公爵夫人秘密 01
Alphonse×Edward♀


第二章

- 25 -




「……っ!」
 目覚めは最悪だった。
 いつもの夢だ。
 イヤな汗でシャツがびっしょり濡れている。
 冬でも流れる悪夢の汗。
 痛む手足の接合部に「くそっ」と呟いて顔を掌で覆う。
 夢で良かったと思うより、いつまでこの悪夢が続くのだろうと苦悩の方が大きい。
 全部が痛い。心も身体も。
 あれは夢だ。もう終わった事だ。
 アレからもう四年が経ってる。過ぎ去った過去の事だ。

 なのにどうして悪夢は覚めないんだろう。

 もう母さんはいない。
 オレが悪夢にうなされても起こして助けてくれる人はいない。
 ずっとこの悪夢と付き合っていかなければならないのだろうか。
 オレが悪夢にうなされる度に母さんの方が辛そうな顔をしていた。全部自分のせいだと思っていたのだ。
 抱き締められる腕に安堵して痛みを忘れた。

 暗い、暗い、井戸の底。
 オレが見上げる空は丸く黒い。
 だから夜は嫌い。
 空が黒いから。

 心の暗部に引き込まれそうになるのを、自分の顔を叩いて気持ちを切り替える。

 立って、進め。
 悪夢に怯えるくらいなら痛みを堪えて立ち上がれ。

 自分に言い聞かせる。
 時計を見るとまだ夜明け前だ。
 分厚いカーテンの引かれた窓からは外の様子は判らないが、たぶん雨が降る。機械鎧の接合部がやけに疼くから分かる。
 裸足で音を立てずに歩くと洗面所に入る。
 思ったとおり鏡の向こうのオレは酷い顔をしていた。
 服を剥ぎ取ってシャワーを浴びる。
 熱いシャワーが何もかもを流してくれる気がしたが、やっぱり気のせいでしかない。
 それでも身体を温めると気分も落ち着いた。
 もう少しで起床の時間なので寝直す気にもなれず、とりあえずバスタブを使って洗濯する事にした。
 イーストシティには十日間滞在するつもりだったが、着替えは一組しか持ってきてない。
 洗濯石鹸にするには上等な石鹸をふんだんに使い、靴下やら下着やら全部洗っていく。ついでに今着てたものも全部浴槽に突っ込んで踏み洗いする。
 オレの服より上等なバスローブを着ての作業だ。このバスローブ一枚を買う金で、オレの服が何着も買えるだろう。
 洗濯もメイドがやってくれるのだろうが、下着やら履いた靴下なんかを他人に洗ってもらうのは抵抗がある。自分の事は自分でしろと師匠から教育されている。
 すすぎ終えると軽く絞って、さてこれからが本番だ。服を乾かさなければならない。こいつが結構加減が難しい。
 両手を合わせて衣服の周りについた水分を蒸発させる。
 初めて試した時には発熱させすぎて服を焦がした。繊維の間に染み込んだ水分だけを飛ばすのにはコツがいるのだ。この技があるから手持ちの着替えが少なくて済む。
 ウィンリィにはいつも同じ服を着ていると不評だが。
 人の女らしさを説く前に自分の粗暴さを何とかしろってんだ。
 アイロン掛けはあとでやるとしよう。
 着替えて、カーテンを開ける。
 思った通り煤けたような空の色。けどまだ雨は降っていない。
 窓を開けて飛び下りようかと三秒考え、止める。二階なら飛び下りた。三階からでも飛び下りて大丈夫だが機械鎧が芝生にあとを残しそうだ。
 ちょっと考えカーテンを錬金術で紐状に伸ばして垂らす。下までは届かないが構わない。
 紐をつたって地面に下りる。
 うーんと背伸びをする。朝の空気を身体一杯に吸い込むと身体が一新されたような気持ちになった。
 目の前のグリーングラスが目に痛い。リゼンブールとは違う人工的な色だ。
 だだっぴろい庭。羊が飼育できそう。
 都会の土地を無駄に使うなよ。土地代高いっていうのに。貴族は無駄に金を使うのが好きだな。
 準備運動した後、大気を吸い込んで身体をゴムのように伸ばす。シンの国の拳法みたいな動きだ。
 師匠の教えだが、朝一番で身体に沢山の空気を取り込んで身体を動かすとその日一日が快適に過ごせるという。小さな頃からの毎日の日課だ。その後腕立て伏せやら腹筋やらバーベルを持ち上げたりするのだが、湿気で手足が痛むので今日は軽く走るだけにしておく。
 庭を走るだけなら構わないだろう。屋敷の外に出たかったがあの男に嫌味を言われるのも癪なので、壁にそって庭を走る。

 門の近くに来るとスッと人影が現れたので足を停めた。
「ストップ、お嬢様。ここから先は危険だから行っちゃいけませんよ」
 前を塞がれて男の顔を見上げた。ロイより長身の男だった。金髪碧眼。青い目はどこか大型犬を思わせた。
「アンタ、誰?」
「オレはジャン・ハボック。ここの家の使用人ですよ。エドワードお嬢様は随分早いご起床なんスね」
 隙だらけに見えて隙がない。躾けられた番犬ってところか。護衛とか用心棒か?
「おはようございます」
 挨拶すると男はびっくりした顔になった。
 都会では朝の挨拶はおはようじゃないのか?
 ハボックが背後を指す。
「こっから先は防犯対策で犬が沢山放し飼いになってます。危ないから夜間は外に出ちゃダメです」
「もう夜は明けたよ」
 眩しい朝日は見えなくてももう朝だ。
「そりゃそうですけど、飼育人が犬を犬舎にしまうまでは家の人間でさえ外には出られないんです。あっちに行きたいなら、ちょっとだけ待ってて下さい」
 男の背後は危険地帯だと説明された。表側は犬がセキュリティシステムか。だとすると裏は?
「それなら引き返すよ。……あと行っちゃいけない場所って何処?」
 この分だと屋敷に色々トラップがありそうだ。
「表側は何かと危ないから行かないで下さい。庭が見たいなら朝食後にメイドに案内させますので。朝の散策は裏庭だけにしておいて下さい」
「裏は大丈夫なんだ?」
「障害物ない場所なら。常に警護の者がいますので」
「じゃあオレの姿も見えてたのか」
 視線を感じていたのは気のせいじゃなかったのか。