公爵夫人秘密 01
Alphonse×Edward♀


第二章

- 20 -




 ロイの言葉にホッとする。
 急激に弟に会ってみたくなった。母さんの面影があるという弟。
 想像する。
 穏やかな性格。誠実な人格。いつも笑みを浮かべ。
 でも裏では寂しそうな顔だ。肉親の縁に薄く、誰も本当の母親の事は教えてくれない。
 たまに会う父親はアルフォンスに何も教えない。ただ時期が来るのを待てとだけ言い。
 いや、姉と母親は死んだ事になっている。だからアルフォンスもそう思っているかもしれない。
 才能もお金も持っているのに、満たされない弟。

『エドおねえちゃん』

 弟の甘い柔らかい声を覚えている。ずっと忘れてない。
 けれど、今までは母さんを守るのが精一杯でアルフォンスの事は忘れていた。アルフォンスは安全な場所にいるという安心感が、弟の存在を薄れさせていた。たった一人の弟なのにすまないと思う。

「君はアルフォンスに会いたくないのか? 一度もそう思わなかった?」
「…………思わないといえば嘘だけど。弟なんだからそりゃ会いたいさ。けど……アルフォンスはオレが死んだと思ってる。そして母さんを独り占めしたオレを恨んでいるかも」
 自分だけが母といたという負い目がオレを躊躇わせる。
「君らしくないネガティブ思考だな。アルフォンスはそんな子ではないぞ」
「手足が機械鎧の姉なんか……死んだと思っていた方がいいのかもしれない。アルには未来がある。オヤジが邪魔者を排除したっていうんなら、アルは安全だ。十年もすりゃ可愛い子と結婚して家族を持つさ」
「だから会わないつもりだと?」
「外からこっそり無事な姿を確認できればいい。オレがアイツの為に何ができるか判らないけど、もしアルに何かあればなんでもするさ。たった一人の肉親なんだから。でもわざわざ寝た子をおこす事はない」
「そうか。……君も考えているんだな。しかしその考えに凝り固まらない方がいいぞ。アルフォンスの事だけではなく、自分のこれからの事もじっくり考えるといい。時間はあるのだから。君は表向きはホーエンハイム家とは何の関係もない。才能豊かな一市民として努力次第でいくらでも欲しいものが手に入る。……私も協力しよう。頼りに思って欲しい」
「……アンタが?」
 自信たっぷりに言われ、思いっきり不審な顔になってしまった。
 何を言ってるんだ、コイツは?
「私をすぐに信用できないのは判っているが、少なくとも私は君の敵ではない。父親のホーエンハイム公爵には命を助けられた上、随分世話になった。限られたものしか知らない事だが、我々四大公爵は互いに協力しあっている。西のヒューズは私の幼馴染みで親友だし、北のアームストロング公爵の次期当主はアルフォンスの後見人として睨みをきかせている。君が余計な野心を持っていない事は判ってるし、貴族社会を嫌っているのも知ってるが、接触を持たないでいる事の方が難しい。君は優秀で目立つ。田舎でつつましく暮しているのなら放っておけるのだが、都会に出て目立つ行動をするつもりなら私も安心してはいられない。君に何かあればホーエンハイム公爵に申し訳が立たないし、君の存在がアルフォンスの足枷にならないとも限らない。私を信じるか信じないかは時間をかけて判断すればいいが、軽率な行動だけはとるな。少しの油断が足元をすくう。君は命を狙われる危うさを知っているはずだ。くれぐれも慎重に行動しろ」
 ロイの重々しい声に現実の重さがのしかかる。

 ドクン。

 心臓が鳴った。
 泥が口の中に入って息が苦しくて。
 身体が動かせなくて。
 母さんの声が段々小さくなって……。

「……エドワード?」
 彼方を見るオレにロイがどうしたのかと聞く。
「何でもない」
 はあ……と息を吐いた。
 いつまでも忘れられない記憶がある。
 毎晩見る悪夢だ。
 夢を見たくなくて眠りは浅い。
 オレの顔色をロイは誤解した。
「気分を悪くしたか? 君は実際殺されたわけだし。自分の命が危険に晒されているなんて恐ろしいだろう」
「別に。自分の命なら……どうだっていい」
「どういう意味だ?」
「恐ろしいのは…………無くす事、選択してしまう事。そんな事はもう起こらないと判っていても……悪夢は消えない」
「エドワード?」
「なんでもない。ただの独り言。……アンタの言いたい事は大体判った。……それで? アンタはオレにどうして欲しいんだ? 田舎に引っ込んでそのうち地元の青年と結婚して地味に暮らせって? それがオレの幸せだって?」
「そんな皮肉を言わなくても君を田舎に閉じ込めておくような事はしないさ。君の望むようにしてやって欲しいというのがホーエンハイム公爵の望みだ」
「オヤジのねえ…」
「それに君はとても優秀だ。十四歳で大学に入れるくらいだから、将来は開けている。その才能を潰してしまうのは勿体無い。研究者になるのか他の職につくのかは知らないが、やりたい事をやるがいい。私のバックアップがつけば何でもできる。大学に行きたいか? 研究室が欲しいか? 君は何がしたい?」
 聞かれてすぐには答えられない。
 母さんに聞かれた時には「立派な錬金術師」と答えていた。オヤジがそうだったからだ。オヤジと同じ錬金術師になると言うと母さんは悦んでくれた。
 だけどそれが本当に自分の望みだったかって聞かれると、迷う。
「今のところしたい事はない」
「それなのに『大検』を受けたのか?」
 若いのに目標がないなんてつまらない人間だと思われたかもしれない。
 けれど母のいない未来なんて考えた事もなかったんだ。
「したい事がないのなら試しにやってみろと友達に言われたんだよ。母さんが死んで……オレは腑抜けてたからな。やる事がある分には何も考えなくていい。……将来何をしたいかなんて、隠れ住んでいるオレには考えるだけムダだった。母さんを一人で放っておけないし、オレが目立てば母さんにも危険が及ぶ……。でももう母さんを心配する事はない。これからはそういう事を考えなくていいと思うと……なんだか気が抜けて、逆に何も考えられなくなった。勉強は好きだけど、目的はない。錬金術師は好きだけど、オレに錬金術を教えられる教師はそういない。オレの師匠はすごい錬金術師だけど、師匠には破門されてるしなあ」
「教えられる教師がいないとは凄い自信だな。それにどうして前の師匠に破門されたんだ?」
「んー。師匠の言う事を聞かなかったから。オレはできの悪い弟子だったんだ。………………あのさ、師匠が誰かって聞かないって事は……もしかして師匠の事も調べてあるのか?」
「君の事はひととおりな。君達の安全が第一だった。リゼンブールを出てからの足取りは掴んでいる。ハーネットというのは君の師匠の結婚前の性だ」