つの受験番号のみ。受かるとは思ってたけど……………まだ大学にもいかないうちから国家錬金術師?
もちろん『大検』の試験も合格していた。
多くの人間が頭を垂れる中で、オレは上を見てボケボケのポカンとした顔で悪目立ちしていた。やんなるぜ。
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