オレは四歳から戸籍を偽って暮らしてきた。イズミ師匠は父の友人で、オレ達母子の面倒を見てくれた人だ。
師匠の所に身を寄せていた時には親戚だという事にして、ハーネットの姓を名のっていた。
だからオレはエドワード・ハーネットなのだ。
全部調べてあるからオレが錬金術師だって事も知ってたのか。
「オレの事……何でも知ってるんだな」
「自分の事を知られているのは気分が悪いか?」
「……別にいいさ。その程度のこと、気にしてたらやってけない。オレは所詮子供で、大人の都合で動かされる存在でしかないのは判っている。そうやってオレの事、全部判ってるつもりなんだろ?」
「自虐的にならなくてもいい」
「自虐じゃないよ。単なる事実だ。いつもオレの知らない所で自分の事が決められていく。その事に反発を覚えないわけじゃないけど、反抗するだけの理由がないから流されているだけだ。目的のないオレはとりあえず自分のやりたい事が見つかるまで、自分を磨くしかない」
逃げられないのなら、懐に入って探ればいい。深みにハマって出てこられないかもしれないが、元より命など惜しんではいない。
母が死んで生きていく目的を失った。この上何を糧に生きればいいのか。
弟に会えば判るのだろうか。
「そうしろ。とりあえず今日の試験の結果が出るのは六日後だ。それまでは家にいるといい。町に出たいなら案内人をつけよう」
「護衛じゃなく?」
「そうとも言う。今の所危険は少ないが、用心に越した事はない。都会は危険が多い。田舎から出て来た純情なお嬢さんにはあぶない場所だよ」
「誰が純情なお嬢さんだ。男装したオレを一目で女と判るヤツはそうはいねえよ」
「男なら尚更危険だ。男相手には容赦しない者も多い」
「都会が物騒だっていうのは判ってるつもりだ」
「判っているつもりでも判っていない事はよくある。自信過剰だといつか足元をすくわれるぞ」
「他人に助けてもらう事を前提に生きるつもりはねえ。あんたの言う事も判るが、守ってもらって生きたんじゃいつまでたっても強くはなれねえ。打たれて立ち上がるから殴られる痛みも危険も判るんだ。籠の鳥でいるくらいなら、外を飛んで鷹に襲われた方がマシだ」
「危険を回避するのは賢い人間で、危険を軽く見るのは愚かな人間だとトリシャ様は教えなかったのか? 取り返しのつかない痛みだってあるんだぞ」
「今まではそうしてたさ。母さんに危険が及ばないように自分を殺して目立たずにいた。勉強だって手を抜いてたし、危ない遊び場には誘われても行かなかった。親の言う事に逆らった事はない。愚かな行いで親に心配をかけた事はない」
「機械鎧にしただけでも多大な心配だ。娘がそんな姿になって心が痛まない母親はいない」
「だろうね。母さんはオレの手足を見るたびに痛そうな顔をしてた。けど、どうしようもないっていうのも判ってた。オレが庇ったから母さんは無事だったんだ。オレが無傷なら母さんは襲撃者の手によって死んでいた」
「君がトリシャ様を助けたというのか?」
「三年前……嵐の日に襲われて……母さんが刃を向けられて……オレが応戦した。結果オレは手足を無くし母さんは無傷。土砂崩れに巻き込まれたり色々大変だったけど、無事助け出されて母さんはそれから三年生きた。たった三年の為にオレは手と足を差し出したんだ」
「君が戦ったのか?」
初耳だとロイは驚く。
「そういう報告は受けてないのか? 調査不足だな。錬金術の師匠は武道の達人で、身体も鍛えてもらった。だから喧嘩は強いぜ。例えプロ相手でもタイマンなら負けない」
「女の子なのに殴りあいの喧嘩をするのか?」
「喧嘩だけじゃなく命のやりとりもしてきた。オレは見た目女に見えないからな。治安の悪い場所だと女の方がヤバい。オレが危険な立場なのを知っていた師匠は、存分にオレを鍛えてくれた。自分で何でも対処できると自信つく」
「逞しいな。……しかし君は本当に女性か? 逞しすぎる」
「貴族の深窓らしく襲われたらあ〜れ〜と悲鳴を上げて助けを求めろって? んな事してたらあっちゅーまに殺されるか剥かれてレイプされるのがオチだ。被害者になりたくなければ反撃するしかないだろ。……しかしこんな服と靴じゃ襲って下さいと言わんばかりだな。コルセットは苦しいしスカートは足に絡むし。ロクに動けやしねえ。転がされてスカート踏まれたら逃げられねーじゃんか。剥かれて突っ込まれるのがオチだ。オレは絶対服は男もんしか着ないぞ」
ドレスを指して不満タラタラなオレの言いぐさに呆れるロイ。
「口が悪いが……確かにそうだな。だが助けを求められる状態なら、誰かに助けてもらえ。女の子が悲鳴をあげたら助けに入る紳士はいる。バカな男も多いが、まともな男もいるのだよ」
「そいつがオレより強ければいいんだけど」
「君は相当自信がありそうだな」
「まあ、それなりには」
「自信過剰はよくないと言っただろうが。逃げられる時は戦わずに逃げなさい。万が一、顔に傷でもついたらどうする。トリシャ様が草葉の陰で嘆かれるぞ。………まあいい。これからの事だが、錬金術に興味があるのなら大学の教師を紹介しよう。時間が空けば国家錬金術師の資格をもつ私が直々に指導してもいい。光栄に思いたまえ」
「それって公爵様自らが教えるから、ありがたがれって事? それとも国家錬金術師としての自分を自慢しているの?」
「後者だ」
「んならいいけど」
ボーンボーンと時計が鳴った。気がつけばもう日付けが変わる時刻だ。時間も忘れて話し込むなんて久しぶりだ。
「遅いから今日はここまでにしよう。君も疲れただろう。ゆっくり眠りなさい」
ロイに言われて立ち上がる。
まだ色々聞きたい事はあるが、いっぺんに尋ねても教えてはくれないだろう。それにすぐさまオレをどうこうしようってわけじゃないらしいし。
ハイヒールでおぼつかない足を動かして歩く。こんな靴を女の人は毎日履いてるんだから偉いよ。
いや、いっその事ハイヒールでも戦えるように身体を鍛え直そうか。服装を弱点の言い訳にはしたくない。
「そうだ、アンタは忙しいんだろ。もしアンタが家にいない時に町に行きたくなったら誰に言えばいい?」
振り向いて聞く。
「私が不在の時はリザに言うといい。リザもいない時はハボックという男がいる。私の護衛をしているものだが家に置いていこう」
「アンタの護衛なのに置いていっていいのかよ」
「私も多少心得がある。心配はいらないさ」
「心配なんかしてないけど、アンタが死んだらホークアイさんが失業するし、ガードの人達も責務を果たせなかったと責任を問われるからな」
「私はここにいる誰より強い。本当ならガードなどいらないのさ」
「ふうん。あんた強いのか」
「そうでなければこうして生き残ってはいない」
そうは見えなかったが、オレの師匠の例もある。人は見た目じゃ判らない。
「じゃあな」
「ああ、おやすみ。よい夢を」
「……おやすみ」
ロイにおやすみと言われてちょっと狼狽える。幼馴染み以外にそう言われる相手がまだいたとは驚きだ。
よい夢なんて見た事がない。オレが見る夢は悪夢ばかりだ。
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