公爵夫人秘密 01
Alphonse×Edward♀


第二章

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 オレは両手をパンと合わせて四方に長いコードを伸ばした。
 この部屋の上下左右の声を収拾する為。すなわち盗聴。
 部屋が無駄に広いから面倒だ。
 屋敷は広くこの部屋から離れた場所の声は拾えない。
 誰かがオレに関する会話をしてないか、耳を澄ませる。

『…………様。あんなに容易にエドワード様と接触なさって……。不用心です』
 ホークアイさんの声だ。つまり相手はロイってことか。下の部屋だ。
『しかしリザ。あの子に危険が及ぶのは時間の問題だぞ。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ』
 ここが虎穴だろうに。
 しかしホークアイさんの立場って結構強そうだな。
 主人をこんな風に責めて大丈夫なのか?
『御自分が虎穴になってどうするんです。筋を通して連れて来ないから、すっかり警戒されてますよ。あれでは殆ど拉致です。それに彼女は重度の貴族嫌いのようです』
『それは計算外だったな。公爵令嬢だからてっきり貴族としての矜持を持っていると思いきや、誇り高そうだが貴族嫌いときている。実力至上主義っぽいところは好ましいが、あんな好戦的では話もできん。女は感情的になっていかんな。……ああ君は別だが』
 感情的で悪かったな、こんちくしょくめ。
『あなたが筋を通してエドワード様に事情をお話しないからです。賢いあなたなら細心の注意を払い、エドワード様の安全を第一に考え行動する事もできた筈です。安直かつ乱暴な手段をとったあげく相手に譲歩を求める方が間違っております』
『…君は相変わらず容赦がないねえ。……耳が痛いよ』
『私は頭と胃が痛いです。やればなんでもできる方なのに、どうしてやらないのかと。御自分の好奇心よりホーエンハイム公爵の遺志を優先なさって下さい。あなたがヘタを打てば、ホーエンハイム公爵とトリシャ様の努力が水の泡になります。事情を何も聞かされていないエドワード様が依怙地になるのは当然です。相手が十四歳の子供相手という事をお忘れなく』
『判ってるよ。……だが興味が湧くと思わないか? あのホーエンハイム公爵直系の血筋で錬金術師。たった十四歳であの頭脳。そして貴族を嫌いながらも貴族以上の矜持。どこまで優秀か調べてみたいと好奇心が疼くのは同じ錬金術師の性だよ。できれば公爵としてではなく一介の錬金術師として会話したかった』
『だからあのようなふざけた接触をしたと? 錬金術師と会話したければ、そういう形にもってくれば良かったんです。同行を強要するから警戒されるし嫌われるのです』
『強要なんて人聞きの悪い。少々強引な手を使っただけじゃないか。本人の意志も確認したし』
『あれは確認とはいいません。ならばお聞きしますが、あなたが同じ事を他人からされたらどうしますか? ……激怒するでしょうに。誇り高いエドワード様が怒るのは当然です。なぜそんな簡単な事に気付かないのですか』
『………………そういえばそうか。だがやってしまったものは仕方がない。このまま進むしかない』
『開き直らないで下さい。エドワード様があなたを嫌い、ここから出ていったらどうなさるのですか。力づくで拘束することは可能ですが、そうしたら二度と信頼は回復できませんよ。力で押さえ込んだ人間が信用されると思ったら大間違いです。エドワード様は確実に我々を敵とみなします』
『やってみたい気もするがな。叩かれても大事なものを見誤らない強さがあるのか、試してみたい気もする。あの子はどれだけ大事なモノの為に我慢できるだろう』
『ああいう方は大事な者の為なら泥を舐め這いつくばる事も躊躇わないでしょうが、トリシャ様亡き今大事な者などないでしょう。弟君とは幼いころ別れたきりですし、幼馴染みやその家族を巻き込めばエドワード様は絶対にあなたを許しません。エドワード様はホーエンハイム公爵の第一子です。あの方の血を色濃く受けついる方です。力と強かさがある。守るべき物が少ないから無茶も辞さない。静かに深く激怒したら……自己保身を捨てたら……誰が彼女を止められるというのですか?』
『エドワードはホーエンハイム公爵と似ているが、しかし気質まで受け継いでいるかな。公爵は温厚な人柄だったが、一方で酷く冷酷な方でもあった。敵に対する容赦のなさは私でも背筋が寒くなるほどだ。あの子がそれを受けついでいるかどうか……』
『あの方の容赦の無さは愛弟子のあなたがよく御存じでしょう。……エドワード様をどう見ますか? 父親の気質を受け継いでいるように見えますか』
『さあな。エドワードはまだ子供だ。人生経験も少ないし田舎育ちで穢れがない。汚い都会の波と社会を乗り切る事すらできない。未だ私の敵ではないよ。どんなに足掻いても私の掌の上だ』
『余裕ぶっていますが、子供はいつか大人になります。自分が十四歳の時を思い出して下さい。エドワード様ほど気骨があったと自信を持って言えますか? あの方が成長なさったら、もしかしてロイ様を凌駕するかもしれません。油断なさらないで下さい』
