公爵夫人秘密 01
Alphonse×Edward♀


第二章

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 オレはにわかには信じられなかった。
「……それ、本当? オヤジは母さんを捨てたんじゃないのか?」
「トリシャ様がそうおっしゃったのか?」
「いや……母さんは決してオヤジの悪口は言わなかった。オヤジは仕事をしていて、迎えにきたくても来れないって言ってたけど……。泣いている母親の姿を見ればオヤジが悪いって思うのは当然だろ。平民の母さんが捨てられたと思うさ」
「平民のトリシャ様は公爵家では決して認められない。命を狙われてトリシャ様は怯えていた。ホーエンハイム公爵は危険分子を駆逐をなさっておられたのだ。子供の君にそんな殺伐とした真実を説明できなかったのだろう」
「駆逐?」
「そうだ。貴族なんて多かれ少なかれ弱味があるものだ。時には紳士的に、時には暗殺者となり、ホーエンハイム公爵は自分の周りから口煩い親戚を消していった。ホーエンハイム家はバタバタ人が死ぬので呪われている一族と一時話題になったな」
 信じ難い話だが、信じるとすればなんて血生臭い話だ。平和に暮していたオレの周りでそんな事になっていたとは。
 母さんを殺そうとした親戚連中は許せないが、顔見知りの親族を簡単に殺せるオヤジも連中と大差ない。
 オレの手足がなくなったのがそんな事情だったなんて。
 オレだけが何も知らされてなかったのか。初めて知った真実がショックだった。
 一人蚊帳の外に置かれて面白い筈が無い。それが真実だとしたら、何故他人の口から説明を受けなければならないのか。もっと早く本当の事が知りたかった。恐ろしいとか悲劇だと思うよりも腹が立つ。
 目立つ事を嫌った母さん。母は刺客の影に怯え、オレは母さんが心配するので側を離れる事ができなかった。
 男として育てられたのもその為か。エドワードという名の少女は珍しくても少年は珍しく無いから。
 母さんもオヤジももうこの世にはいない。今更何を聞いても後の祭り。ムダだ。真実に意味などない。
 オヤジは結局母さんを守る事ができなかったのだ。
 バカなオヤジ。
 だからオレは……。
 苦々しい顔をロイに向ける。
「親族で殺し合いかよ。……オヤジも容赦ねえな。……そしてアンタはオヤジの素敵な殺人ダイアリーを知ってるってわけだ。アイツの弱味握ってたの?」
 東の公爵様本人が親族殺しとは大したスキャンダルだ。教えてくれれば手伝ったのに。
「いいや。……ホーエンハイム公爵家に限らず我がマスタング家も魑魅魍魎住む羅殺の家だからな。そんなのお互い様だ。……私も子供の頃から暗殺には馴れている。だから君達の事は他人事ではなかった。ホーエンハイム公爵からは何度も命を助けてもらった。助かりたくば反撃しろと教えたのもあの人だ」
 オヤジとロイは仲が良かったらしい。
 あっちもこっちも身内で殺しあいかよ。なんで平和に暮らせないのかね。暗殺に慣れるなんて殺伐とした幼少時代を送ってたんだな。どうりで性格が曲がるわけだ。
 オヤジとロイは同じ穴のムジナか。ムシが好かないのも道理だ。
「意外と好戦的だな、オヤジも。しかし何年もかかるとは行動がトロイな。そんなんだから殺し屋に先越されるんだよ。おかげでオレは……手足をすっぱりやられちまうし。女の身体に傷をつけやがって、誰がやったか判ったら絶対に同じように手足千切ってやる」
 鼻息荒く言うと、ロイが「それはもうホーエンハイム公爵がやった」と言った。
「オヤジが?」
「トリシャ様のお命を狙い、娘に大ケガをさせた輩を許しておくわけないだろう。生かしておけばまた妻子が命を狙われる。ホーエンハイム公爵は本気で牙を向き、敵対する相手----公爵家の膿を排除していった。だが誰が公爵家の不穏分子で味方か細部までは判らなかった。どっちにも転ぶコウモリもいたし、下手に動けば今度はアルフォンスが危なくなる。故にホーエンハイムは静かに、だが着実に敵を葬ってきたのだ。遠くにいる妻子を思いながら」
 ロイ視点のオヤジは優秀で冷酷な反面、家族想いの人間に見えたのだろう。
 しかしそう聞かされてもオヤジに対する悪印象は消えない。
 何を水面下で画策していたのかは知らないが、詰めが甘いのだ。だからオレが苦労する。オヤジの甘さのツケをオレが手足で支払った。全てはオヤジのせい。だからオレはヤツが大嫌いだ。
 過去それを大声で言えなかったのは母さんがいたからだ。母の涙がオレを縛った。
 どんな時でもオヤジを信じ愛し続けた母さん。
 なんであんな男が良かったのか。
「……それで? ちっとも本題に入ってかないんだけど。それが真実だからってなに? 死人の過去を顧みたって生きている者の足しにはならない。捨てようと見守ろうと、どちらにせよ母さんは常に命の危険に晒され続け、怯えと寂しさに泣いていた。それを見せつけられていたオレが真実を知ったところで、父親に対する評価は変わらない。言い訳だけならいくらだってあげられる。どんな意志を持とうと行動しようと、結果が全てだ。オヤジは母さんに対する責任を取らずに死んだ。責任持てないんなら手ぇ出すんじゃねえよ」
