ハボックの目がオレを探るように眇められる。
「アンタは一体……」
「ふふふふ。ゴメン、嘘だ。臭いなんてしない。信じたの?」ニヤニヤと笑う。
「おい……」
「ハボックさんは死の臭いはしないよ。タバコ臭いのはかんべんして欲しいけど。子供の戯れ言を本気にすんなよ」
「……マジで嘘なのか?」
「あったりまえだろ。オレにンなの判るわけないじゃん」
「っとに! 大人をからかうんじゃない。冗談にしても度が過ぎるぞ」
ハボックが殴る真似をする。
「そーお? 気にする方がどうかしてると思うけど。こんなの本気にするヤツ、普通いないって」
無邪気を装うとハボックが気まずく「まあ、な」と認めた。
「子供の冗談本気にするなんて、ハボックさんて案外単純? 可愛いとこあるじゃん」
「大人をからかうな」
「子供ならからかっていいのか? 子供相手に冗談言って本気にされたらどうするんだよ。オレが嘘つき呼ばわりされるだろ。ジョークだと流せる大人がいいんだ」
「信じそうな悪趣味な冗談言うからだろ。子供はもっと子供らしい単純な冗談言いなさい」
「え、言っていいの?」
「あんな暗いのじゃなく明るいジョークならな」
「えー。じゃあ………ハボックさんの後ろに男の影が見えるんだけど」
「また幽霊ネタか。だから悪趣味だと言って……」
「女にフラレて飛び下り自殺して自縛霊になったヤツで、女にフラレて落ち込んでいるアンタと波長があって以来ずっと取りついてるって。だからハボックさんはこれからもモテないし女にフラレ続ける」
ビシッと。
わー、人間の顔って本当に固まるんだ。
オレのあてずっぽうが当たるなんて、この人が単純なのかオレが鋭いのかどっちだろう。ガタイもいいし格好良いのにフラレてばかりなんて、よっぽど女運がないんだな。
「ほ、本当なのか、エド。オレに霊が取り付いてるって。そいつは何か言ってるのか?」
動揺まる出しのハボックにオレは適当な事を言った。
「んー? …………あのね、女にフラれて自棄酒飲んでフラフラ道を歩いてたアンタは自殺した男の現場近くを通って、その男の霊をひっつけちまったんだって。自殺した霊は罰として本人が一番嫌がる罰を受ける。この男は女関係がダメになって死んだから、罰は『これから一生彼女ができない事』だって。だから成仏してもあの世でも生まれ変わっても、彼女はできない。それが判るから成仏もしたくない。それより同志のハボックさんの行く末を見守りたいんだって。ハボックさんが一生フリーなのを見てオレだけじゃないって安心するってさ」
「安心されてたまるかっ! おい、エド。その男に言え。オレから今すぐに離れろって。オレは将来Dカップの可愛い女の子と結婚して二男二女犬一匹のあったかい家庭を作る予定だ。邪魔されてたまるか」
おやまあ本気で信じてやがる。オレの名前呼び捨てだよ。まあいいけどさ。
笑いを堪えてヒラヒラと手を振る。
「いや、ンな事言われてもオレは見えるだけで除霊なんてできないし。自分がくっつけたんだから自分でなんとかしなよ」
「見えないモノをどうやってなんとかしろって? オレは霊感ゼロなんだ」
「オレだって霊は見えても触れないし、だから手伝える事なんか何にもない」
「んな殺生な!」
「いいじゃんか、女なんかいなくったって。いっそ嗜好を男に転向すれば? 視野が拡がっていいかも。厚い胸筋はその辺のDカップなんてメじゃねえし、指に絡まる胸毛はロマンチックだし、野太い声は肚に響いて股間を直撃、シャワールームはパラダイス」
「別の意味で直撃して萎えそうだ。……他人事だと思っていい加減な事言いやがって。オマエ、ロマンチックの使い方が間違ってるぞ」
しおしおと塩をかけたナメクジみたいになってしまったハボックにこれ以上は可哀想かなと思う。
「あっはははは。冗談だってーの。事前に冗談言うって言ったのにどうして騙されるかな。こんな子供じみた冗談、嘘に決まってるだろ」
ハボックがポカンとなる。感情外に出やすい人だ。
ニヤニヤ笑いながらハボックの胸を叩いた。
「だから冗談だって。アンタ本当に単純な人だね。そんな信じやすくてどうすんの。人に言われてもツボ買ったり書類に印鑑押しちゃダメだよ」
「エド……笑えない冗談だ……」
ガックリとその場に座り込むハボック。
