「……君はよく考えている。想像力が豊かだな」
「常に最悪の事態ってのを考えてるだけだ。時間はたっぷりあるから悪夢の再来にならないように用心して生きてる。少しの油断が死を招く」
「そのわりにのこのこイーストシティくんだりまできて受験などしてるようだが?」
ロイの皮肉を笑いで流す。
「……母さんが死んだ今、無くすものなど何もなくなったからな。いつ死んでもいい。そういう覚悟ができた。だから死ぬその瞬間まで自分らしく生きる。もう我慢する必要はない。これ以上自分を殺して生きるなんて真っ平だ」
「自棄になったのか? 自殺願望か? それは迷惑な話だ」
「自殺願望なんかねえよ。自殺するくらいなら、弟以外のホーエンハイム家の人間を全員道連れにして地獄に行ってやる。どうせ公爵家の人間なんて全員地獄落ち決定だし。ただ……そんな必死になって生きたいと思わないだけだ。家族はもういない。愛する者のいない世界は灰色だ。母さんが生んでくれた命だから真面目に生きるつもりだけど……死んでも後悔しない覚悟はつけた。何もせず朽ちていくより、自分らしく生きて死にたい」
「だから人目の多いイーストシティに出て来たのか。君の存在が知れればホーエンハイム公爵家が動くと知っていながら。ホーエンハイム家に平民の血が入った事は最大の秘匿事項だ。直系男子であるアルフォンスは殺されないが、女の子である君は秘密を守る為に殺してしまってもかまわないと思っている一派がいる。今は沈静化しているが、君の生存が確認されれば彼らは動き出すだろう。殺し屋に狙われ続ける生活がしたいのかね?」
「……狂信者は消えず、か。わざわざ戸籍まで偽装したのにな」
だからオレはエドワード・ハーネットという名前なのだ。
エドワード・エルリックは書類上は死んだ人間だ。三年前に事故にあってから、オレと母は違う人間になった。
ロイはその秘密を知っている。
一人知れば二人知るのと一緒だ。いつか秘密は露見する。
だが別人として嘘をついて生きるのはしんどい。
オレは自分を取り戻したい。例え命を狙われる事になったとしても。
エドワード・ハーネットは戸籍上は男だ。まずそこから直していきたい。偽らない自分というものを取り戻すのだ。
「死んだ事にしなければ暗殺者の目を誤魔化せなかったのだ。トリシャ・エルリックとその娘のエドワードは三年前に死んだ事になっている。だが安心はできない。君の存在は鬼門だ。ホーエンハイム次期公爵アルフォンス・ホーエンハイムはヴァン・ホーエンハイムと貴族の間に生れたという事になっている。だが母親が平民だと知れれば一悶着ある。公爵家の醜聞を表に出すのを恐れる連中にとって、平民育ちの長女のエドワードの存在は表に出してはならないものだ」
「母さんを醜聞だなんて言うな。オレの事は何を言われても平気だが、母さんは純粋にあの男を愛しただけだ。財産も豊かな生活もなに一つ望まなかった。なのに相手があの男だというだけで母さんは悪く言われる。私欲のない者が私欲にまみれたクズの悪意に晒される。貴族の世界は汚い。……母さんの片思いなら良かったのに。オヤジが母さんを相手にしないで自分と同じ世界の女を妻にしてりゃ何の問題も起きなかった」
「そうしたら君も生まれては来なかった」
「生まれてきたくて生まれてきたわけじゃない。親は選べない。オレは平民の誠実な父親が欲しかった。身分や金の為なら人殺しも辞さない親戚なんて欲しくなかった。妻を守れる父親が欲しかった。オレも母さんもただ平凡で働いただけの代価を得る穏やかな日々を求めていただけなのに。母さんがそういう人間だと知っていてオヤジは母さんを巻き込んだ。相手の幸せを求めるなら始めから手をとってはいけなかったのに。オレなら……愛する人の為なら……自分の幸福には目を瞑るのに。オヤジはオボッチャン育ちで現実を甘くみた」
「ホーエンハイム公爵が悪いわけではない。悪いのは公爵家に住まう因習と寄生虫だ。自ら何も作り出さないくせに自らを選民と勘違いし、根拠のない理由で他者を見下す唾棄すべき連中だ。公爵はそういう連中を一掃する為に、愛する妻子と離れて努力していた。おかげでだいぶ公爵家からゴミのような連中がいなくなった。……君も苦しんだだろうが、弟も不自由な生活をしている。実の母と引き離され父親は多忙で不在がち、次期公爵として節度ある態度を求められる生活を強要されて、決して幸福というわけではない。君の嫌う貴族の中で汚い空気を吸って生きねばならなかったのだ。父親に反発するより、孤独なたった一人の弟を思い遣る気持ちはないのか?」
それを言われると辛い。
アルフォンス。たった一人の肉親。三歳で誘拐され公爵家で愛のない生活を強いられている哀れな弟。
アルフォンスを憐れまないわけじゃない。可哀想だと思う。母さんの死に目にも会えなかった。墓参りさえ許されない。実の母が死んだ事さえ知っているかどうか。
だけど。
「アルフォンスって……どんなやつ? 知ってる?」
そう尋ねる事さえ躊躇われる。
他人に身内の事を聞かねばならない現実が憎い。
そして何より貴族社会が憎い。
もし弟がオレの嫌う貴族のようになっていたら、どうすればいいのだろう?
「アルフォンスは心の優しい真面目な少年だよ。外も内も母親似だ。茶金の髪と瞳と穏やかな性格をしている。努力家で誠実だ。……ただし、良い人間すぎて権謀術数飛び交う貴族社会では飲み込まれてしまいそうだがな。強力な後見人がついているから大丈夫だが。……このまま順調に育てば将来はいい青年になるだろう」
「……そっか。母さん似か。ガキの頃の写真しかないからあんまり今の姿が想像できないけど……きっとハンサムでいいヤツなんだろうな」
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