 頑なオレの様子にロイはやれやれと言う顔になる。ガキの頑なさには付き合ってられないという大人の見下した態度。
 だがロイは本当の『真実』を知らない。
「君がホーエンハイム公爵を嫌うのも判るが、公爵がトリシャ様だけを愛していたという事実も変わらないぞ。悪いのは公爵家だ。ホーエンハイム公爵は最後まで戦い続けた」
「そしてオヤジはその公爵様だ。トップにいる人間だ。責任がないわけないだろ。……オヤジは間違ったんだ」
「何を?」
「大事な者を守りたいなら、それ以外を全て捨てなければいけなかったんだ。何も捨てなかったから後から歪みが出た」
「公爵はトリシャ様との結婚を反対されて、家を捨てられた。他に何を捨てろというのだ?」
「ただ家を出ただけじゃ、本当に捨てた事にはならない。オヤジはただ都合の悪い事から逃げただけだ。公爵なんて地位に何の魅力も感じていないから捨てるのも簡単。けど、オヤジにとって価値のない物でも、他人にとったら宝物だ。それに気がつかなかった。家を出てそれで全てが済んでしまった気になった。そうしたあげくに妻子を守れず双方を不幸にした」
「君は厳しいな。母親を不幸にした父親をそんなに許せないのかね?」
「一生許すものか」
「しかしトリシャ様はホーエンハイム公爵を死ぬまで愛し続けていた」
「可哀想な母さん。…………あんなクズを愛してしまったばっかりに不幸を背負って」
「自分の父親をよくもそこまで貶められるものだな。公爵は素晴らしい方だった。君がその価値が判るのはもっと大人になってからだろうが、知りもしないのに自分の思い込みだけで判断して悪し様に言うのは良くないな。早く大人になりたまえ」
「……知りもしないのに自分の思い込みだけで判断する……か。…………くっくっくっくっ……。あーーっはっはっはっはーーーっ」
 唐突におかしくなった。
 知らないという事は本当に間抜けた事だ。
 オレも、この男も、ホーエンハイムも。
 オレの嘲笑と軽蔑を含んだ眼差しにロイは対抗した。
「何がおかしい?」
「うんにゃ。アンタの言うとおりだなあと思って」
 右手で目許を押さえる。鋼鉄の腕。重たくて重たくて。この苦痛はあの男のせい。
 恨んでる、憎んでる。大嫌いだ。
 沸き上がる黒い感情。
 でもそれを表に出した事はない。母さんが心配するから。母さんが泣くから。
 でももう我慢する事はない。
 なのにどうしてオレは痛いという顔ができないのだろう。
「君のそのふざけた態度は感心できないな。……私の話を信用できないか?」
「いいや。信用したから……嘲笑ったんだよ」
「ほう? では何がおかしかったのだ? 何も楽しい事は話してないと思うが」
「オレ的にはすっげえおかしいよ」
「何処が?」
「あんたの言う真実ってやつが本当に『真実』なのかと思ってね」
「つまり私の言った事を疑っているんじゃないか」
 子供相手だという侮りを隠さないこの男に真面目に話す気にはなれない。
 侮られなくても『真実』を話す事などしないが。アレは墓場まで持っていくオレだけの秘密だ。
「……疑ってないさ。ただ物事っていうのは一面から見ただけじゃ全部の姿は見えないって、知ってる? オレはオレの視点でしか見てなかった。アンタはあんたの視点でしか見てない。だからアンタの言う真実は……実は半分だけだ。見えない残りの半分は間違いなんだ。だがアンタはそれを知らない。一生真実の裏を見ない。オレが真実を見なかったように」
「君は真実を知っていると言うのか? 私が知らない真実とは何だ?」
 オレのでまかせだろうと、信じてないロイの声に凶暴な気持ちになってくる。
 愚か者の会話は気持ちを荒ませる。自分の見ているモノが全て正しいと思っている相手と交す会話などない。真実は裏にこそ『本当』がある。
 オレがオヤジの真実を知らなかったように、この男もオレの真実を知らない。だから始めから会話にならない。ただの言葉の羅列だ。意味がない。
「……等価交換だ。錬金術師はみなそうだろ? 真実が知りたければ対価を寄越せ。この真実の対価は……高いぞ。この家を売っても払えやしない」
 オレはそう嘯いた。
 気持ちが荒んでくる。
 可笑しい。何故オレはこの男相手にこんな事を言っているのだろう。
 オレだけの『真実』----誰も知らないソレ。
 母さんとオヤジは知っていたのだろうか。
 錬金術の事は何も知らない母さん。錬金術に精通したオヤジ。
 連絡を取り合っていたなら知っていたかもしれない。
 もし知っていたとしたらオヤジはどう思っただろう。
 オレを疎んじたか、オレを愚かだと思ったか。
 この世に『真実』などありはしない。