「オレは笑えるんだけど。幽霊ネタをマジ受ける大人ってそうはいないから」
「心の清いオレを騙しやがって……」
良かったと背中を丸めるハボック。
ハボックの泣き言に、騙されやすい大人って可愛いと思った。
同時にばっかみたいとも思ったが。
「冗談言いますって前置きしたんだから騙したなんて心外だ。子供のジョークを真に受けんなよ」
「言っていい冗談と悪い冗談があるんだよ」
「信じたって事は…ハボックさんて最近フラれたんだ?」
「う……聡いガキは大人に嫌われんぞ。失恋を経験してこそ男は成長するんだ。運命の人に出会うまでには様々な経験が必要なんだよ」
「まあ……フッた女の人の気持ちも判るけど」
「どういう意味だ!」
「しかし幽霊話を信じたって事は案外幽霊の存在信じているとか? 大人のくせに可愛いね」
「あのなあ。大人に向かって可愛いなんて言うなよ。可愛いつーならエドワード様の方がよっぽど小さくて可愛いんだけど」
「誰がポケットにも入りそうなネズミサイズだって?」
「……もしかして耳悪いのか?」
「図体ばっかり大きいハボックさんの事だからさぞかし比例して脳味噌の比重も大きいんだろうな。今度勉強教えてよ」
「嫌味言うなよ。その年で大学に行こうなんて考えるガキに教えられる事なんてねえよ。身体鍛えたいんなら手を貸すけど」
「ホント? じゃあ後で相手してよ。絶対だよ。組手がやりたい。軍隊式格闘技も教えて。嘘ついたら……禁煙の刑だ」
「もしかしてエドワード様ってアウトドア派か?」
本気で悦ぶオレを見て驚くハボック。
「さっき田舎育ちだって言っただろ。毎日外を駆け回ってた健康優良児だぞ」
「頭でっかちのガリ勉じゃないのかよ?」
「ふふん。真の天才は偏ったりしないんだよ。運動も勉強も両立してこそ一流の人間と言えるのさ」
「オールマイティー人間かよ。どうりで自分に自信あるわけだ」
ハボックを立たせてバシバシ胸を叩く。
「あんたが相手するって言ったんだから、ちゃんと相手しろよ。身体はいつ空いてる? オレはいつでも暇だぞ」
「本当に相手させられるのか。まあ屋敷の中でなら問題ないか。……公爵様の仕事がない時なら。後でスケジュール聞いとくよ」
「頼むぜ」
それじゃあと引き返そうとしたオレはああそうだ、と振り向いた。
「ハボックさん。……アンタの周りには幽霊はいないから安心していいよ」
「幽霊ネタはもういいよ」
苦笑するハボックをオレは強く真直ぐに見た。
その視線を居心地悪げに受け取るハボック。
「どうした? 何か見えるのか?」
「…………何でもない。大丈夫、アンタは……その辺のモンにはとりつかれないから」
「そりゃどうも」
ヒラヒラと手を振るハボックの大きな背中に向かって、オレは小さく言った。
「……そんなおっかないモンつけてたら……その辺の霊なんて寄りつかないぜ」
戦争は人を殺しの道具にしてしまう。
ハボックが女性と長続きしないのは背負っている陰のせいだ。内面に触れようとすればその陰の気配を悟る。普通の女ではそういうモノを内に抱えている男とはやっていけない。
見えたのは沢山の無念の手。
数多の手だけがハボックの背や肩に乗っている。
幽霊なんていやしない。人は死んだらこの世には止まれない。死者は幽霊にはなれない。
けれど思念の欠片は残る。人が死んだ瞬間の思いは余計なものが混じらない純粋物だからこそとても強い。
それは黒でも白でもなく闇でも光でもなく、ただの思念の塊であり、同時に鮮やかな絶望の色でもある。
戦場に出た者が背負うのは無念の残滓。
決して浄化される事のないその怨念を背負うからこそ、洗っても血と死の臭いは消える事はない。
この屋敷の主人も沢山の怨念を抱えている。
いや、主人だけではなくこの屋敷そのものが陰気な思考の残滓を溜めている。だからこそここの空気は重い。
そんなモノを吸い続けるからおかしくなるのだ。
貴族の精神が歪む理由がよく判った。
「……でもオレも同じか………」
自嘲で顔が歪む。
皆それぞれ逃れられない怨念を背負っている。
重くて背中が潰れそうだ。それでも完全に潰されるまで歩き続ける。
湿気で右肩と左足が疼いたが、顔から痛みを消す。
弱味など誰にも見せてやらない。
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