『……君は本当に痛いところを突く。……エドワードの中味はおそらく本物だろう。あの手足がそれを証明している』
 厳しいホークアイさんの声に反して、ロイの声はどこか揶揄するようだ。
『機械鎧……ですか』
『そうだ。齢十一歳で手足を失い機械鎧を装着し、十二歳でリハビリを終え野山を駆け回るようになった子供だ。三年かかるリハビリを一年で終わらせた人間など聞いた事がない。あれは間違いなくホーエンハイム公爵の子供だ。中味は公爵家の血を色濃く引くサラブレットだ。男でないのが残念だ。見た目あんなに男っぽいのに性別は女か……』
『男子なら……今頃ホーエンハイム公爵家の時期当主ですからね』
『惜しいと思うかね?』
『ええ。アルフォンス様も公爵家の跡継ぎとしては申し分ない方ですが、エドワード様の突出した才覚は特別な輝きを感じます。ホーエンハイム直系の血筋はみな優秀です。親戚にもその優秀さや気概が遺伝すれば問題は生じなかったでしょうに。血は薄まると濁りますね』
『それはどこも一緒だ。しかし人間の中味は血統ではなく環境だ。育った土壌が人を育てる。エドワードは父親譲りの才媛だ。そして優しい母親を守るかのように凛々しく育った。だが残念な事にエドワードは女だ。男にはなれない。そこが問題だ。だからこそ命を狙われた』
『ホーエンハイム公爵家も思い切った事をします。公爵のお子様の命を狙うなど』
 ホークアイさんの声が小さくなったので、より耳を澄ませる。
 会話の内容に反射的に背中が緊張した。
 こいつらはそこまで知ってるのか。
 まさかオレの命を狙った者達と繋がっている? それとも……。
『人の欲には際限がないからな。ホーエンハイム家の一部でも手に入るのなら殺人さえ辞さない人間はいくらでもいる。それに平民を同じ人間だと思わないのも。……ホーエンハイム公爵も事を起こすのが遅すぎた。もう少し早く行動していれば、娘が機械鎧になどならず親子で暮す事ができただろうに』
『しかしエドワード様を見ていれば、父親不在でも不幸な生活ではなかったのが判ります。下層の生活をしていたわりにはスレたところや卑しいところが見られませんし、態度は乱暴ですが下品ではありません。教育次第でいくらでも改善できそうです』
『しかし捨てられたと父親を憎んでいるようだ。母親から本当の事を聞かされてないのか?』
『トリシャ様はとても本当の事が言えなかったのでしょう。……殺されかけたなどと……幼い子供には言えません。当時エドワード様は十一歳。まだ小学生です。手足を無くし酷いショックを受けている少女に、自分が何故そうなったのか言えるはずありません。事故として処理した方が問題ないです。親としても守ってやれなかった負い目があります。もっと成長して物事が判るようになってから説明するおつもりだったのでしょう。その前にお亡くなりになってしまいましたが』
『恐らくな。手足を切断した子供に、お前は父の親族に殺されかけた。だから父親とは暮らせない……などと説明できる筈もないか。あの子が大人びているからつい錯覚してしまうが、まだ十四歳だ。微妙な年頃だな。素直に人を信じるには純粋さが足りず、かといって全てを疑っても判別できる経験がない。トリシャ様もホーエンハイム公爵も娘に本当の事が言えなかったのか。………なのに私が説明するのか? 厄介だな』
『エドワード様は聡明ですし、根気良く説明すれば判って下さると思います』
『そうだな。機械鎧のせいで背も伸びずにいるのに、あの子には弱々しさがない。焔のような黄金の瞳。あれは公爵家特有のものだ。男として生まれていればこの世の栄華が味わえただろうに』
『そんなものあの子は望まないでしょう。欲しいのは自分の努力で手に入るものだけです。美徳ではありますが、この場合はマイナスに作用するかもしれません。他人を妬まず努力を絶やさない者には他人の物を欲しがり妬む人種を理解できません』
『そうだな。その辺の経験が足りない。自由と曲がらない心を得たあの子は、ホーエンハイム公爵がこうあって欲しいと望んだままの子供だ。依怙地な面もあるが環境と年齢を考えれば仕方が無い。これから勉強して柔軟さを学ばせよう』
『やはりロイ様がお引き取りになるのですか?』
『ホーエンハイム家から隠すには私が動くしかあるまい。大人しく田舎に引っ込んでいるタマじゃなさそうだ。才能がありすぎる。十四歳で大学に入ればそれだけで目を引く。天才なのに田舎の中学校でくすぶっていろというのも気の毒だ』
『それにロイ様がした悪戯もありますし。『大検』だけに留めておけばよろしかったのに。合格したら……大変な事になります』
『流石に合格は無理だと思うぞ。まだ十四歳だ。ろくな資料もなく独学で錬金術を学んだガキが受かるような試験じゃない』
『そんなにあの試験は難しいのですか? ロイ様も十八歳で合格なさいましたが』
『専任の教師をつけてな。優秀な指導者もなく合格は難しい』
『今回は不合格でも、きちんとした教師をつければいずれ合格できますか?』
『おそらくな。私の作った最年少記録を抜くかもしれん』
『それだけで目を引きそうですね』
『その前に根回しするさ。とにかくエドワードとホーエンハイム家が繋がらなければそれでいい』
 外に人の気配がしたのでオレは慌てて錬金術で壁と床を元に戻した。